憲法審査会

2012-05-31 衆議院 全61発言

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会議録情報#0
平成二十四年五月三十一日(木曜日)
    午前九時三分開議
 出席委員
   会長 大畠 章宏君
   幹事 小沢 鋭仁君 幹事 逢坂 誠二君
   幹事 鈴木 克昌君 幹事 宮島 大典君
   幹事 鷲尾英一郎君 幹事 中谷  元君
   幹事 保利 耕輔君 幹事 赤松 正雄君
      阿知波吉信君    網屋 信介君
      磯谷香代子君    稲見 哲男君
      今井 雅人君    緒方林太郎君
      大泉ひろこ君    岡本 充功君
      川越 孝洋君    川村秀三郎君
      木村たけつか君    櫛渕 万里君
      楠田 大蔵君    近藤 昭一君
      篠原  孝君    辻   惠君
      辻元 清美君    中川  治君
      中屋 大介君    初鹿 明博君
      森山 浩行君    山尾志桜里君
      山口 和之君    山崎 摩耶君
      笠  浩史君    井上 信治君
      石破  茂君    木村 太郎君
      柴山 昌彦君    田村 憲久君
      棚橋 泰文君    中川 秀直君
      野田  毅君    平沢 勝栄君
      古屋 圭司君    大口 善徳君
      笠井  亮君    渡辺浩一郎君
      照屋 寛徳君    柿澤 未途君
    …………………………………
   衆議院法制局法制企画調整部長           橘  幸信君
   衆議院憲法審査会事務局長 窪田 勝弘君
    —————————————
委員の異動
五月二十九日
 辞任         補欠選任
  山花 郁夫君     鈴木 克昌君
同月三十一日
 辞任         補欠選任
  網屋 信介君     森山 浩行君
  岡本 充功君     初鹿 明博君
  中野 寛成君     櫛渕 万里君
  鳩山由紀夫君     山口 和之君
  浜本  宏君     中屋 大介君
同日
 辞任         補欠選任
  櫛渕 万里君     中野 寛成君
  中屋 大介君     浜本  宏君
  初鹿 明博君     岡本 充功君
  森山 浩行君     網屋 信介君
  山口 和之君     鳩山由紀夫君
同日
 幹事山花郁夫君同月二十九日委員辞任につき、その補欠として鈴木克昌君が幹事に当選した。
    —————————————
本日の会議に付した案件
 幹事の補欠選任
 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(日本国憲法の各条章のうち、第二章の論点)
     ————◇—————
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大畠章宏#1
○大畠会長 これより会議を開きます。
 幹事の補欠選任についてお諮りいたします。
 委員の異動に伴いまして、現在幹事が一名欠員となっております。その補欠選任につきましては、先例により、会長において指名するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
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大畠章宏#2
○大畠会長 御異議なしと認めます。
 それでは、幹事に鈴木克昌君を指名いたします。
     ————◇—————
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大畠章宏#3
○大畠会長 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件、特に日本国憲法の各条章のうち、第二章の論点について調査を進めます。
 本日の議事について申し上げます。
 まず、衆議院法制局当局から説明を聴取し、その後、各委員からの意見表明等を含む自由討議を行うことといたします。
 それでは、衆議院法制局当局から説明を聴取いたします。衆議院法制局法制企画調整部長橘幸信君。
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橘幸信#4
○橘法制局参事 衆議院法制局の橘でございます。
 前回に引き続きまして、今回は、第二章戦争の放棄の章につきまして、お手元配付の資料に基づき、その主要論点について御説明をさせていただくことになりました。よろしくお願い申し上げます。
 今回の資料では、二〇〇五年、平成十七年の衆議院憲法調査会の最終報告書に倣いまして、第九条に関連して議論されることの多い、安全保障及び国際協力一般についても取り上げております。何とぞ御了承願います。
 それでは、早速内容に入らせていただきますが、冒頭、若干のお時間を頂戴して、まずは、第九条に関する政府解釈のポイントにつきまして御説明させていただきたいと存じます。
 と申しますのは、多分に釈迦に説法であるとは存ずるのですが、時として芸術的とか技巧的とまで評される政府、内閣法制局の九条解釈が、国会でのこの第九条論議の基底にあるからであります。これを前提とした上で、賛否両論のお立場から先生方の自由な御意見の表明がなされることが、本日の会議をより活発かつ建設的なものとするのではないかと生意気ながら思料いたしたからでございます。
 それでは、「憲法九条解釈のポイント(政府解釈を前提として)」と題するA3横長カラー版の一枚紙をごらんいただければと存じます。
 まず、上段の青い網がけ部分に現行憲法九条の条文を掲載してございます。
 その上で、中段の黄色い網がけの中で、九条の条文の中でよく議論の俎上に上ります四つの論点について、政府解釈のポイントをまとめてございます。
 まず最初のポイントが、第一項前半の「国権の発動たる戦争」という文言でございます。「国権の発動たる」という修飾語が冠されておりますがために、国権の発動でない戦争というものがあるのかといった御指摘があり、さらには、例えば国際的枠組みの中で行われる武力行使のようなものがこれに当たるんだろうか、そうだとすると、そのような戦争や武力行使は九条一項では放棄されていないと解釈できるのではないかなどといった趣旨の御指摘があり得るからでございます。
 しかし、これについて、政府解釈及び学説における通説的見解では、次のように述べられております。
 「国権の発動たる」は、国家の行為としてという意味の戦争にかかる修飾語にすぎず、結局、「国権の発動たる戦争」とは、国家の行為としての国際法上の戦争という意味であって、単に戦争というのと変わらないものであり、国権の発動でない戦争というものがあるわけではない、このように解釈されているところでございます。
 次は、第一項後半の「国際紛争を解決する手段としては、」という文言の意味についてでございます。
 この文言の意味について、政府見解及び学説の多数説は、国際紛争を解決する手段としての戦争というのは、国家の政策の手段としての戦争というのと同じ意味であり、具体的には侵略目的の戦争を意味するとか、このような解釈は、一九二九年発効のパリ不戦条約の同様の文言の解釈以来、一貫したものであり、定着したものであると解されております。
 したがいまして、九条一項は侵略戦争だけを放棄したものであり、それ以外の戦争、例えば自衛戦争や制裁のための戦争などは九条一項限りでは放棄されていない、このように解釈されているところでございます。
 このように、九条一項自体では侵略目的の戦争や武力の行使しか放棄されていないとすると、二項冒頭の「前項の目的を達するため、」という文言が大きな意味を持ってくることになります。
 すなわち、これを第一項で規定されている侵略戦争放棄のためというふうに理解すると、第二項は侵略戦争のための戦力は保持しないということを定めているだけということになりますから、例えばそれ以外の、自衛や制裁のための武力行使を行うための実力装置、戦力なら持ってもいいということになってしまうからでございます。
 この第二項の「前項の目的を達するため、」という文言は、当初の政府案にはなく、衆議院修正で追加されたものですが、この修正を行った衆議院の小委員会の委員長でいらっしゃいました芦田均先生が、そのような解釈が可能となるように修正したのであると、昭和三十年代に至って内閣の憲法調査会で証言されました。これは芦田修正と呼ばれ、その意味するところが大きな議論になったのは、先生方、御承知のとおりでございます。
 しかし、政府見解及び学説の通説的見解におきましては、この「前項の目的」は第一項全体の趣旨を指すものであり、二項の戦力不保持は一切の戦力の不保持を規定したものと解釈されており、この芦田修正が殊さらに大きな意味を持つものとは解釈されておりません。
