森田朗の発言 (行政監視委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○参考人(森田朗君) 東京大学の森田でございます。本日は、このような意見を述べる機会を与えていただきまして大変光栄に思っているところでございます。
私は三十年余り研究者を続けてまいりましたが、私の専門は行政学、広い意味での政治学の一部に当たる学問でございまして、これまで行政組織あるいは公共政策あるいは地方制度などについて研究をしてまいりました。また、研究者の立場からではございますけれども、一九九五年から始まりました地方分権改革、その後の橋本内閣のときの行政改革、さらには、その後の国立大学の法人化等の実際の改革にもかかわってまいりました。
本日、資料としてお手元にあると思いますけれども、私の論文を資料とさせていただきましたけれども、それらの論文は橋本内閣の行政改革の後でそれについて執筆したものでございます。本日は、その論文で取り上げたようなテーマではなくて、これからお話しいたしますのは、その後の社会環境の変化をも踏まえて、我が国において九〇年代以降展開されてまいりました地方分権改革を含む行政改革全般について意見を述べさせていただきたいと思っております。どういうことを述べるかということにつきましてはお手元に簡単なメモがあるかと思いますけれども、初めに、これからお話しいたします行政改革というのはどのようにとらえているかということについてお話をさせていただきたいと思っております。
行政改革という場合、広い意味では地方分権改革であるとか内閣制度を含む統治構造の変更、改革を意味している場合もございます。また、狭い意味になりますと、政策を所与として、それの手続であるとかその合理化のための方策、これを行政改革と呼んでいる場合もございます。ただ、世界の多くの国で言われております行政改革、そして我が国もそうだと思いますけれども、そのとらえ方といいますのは、財政状況がだんだん厳しくなってくる中で、行政活動の効率化あるいは財政的な効率化をいかに図っていくのか、政府のスリム化をどうやって達成していくのかと、それが大きな課題ではないかと思っておりますので、以下では、そのような財政的な効率化、政府のスリム化、そういう方面から焦点を当ててお話をさせていただきたいというふうに思っております。
これから申し上げますのは、これまでの我が国における行政改革がそういう観点から見た場合どのような特色を持っていて、そしてさらにどのような課題を持っているかということでございます。
初めに、極めて初歩的なことを申し上げて恐縮でございますけれども、行政サービス、政府の活動に必要な財源が不足してきたときに取り得る方法というのは基本的に三つしかないと思います。
一つは、増税等の方法によりまして財源を増やすこと、二番目は、逆に供給するサービスの量、質を下げていくこと、そして三番目は、そのサービスを産出する過程をできるだけ効率化していくというこの三つでございます。
今日申し上げることの結論を先取りして申しますと、我が国の場合、この三番目の効率化による改革をこれまで目指してきたというふうに思います。しかしながら、この方法には当然限界があるわけでございまして、これまで行政改革と称されている改革の多くは、むしろその行政活動の形態を変えたり、あるいはそれを外部化する、アウトソーシングにするとか、要するに、ちょっと言葉は悪いかもしれませんけれども、付け替え、外出しのやり方、そうしたやり方が中心であって、それが実質的な意味での財政的な観点からの効率化、減量化が進んでいるかというと必ずしもそうではないのではないかと、そのように感じているところでございます。
まず、物事を考える出発点として、レジュメの図のⅠを御覧になっていただきたいと思いますけれども、これは極めて一般的な話ですけれども、行政活動といいますのは、一定の行政組織がそれを担い、そしてそれは一定数の公務員がそれを、仕組みを動かしていくと、これが一般的な姿になるわけですし、それに対して必要な財源を予算で手当てしていくということになるわけです。当然のことながら、その財源とサービスとの間にギャップが生じた場合には、サービス水準を維持するために予算を増やすという方法を取るか、あるいは、そうでなければこの活動そのものを縮小していく、それに伴って組織も改廃といいましょうか行いますし、公務員の数を削減していくと、これがある意味でいいますと一番原型になるわけでございます。
