橘幸信の発言 (憲法審査会)
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○橘法制局参事 衆議院法制局の橘でございます。
前回に引き続きまして、今回は、第二章戦争の放棄の章につきまして、お手元配付の資料に基づき、その主要論点について御説明をさせていただくことになりました。よろしくお願い申し上げます。
今回の資料では、二〇〇五年、平成十七年の衆議院憲法調査会の最終報告書に倣いまして、第九条に関連して議論されることの多い、安全保障及び国際協力一般についても取り上げております。何とぞ御了承願います。
それでは、早速内容に入らせていただきますが、冒頭、若干のお時間を頂戴して、まずは、第九条に関する政府解釈のポイントにつきまして御説明させていただきたいと存じます。
と申しますのは、多分に釈迦に説法であるとは存ずるのですが、時として芸術的とか技巧的とまで評される政府、内閣法制局の九条解釈が、国会でのこの第九条論議の基底にあるからであります。これを前提とした上で、賛否両論のお立場から先生方の自由な御意見の表明がなされることが、本日の会議をより活発かつ建設的なものとするのではないかと生意気ながら思料いたしたからでございます。
それでは、「憲法九条解釈のポイント(政府解釈を前提として)」と題するA3横長カラー版の一枚紙をごらんいただければと存じます。
まず、上段の青い網がけ部分に現行憲法九条の条文を掲載してございます。
その上で、中段の黄色い網がけの中で、九条の条文の中でよく議論の俎上に上ります四つの論点について、政府解釈のポイントをまとめてございます。
まず最初のポイントが、第一項前半の「国権の発動たる戦争」という文言でございます。「国権の発動たる」という修飾語が冠されておりますがために、国権の発動でない戦争というものがあるのかといった御指摘があり、さらには、例えば国際的枠組みの中で行われる武力行使のようなものがこれに当たるんだろうか、そうだとすると、そのような戦争や武力行使は九条一項では放棄されていないと解釈できるのではないかなどといった趣旨の御指摘があり得るからでございます。
しかし、これについて、政府解釈及び学説における通説的見解では、次のように述べられております。
「国権の発動たる」は、国家の行為としてという意味の戦争にかかる修飾語にすぎず、結局、「国権の発動たる戦争」とは、国家の行為としての国際法上の戦争という意味であって、単に戦争というのと変わらないものであり、国権の発動でない戦争というものがあるわけではない、このように解釈されているところでございます。
次は、第一項後半の「国際紛争を解決する手段としては、」という文言の意味についてでございます。
この文言の意味について、政府見解及び学説の多数説は、国際紛争を解決する手段としての戦争というのは、国家の政策の手段としての戦争というのと同じ意味であり、具体的には侵略目的の戦争を意味するとか、このような解釈は、一九二九年発効のパリ不戦条約の同様の文言の解釈以来、一貫したものであり、定着したものであると解されております。
したがいまして、九条一項は侵略戦争だけを放棄したものであり、それ以外の戦争、例えば自衛戦争や制裁のための戦争などは九条一項限りでは放棄されていない、このように解釈されているところでございます。
このように、九条一項自体では侵略目的の戦争や武力の行使しか放棄されていないとすると、二項冒頭の「前項の目的を達するため、」という文言が大きな意味を持ってくることになります。
すなわち、これを第一項で規定されている侵略戦争放棄のためというふうに理解すると、第二項は侵略戦争のための戦力は保持しないということを定めているだけということになりますから、例えばそれ以外の、自衛や制裁のための武力行使を行うための実力装置、戦力なら持ってもいいということになってしまうからでございます。
この第二項の「前項の目的を達するため、」という文言は、当初の政府案にはなく、衆議院修正で追加されたものですが、この修正を行った衆議院の小委員会の委員長でいらっしゃいました芦田均先生が、そのような解釈が可能となるように修正したのであると、昭和三十年代に至って内閣の憲法調査会で証言されました。これは芦田修正と呼ばれ、その意味するところが大きな議論になったのは、先生方、御承知のとおりでございます。
しかし、政府見解及び学説の通説的見解におきましては、この「前項の目的」は第一項全体の趣旨を指すものであり、二項の戦力不保持は一切の戦力の不保持を規定したものと解釈されており、この芦田修正が殊さらに大きな意味を持つものとは解釈されておりません。