 次に、そのようにして保持してはならないとされている戦力とは何かが四番目のポイントでございます。
 この戦力の意味について、政府は、当初は近代戦争遂行能力などと答弁したこともございましたが、自衛隊法が制定されました昭和二十九年以降は一貫して、自衛のための必要最小限度の実力を超えるものと解釈されております。
 わかりやすくするために、少々正確さを欠いた表現になってしまいますが、あえて敷衍して申し上げれば、次のようになるかと存じます。
 国内の治安を維持するためのいわゆる警察力を超えるものであっても、外敵から自国を防衛するために必要最小限度のいわゆる自衛力は、憲法九条二項で規定されている戦力ではないというわけです。さらに単純化して比喩的に言えば、警察力以上戦力未満として自衛力は認められ、ここから、この自衛力を行使する実力部隊としての自衛隊の合憲性も導き出されてくるといった論理構成になるかと存じます。
 以上を前提として、先生方の御議論に資するよう、二つばかりの補足説明をさせていただきたいと存じます。
 まず、国会での憲法解釈の中で最も議論されてきた論点と言っても過言ではない自衛権の問題、端的に言えば、憲法九条のもとで個別的自衛権は行使できるが集団的自衛権は行使できないとする政府解釈は、どのような論理構成のもとで導き出されているのかという論点でございます。
 ここで言う個別的自衛権とは、我が国自身が攻撃された場合に反撃を行う権利であり、また集団的自衛権とは、我が国自身は攻撃を受けていないけれども、我が国と密接な関係にある外国が攻撃を受けた場合に我が国が実力をもってこれを阻止する権利と説明されております。
 このことを前提に、政府は、憲法九条一項は独立国家に固有の自衛権までも否定するものではなく、我が国も個別的、集団的であるとを問わず自衛権を有することは、主権国家として当然であると述べます。その上で、しかし、九条一項、二項の全体のもとで許される自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度のものにとどまるべきであり、その意味で、我が国自身が攻撃されていない場合の集団的自衛権の行使は、その範囲を超え、許されないと解釈されているように思います。
 もう一つは、以上のような集団的自衛権の行使を否定する解釈が余りに技巧的であるとしつつ、かといって、憲法改正自体の困難さなどにも鑑みて、現実的な政策選択として、憲法解釈の変更でもって集団的自衛権の行使を可能とすることはできないかという重要な問題提起がなされております。
 しかし、これについて、政府は一貫して、これまでの政府の憲法解釈は論理的追求の結果として示されてきたものであり、自由にこれを変更できるような性質のものではないとした上で、そのようなことは、政府の憲法解釈の権威、ひいては内閣に対する国民の信頼を著しく失墜させ、損なうおそれがあるばかりか、憲法を頂点とする法秩序の維持という観点からも問題がある、さらには、九条のような国家の根本政策に係る解釈について、しかも戦後六十年以上もの間積み重ねられてきたものについては特にそうであるなどとして、もし集団的自衛権の行使を認めようという政策判断をするならば、それは、解釈変更によってではなく、憲法改正という手段を当然にとらざるを得ないと述べられているところでございます。これはあくまでも政府の見解だというふうに存じますが、先生方の御議論に供するところでございます。
 さて、前置きが長くなってしまいましたが、以上を前提に、九条をめぐってこれまで国会でなされてきました論点を、前回同様に、明文改憲の御主張、明文改憲ではなくて立法措置による補充の御主張、そのいずれも必要ないとする御主張の、ABC、三つに大別しながら、簡潔に御報告申し上げたいと存じます。
 A3一枚紙、縦長の論点表をごらんいただければと存じます。ここでは、冒頭申し上げましたように、九条に直接関連する論点以外にも、衆議院憲法調査会報告書の整理に倣いまして、日米安保、在日米軍基地の問題や国際協力、核兵器廃絶等の問題なども取り上げております。
 以下、順次御報告申し上げます。
 まず、自衛隊の位置づけに関しましては、明文改憲をして自衛隊を憲法に位置づけるべきだという御主張がございます。これにつきましては、まず、現在の、戦力に至らない自衛力、これの実行部隊としての自衛隊のまま憲法に明記するのがよいというA1のお立場と、戦力の不保持を定める九条二項を削除することを前提に、国防軍あるいは自衛軍といった、戦力を保持する軍隊として明確に位置づけるべきであるとするA2のお立場がございます。
 これに対して、全く現状どおりでよいとするのがC1のお立場かと存じます。他方、九条の理念に合わせて、まずは自衛隊の段階的解消を図るべきだとするのがC2のお立場です。これは、将来的には自衛隊法の廃止につながるという意味では、Bの立法措置を要するとの見解に位置づけられるものとも言えるかと存じます。
 次に、最大の論点であります自衛権に関する御議論です。
 まず、冒頭申し上げました政府の九条解釈を前提とした上で、その結論は妥当であるが、憲法の文言上はかなり無理があるので、解釈上の疑義を払拭するのが望ましいという立場がA1の立場であります。そして、現状の解釈で実際上の支障はないのであるから、そのままでよいとするのがC1の立場かと存じます。
 これに対して、政府の九条解釈では行使できないとされている集団的自衛権についても行使することができるようにすべきである、そのために憲法改正をすべきであるとするお立場がA2であり、同じことを、憲法改正ではなく、まずは安全保障基本法などの法律制定による解釈変更という形で行おうとするのがBの欄の御見解かと存じます。その右の欄のC2は、現状のまま、集団的自衛権の行使はあくまでも認めるべきではないというお立場でございます。
 九条関連の論点の三つ目として、日米安保条約をどのように位置づけるべきか、あるいは、在日米軍基地をどのように考えるべきかという論点がございます。
 まず、明文改憲に属する見解として、フィリピン憲法などにあるように、外国軍隊の駐留は認めないという規定を、我が国でも憲法改正によって設けるべきであるとの御主張もございます。他方、条約の破棄あるいは改正という、いわば広い意味での立法措置を主張する見解として、まず、九条の精神に沿って日米安保条約を解消すべきであるとするB1の御主張や、日米地位協定を改定すべきであるとするB2の御主張がございます。
 これに対して、日米安保条約に基づく日米同盟が果たしてきた役割は極めて重要であり、今後ともこれを堅持すべきであるとするC1のお立場や、我が国の安全保障は、現実には日米同盟を前提に考えざるを得ないが、我が国の自立のためには国連中心主義をより重視すべきであるとするC2のお立場もあるように存じます。
 次に、九条の周辺に位置する関連論点として、国際協力に関する論点について御報告申し上げます。
 一九九〇年代のいわゆる湾岸戦争以来、PKOを初めとする国際貢献の一環として、自衛隊の海外派遣が大きな憲法上の論点となってまいりました。このような国際情勢を背景にしつつ、我が国が直接に攻撃を受けた場合における個別的自衛権の行使による場合以外には、我が国は武力の行使を行うことはできないとの、冒頭に申し上げました政府の九条解釈は、国際協力の場面でも、武力行使を伴うような国際協力活動ができないのはもちろん、他国の武力行使と一体化するような活動はできないとの、いわゆる武力行使一体化論という考え方として、より緻密化、具体化されてきたわけでございます。
 論点表A1の見解は、このような現行憲法の解釈を是とした上で、これを解釈によって導き出すのではなく、明文の規定をもって明確にするべきであるとするお立場かと存じます。B1は、同じことを、国際協力基本法などの法律ベースで明確に規定するべきであるとするお立場かと存じます。これらに対しまして、同じ欄のCに掲げた見解は、現行憲法解釈と同じなのであれば、特段の措置を講ずる必要はないとする見解でございます。
 以上の現状維持的な見解に対して、A2の見解は、軍事を含めた国際協力、すなわち、武力の行使を伴った国際協力を含めた国際貢献活動ができるように、憲法に明文の規定を置くべきであるとするお立場です。そして、B2は、同じことを、憲法改正によらずに国際協力基本法などによって、いわば解釈変更によって認めようとするお立場です。このA2やB2のお立場は、先ほどの集団的自衛権に関する明文改憲の立場、解釈変更の立場とそれぞれ軌を一にするものと言えるかと存じます。
 最後に、以上の四つの論点とは若干視点を変えた憲法改正の論点として、核兵器の廃絶などに関する論点がございます。
 すなわち、唯一の被爆国である我が国であればこそ、その国家の基本法たる憲法におきまして、核兵器の廃絶や、現在国会決議として定式化されている非核三原則などを規定するべきではないかという御議論です。