しかしながら、我が国の場合には、どちらかといいますと、その図Ⅱに書きましたけれども、こうしたサービスの在り方というものと組織の形態というものと公務員制度ですけれども、これが必ずしも連動していないように思われます。全くとは申しませんけれども、余り連動しておらず、別々に改革が行われているという気がしているわけでございます。
それぞれ自律的な形で改革が行われているわけでございまして、更に申し上げますと、サービスの本体はなるべく変えないまま、組織の形態を変更したりあるいは公務員数の削減、それが行われてきたというふうに思います。もちろん、サービスの質、量を変えずにその産出過程を効率化する余地はまだあるということは間違いないと思いますけれども、現在の財政状況等を勘案した場合に、これまでのやり方でいいますと、これ以上の効率化というのはなかなか難しいかもしれませんし、また、それをあえてやりますと、国民生活にとって実質的なサービスの質の低下を招くような可能性というものも否定できないのではないかというふうに思っております。
そこで、行政組織の改革、また公務員制度、そして地方分権の改革についてそれぞれお話をさせていただきたいと思います。
行政組織に関連して申し上げますと、かつて国鉄であるとか電電公社に見られたような民営化が実施されました。これは大変大きな改革の効果をもたらしたというふうに思いますけれども、こうした形での公的部門の民営化が効果を示しますのは民営化してもそれが事業として成り立つ場合でありまして、今日ではそのような可能性のあるケースというものは非常に限られているのではないかと思います。
また、橋本内閣の行政改革のとき以来進められてまいりましたのが、省庁の統合再編と独立行政法人化等の外部化でございます。省庁の統合再編は、統合によって仕事量全体の縮減を行うということを期待されたものというふうに思われますけれども、実際に何が生じたかと申しますと、総務部門につきましては一元化されることによって縮小が進むかもしれませんけれども、それまでの部分の仕事につきましては余り変わっていないのではないかという気がしております。例えて言いますと、多数の部屋のあるマンションの幾つかの壁を抜いて大部屋を造ったわけですけれども、住んでいらっしゃる住民の数も、その床の面積もそれほど変わっていないというのが現実ではないかと思います。
独立行政法人化につきましては、国の現業部門をまさに外部化したというふうに言えるわけでございますけれども、独立行政法人がモデルといたしましたイギリスのエグゼクティブエージェンシーという仕組みは、主として行政内部におけるルーチンワークを行っているような部門、それの効率化を目指す仕組みであったわけですが、我が国の独立行政法人の場合には、そうではなくて、むしろそうした組織を国という法人の外に出して、新たな独立した法人とするということに重点が置かれたというふうに思っております。
更に申しますと、その対象になりましたのが、計測がしやすい、また効率化がしやすいルーチンワークを行っているような組織ではなくて、研究機関等の非常に効率化のメカニズムが働きにくいような組織が対象になったと思われます。したがいまして、結果として、見かけの上はともかくといたしまして、実質的には、それほどのサービスとか組織の縮小がもたらされたかといいますと、これは少し疑問に思っているところでございます。
次に、公務員の定員管理についてですが、個別的な領域はともかくといたしまして、総数としては行政サービスの総量とは必ずしも連動することなく削減が行われてきたのではないかと思います。確かに我が国の場合、終身雇用、年功序列制度が強固であるため、弾力的な増減を行うことができないということは間違いないと思います。また、行政の縦割り構造が非常に強固であるために、定員を流動化するということも困難であると、このことも否定できないと思います。
しかしながら、行政サービス、活動の量に応じてその定員の増減というものが必ずしも認められなかったために、いろいろと不都合な事態も生じてきていると思います。
例えば規制緩和によって許可制を届出制に変更したような場合、それによって競争が促進され、プラスの効果が期待されるわけでございますけれども、他方におきましては悪質な業者が市場に参入するという可能性も否定できないわけでございまして、それを防いで規制緩和のメリットを出すためには、やはりかなり強固な、強力なモニタリングの仕組みが必要であると。そのためには、まずそれに必要な人員というものを充てることが必要になるわけでございますけれども、我が国の場合にはそうした増員というものもしてこなかったということ、その結果、幾つかの国民が被害を被るようなケースも出ているような気がいたします。