次に、そのようにして保持してはならないとされている戦力とは何かが四番目のポイントでございます。
この戦力の意味について、政府は、当初は近代戦争遂行能力などと答弁したこともございましたが、自衛隊法が制定されました昭和二十九年以降は一貫して、自衛のための必要最小限度の実力を超えるものと解釈されております。
わかりやすくするために、少々正確さを欠いた表現になってしまいますが、あえて敷衍して申し上げれば、次のようになるかと存じます。
国内の治安を維持するためのいわゆる警察力を超えるものであっても、外敵から自国を防衛するために必要最小限度のいわゆる自衛力は、憲法九条二項で規定されている戦力ではないというわけです。さらに単純化して比喩的に言えば、警察力以上戦力未満として自衛力は認められ、ここから、この自衛力を行使する実力部隊としての自衛隊の合憲性も導き出されてくるといった論理構成になるかと存じます。
以上を前提として、先生方の御議論に資するよう、二つばかりの補足説明をさせていただきたいと存じます。
まず、国会での憲法解釈の中で最も議論されてきた論点と言っても過言ではない自衛権の問題、端的に言えば、憲法九条のもとで個別的自衛権は行使できるが集団的自衛権は行使できないとする政府解釈は、どのような論理構成のもとで導き出されているのかという論点でございます。
ここで言う個別的自衛権とは、我が国自身が攻撃された場合に反撃を行う権利であり、また集団的自衛権とは、我が国自身は攻撃を受けていないけれども、我が国と密接な関係にある外国が攻撃を受けた場合に我が国が実力をもってこれを阻止する権利と説明されております。
このことを前提に、政府は、憲法九条一項は独立国家に固有の自衛権までも否定するものではなく、我が国も個別的、集団的であるとを問わず自衛権を有することは、主権国家として当然であると述べます。その上で、しかし、九条一項、二項の全体のもとで許される自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度のものにとどまるべきであり、その意味で、我が国自身が攻撃されていない場合の集団的自衛権の行使は、その範囲を超え、許されないと解釈されているように思います。
もう一つは、以上のような集団的自衛権の行使を否定する解釈が余りに技巧的であるとしつつ、かといって、憲法改正自体の困難さなどにも鑑みて、現実的な政策選択として、憲法解釈の変更でもって集団的自衛権の行使を可能とすることはできないかという重要な問題提起がなされております。
しかし、これについて、政府は一貫して、これまでの政府の憲法解釈は論理的追求の結果として示されてきたものであり、自由にこれを変更できるような性質のものではないとした上で、そのようなことは、政府の憲法解釈の権威、ひいては内閣に対する国民の信頼を著しく失墜させ、損なうおそれがあるばかりか、憲法を頂点とする法秩序の維持という観点からも問題がある、さらには、九条のような国家の根本政策に係る解釈について、しかも戦後六十年以上もの間積み重ねられてきたものについては特にそうであるなどとして、もし集団的自衛権の行使を認めようという政策判断をするならば、それは、解釈変更によってではなく、憲法改正という手段を当然にとらざるを得ないと述べられているところでございます。これはあくまでも政府の見解だというふうに存じますが、先生方の御議論に供するところでございます。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、以上を前提に、九条をめぐってこれまで国会でなされてきました論点を、前回同様に、明文改憲の御主張、明文改憲ではなくて立法措置による補充の御主張、そのいずれも必要ないとする御主張の、ABC、三つに大別しながら、簡潔に御報告申し上げたいと存じます。
A3一枚紙、縦長の論点表をごらんいただければと存じます。ここでは、冒頭申し上げましたように、九条に直接関連する論点以外にも、衆議院憲法調査会報告書の整理に倣いまして、日米安保、在日米軍基地の問題や国際協力、核兵器廃絶等の問題なども取り上げております。
以下、順次御報告申し上げます。
まず、自衛隊の位置づけに関しましては、明文改憲をして自衛隊を憲法に位置づけるべきだという御主張がございます。これにつきましては、まず、現在の、戦力に至らない自衛力、これの実行部隊としての自衛隊のまま憲法に明記するのがよいというA1のお立場と、戦力の不保持を定める九条二項を削除することを前提に、国防軍あるいは自衛軍といった、戦力を保持する軍隊として明確に位置づけるべきであるとするA2のお立場がございます。