 憲法に明記すべきであるとする見解がAの欄の見解であり、これを法律ベースで法制化すべきであるとするのがBの欄の見解であります。もちろん、明文改憲も法制化も必要ない、今のままでよいとするCの欄の見解もございます。
 以上、憲法第二章第九条をめぐる主要論点について御報告させていただきました。
 今回も雑駁で拙いものであったかとは存じますが、いささかでも先生方の自由討議の御参考になれば幸いでございます。どうもありがとうございました。
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大畠章宏#5
○大畠会長 以上で衆議院法制局当局からの説明聴取は終わりました。
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大畠章宏#6
○大畠会長 これより各委員からの意見表明等を含む自由討議に入ります。
 この自由討議につきましては、幹事会の協議に基づき、まず、各会派を代表する委員が順次発言を行い、その後、各委員が自由に発言を行うことといたします。
 それでは、まず、各会派を代表する委員の発言に入ります。
 発言時間は七分以内とし、その経過につきましては、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしますので、よろしく御協力のほどお願い申し上げます。
 発言は自席から着席のままで結構でございます。
 発言の申し出がありますので、順次これを許します。逢坂誠二君。
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逢坂誠二#7
○逢坂委員 民主党の逢坂誠二でございます。
 民主党の考え方を、きょうは私の方から説明をさせていただきたいと思います。
 民主党では、二〇〇二年に憲法調査会報告、二〇〇四年には、創憲に向けて、中間提言、それからさらに、二〇〇五年には民主党憲法提言をそれぞれ発表しているところでございます。
 本日は、この二〇〇五年の民主党の憲法提言を紹介する形で民主党の考え方をお知らせしたいと思っております。
 まず、この提言の冒頭で、当時の枝野憲法調査会長の名前で、国民自身による活発な憲法論議と対話をと題しまして、次のようなことを述べておられます。
 憲法は国の形を示す根本規範です。私たち国会や内閣、裁判所などは、主権者である国民から憲法を通じてその公権力を委託され、憲法の定めるルールに基づいてその公権力を行使します。法律をつくって国民に義務を課すことが憲法によって委託された国会の権限であるのに対し、憲法は、主権者である国民が制定し国会などの公権力に命令するという意味で、法律とは百八十度本質を異にしています。
 もちろん、憲法といえども、決してすり減ることのない不磨の大典ではありません。社会の変化に応じて、不断の見直しが求められています。そして、その見直しを行う主体も、憲法で命令される側の国会ではなく、主権者である国民自身です。ここに立憲政治の核心があります。ところが、これまでの憲法議論は、本来まないたの上のコイである公権力の側が中心となり、その内容も公権力の都合ばかり優先される傾向がありました。
 私たちは、本来の当事者である国民自身の議論を喚起することこそが重要であり、そのための素材を提供するという謙虚な姿勢でこの憲法提言を取りまとめました。その内容も、従来の憲法議論にとらわれることなく、国民主権をどうやって深化させるかという視点に立っているつもりです。
 そのことが端的に問われるのが、憲法審議の焦点の一つとなっている九条の問題です。今日では、日本が攻撃されたときに自衛のための実力行使をすることや、国連のもとでの平和維持活動に日本が協力することは、国民大多数のコンセンサスになっていると考えます。しかし、自衛や国際協力と名がつけば何でもできるようにするというこれまでの改憲論にはくみしていません。自衛権の行使や国際協力について、国民が政府に対しきちんとした歯どめの枠をはめることこそが国民主権に基づく憲法の役割だと考えます。
 以上、二〇〇五年の民主党の憲法提言の冒頭でこのように述べているわけでございます。
 さらに、提言本編の中に「より確かな安全保障の枠組みを形成するために」という項目がございますけれども、その中から民主党の基本的考えなどを紹介したいと思います。
 まず、基本的な考えの一点目として、憲法の根本規範としての平和主義を基調とすることでございます。これを御紹介したいと思います。
  そもそも日本国憲法は、国連憲章とそれに基づく集団安全保障体制を前提としている。そのうえで、日本は、憲法九条を介して、一国による武力の行使を原則禁止した国連憲章の精神に照らし、徹底した平和主義を宣明している。
  日本国は、国連の集団安全保障が十分に機能することを願い、その実現のために常に努力することを希求した。そして日本国憲法は、その精神において、「自衛権」の名のもとに武力を無制約に行使した歴史的反省に立ち、その自衛権の行使についても原理的に禁止するに等しい厳格な規定を設けている。
  このため、自衛権の行使はもとより、国連が主導する集団安全保障活動への関与のあり方について、不断に強い議論に晒されてきた。しかし、どのような議論を経たにせよ、わが国の憲法が拠って立つ根本規範の重要な柱の一つである「平和主義」については、深く国民生活に根付いており、平和国家日本の形を国民及び海外に表明するものとして今後も引き継ぐべきである。「平和を享受する日本」から「平和を創り出す新しい日本」へ、すなわち「平和創造国家」へと大きく転換していくことが重要である。
 それから次に、基本的考え方の二点目でございますけれども、憲法の空洞化を許さず、より確かな平和主義の確立に向けて前進することでございます。これを御紹介させていただきます。
  国際平和の確立と日本の平和主義の実現のために、いま、もっとも危険なことは歯止めのない解釈改憲による憲法の「空洞化」であり、国際社会との積極的な協調のための努力をあいまいにし続ける思想態度である。
そこで、
  多角的かつ自由闊達な憲法論議を通じて、1「自衛権」に関する曖昧かつご都合主義的な憲法解釈を認めず、国際法の枠組みに対応したより厳格な「制約された自衛権」を明確にし、2国際貢献のための枠組みをより確かなものとし、時の政府の恣意的な解釈による憲法運用に歯止めをかけて、わが国における憲法の定着に取り組んでいく。併せて、今日の国際社会が求めている「人間の安全保障」についても、わが国の積極的な役割を明確にしていく。
以上のことがこの提言の中で述べられているわけでございます。
 その上で、さらに、我が国の安全保障に係る憲法上の四原則というものを述べております。その四原則は、次の四つでございます。
 まず一つ目は、戦後日本が培ってきた平和主義の考えに徹するということでございます。それから二点目が、国連憲章上の制約された自衛権について明確にするということでございます。それから三点目、国連の集団安全保障活動を明確に位置づける、さらに四点目でございますけれども、民主的統制、いわゆるシビリアンコントロールの考え方を明確にする、この四つの原則が述べられているということでございます。
 以上、私から、二〇〇五年の民主党の憲法提言、その内容を御紹介させていただき、現時点での考え方の表明とさせていただきます。ありがとうございます。
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大畠章宏#8
○大畠会長 次に、中谷元君。
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中谷元#9
○中谷委員 自由民主党の中谷元です。
 第九条について、お手元の論点表に従って、現行憲法の解釈、運用の状況に触れた上で、自民党の考え方を述べます。
 まず、九条の基本的な意義においては、国際社会の現実に合わせて変えていくべき点はあるものの、憲法の三大原理の一つである平和主義の基本は、今後とも継承すべきと考えます。このため、自民党の憲法草案では、九条第一項は基本的に変更しておりません。
 党内での議論で、第一項は、国際紛争を解決する手段としてはという文言を、侵略の手段としてはに改めるべきであるとの意見もありましたが、国際紛争を解決する手段としてはという文言は、一九二九年のパリ不戦条約以来の、侵略目的のものを意味するとの解釈が確立しており、制裁の場合や自衛の場合まで禁止されないとされており、これを踏まえ、また、平和主義の根本規定としての重要性に鑑みて、改正案では、九条一項を大幅に改めるべきとの意見はとらなかったところでございます。
 次に、自衛隊の位置づけについて、現行憲法で政府解釈では、自衛隊は、自衛のため必要最小限度の実力組織であるから戦力には該当せず、憲法違反ではないとしています。