国家公務員法の対象となる公務員の数といいますのは以前からかなり削減されてきているわけでございまして、人事院の資料によりますと、平成十二年、二〇〇〇年ですが、この年、百十三万人だった公務員が、平成二十三年、昨年ですが、これは六十四万人にほぼ半減しているようです。特に一般職の公務員は八十二万人から三十四万人に、四十八万人も数字の上では減っております。
しかしながら、これら削減された公務員の多くは、独立行政法人であるとか、私もそうでございましたけれども、国立大学法人の職員に身分が変わったものでありまして、実質的に削減はそれほど多くないというふうに思われます。
そのほか、行政改革の方法についてもう一言触れさせていただきますと、十年ほど前に政策評価の制度が導入されました。これは、政策の実施する事前あるいは事後的にその効果を評価し、あるいは予測して無駄な政策を排除しようという仕組みでございますけれども、現実にはなかなかその評価を行うということの技術的な困難もございまして、膨大なペーパーワークがなされている割には大きな効率化の効果というのは現れていないように感じております。そのため、事業仕分のような別の作業というものが行われたとも考えられるわけです。したがいまして、政策評価の在り方そのものも、これ自体を評価の対象として見直していく必要があると思っております。
また、次に、レジュメにも書きましたけれども、行政におけるIT化、eガバメントとかいろんな言い方をされておりますけれども、これについても一言触れさせていただきたいと思います。
こちらの方は、私自身は、大規模に導入されますと非常に行政の効率化あるいは行政改革に資するところが大きいと思われます。それゆえに、先進諸国の多くでは積極的な導入というものを今検討しているところでございます。我が国の場合には、そのIT化による効率性の向上を図る場合の前提となります国民ID制度、マイナンバー制度というふうに名前が付いたようでございますが、これがようやく実現が検討される段階に入ったところでありまして、先端を行く先進諸国と比べますと一周ないし二周遅れの感があると思っております。
私自身は、こうしたものにつきましては、個人情報の保護に十分な手当てをした上ででございますけれども、より積極的に推進する必要があると思っておりますし、その場合には、もう一つ大きな壁、すなわち各省の縦割りの構造というものを克服する必要もあると思っております。
さて、次に、行政改革と密接に関連しております地方分権改革について述べさせていただきます。
地方分権改革は、憲法で定められております地方自治の本旨の実現を目指して、国、すなわち中央政府が持っている事務権限を地方自治体に移譲すると、そういうものとして考えられております。
しばしば、行政改革と地方分権は車の両輪というふうな言い方もされてきましたように、両者を一体としてとらえ、地方分権によって国もスリム化すると、そのようなことも言われてまいりました。これは、行政改革といいますのは、要するに国、中央政府をスリム化することであるという発想に基づいているわけでございまして、それは、官から民へという形での行政改革と、中央から地方へという地方分権改革がセットで考えられると。要するに、行き着くところは、小さな中央政府というものを目指すということかと思います。
しかしながら、その場合には、地方、国、合わせたパブリックセクター全体としてどのような形での行政改革が行われているかということは必ずしも明らかではございません。もちろん、両者で重複する事務につきましては簡略化が進むというふうに考えられるわけですけれども、事務本体はどうなのかということについては必ずしもはっきりしないわけです。
そもそも、一九九五年に地方分権改革が始まった当初には、既に我が国の地方自治体は先進国の中でもかなりの多くの事務を担っていることから、そこでの改革の目的は、国の事務を地方へ移管する、移譲することではなく、当時存在していた機関委任事務制度であるとか補助金の要綱による国の地方に対する規制をできるだけ減らしていく、地方自治体の自由度を高めていく、自由に政策をつくる自己決定権を拡充すること、これが目的というふうに考えられていたと思っております。
しかしながら、その後、地方分権改革が進むにつれまして、次第に国から地方へ事務そのものを移譲したり、あるいは国のブロック機関の地方への移管というようなことも言われるようになってまいりました。その結果、現状は地方分権という名目の下に地方への事務の移管が行われ、それが国の事務のスリム化、効率化として位置付けられているのではないかと、そういう感じもするわけでございます。
