江藤洋一の発言 (国家安全保障に関する特別委員会)

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○参考人(江藤洋一君) 弁護士の江藤洋一でございます。
 本日は、一党一派のみならず、また選挙区のみならず、全国民を代表する先生方の前でこのようなお話をさせていただく機会を与えていただきまして、本当にありがとうございました。
 私は、法律家の立場からこの法案の問題点を指摘させていただきたいと思います。既に衆議院で修正されておりますので、そのことを前提の議論とさせていただきます。
 まず私は、国民の知る権利の重要性ということを強調させていただきたいというふうに思っております。
 この国民の知る権利と申しますものは、既に昭和四十四年十一月二十六日のいわゆる博多駅前事件の最高裁の決定において認められております。そこでは、憲法上認められている報道の自由、取材の自由が、この知る権利に奉仕すると明言されております。したがって、この国民の知る権利は、憲法上尊重されなければならないことは言うまでもございません。下級審の裁判例の中には、この知る権利は憲法上の権利であるとまで明言したものが散見されるほどでございます。
 いずれにいたしましても、国政の運営に当たりましても最大限の尊重をさせていただかなければならないと、このように考えております。
 ところが、この法案を見ますと、第二十二条、雑則のところに、国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分配慮すると、いわゆる配慮規定が入っているわけでございますが、いささかこの扱いが私は軽きに失しているのではないかというふうに考えます。まず第一条で、この知る権利こそ大事だ、この知る権利と国の安全保障上の秘密をどういうふうに調整させるかということが、まず述べられなければならないのではないかと、こういうふうに思うわけでございます。
 したがって、この知る権利と特定秘密の指定とのバランスを考えなければならない法案であるにもかかわらず、どうも特定秘密の保護の必要性が過剰に強調されているのではないかと、こういう懸念を持っております。
 政府の保有する全ての情報について国民がアクセスすることができ、秘密指定による制限はむしろ例外的なものであるということが、まず確認されなければならないのではないかというふうに考えております。実は、この点に関し、この六月、ツワネ原則というものが発表されまして、人権保障と安全保障上の秘密の保護との調整を考慮した国際水準の法原則として提起をされております。これは本当に尊重に値するものではないかなというふうに私ども考えております。それを直接この場で法案に盛り込めという趣旨ではございませんが、その趣旨は十分に生かされるべきであると、こういうふうに考えております。
 そこで、この国民の知る権利と特定秘密保護の必要性とのバランスの問題でございますが、先ほど瀬谷参考人からもございましたように、特定秘密の保護が我が国の安全保障上必要だということはそうかもしれませんが、その安全保障の受益者は文字どおり国民にほかなりません。したがって、安全保障を理由とする秘密であっても、それは究極的に国民の利益を守るという大義がなければならないと、このように考える次第でございます。したがって、憲法上保障されている基本的人権、ないしこれと同等の保障を要する国民の権利の侵害に関する情報、ないしそのおそれのある情報は秘密にされてはならないと考える次第でございます。
 安全保障上の利益は国の利益であり、それは政府の利益ではなく、各省庁の利益でもなく、またお役人の利益でもございません。違法秘密は、言うまでもなく、このような政府の利益、省庁の利益、お役人の利益を秘密指定してはならないということがまず確認されなければならないのではないかと、このように思う次第でございます。秘密指定をしてはならない事項を義務規定として明文で定めるべきではないでしょうか。本法案には秘密指定の禁止に関する義務規定が一切含まれておりません。行政機関に対する権限付与規定のみが突出しており、非常に均斉の取れていない法案となっているという気がいたします。
 秘密指定の方法とその有効期間についてでございますが、法案第三条に定める指定方法は、まず別表が広きに失し、特定性に欠けるのではないかと考えます。また、指定要件である我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため特に秘匿をすることが必要ということも、これまた抽象的であり、判断権者の恣意的な運用を免れないというふうに思います。