 このような憲法解釈は、国会での議論を経て、内閣法制局により論理的な追求の結果として示されてきたとはいえ、結局は、軍隊や戦力の保持を禁止する二項の規定をどう回避するかという問題からきたものであり、自衛隊の位置づけを弱く、抑制的なものにしていると言わざるを得ません。
 むしろ、独立国家が、その独立と平和を保ち、国民の安全を確保するため軍隊を保有することは、現代の世界では常識であって、自民党の草案では、自衛隊を国防軍として憲法に位置づけます。論点表におけるA2の立場です。
 ただし、国防軍について規定したことに伴って、シビリアンコントロールに関連する規定も充実させており、内閣総理大臣を最高指揮官とすることや、国会の承認その他の統制に服することなどを定めております。
 次に、集団的自衛権を含む自衛権についてです。
 政府は、集団的自衛権について、保持しているが行使できないという解釈をとっておりますが、このような解釈もまた、論理的な追求の結果とはいえ、わかりにくいものと言わざるを得ません。
 国家の固有の権利としての自衛権は、個別的、集団的を問わず、国連憲章五十一条で認められており、集団的自衛権の行使を認めないという考え方は、例えば、日米の共同行動の際に米軍が他国から攻撃を受けた場合の対処や、弾道ミサイルの迎撃といった場面に見られるように、我が国をめぐる安全保障環境の変化に対応する上で大きな制約となっております。
 このため、自民党は、自衛権について、論点表のA2の立場をとり、憲法改正により集団的自衛権の行使を認めています。
 自民党の草案では、新たに九条二項として自衛権の規定を追加しており、この自衛権には個別的自衛権も集団的自衛権も含まれると考えております。また、個別的自衛権を保持しているが行使できないという解釈の根拠の一つである現行二項を削るとともに、新二項で改めて「自衛権の発動を妨げるものではない。」と規定して、集団的自衛権は何ら制約なく行使できることにしております。
 なお、集団的自衛権行使を、憲法解釈の変更、そして安全保障基本法の制定により認めるべきとするBの立場については、現在党内でも議論し検討をいたしておりますが、集団的自衛権の現行憲法での解釈は、自然権的権利として、国連憲章にも規定される自衛権として、国家として個別的自衛権も集団的自衛権も保持しているものでありますが、自衛権の行使は必要最小限度であり、集団的自衛権は行使できないということになっています。
 仮に、現行憲法解釈を変更するのであれば、集団的自衛権行使の際の条件設定がどのような場合可能であるのか、無条件に集団的自衛権の行使を認めるのではないのであれば、その線引きはどこで引かれるのか。これまでの自衛隊関連の法案や日米安保協力関係の周辺事態法など、自衛隊の装備、役割の内容においてこれまでの政府の解釈と一貫性、整合性を欠き、憲法の正統性や政治の信頼性も揺るがすような危険性を内包することになりますが、そのことを、より議論を通じて明らかにすることによって行うべきであり、より慎重な検討が必要であると考えております。
 第三に、国際協力については、冷戦構造の崩壊、湾岸危機、大規模テロの発生などの状況の変化に伴い、日本は国際安全保障上責任のある態度をとるべき立場になり、自衛隊の海外活動は重要性を増しております。
 このような中、自衛隊は、高い士気と能力を発揮し、使命感を持って活動しているものの、憲法上の制約から十分な権限が付与されないままであり、現地での活動内容が制約され、任務遂行上、また安全性におきましても、国際協力を果たす上での支障や指揮官の困惑などの状況が出ております。
 特に、海外派遣された自衛隊は、同じ活動に参加している他国の部隊が攻撃された場合にもほとんど何もできませんし、任務遂行のための武器使用を行うこともできません。また、国連軍が編成されても武力行使に参加できず、たとえ他国の活動の後方支援であっても、武力行使と一体化するとみなされる活動を行うこともできません。
 自民党の草案では、国防軍が武力行使を伴う国際平和活動に参加できるようにしており、論点表A2、国際協力について憲法に規定を置くべきとの立場をとっております。
 自民党の草案では、先ほど触れた九条一項の解釈と、現行二項を削って新たに自衛権の規定を置いたことで、個別的あるいは集団的自衛権に基づく武力行使はもちろん、制裁目的の武力行使も否定されておりません。
 これを受けて、九条の二、三項は、国防軍の活動として、「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」を規定し、武力行使を伴う活動にも参加できることを明確にしております。
 そのほか、軍事審判所の設置や領土等の保全についての規定を加えております。これは、国家が領土を守ることは当たり前のことですが、それが十分に機能していない状況に鑑み、領海、領土、領空の保全や資源確保について規定したものであります。
 最後に、日米安保と在日米軍等につきましては、自民党は、日米同盟は我が国の外交の基軸であるのみならず、アジア太平洋地域の平和と安定の基礎であり、その上、沖縄を初めとする地元の負担軽減を実現する在日米軍再編を着実に進める必要があると考えています。
 また、非核三原則につきましては、過去にたびたび国会決議がなされていることもあり、あえて立法化する必要はないとの立場です。
 以上、我が党の考えを表明しまして、発言とさせていただきます。
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大畠章宏#10
○大畠会長 次に、赤松正雄君。
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赤松正雄#11
○赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。
 公明党の第二章戦争の放棄に関する基本的な考え方を申し上げさせていただきます。
 現行憲法、なかんずくこの第九条は、さきの大戦での日本の敗戦、国家破綻の所産として生まれたものであります。簡潔な表記の中に色濃くその時点での日本の位置を示しております。であるがゆえに、その後、思想的立場によって異なる解釈を生み出し、混乱のもととなってきました。しかも、現実国際政治の展開の中で日米安保条約が締結をされ、現実と理想といった言葉に象徴されるように、両者の乖離を生み出してまいりました。
 公明党は、昭和五十六年まで自衛隊を違憲の疑いありとしてまいりましたけれども、その時点で、領土、領海、領空の領域保全の能力に限定した自衛隊は合憲の存在だとの解釈を確認し、今日に至っております。今日まで私どもは、拡大解釈を戒め、縮小解釈の陥穽に陥らぬよう注意してまいったつもりであります。
 さて、九条をどうするか。先に結論を述べますと、明文改憲の必要も加憲の必要もなく、今のままでよく、現実の深みにはまり込んでしまい、高みの理想を忘れぬよう、この理念、精神をあまねく世界に広げていく責任が日本にある、そういう立場でございます。
 憲法九条の行政展開を検証するに当たりまして、まず、私たちの憲法解釈に触れておかなければなりません。三つのポイントで見てまいります。
 一つは、自衛権の所在であります。
 ここでは、戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認という三つの規定を定めたものだとしております。これは、主権国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のものではなくて、自衛のための必要最小限の実力を保持することは認められるというものであります。
 二つ目は、保持できる自衛力の範囲についてであります。
 自衛のための必要最小限の力にいわゆる攻撃的兵器を保有することは、その範囲を超えることになり、いかなる場合も許されないという立場です。例えば、大陸間弾道ミサイル、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母の保有などを意味します。
 三つ目は、自衛権を行使できる地理的範囲です。
 原則的に領土、領海、領空の領域に限られますが、具体的には、個々のケースに応じて異なるので一概に言えないという立場です。ただ、武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣する、いわゆる海外派兵は、自衛のための必要最小限の範囲を超えるものであって、憲法上許されないとの解釈をしております。
 以上の解釈は、これまでの政府の解釈とほぼ共通するものです。
 このもとに展開されているはずの行政を次にチェックします。
 まず一点目は、自衛のための必要最小限の実力としての自衛隊であります。