当然、その場合問題になりますのは、地方においてその事務を担うために必要な財源の問題ですが、これにつきましては、二〇〇一年に始まりました地方分権改革推進会議において三位一体改革に取り組んだわけですけど、これも成功せず、一時自主財源として税源移譲ということも主張されましたけれども、これも結果は自治体間での税収の格差の拡大に結び付く、そのため、それ以後は余り進められていないようでございますし、また財政調整の制度であります地方交付税制度の抜本的な改革というものも進んでいないように聞いております。
したがいまして、最も重要と思われるこうした地方財政制度改革が先送りされたままの状態になっているわけでございまして、結果は多くの地方自治体、特に農村部の地方自治体が高齢化、人口減少に加えて非常に厳しい財政状況に置かれているわけでございます。そうした自治体が確実な財源保障のないまま多くの事務負担を担うということになる、そうした可能性に今直面しているのではないかと思います。
ところで、こうした地方分権の考え方ですが、世界の多くの国では中央集権的な形態によって、第二次大戦後、二十世紀の後半におきましては国が成長してきたわけでございますけれども、こうした中央集権的な体質そのものが問題があるということから、地方への権限移譲、分権が望ましいと考えられ、補完性の原理その他の考え方に基づいて分権が進められてまいりました。我が国でも、今日までできるだけ多くの事務権限を地方自治体に移し、地方の決定に委ねることが望ましいと主張されてきているように思います。
そして、地方分権の議論においてしばしば言われますのが、中央政府の役割というのは外交とか国際関係、あるいは通貨であるとか国全体の基盤的な制度の整備、そして国全体の産業政策その他の政策、計画に限定して、それ以外の事務はできるだけ地方に委ねるべきであるという見解、これもしばしば耳にするところであります。
しかしながら、現代の社会は十九世紀の社会とは格段に違っているわけでございまして、何が大きく違っているかといいますと、地域間の交流というものが非常に拡大しております。また、地域の自立性というのは相対的に減少し、地域間の相互依存関係も増大しております。これは、むしろ国境を越えて、国際化によって国境を越えた地域間の依存関係の拡大にもつながっているのが現状だと思います。したがいまして、都市部と農村部というように、現代の社会におきましては地域がそれぞれ異なる役割を分担し、相互に依存し合って全体としてのシステムというものを形成していると考えられるわけです。
そして、そこにおける中央政府の役割というのは何かといいますと、まさに豊かな地域の富をそうでない地域に配分して全体としてバランスの取れた発展を図るというごとく、システム全体の観点から地域間、セクター間の調整、再配分の機能を果たしているというふうに考えられます。もちろん、過剰な集権的システムには問題があることは否定できませんけれども、こうした調整機能を無視した分権の議論といいますのは、むしろ格差の拡大、地方の疲弊に結び付くのではないかと危惧するところでございます。
したがいまして、分権化もこうした現代社会の特質を踏まえて進めていくことが必要であると思われますし、行政改革も国、地方を合わせた行政サービスの総量を財源との関係でどのようにコントロールしていくのか、そういう方向で議論を進めていくべきであると思っております。したがいまして、今や財政の現状と正面から向き合って行政サービスの在り方を持続可能性という観点に立って見直していくことが必要ではないかと思います。
申し上げるまでもなく、我が国は超高齢化、人口減少の時代に入りました。これからは、これまで我が国の富をつくり上げ、税収を上げてきました都市部が急速に、しかも大規模に高齢化してまいります。そのような時代には思い切った発想の転換が必要ではないかと思っておりまして、右肩上がりの発想を捨て、必要な部分に重点投資をすることはもちろん重要ですけれども、国や地方自治体の将来の状態をしっかりと見据えてサービスの規模を適正化する、いわゆるダウンサイジングという、そうした発想を取り入れることも必要ではないかというふうに思っております。
御依頼のありました趣旨の項目の中には今の意見陳述でお答えしていないところもございますけれども、これは後の質疑のときに御質問があればお答えしたいというふうに思っております。
私の意見は以上でございます。どうもありがとうございました。