 指定の有効期間は六十年まで延長することができることとなっております。それ自体長きに失し、そもそも秘密指定の必要性すら疑わせる事態と考えられるところでございます。しかも、例外的に六十年以上秘密にできる事項がございますが、その中を子細に見ますと、第五号暗号を除き、むしろ悪用や弊害の懸念があるというふうに考えられます。
 秘密指定の解除に関しましても、単に要件を欠くに至ったときと定められておりますが、元々の要件が曖昧である以上、この解除もまた恣意的にならざるを得ないと考えられるところでございます。
 さて、そうはいいましても、この秘密指定されましたら、その秘密について保護措置が取られなければなりません。この秘密指定の保護に関し、法案では、秘密を取り扱わせる職員の範囲を限定し、それ以外には秘密指定、特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める措置を講ずると定めているにすぎないのであります。特定秘密の物的管理こそ秘密保護の要であるのに、これを政令に任せ、しかも白紙委任しており、物的管理に関し極めて責任感の希薄な法案となっております。
 平成二十三年八月八日に提出された「秘密保全のための法制の在り方について」と題する報告書がございますが、その中で立法事実とされた各種漏えい事件がございますが、いずれも秘密を扱う職員以外の者による漏えいでございました。つまり、秘密を扱う職員以外の者が容易に持ち出したことによって漏えいされたのであります。ならば、この管理こそ厳重であってしかるべきであるのに、この点の問題意識がこの法案には全く欠けていると言っても過言ではございません。
 最も大事な物的管理をなおざりにし、重罰により国民を威嚇する内容のこの法案は余りにも旧態依然としたものではないでしょうか。
 この物的管理の問題とともに、公務員の業務の過程で作成された文書やメール等の電子媒体の保存につき義務規定を設け、文書等の破壊行為を禁じる旨の明文の規定を置くべきであると考えます。そうしなければ、例えば相手国において開示されながら、我が国においては文書が存在しないので開示できないという主張が堂々とまかり通ってしまうことがございます。その危険を感じるわけでございます。
 なお、管理を行う職員についての適性評価に関しては、その適用範囲が余りに広過ぎ、プライバシー侵害や思想調査による思想介入が懸念されるところでございます。
 この特定秘密につきましては、これを提供できることとなっておりますが、その二つの場合について少しく意見を述べさせていただきたいと存じます。
 特定秘密を提供できる場合につき、外国政府に提供できる場合と国会に提供できる場合、九条と十条に記載ございますが、この外国政府に提供できる方が要件が軽く、いかにも国会軽視の感を否めないという気がいたします。国民に提供されない情報が外国政府にやすやすと提供されるということ自体、国民主権を空洞化させかねない危険をはらんでいると考えるところでございます。
 また、外国政府に対する場合も国会に対する場合も、いずれの場合も行政の恣意的判断を排除できていないということが問題でございます。とりわけ国会との関係では、秘密保護に関し行政優位の姿勢が保たれており、憲法の想定する統治機構の在り方をゆがめているのではないかとの懸念を払拭できません。後に述べるように、国会の行政に対する監視機能を強化すべきであるというふうに考えます。
 そこで、秘密指定の適法性、妥当性の検証について意見を申し述べさせていただきます。
 この秘密指定の問題点は、指定された秘密が果たして適法、妥当なものか否かが国民には分からないという点にございます。知らしむべからず、よらしむべしの姿勢は現代の民主主義国家にそぐわないものでございます。そこで、その検証が適切に行われなければならず、その手だてについて申し述べさせていただきます。
 まず第一に、検証のための第三者機関を新たに設けることが考えられます。第三者機関と言えるためには、完全に独立した第三者性が保持されなければなりません。したがって、内閣や行政庁の中に設けられたいかなる機関も第三者機関とは申せません。
 第二に、国会の国政調査権の拡充が考えられます。法案の第十条一項一号では不十分であります。そこでは提供する場合の要件も定めておりますが、それ以前の問題として、そもそも秘密指定したことの適法性、妥当性が問われなければなりません。行政が我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めたときに情報提供できることとなっております。