 これは、自衛隊員の現員の推移あるいは防衛費の推移を見ますと、いずれも抑制され、漸減という観点で自衛官の現員の数も推移してまいっておりますし、防衛費につきましても、このところ十年ほどは対前年度比伸び率が下がる、こういった、他国との比較ではなくて、みずからのそうした防衛費あるいは自衛隊員の数量的部分で極めて抑制的なものになっている、そういうふうに言うことはできようかと思います。むしろ、昨今のように頻発する大自然災害の実態からすると、もっとふやせないのかという主張も出てきておるわけであります。
 二点目については、過去から今日に至るまで、国会での議論にしばしば登場してきました。古いところでは、F15の対地攻撃機能及び空中給油装置は許されるのかどうかという議論がありました。少し近いところでは、大型ヘリ搭載護衛艦「ひゅうが」について、攻撃的空母ではないかとの指摘がありました。いずれも、みずからを厳しく律したものとして位置づけられると思います。
 また、自衛隊については、海上自衛隊の対潜水艦戦能力と掃海能力は世界最高だと言われております。ある軍事専門家は、水泳だけは世界トップレベルで、あとはぱっとしないトライアスロンの選手のようだと言っております。要するに、専守防衛、領域保全に邁進した結果、特定の力だけが突出したいびつな防衛力構造になり、戦争遂行に不可欠な戦力投射能力、パワープロジェクション能力のない集団ということであります。
 三点目については、代表的なものとしての湾岸戦争時の議論を経て、カンボジアPKO派遣、そしてイラク戦争時におけるサマワへの特措法に基づく自衛隊派遣です。
 前者は、紛争終了後に再燃しないようにとの意図を持って当たる平和的行為として、後者は、あくまで後方からの人道的支援として位置づけられ、正当なものとされてきました。憲法で禁じられている派兵ではないかとの議論がありましたが、私どもは、許される憲法の範囲内の行動であったと考えております。
 さて、日本は、みずからの平和を守り、極東アジア、世界の平和を守るために、憲法九条を以上のように遵守する一方、日米安保条約を締結してまいりました。過去から今日に至るまでの国家を防衛するための基本方針として、国力、国情に応じ、自衛のため必要な限度において効率的な防衛力を漸進的に整備し、外部からの侵略に対しては、将来、国際連合が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは、アメリカとの安全保障体制を基調としてこれに対処するとの態度をとってきたのであります。
 このことは、九条との間に矛盾を幾つも惹起させてきました。巷間取り沙汰される、九条ゆえの平和か、日米安保条約ゆえの平和かの論争にそれは集約できましょう。これは、つまるところは、両々相まってというのが偽らざる姿であろうかと思います。日米安保条約ゆえの半独立国家としか言えぬような米軍基地の存在、不平等条約の名残濃い日米地位協定の存在、二十一世紀に生きる独立国家としてまことに歯がゆい現状は、いかんともしがたい現実です。
 日米安保条約に基づく一連の矛盾が集中的に発生してきているのが沖縄であります。これを一歩ずつでも変えていくことが当面の最大の課題だと思います。
 また、常に話題の俎上に上げられるのが集団的自衛権の行使をどうするかです。政府は、個別的自衛権と同様に、集団的自衛権を国家固有の権利として保有しているとの立場ですが、政策的選択として行使を禁じているとの態度を一貫してとってきました。九条の精神からして当然そうなるとの見方を私どもも肯定します。解釈を通じて変えていいとは思えない重要なもので、仮に集団的自衛権を認めるというのなら、憲法に明文の規定を置くことを必要とするものだと考えます。
 ただ、自衛隊のPKO活動などにおいて、集団的自衛権あるいは武力行使と一体化をめぐる解釈などにおいて、時に応じて過剰に用いられることの弊害は指摘できます。国家及びそれに準じる存在以外のものにまで適用されるかのごとき解釈の横行は、海外派遣時の自衛隊員の行動をいたずらに縛る傾向があり、是正をする必要が求められております。
 以上でございます。
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大畠章宏#12
○大畠会長 次に、笠井亮君。
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笠井亮#13
○笠井委員 日本共産党の笠井亮です。
 憲法第二章の検証をめぐって、意見を述べます。
 第九条は、戦争の放棄だけでなく戦力の不保持と交戦権の否認まで定めたもので、前文とともに、日本国憲法の真髄をなすものです。それは、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」という、日本が起こした侵略戦争の反省に立ち、広島、長崎への原爆投下による甚大な犠牲の上につくられたものです。主権在民、基本的人権などとともに恒久平和主義を定めた日本国憲法の中核をなす、極めて重要な条文にほかなりません。
 第九条はまた、国連憲章に実った平和のルールを受け継ぎ、さらに一歩進めたという点でも重要な意義があり、その理想と精神は、日本だけでなく、日本軍国主義の侵略を受けたアジア諸国の共有財産とも言えるものであります。そこには、さらに、戦争のない新しい世界を展望し、その先駆けになるという決意も込められています。日本国憲法施行六十五周年に当たる今日、九条の持つ意義はいよいよ大きくなっています。
 この憲法九条の原則に照らして、現実がどうなっているか。
 まず検証が必要なのが、日米安保条約と在日米軍基地の問題です。戦後、我が国では、日本国憲法が文字どおり最高法規としての力を発揮するはずだったのに、六十年前に発効した日米安保条約によって、憲法の平和主義とは真っ向から対立する一連の法体系がつくられてきました。歴代政府は、憲法九条をないがしろにし、解釈改憲と違憲立法によって、日米安保条約優先の現実をつくり出してきたのであります。
 その最たるものが在日米軍基地の問題です。日米安保条約のもとで、首都の横田を初め、三沢、横須賀、厚木、岩国、佐世保、沖縄など、全土基地方式がとられ、核兵器が持ち込まれ、ベトナム、イラクなどへの出撃基地にされ、戦後六十七年の今も外国軍事基地が居座り続けている現実は、九条が目指した日本社会とは全く相反するものです。
 とりわけ、ことしは沖縄の祖国復帰四十周年に当たります。あのとき沖縄県民が切実に求めたのは、日本国憲法のもとへの復帰であり、占領下で強制的につくられた米軍基地を撤去し、核兵器も基地もない平和で豊かな沖縄を実現することでした。
 ところが、四十年たった今なお、在日米軍基地の七四%が沖縄に集中し、相変わらず、部隊の配置も基地の使い方も米軍の勝手放題で、事故が多発し、日米地位協定のもとで、米兵犯罪も後を絶ちません。経済と地域の振興も阻害され、米軍基地の存在に苦しめられるという、占領下と基本的に変わらないような、九条が沖縄に及ばない現実が依然続いています。それを支え合理化しているのが日米安保条約にほかなりません。
 その上、日米両政府は、沖縄県民の総意に逆らって辺野古への新基地建設を押しつけようとする一方、普天間基地の固定化まで狙い、最近もモロッコで墜落事故を起こしたオスプレーの配備を強行しようとしているのであります。
 こうした憲法九条のじゅうりんが集中的にあらわれている日米安保条約のもとでの実態こそ、徹底的に検証すべきです。
 次に、日米安保条約と自衛隊の問題です。
 そもそも自衛隊は、日本の再軍備という米国の強い意向のもとで、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」とした憲法九条に反して創設されたものであります。このもとで、日本政府は、専守防衛といいながら、再軍備としての自衛隊を日米安保条約と一体に米軍の補完部隊として増強してきたというのが実態であり、そこに最大の特徴があります。
 米世界戦略のもとで、八〇年代には、日本列島不沈空母、三海峡封鎖、シーレーン防衛などが叫ばれるなど、米軍と自衛隊の共同軍事作戦が問題になり、冷戦崩壊後の九〇年代以降、周辺事態法、テロ特措法、イラク特措法など海外派兵のための法律、体制、装備を強化し、自衛隊を米軍とともに海外で行動する部隊へと質的に変化させてきたのであります。
 今なお、ソマリア沖・アデン湾、南スーダンへの派兵を行い、自衛隊法上も国際活動を本来任務に位置づけるとともに、地球的規模の日米同盟への変質を強めるもと、米軍再編の中で、陸海空の司令部一体化など、自衛隊と米軍がより一体となった海外派兵体制がつくられるまでになっています。去る五月一日の日米共同声明では、米軍と自衛隊が地球的規模で海外での共同の軍事行動を行うこと、グアムとテニアンに自衛隊が米軍と共同して使用する海外の訓練場を建設することまで合意したことは、極めて重大です。
 こうした二重、三重に憲法九条を踏みにじる現実こそ徹底検証すべきです。
 最後に、軍事費の問題に触れます。
