宮崎政久の発言 (予算委員会第一分科会)
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○宮崎(政)分科員 自由民主党、沖縄県第二選挙区の宮崎政久です。
きょうは、この予算委員会第一分科会で大変貴重な質問の機会をいただきましたこと、まず各党各会派理事の皆様方に御礼を申し上げます。
私は、沖縄で約二十年、現場の弁護士として、地域で活動してまいりました。転勤族の子供であった私がこういう場に立たせていただいて、人生観、世界観を与えてくれたのは全て沖縄という場所であります。そんな地域を代表して国の行く末を考える、そんな立場からきょうは質問をさせていただきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
冒頭、きょうは、第一分科会でございますが、四月二十八日に開催をされます主権回復の日の記念式典について若干質問させていただきたいと思っております。
既に菅官房長官も沖縄に入っていただきまして、地域でも、この式典の趣旨、知事を初め県民に対して説明をいただいているところでございます。しかしながら、県内には、さまざまな意見、いろいろな思いがございまして、既に仲井真知事は欠席を表明され、副知事が代理で出席をさせていただく、こういうような状況になっております。
私自身、三月二十五日の自由民主党の全議員懇談会の際にも発言をさせていただきましたが、四月の二十八日、この日は光と影が両方ある日であります。
沖縄、奄美、小笠原、本土と切り離されて以降、特に沖縄においては、その後二十七年間、米軍統治のもとで、沖縄の人間は大変苦しい生活を強いられてまいりました。この二十七年間、本土では米軍基地の整理縮小が進んでいった一方で、実は沖縄の米軍基地はどんどん増加をしていった。そういうことも背景にあって、実は、現在の沖縄の過重な基地負担の一端がつくられている、こういうことや、苦しい生活への思い、こんなことがやはり県民の中では交錯をするわけであります。
沖縄が主権を回復した、本土に復帰をした日は、昭和四十七年五月十五日なんです。
この式典に対して、私も含め、県民にはいろいろな思いがあります。ただ、私は、日本は一つであるべきだと思っているんです。
物事には、何事にも光と影がある。だから、それまでオキュパイド・ジャパンと呼ばれていた我が国が講和条約で国家主権を回復するまで至った、これが光である。そうすれば、そのときに主権が回復されなくて、苦しいことを負わされた地域があって、そこで生きてきた人々がいる。
そして、影の中にあった地域の人たちが苦しい生活をして、実は、その皆さんは、今もまざまざとその日の記憶を持って、現役として生活をされて、一生懸命生きている先輩方がいる。だからこそ、沖縄も含めて、日本国民の一人一人が、やはりそれでも日本は一つなんだと、自分のこととして、日本の国の将来を考える機会にこの式典の日をできればいい、私はそう思っております。
加藤内閣官房副長官に、ぜひ、この式典の意義、また開催に向けての政府としてのお考えを改めて聞かせていただきたいと思っております。