山口二郎の発言 (予算委員会公聴会)
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○山口公述人 おはようございます。北海道大学の山口です。
こういう機会を与えていただきまして、大変ありがとうございます。時間が少ないので、基本的な理念、それから大枠の話を幾つかいたしたいと思います。
やはり、予算というものの目的を考えますと、その最大の目的は人間の尊厳を守ることだと私は考えます。
その理念に照らしてみて、日本の現状はどうか。東日本大震災から二年経過しまして、いまだに原発事故の被災者の皆さんが事実上難民化している、そういう方が二十万人とも三十万人とも言われている現実があります。その人たちの人権、人間の尊厳を守るという役割を今の政府が本当に果たしているのかという点について、大変大きな危機感を覚えます。
お配りした資料の図の一に絵があります。これは、ギリシャ神話のプロクルステスのベッドというイラストであります。
この話は、要するに、ギリシャの山の中で旅人をつかまえてきて、狭いベッドにくくりつけて、ベッドからはみ出す足、手をちょん切るという大変残虐な追い剥ぎの話であります。この刀を振り上げているのがプロクルステスです。
この寓話の意味は、人間というものは、自分の既に持っている手持ちの枠組みあるいは資源に合わせて問題を裁断する、虚心坦懐に問題を認識することは難しいという意味であります。
例えて申しますと、この狭いベッドに相当するのが法律の制約、予算の限界、くくりつけられている旅人は原発事故の被災者、そして、刀を振りおろそうとしているのが為政者かもしれません。
日本の政治全体でプロクルステスのベッドというような病理がないかどうか、ぜひとも皆様方にしっかりと御検討いただきたいというのが最初のメッセージであります。
世の中はいわゆるアベノミクスがもたらした好景気に沸いておりますが、私には既視感があります。いわゆるアベノミクスには、トリクルダウン、つまり、経済の一番上の方を刺激してそこにお金を回せば、富がだんだん下の方に滴り落ちるであろう、トリクルダウンするであろうという前提があると思われます。
しかしながら、そのような政策は、既に十年前、いわゆる小泉構造改革のもとで実行されたわけであります。そして、トリクルダウンが起こらなかったということは歴史的な事実が証明しております。
図の三にグラフを出しておりますけれども、二〇〇〇年代、企業の収益は大幅に向上いたしました。しかしながら、賃金は低下いたしました。結局、会社がもうかっても賃金はふえない、いや、もっとありていに言えば、雇用の規制緩和等々を行って、賃金を減らすことによって企業がもうかるという経済の構造をつくってしまった。
この時代にできたさまざまな法制度、税制等の仕組みは基本的には変わっていないわけでありまして、今回の好景気というものが本当に社会の隅々に恩恵を及ぼすのかという点について、私は懐疑的にならざるを得ません。
またしてもバブルを起こすだけではないか、あるいは、市中の金融機関にいっぱいお金を流し込んでも、そのお金が生きた目的に使われず、土地や石油等の物資に対する投機という形で終わるのではないか、こういう懸念を持っております。
まさに政治こそ、お金を生きた形で使うという大きな仕事を持っているわけであります。
そこで、二つ目の論点であります、お金をどう使うかということについて、基本的な枠組み、理念についてお話をしたいと思います。
私は、別に民主党の肩を持つわけではありませんが、やはり人への投資が今の日本にとっては最も重要な課題であると考えております。もちろん、今の予算の中でもそういう方向性を暗示するものはあるとは思いますけれども、やはり、イノベーションを起こすにも、人の能力を高めるということが何よりも重要であります。
まず、アベノミクスで、ともかくお金をどんどん社会にあるいは市場に投入するということなんですけれども、そのお金が本当に、実際に生活をしている人々、なかんずく、いわゆる弱者あるいは地方に回るのかという点について疑問があります。
例えば、地方公務員給与の削減という目的で、地方交付税の削減という方向が打ち出されました。
多くの自治体は、既にもう大変な財政難でありまして、国から言われなくても、公務員給与の削減を数年続けてまいりました。それにさらに追い打ちをかけるということになりますと、地方自治体の財政運営は極めて困難となります。基本的な行政サービスを持続していくことさえおぼつかないというような問題が、特に地方の弱小自治体において生じているわけであります。
あるいは、生活保護基準の引き下げということも今回打ち出されております。
いわゆる不正受給というものが全体の中で占める割合というのはほんのわずかでありまして、むしろ、日本の場合は、生活保護基準以下の収入、所得しかない人のうち実際に生活保護をもらえる人、いわゆる捕捉率が極めて低く、学者によっていろいろ試算はありますが、二〇%台と言われております。