 毎年五兆円規模もの軍事費について、そもそも憲法九条のもとで許されるのかが問われなければなりません。とりわけ、在日米軍駐留経費負担の中でも、条約上も義務のない米軍思いやり予算など、憲法九条のどこに根拠を見出せるのか。まして、グアム移転と称して米本国に戻る米軍のための経費を日本の負担とすることが、憲法上も財政法上もどうして許されるのか。正面から検証されなければなりません。
 時間が参りましたので、とりあえず以上を指摘して、発言を終わります。
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大畠章宏#14
○大畠会長 次に、渡辺浩一郎君。
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渡辺浩一郎#15
○渡辺(浩)委員 新党きづなの渡辺浩一郎です。
 日本国憲法第二章の戦争の放棄の第九条について述べさせていただきます。
 一つは、この九条の文面の解釈のあり方であります。日本国憲法は、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とありますが、これは、「国権の発動たる戦争」と「武力による威嚇又は武力の行使」の二つに分けるのか、あるいは「国権の発動たる戦争」と「国権の発動たる」「武力による威嚇又は武力の行使」なのか、はっきりしない面があります。後者の場合だと、我が国の安全保障を堅持していく上でかなり制約されることになり、ここはきちんと整理していく必要がありましょう。
 一方、個別的自衛権、集団的自衛権のことでありますが、国連憲章第一章第二条、第七章の第五十一条では、加盟国の武力による威嚇または武力の行使は、国の領土保全、政治的独立のために容認しており、かつ「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」と明記をされております。したがって、我が国の憲法も、個別的自衛、集団的自衛はこうした立場に沿うものとして、そのための武力行使は妨げられないものではないかと考えております。
 また憲法の前文には、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」との文面がありますように、我が国の国際貢献は、今ある自衛隊の国際貢献からも、今後ますます必要となっていく中で、国連憲章に基づく国際貢献も、武力の行使は妨げられるものではないと考えます。
 このことを前提に、国民の生命と財産を守るために、憲法の中に軍を明記するものでありましょう。
 戦後六十年以上、我が国は憲法を改正してこなかった現実を踏まえ、もしこのたびに何らかの形で憲法の改正がなされたとしても、またしばらくは変えられないということを認識していく必要がありましょう。
 我が国の独立と自立をきちっと確保することを前提に、我が国は、国際社会の中での厳しい現実を直視し、一方では恒久的な平和を追求していかなければなりません。
 したがって、どのような変化にも対応できるようにするためには、憲法で今の現実の中で何かを明文化していくのではなくて、憲法の解釈をして、その時々で変更していくことで、現実と理想に対応していくことが必要でありましょう。したがって、この九条に関しては、なるべくシンプルな文章にしておく必要があると考えております。
 その中で、先ほども申しましたように、当たり前の個別的自衛権、国連憲章にも明記をされております集団的自衛権を憲法に明記することなく、一方、我が国は自衛そして国際貢献のためにも軍を置くということを明記するだけにとどめていけばよいと考えております。
 きょうは以上であります。
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大畠章宏#16
○大畠会長 次に、照屋寛徳君。
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照屋寛徳#17
○照屋委員 社会民主党の照屋寛徳です。
 限られた時間で、本日のテーマである憲法第二章の明文改憲の要旨等について意見を申し上げます。
 本題とも関連して、去る五月二十八日付東京新聞朝刊の報道に接し、ついにこのような憂うべき事態になったかとの思いを深くした点について触れたいと思います。
 記事によると、二〇一〇年七月に実施された環太平洋合同演習で、海上自衛隊の護衛艦二隻が、米豪軍と共同で標的の強襲揚陸艦を砲撃し、撃沈したようです。このような海上自衛隊の演習参加は、その訓練内容からして、自国を守るための個別的自衛権の範囲を超え、憲法解釈で禁じられている集団的自衛権行使に抵触するものではないかとの識者の指摘は当然で、従来の、集団的自衛権行使を前提とした自衛隊の訓練は認められていないとの政府見解にも反すものであり、到底容認できません。
 社民党は、個別的自衛権や集団的自衛権の行使が認められるよう憲法九条を明文改憲すべきとの主張には反対です。
 さて、社民党は、社会党のころの村山政権時代に自衛隊合憲、安保容認に転じたと批判されますが、二〇〇六年二月に採択した社民党宣言において、「戦争を放棄し戦力を保持しないとした憲法を変え、日本を再び「戦争のできる国」へと回帰させることを否定します。」と誓い、「現状、明らかに違憲状態にある自衛隊は縮小を図り、国境警備・災害救助・国際協力などの任務別組織に改編・解消して非武装の日本を目指します。また日米安全保障条約は、最終的に平和友好条約へと転換させ、在日米軍基地の整理・縮小・撤去を進めます。」と宣言しました。
 要するに、社民党宣言において、現状明らかに違憲状態にある自衛隊との認識を示し、既に自衛隊の実態は違憲状態だとの考えに至ったものであります。したがって、自衛隊を国防軍、自衛軍と位置づけるために憲法九条を明文改憲すべきとの主張にも反対です。
 社民党は、憲法前文の平和的生存権が、憲法理念の基本的人権の中でも最も根源的な権利と考えます。すなわち、平和を人権の一つとして保障する立場をとっております。その平和的生存権は、憲法九条の一項、二項の、不戦、戦力の不保持、交戦権の否認と一体のものであるとの立場です。同時に、憲法の理念である平和主義に反する解釈改憲もあってはなりません。悲惨な戦争によって多くの命を失った代償として獲得した平和憲法の理念、精神は守らなければなりません。憲法九条の条項、条文はいささかも変更してはいけません。
 その上で、国連憲章の精神、憲法前文と九条を指針にした平和外交と非軍事、文民、民生を基本とする積極的な国際貢献で、世界の人々とともに生きる日本、戦争国家ではなく平和国家日本を目指すべきです。
 国際人道法は、一八九九年のハーグ平和会議以降、戦争のルール化から戦争自体の違法化へと着実に進んできました。一九二〇年の国際連盟規約、一九二八年の不戦条約と歩んできた戦争違法化の潮流の一定の到達点が、自衛目的を除く加盟国の武力行使を全面的に禁止した国連憲章であります。憲法九条は、国連憲章が到達した戦争違法化の原則を徹底させるものであり、戦力の不保持、交戦権の否認を定めた憲法九条二項がその具体化であります。
 社民党は、平和憲法の理念に基づく安全保障政策を実現すべく、平和基本法の制定、北東アジア総合安全保障機構を構築し、北東アジアに非核地帯を設け、非核不戦国家宣言の国会決議と国連総会での承認を求めております。
 最後に、民主主義国家の基本原則である文民統制の徹底、武器輸出三原則の厳守等は大事です。憲法の理念と現実の間に大きな乖離があるから憲法を変えるべきだとの意見もありますが、私はそれは詭弁であると考えます。憲法理念に反する現実を改め、憲法九条の精神に近づく努力こそ国会議員の使命であることを訴え、意見表明を終わります。
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大畠章宏#18
○大畠会長 次に、柿澤未途君。
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柿澤未途#19
○柿澤委員 みんなの党の柿澤未途でございます。
 本日は、憲法第二章、つまりは九条に関する議論であります。
 日本国憲法制定から六十五年、一貫して論争のテーマとなり、時には激しい政治的衝突の材料ともなってきた憲法九条の条文でありますが、これを改正する歴史的意義はともかく、九条改正がもたらす具体的な効果とは一体何なのでしょうか。
 憲法九条を改正しようがすまいが、日米安保条約を基盤として極力軽武装で抑制的な実力組織を維持し、同時に、国連の平和維持活動等を通じて国際社会の平和と安定に寄与するという我が国の安全保障政策の基本が変わるものではありません。この点については、ごく一部を除き、ナショナルコンセンサスができ上がっているというふうにも思っております。
