片山善博の発言 (予算委員会第二分科会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○片山国務大臣 その前に、大恐慌、リーマン・ショックの話で、時代状況が似ているというお話をされましたけれども、私も全く同感なんです。
一九三〇年代、二九年に世界恐慌ですけれども、大恐慌のころ何が起こったかというと、そのころまで衆議院で多数派を占めていた政友会が、一九三〇年の選挙で、合体した民政党に多数を譲るわけですね。いわば政権交代が起こるわけですね。そこで緊縮財政とか軍縮とかいろいろなことが起こって、その中で、選挙至上主義とおっしゃいましたけれども、言うなればお互いのけなし合いが起こるわけです。ひどいけなし合いが議会で起こるわけですね。そのことによって、両方の政党とも信頼を失っていってしまう。政党政治の崩壊が起こるわけです。そこで何が起こるかというと、例えば一つは近衛文麿の新体制ということで、何やら非常に英雄のような幻想が当時起こるわけです。一種のポピュリズムでありまして、それが大政翼賛会になって、幻想に終わった。
今、そのことを踏まえて、国家戦略局というのはそのころの発想で、今も必要なのではないかとおっしゃいました。当時の状況を是認すれば私は必要だろうと思うんですけれども、実は私は逆のことを考えておりまして、そうではなくて、むしろ政党政治が、息を吹き返すと言うと失礼ですけれども、本来の機能を取り戻すということが必要なのではないか。
大変失礼ながら、私も政党に属さない者として、今、政府の一員として予算委員会なりいろいろなところに出ておりますけれども、よく似ています。政治史を研究した者から見ますと、一九三〇年代の、政党政治がだんだんだんだん国民の信を失っていく過程に酷似しております。これはぜひ与党も野党も考えていただきたい。
ぜひここは、熟議の国会という表現がいいかどうかわかりませんけれども、国家や国民のために、どういう政策がよりよくなるのかということをやはり第一義に考えるべきだと思うんです。その上で政党間で競争が行われる、競合が行われる。その面では、お互いの足の引っ張り合いは多少はあってもしかるべきだと思いますけれども、どうも主客が転倒してしまっているのではないかという危惧を私は持っております。本来の政党政治、政党が政権を担って、そして政治主導で政策の優先劣後を決めていくという、これがあれば国家戦略局なんかは本来は要らないかもしれないと私は思います。
それで、具体の質問で、県庁組織でありますけれども、実は現実の県庁の多くは、私もつぶさに全部知っているわけではありませんけれども、やはり多かれ少なかれ国と同じような縦割りになっているのが現状であります。なぜかというのは、いろいろありますけれども、各省からの天下りがそれぞれ縦割りを貫徹しているというのもありますし、もう一つは、国と同じようにシーリングをずっとやってきたんです。シーリングをやると、やはり各部局の縦割りは温存されます。
私が知事になって、すぐシーリングをやめました。国家戦略局のような参謀スタッフは設けませんでしたけれども、人事をうまく回して、それでシーリングをやめて、そうしますと、知事を先頭にして幹部で政策の優先劣後を、自由に要求された政策の選択肢の中から選んでいかなきゃいけないことになりまして、おのずから政治主導ができてくるわけですね。
ですから、シーリングをやめるということが今の自治体では必要なことではないかと私は思います。