ですから、生活保護を実際にもらっている人は貧困者のごく一部であり、その中のほんの一部がいわゆる不正受給なる問題を引き起こしているということでありまして、針小棒大に不正受給を取り上げて制度全体を攻撃するということは間違っていると私は考えます。
格差というものは、社会の健全性をむしばむものであります。
世間では、平等という議論を殊さらにゆがめるために結果の平等を追求する一部の変な人たちがいるというような議論をする人がいますけれども、結果の平等などを政策目標として掲げたなんということは、いまだかつてないと思います、一部の政党はあったかもしれませんが。普通に政策を議論している論者あるいは政党でもって、完全な結果の平等をもたらすなんということを言った人は多分いないと思います。
問題は、機会の均等をいかに確保するか。ほっておいたら機会の均等を確保できるというのんきな時代ではない。政策的にある種の介入を行うことによってようやっと機会の均等も確保できる時代に入ったということであります。
お配りした資料の図の四にありますように、先ほど申し上げた、企業が大変な高収益を上げていた二〇〇〇年代、右肩上がりで相対的貧困率は上昇しております。すなわち、働く人たちに分配されていない、低賃金労働がふえるということで、日本は貧困大国になってしまった。OECDの中では、いわゆる先進国の中で、アメリカに次ぐ貧困大国になってしまったわけであります。
そのような問題に対して、きちんと対応するという方向とは逆の方向を今向いているのではないかという懸念を私は持つわけであります。
働く人間の生活をいかに向上させるかというテーマについて、安倍総理は、経済界の首脳に賃金引き上げを要請しました。そして、一部の超優良企業では、春の労使交渉で、一時金の引き上げという形で富を分配するということが行われつつあります。しかし、これはまことに変な話でありまして、賃金交渉は労使交渉でやるお話であります。
政治の力で賃金を上げる方法は何か。一番簡単な方法は、最低賃金の引き上げであります。
世間では、最低賃金で所定時間働いても生活保護基準に行かないという議論でもって、生活保護の方を下げるという議論がありますが、これはまことに倒錯した話でありまして、普通に働けば最低限度の生活ができる程度の最低賃金制度をつくるということが王道であります。
そして、賃金上昇分は価格に転嫁する。下請であれば発注元の大企業がちゃんとそれを負担する、小売であれば一般消費者がそれを負担する、そして、ディーセントな人間らしい働き方を国民全体で支えるという方向を目指すべきではないでしょうか。
もう一つ、最近大変気になりますのは、教育や医療という人間の生命あるいは生活そのものを支えるサービスが、希少財、すなわち、お金に余裕のある人にのみ許されるぜいたくな財に変わりつつあるという問題であります。
資料二で朝日新聞の記事を引用しておりますが、親の経済力によってその子供の教育機会が大きく影響される、いわゆる教育格差の問題が存在しているということは既に常識に属することとなっておりますが、もっと大きな問題は、そのような格差について、やむを得ない、あるいは当然だと容認する人間が大幅にふえているという点であります。これはまさに、社会正義にもとる現象であります。
昨日は、この予算委員会で教育をめぐる議論がありました。若い人、子供たちに、日本に生まれてよかったと思えるような教育をせよという主張をされた方もいらっしゃいました。
私は、これに対して、あえて反論を申し上げたいと思います。これは精神論ではありません。
たまたま貧しい家庭に生まれたがゆえに、志途中で学業を中断せざるを得ない状況に追い込まれ、かつ、そのことに対して当然であると大半の人が言うような社会において、一体、若者が、どうしてこの国に生まれてよかったと思えるでしょうか。
まさに、国会議員の皆さんは、大変大きな権限、権力を持っておられます。それは、この国に生まれた全ての人間がその能力と意欲に応じて、思う存分勉強し、社会に貢献できる人間として育てるような環境、条件を整備する力であります。そして、予算こそ、そのための最大の武器であります。そのことを基準に据えて予算のあり方についてしっかりと考えて議論をしていただきたいと、教育の世界の片隅にいる人間として心からお願いをいたします。
そしてもう一つ、人への投資という観点からいきますと、社会保障制度をいかに持続可能にするかという大きな問いについて、今年度の予算は、どのような方向性、答えを出しているのかという点で、メッセージを感じないわけであります。
昨年、前政権の末期に、主要な政党の合意によって、税・社会保障一体改革の大枠が決められました。私は、このことについては、政治家の方々が責任を果たしたということで大変高い敬意を持って評価しております。