 問題は、日本がかかる理念を具現化していく上で憲法九条の規定が何らかの制約になっているとすれば、それをどのように見直していくかというすぐれて実務的な課題であります。
 例えば、集団的自衛権の問題があります。専守防衛という我が国の憲法解釈では、自国が攻撃を受けていないのに他国と共同して武力行使する集団的自衛権の発動は、権利として有していても行使はできないものと解釈されていました。しかし、このように、一方はよくて一方はだめという解釈を行っているのは日本だけの特異な例であるとの指摘もあります。
 現行憲法においても、我が国が自衛権を有していると解釈されることは、今や誰も異論を挟まないところとなっており、個別的自衛権と集団的自衛権を分けて考えてきた伝統的な内閣法制局の憲法解釈を、憲法九条の理念を具現化するとの目的に立ってどのように変えていくのか、あるいは変えていかないのか問われるところであります。
 私たちは、自衛権のあり方の明確化が必要との考え方に立ち、何らかの立法措置が必要であると考えております。それは憲法九条改正であるのか、安全保障基本法の制定等であるのかは選択の余地があろうかと思いますが、いずれにしても、我が国の防衛に関する根幹的な国家方針の法的正当性の有無が内閣法制局の憲法解釈に基づいているということは好ましいことではないと考えております。
 PKO武器使用基準の問題があります。これは私の個人的見解であることをあらかじめ申し上げた上であえて申し上げると、隊員の生命に危険が及んだり、みずからの宿営地が直接攻撃を受けたりしない限り武器使用は認められない、攻撃を受けている他国のPKO部隊への駆けつけ警護も認められない、このような法制局の憲法解釈が通用しているのは、私は信じがたいことだと思います。これでどうやって国際社会の要請に応え、紛争国の平和と安定を維持する活動を他国部隊と共同して行うことができるのでしょうか。
 これも、必ずしも憲法改正を要する事項かどうかは見解が分かれますが、いずれにしても、こうした点について、法制局の技巧的な解釈により現場での活動が無用な制約を受けていることについて、何らかの立法措置による対処をすべきであると思っております。
 上記のような、またその他の多岐にわたる論点を踏まえて、憲法改正をしていく、あるいはそのままにしておく、こういう判断をすべきものと思いますが、現在の、コンセンサスのできている我が国の安全保障政策の基本理念をどう具現化するかという点においては、さほど変わるものではありません。冒頭、九条改正の歴史的意義はともかく、それがもたらす具体的効果は何なのかと問うたのは、まさにこの点からであります。
 一方、条文の文言をどのように規定するのかは、解釈の余地をどれだけ残す条文とするかを含めて極めてセンシティブな論点になり得る、このように思います。我が国の存立にかかわる国家理念の具現化をどのような文言で規定していくのか、これは国民多数の合意形成が不可欠であろうと考えております。
 このため、みんなの党の憲法改正の基本的考え方では、憲法九条について、二年間の国民的議論を行った上で国民投票を実施して最終的に決定をしていく、こうした方向性を打ち出しているところであります。具体的には、憲法九条の改正の是非及び改正の場合の具体的なあり方、具体的文言を選択肢として用意をし、それを国民投票によって国民が選択する、こういうプロセスになるだろうというふうに考えております。
 私たちみんなの党は、憲法改正の発議に当たり、衆参両院の三分の二の賛成を必要としている憲法九十六条の改正を先行することを掲げております。こうした改正を先行させ、憲法改正の個別的論点について、主権者たる国民の意思を確認しつつ進めていくのが現実的かつ有効な進め方だと考えていることを最後に付言いたしまして、私の意見表明といたします。
 ありがとうございました。
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大畠章宏#20
○大畠会長 これにて各会派を代表する委員の発言は終了いたしました。
    —————————————
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大畠章宏#21
○大畠会長 次に、委員各位による自由討議に入ります。
 この際、委員各位に申し上げます。
 本日の審査会におきましては、論点を、自衛隊の位置づけ及び自衛権(個別的・集団的)に関する論点、日米安全保障条約、在日米軍基地問題に関する論点、国際協力及び核兵器の廃絶等に関する論点並びにその他の論点、以上三つに分類いたします。
 各委員におかれましては、おおむねこの三つの論点の分類ごとに意見表明をしていただきますよう、御協力をお願いいたします。
 なお、この三つの論点提示はあくまで目安ですので、各委員の発言がその他の論点等に及ぶことは結構でございます。
 発言を希望される委員は、お手元にあるネームプレートをお立ていただき、会長の指名を受けた後、発言をお願いします。発言が終わりましたら、ネームプレートは戻していただくようにお願いいたします。
 発言は自席から着席のままで結構でございます。また、発言の際には、所属会派及び氏名をお述べいただきますようお願いいたします。
 なお、幹事会の協議によりまして、一回当たりの発言時間は五分以内といたしたく存じます。委員各位の御協力をお願い申し上げます。
 発言時間の経過につきましては、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせをいたします。
 それでは、まず、自衛隊の位置づけ及び自衛権(個別的・集団的)に関する論点について発言を希望される委員は、ネームプレートをお立てください。
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柴山昌彦#22
○柴山委員 会長、御指名ありがとうございます。
 九条の歴史的な意義は決して軽視することはできませんけれども、私は、先ほど来お話がありましたように、余りにも技巧的、芸術的な解釈によりまして、九条をかえって国民から遠ざける役割も一定程度果たしてしまったのではないかというように思っております。
 例えば、自衛隊が戦力に当たらないということを解釈上主張しているわけですけれども、国際社会から見て、五兆円になんなんとする防衛費をつぎ込んでいる今の自衛隊が戦力ではない、あるいは軍隊ではないということは全く通用しませんし、これはまさしく自国民を欺いているとしか言いようがないというように思っております。
 こういった自衛隊や自衛権についての無理な解釈を積み重ねていくことは、私は、解釈改憲によって本来あるべき平和主義のあり方がどんどん動いてしまうということから、かえって危険な状況であるというように感じております。
 またあわせて、この憲法の条文、それから無理な解釈に固執するが余り、完全に、防衛あるいは軍事がプロの世界に落とし込まれてしまっていて、国民が正確な情報をなかなか受け取り得ないような状況にもなってきていると思っております。それが政権交代後の、学べば学ぶほど、本来しっかりと把握をしていなければいけなかったこういった政策についての無理解、無知というものが弊害をもたらしてきたことにもつながっているのであろうというようにも思っておりますし、また、先ほど来、文民統制が重要だということが言われていますけれども、現職の防衛大臣がこの文民統制の正確な定義を誤解しているということにもつながっているのであろうというようにも思っております。
 したがって、私は、今こそ、例えば自衛隊について、軍として正確に憲法上位置づけるということも必要であると思っておりますし、自衛権についても、これを憲法上明確に位置づけることによって、まさしく、子供でもそれらの重要性それから国際社会における位置づけというものがわかるようにするべきであるというように思っております。
 集団的自衛権に関しては、これを有するが行使できないというのは、やはり私は理解しがたいものがあるのであろうと思っています。
 一部の方々がおっしゃるとおり、地球の裏側にまで同盟国の戦争に駆けつけて、一緒に戦争、戦争というか武力の行使をするということは確かに避けるべきであろうとは思っておりますけれども、これはすぐれて、自国の国益をどのように守り、そのために、他国が攻撃されたときにも、一定の範囲で、それに対して防衛なり武力の適切な行使を行うかということを解釈上明確化していくということだと思っております。
 そのためには、他国との、今不平等という御指摘もありましたけれども、同盟関係がどのようなものであるのか、あるいは使用されている攻撃の特性、ミサイル攻撃などが今はあるわけですから、それに適した防衛体制をどのようにとっていくのか、そういったことを具体的に要件立てていくことが必要であって、ただ講学上集団的自衛権に当たるからこれは一切行使できないというようなことは、これは思考停止を招くものであるというように思っております。
