西田譲の発言 (法務委員会)
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○西田委員 ありがとうございます。
今おっしゃったように、この昭和二十二年の大改正、国会の附帯決議でも、「本法は、可及的速に、将来に於て更に改正する必要があることを認める。」というふうについております。
とはいえ、その後約三十年、正確に言いますと二十二年の後、法制審として改正要綱試案を出されたのが昭和五十四年ですので、約三十年あいて、いきなり昭和五十四年に改正試案がぽんと出てくるわけでございます。
私は、これを見たときに、ああ、なるほどと思ったんですけれども、その前に国会で共産党さんが議員立法を出しているんですね。我が国の戦後の民法改正の動きに先んじて、まず昭和五十一年、通常国会で共産党さんが提出、臨時国会でも共産党さんが同じように議員立法で提出されている。共産党さんが出されているというのは、まさになるほどというふうになるわけでございますけれども、まるでその動きに合わせるかのように、民事局がその後、改正要綱試案を五十四年に出されている。まるで一緒に活動しているのかというふうに疑いたくもなるわけでございます。
昭和五十一年に共産党が、我が国で戦後まず最初に民法改正についての議員立法を出されるというのは、これはまさしく、前回の質問でも私は指摘しましたけれども、マルクスが共産党宣言で絶叫した家族の廃止、資本の消滅とともに家族は消滅する、そういうふうに絶叫しているわけでございます。
それとあわせて、エンゲルス。きょうお持ちしましたけれども、「家族・私有財産・国家の起源」、迷著でございます。その中で、婚姻締結の自由と、愛情に基づく婚姻関係のみが道徳的と言っているわけでございまして、これはもう、いわゆるジョージ・オーウェル流のニュースピークだろうなというふうに思っておりまして、きちんと訳すれば、婚姻締結の消滅と恋愛至上主義の事実婚のみ正しい。
このように言ったエンゲルス、そして共産党宣言のマルクスの家族の廃止、これを忠実に我が国において議員立法として提出したのが、まさしくこの共産党の一九七六年、昭和五十一年の国会提出の法案ではなかったかというふうに思うわけでございます。
前回の委員会でも繰り返し述べましたけれども、家族や地域の共同体といったいわゆる中間組織というのは、個人と国家権力の間にある緩衝的な役割を果たしておるわけでありまして、国家権力の前で砂粒に等しい個人の自由を守る大切な役割を果たしているわけでございます。そういった中間組織は、やはり、個人の自由、そしてこの自由な社会を守るという意味では非常に大切でありまして、マルクスの言うような家族の廃止といったものとは真っ向から闘わなければなりませんし、あわせて、民族の伝統や慣習、そして権威といったものが宿るものが、まさしく家族や地域共同体といった中間組織でありまして、そういった中間組織なしでは、私たち人間は自我を形成することもままなりませんし、人間が文明社会で生きていくという指針を見出すこともできないわけでございます。
つまり、共産党宣言、よくできているわけでございます。この中間的組織である家族を否定することが、彼らの言う社会契約による人工的な共生社会を築くには不可欠であると見抜いたからこそ、家族の廃止と絶叫しているわけでございます。
ただし、家族の廃止といいますけれども、五十一年の非嫡出子のいわゆる相続の話、これがすぐに家族の廃止に結びつきにくいというのは重々わかるわけでございますけれども、しかし、これは、今後、事実婚主義をこの国に浸透させていくための第一の矢であろうかというふうに思っているわけでございます。
伝統的な家族観を守る外堀がたくさん我が国にはあるわけでございまして、この非嫡出子の相続、並びに、例えば夫婦別姓、あるいは離婚に関する手続の簡素化、そういった我が国の伝統的な家族観や法律婚主義を守る外堀が確実に一個一個埋められていったときに、世代が移り変わったとき、我が国の今私たちが当たり前だと思っている家族に対する意識は、残念ながら非常にもろいものになってしまうものであると危惧をするわけであります。
昭和五十一年当時、当時の立法府の良識によって当然この共産党提出の法案は廃案となるわけでございますけれども、今民事局長から御指摘があったとおり、一九九一年から突然またインフルエンザのように猛威を振るうわけでございます。
一九九一年と申しますと、ちょうど旧ソ連が崩壊し、もうイデオロギーの対決は終わった、そう言って我々が油断をしたその間隙を縫って、まさしく無色透明な革命がスタートする元年とも言えるわけでございます。
それと同じくして、一九九三年、まず一発目の国連の自由権規約委員会からの懸念が示されるわけでございますね。それから約十二回にもわたり国際機関からの勧告を受け続けるわけでございますし、一方で、当時の政治情勢を思い浮かべれば、一九九三年、細川内閣でございましたね。そして、先ほどおっしゃった民事局の、平成三年からスタートして平成八年に出される法制審の答申があるわけでございますけれども、その間、自社さ政権であったりと、我が国が一九九〇年代からいわゆる政治が大混乱をしていくこの二十年の中にあって、まさに間隙を縫って始まったこの透明な革命が着実にあらわれているのが年表を追えばわかるわけでございますね。
そこで、もう二十年たって二〇一三年、今日に至って、いよいよ今回違憲判決が出たということで、まず一つ目の外堀を埋めてしまわなければいけなくなるわけでございますけれども、やはり私はこうなる前に打つべき手を打っておく必要があったというふうにも思うわけでございます。
自戒の意味も込めてお伺いしなければいけませんけれども、こういう各種の国際機関からの懸念もしくは勧告が示されたときに、例えば、我が国の実情もしくはこれまで我が国が大切に保守してきた価値観と相反するさまざまな反論が必要であったろうというふうに思っておるわけでございますが、この十二回にわたる国際機関からの懸念や勧告に対し、どのような対応をこれまでおとりになってきたのか、伺わせてください。