これに対して、全く現状どおりでよいとするのがC1のお立場かと存じます。他方、九条の理念に合わせて、まずは自衛隊の段階的解消を図るべきだとするのがC2のお立場です。これは、将来的には自衛隊法の廃止につながるという意味では、Bの立法措置を要するとの見解に位置づけられるものとも言えるかと存じます。
次に、最大の論点であります自衛権に関する御議論です。
まず、冒頭申し上げました政府の九条解釈を前提とした上で、その結論は妥当であるが、憲法の文言上はかなり無理があるので、解釈上の疑義を払拭するのが望ましいという立場がA1の立場であります。そして、現状の解釈で実際上の支障はないのであるから、そのままでよいとするのがC1の立場かと存じます。
これに対して、政府の九条解釈では行使できないとされている集団的自衛権についても行使することができるようにすべきである、そのために憲法改正をすべきであるとするお立場がA2であり、同じことを、憲法改正ではなく、まずは安全保障基本法などの法律制定による解釈変更という形で行おうとするのがBの欄の御見解かと存じます。その右の欄のC2は、現状のまま、集団的自衛権の行使はあくまでも認めるべきではないというお立場でございます。
九条関連の論点の三つ目として、日米安保条約をどのように位置づけるべきか、あるいは、在日米軍基地をどのように考えるべきかという論点がございます。
まず、明文改憲に属する見解として、フィリピン憲法などにあるように、外国軍隊の駐留は認めないという規定を、我が国でも憲法改正によって設けるべきであるとの御主張もございます。他方、条約の破棄あるいは改正という、いわば広い意味での立法措置を主張する見解として、まず、九条の精神に沿って日米安保条約を解消すべきであるとするB1の御主張や、日米地位協定を改定すべきであるとするB2の御主張がございます。
これに対して、日米安保条約に基づく日米同盟が果たしてきた役割は極めて重要であり、今後ともこれを堅持すべきであるとするC1のお立場や、我が国の安全保障は、現実には日米同盟を前提に考えざるを得ないが、我が国の自立のためには国連中心主義をより重視すべきであるとするC2のお立場もあるように存じます。
次に、九条の周辺に位置する関連論点として、国際協力に関する論点について御報告申し上げます。
一九九〇年代のいわゆる湾岸戦争以来、PKOを初めとする国際貢献の一環として、自衛隊の海外派遣が大きな憲法上の論点となってまいりました。このような国際情勢を背景にしつつ、我が国が直接に攻撃を受けた場合における個別的自衛権の行使による場合以外には、我が国は武力の行使を行うことはできないとの、冒頭に申し上げました政府の九条解釈は、国際協力の場面でも、武力行使を伴うような国際協力活動ができないのはもちろん、他国の武力行使と一体化するような活動はできないとの、いわゆる武力行使一体化論という考え方として、より緻密化、具体化されてきたわけでございます。
論点表A1の見解は、このような現行憲法の解釈を是とした上で、これを解釈によって導き出すのではなく、明文の規定をもって明確にするべきであるとするお立場かと存じます。B1は、同じことを、国際協力基本法などの法律ベースで明確に規定するべきであるとするお立場かと存じます。これらに対しまして、同じ欄のCに掲げた見解は、現行憲法解釈と同じなのであれば、特段の措置を講ずる必要はないとする見解でございます。
以上の現状維持的な見解に対して、A2の見解は、軍事を含めた国際協力、すなわち、武力の行使を伴った国際協力を含めた国際貢献活動ができるように、憲法に明文の規定を置くべきであるとするお立場です。そして、B2は、同じことを、憲法改正によらずに国際協力基本法などによって、いわば解釈変更によって認めようとするお立場です。このA2やB2のお立場は、先ほどの集団的自衛権に関する明文改憲の立場、解釈変更の立場とそれぞれ軌を一にするものと言えるかと存じます。
最後に、以上の四つの論点とは若干視点を変えた憲法改正の論点として、核兵器の廃絶などに関する論点がございます。
すなわち、唯一の被爆国である我が国であればこそ、その国家の基本法たる憲法におきまして、核兵器の廃絶や、現在国会決議として定式化されている非核三原則などを規定するべきではないかという御議論です。
憲法に明記すべきであるとする見解がAの欄の見解であり、これを法律ベースで法制化すべきであるとするのがBの欄の見解であります。もちろん、明文改憲も法制化も必要ない、今のままでよいとするCの欄の見解もございます。
以上、憲法第二章第九条をめぐる主要論点について御報告させていただきました。
今回も雑駁で拙いものであったかとは存じますが、いささかでも先生方の自由討議の御参考になれば幸いでございます。どうもありがとうございました。