 最後に、集団的自衛権の行使と集団安全保障の問題、これをやはりいまだに混同している方が非常に多いというように思いますので、そこの概念整理をきちんとしていくとともに、先ほども御指摘がありました集団安全保障の問題については、PKO三原則あるいはPKFへの参加の問題も含めてしっかりと、国際的な実務に支障がないような仕組みを、これもやはり下位法規を中心とした整備を行うことによって図っていくべきであるというように考えております。
 最後の部分は、ちょっと今回の討議の重点的な分野ではありませんでしたけれども、集団的自衛権との区別ということで付言させていただきました。
 以上でございます。
    〔会長退席、中谷会長代理着席〕
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緒方林太郎#23
○緒方委員 憲法九条について、まず、この資料の一番最初のところに安全保障、国際協力という言葉が書いてあります。今の憲法九条の題のところには、戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認という国の大きな方針のことが書いてある。逆に、安全保障と国際協力というのは、政策のバラエティーみたいなところがあるわけでありまして、そもそも、憲法で安全保障や国際協力を語るということそのものが正しいのかなというふうに若干の疑念を持ちます。
 それは、現場に行くと、例えばPKOのところで、先ほど駆けつけ警護の話もありました。ああいったところで、個別の事例に対して、それが憲法九条違反だみたいな話を議論するというのはそもそも違うんじゃないか、憲法とはそういうものではないんじゃないかというふうに思います。それは、自由民主党の憲法条文にあったように、例えば安全保障基本法とか個別法で議論していくというのも、私は、そういう意味では理解のできるところであるというふうに思っております。
 そして、集団的、個別的自衛権。
 先ほど柿澤委員や柴山委員の方からも話がありましたが、そもそも、集団的、個別的と訓詁の学のように分けて考えることが意味があるのかというふうに私は思います。
 集団的、個別的と分けてというのは、根拠が恐らく国連憲章五十一条にあるんだと思います。確かに、個別的または集団的な自衛権をというふうに書いてありますけれども、これは正文である英語でも確かにそういうふうに読めますが、フランス語とスペイン語の方で読んでみると、まず一番最初に、自衛権を有する、それが個別的であろうとも集団的であろうとも、そういうような書き方をしています。
 自衛権というのは、集団的とか個別的とかにまず分けることなく、一体のものとして考えて、それが日本を自衛するために必要なものであるかどうかということ、それが過不足なく盛り込まれていることが必要である、そういうふうに考えた方がいいと私は思っておりまして、何か感情的に、個別的自衛権はいいのだとか集団的自衛権はだめなのだとかいうようなところから議論をスタートすることは、必ずしも適当でないというふうに私は思います。
 そして、先ほどもお話がありました、武力行使との一体化の議論でありますが、このような基準を決めて例えばPKOの派遣とかに臨んでいる国というのは、これは日本だけであります。武力行使との一体化というクライテリアを設けているというのは、あくまでも日本の国内の話でありまして、こんなものが通用しないというのは、これはもう国際的にも明らか。そういう観点からは、憲法の中に国際的な活動に関する規定を設けることというのは、私は意味があることだというふうに思います。
 最後に一つ。
 先ほどから、集団的自衛権の話について、保持しているけれども行使できない、これはおかしいではないかということでありますが、基本的に、国際法で認められているからそれを全て国内法で実施することが正しいのだというのは、これは若干違うんじゃないかと私は思います。慣習国際法であろうが何であろうが、国際法で認められているものを国内法でどう施行するかというのは、これはひとえに日本の国、日本の国家としての判断でありまして、保持しているけれども行使できない、それは日本の国家の意思でありまして、その現象自体がおかしいというのは、それはおかしいのではないかというふうに思います。
 以上であります。
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篠原孝#24
○篠原委員 民主党の篠原でございます。
 この会合では初めて発言させていただきます。
 私は、憲法九条の意義は非常に大きいと思います。戦争を放棄するという観点は大事なことではないかと思います。
 しかし、私の体験をちょっと話させていただきますと、私が大学の在学中に、自衛官が土木学科に、修士課程か博士課程かは忘れましたが、そこに来ると。これを、憲法違反だ、受け入れるわけにいかないということで全学ストをしておりました。私は、これは正直申し上げまして、とても信じられませんでした。私は全共闘世代です、団塊の世代で。ですけれども、そのような会合とかそのような主張は一切受け入れられない、そういうことには参加せずにまいりました。それから比べると、大分変わってきたのではないかと思います。
 私は、自衛のための軍隊は絶対持ってしかるべきだと思います。それをよくないなどというのはおかしいんですね。それから解釈憲法、解釈でもってやっていくというのがありますけれども、私はそれはやはり無理だと思います。ですから、自衛のための軍隊は絶対持てると明記すべきだと思っております。
 それと裏腹なんですが、私は、いかなる理由であろうとも、海外に武器弾薬を持っていく軍隊を派遣すべきではないと思います。PKOとかあるいは国連決議のもととか言われますけれども、私はそれすらよくないと思います。
 それぞれいろいろな国がありますけれども、日本のこの姿勢というのは国際的に相当認知されてきていると思います。緒方さんとは大分考え方がいろいろなところで違います、今おっしゃいましたけれども。
 武器を持っていかない軍隊、それはおかしいかもしれませんけれども、イラク派遣のときにそれを貫徹いたしました。ほとんどです。武器弾薬を持たずに、皆持たずに行って、日本はそこまで憲法九条をきちんと守る国かということを、軍事専門家の間ではある程度認知されたのではないかと思います。そういう姿勢を貫き通していいんじゃないかと思います。
 そういう意味では、私は、災害派遣だとかいろいろなところで、バックアップのためには派遣していいんだろうと思います。ですけれども、国権の意思が働くこと、つまり、日本国の意思が働くような形での軍隊の派遣というのは一切いけない。これは議論があるかと思いますけれども、そういう意味では、インド洋、アラビア海における給油などというのは、私は許されてしかるべきだと思っております。ですから、そういうことをきちんと明記する。
 なぜかといいますと、いろいろ理由があるでしょうけれども、外国に軍隊を派遣するというときは、侵略の意図を持って派遣するなどという国はないはずです。そういうのがあってもです。
 ですから、外国は、例えば四川大地震のときでも、災害派遣といっても中国はほとんど受け入れませんでした。しかし、日本を一番最初に受け入れたのです。それは、日本が平和希求国家であることを中国もわかっているからだと思います。ですから、こういった日本の評判というのを高めていけばいいのではないかと思っております。
 ですから、繰り返しになりますけれども、自衛のための軍隊は絶対持てる、しかし、海外に日本国の意思が働くような軍隊は絶対に派遣しないということを明記していくのが一番すっきりするのではないかと思います。
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中谷元#25
○中谷会長代理 一点確認ですが、イラクに自衛隊を派遣したときには、自衛隊は武器を持って派遣されましたけれども。
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篠原孝#26
○篠原委員 使用しない、全く使用しないという。
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中谷元#27
○中谷会長代理 使用しないという意味ですね。
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篠原孝#28
○篠原委員 済みません。使用しないということです。
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中谷元#29
○中谷会長代理 では、あのケースのような派遣は容認できるという。
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