しかしながら、来年の四月から消費税率が上がるということだけ決まっているわけですが、国民の負担をふやすことによってこれからの社会保障制度をどのように整備し、持続可能なものにしていくのかという点については、残念ながら展望が見えていないわけであります。この点についても、この予算の中でしっかりと議論をしていただきたいというふうに思うわけであります。
地方の観点から、この予算について一言申し上げたいことがあります。それは、国と地方の関係に関する、いわば政策の逆行とでもいうべき現象であります。
今回、一括交付金を基本的に廃止するという方向が打ち出されております。ちょっと学者っぽい議論で恐縮ですが、お配りした資料の二ページ目の図の二をごらんください。
もともと、長い間、自民党政権というものは、地方に寛大であった、弱者に優しかった、ある種の平等社会をつくったという功績があります。そのことを私は、リスクの社会化、つまり、貧困とか自然災害といったリスクを国全体の問題としてカバーしていく方向性として捉えております。
しかしながら、そのようなリスクを処理する手法について、日本では、西欧の福祉国家のような、普遍的な、包括的な、あるいは制度化された形での仕組みではなくて、権限、財源を持った官僚のさじかげん、裁量によって、その都度、特定の地域や特定の集団に対して補助金をつける、保護、規制を行うといった形で対応してきたわけであります。特に、公共事業系の官庁がずっと握り込んできた事業別補助金というものは、裁量型の、リスクの社会化の最も典型的な例でありました。
そのことは、もちろん、地元からあるいは業界から陳情をもらって、そして中央省庁につないで地元にいろいろな利益を還元するという意味での政治家の仕事をふやしたという面はありますが、しかし同時に、さまざまな無駄を生む。つまり、地域の政策的な需要と行政の側からの政策の供給との間に大きなミスマッチを生んだという無駄をもたらしましたし、それから、地方の自立という点から見ても非常に大きな障害となったわけであります。
やはり、地域のことは地域の住民で議論をして政策の優先順位を決めるということが民主主義の基本であります。その意味で、またしても中央省庁の官僚の裁量的世界に財源を戻して、そして、お金をもらうのに、一々陳情に行って頭を下げて、そして使い勝手の悪い事業別補助金をもらって地域で仕事をするというような、極めてコストの高い、あるいは集権的な仕組みに戻すということについては、私は非常に大きな疑問を感じるわけであります。
最後に、最近何かと話題になっておりますTPPの問題について一言だけ申し上げて、終わりにいたしたいと思います。
北海道に住んでおりますと、やはり農業というのは大変重要なものだということがよくわかるわけであります。経営規模が百ヘクタールになんなんとするような、日本で最も大きな規模で農業をしている北海道東部の十勝地方の農家でさえ、聖域なき関税撤廃ということを言われたらもうやっていけないと悲鳴を上げているわけですね。規模拡大、効率化、競争力などというのは、東京の人たちが言う、いわば絵そらごとであると私は思います。
要するに、何でもかんでも自由にする、そうすると値段が安くなる、そうすると消費者が喜ぶという単純な図式がありますが、人間の生活は消費だけで成り立っているわけではありません。私たちは、生産、供給に従事して、労働力を売って、その対価として報酬を得て、そのお金で消費をするわけであります。消費だけで生活ができるわけではありません。
生産、供給の世界において、ある種の秩序を保って、一生懸命、週四十時間ないしプラスアルファの時間働いたら生活に困らないだけの賃金を得られる、そういう生産、供給の秩序を守らなければ消費も生まれてこないわけであります。
そういう意味で、私は、TPPの問題に関しては、やはり地方の視点というものをしっかりと踏まえる。それから、生活者という言葉を安易に消費者と同一視するのではなくて、生産、供給に携わるという側面と、それから、なるべく安くてよい物を選ぶ、買うという消費者の側面と、車の両輪として生活という言葉のイメージを捉えていく必要があるということを申し上げたいと思います。
いずれにいたしましても、長い停滞の中で、日本の民心というのはかなり悲観に暮れてきた。だからこそ、今、アベノミクスというきっかけで、何か明るい光を持ちたいという願望が噴出しているところだろうと思います。
しかしながら、安易な解決策、これさえあれば全部うまくいくというような万能薬はないわけでありまして、やはり、日本を立て直すためには、この国に生きる人々、なかんずく、これからを担う若い世代の人々が、しっかりと勉強をし、力をつけ、そして社会に参画していく意欲を持つ。
我々、上の世代の人間は、そういう人々のためにしっかりと道筋をつける。精神論ではなくて、具体的に、勉強して仕事をしていくために必要な投資をきちんと行っていく。そういう責任、役割というものを我々の世代として果たしていかなければならないと思います。
そのような観点で、国会においてもしっかりと予算、財政の議論を深めていただきたいということをお願いして、私の話は終わりといたします。
ありがとうございました。(拍手)