 しかし、そのような情報など元々秘密にする必要などなかったものでございます。これは三条一項を見れば明らかでございます。つまり、第十条一項一号の文意は、行政から見ますと、元々秘密指定したのは安全保障上著しい支障があるからであって、そうである以上、国会にも提供できないと言っているにすぎません。この条項によって国会に提供できる場合とはいかなる場合か、私考えてみましたところ、恐らく、我が国の安全保障に著しい支障がなくなったにもかかわらず、いまだ秘密指定が解除されていないものに限られると、こういうことになろうかと思います。無条件で提供するのでない限り、国会の監視機能もおぼつかないものになるのではないかというふうに考えます。
 第三に、国民による直接の検証、監視が考えられます。そのために情報公開法がございますが、残念ながらその内容は必ずしも十分なものではございません。最低限、裁判所におけるインカメラ審理は不可欠であると考えます。また、公益通報者、内部告発者の違法秘密の通報、告発に対しては適切な法措置が講じられなければならないというふうに考えます。
 最後に、罰則のもたらす影響について一言申し述べさせていただきます。
 罰則による威嚇には大変甚大なものがあり、雑則に抽象的な配慮規定を挿入した程度では解消されません。また、第二十二条二項は、専ら公益を図る目的以外のものは正当の業務ではないと言っているに等しい状態になっております。専ら公益を図る目的というだけでは余りにも狭過ぎ、つまり処罰範囲を広げた結果になり、かえって萎縮効果を強めているのではないかということが懸念されます。
 刑事責任は、犯罪の構成要件該当性、違法性、有責性の三つがそろって初めて問えるものでございます。このうち、正当業務行為と申しますものは、このうちの違法性の阻却事由とされております。構成要件該当性まで阻害されることにはならないわけでございます。ところが、実際の司法の実務のレベルでは、この構成要件該当性のレベルで逮捕状、勾留状、捜索差押令状が発付されることが予想されます。秘密指定の要件そのものも曖昧でございますが、この刑罰規定も曖昧かつ広過ぎ、罪刑法定主義に反するのでないかが更に懸念されるところでございます。
 また、第二十五条に言う共謀、教唆はいわゆる独立犯でございます。刑法上の共謀、教唆とは異なり、本犯の実行行為がなくとも、それだけで独立に処罰の対象となる。加えて、未遂、過失が処罰されることとなっており、処罰の範囲の広がりが途方もなく、そのことだけでも計り知れない萎縮効果を与えるのではないかということが懸念されるところでございます。
 第二十四条の特定秘密の取得行為に目的を加え、目的犯としたことは半歩の前進であろうとは思います。しかし、そもそもの管理侵害行為なるものが曖昧であり、拡張的な運用が懸念されるということについては変わりございません。いずれの場合も実際の捜査段階ではほとんど顧慮されることなく令状が発付される可能性を否定できません。
 したがって、裁判において無罪になれば事足りるということではなく、逮捕、勾留され、あるいは捜索、差押えを受けるというそのこと自体が大変な不利益であり、しかもその損害は回復し難いものがございます。あるいは、さらに、逮捕や捜索さえ必要なくなる危険があります。逮捕するぞ、捜索するぞという文字どおりの威嚇が国民を黙らせ、萎縮させることになるのではないかということを恐れるところでございます。
 先日の自民党の石破幹事長のテロ発言は、第十二条に定めますテロリズムの定義の規定と関係しております。このテロリズムの定義をお読みいただけば分かりますが、単なる自分の意見を人に強要することが目的ではなく、それ自体がテロリズムというふうに読めるような文意、文章構造になっております。そうではないと森大臣は答弁はされておりますが、文章そのものを見ると、句読点の付け方を見ると、文字どおりそのように読める。政府はそうではないと、大臣はそうではないとおっしゃられますが、石破先生の御発言に沿った解釈がなされる以上、この法律が言論弾圧、政治弾圧に利用される可能性を示唆しております。
 以上の次第でございますので、私は、この法案は小手先の修正では是正できない重大な欠陥を有しており、廃案にすべきと思料するところでございます。
 御清聴ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 江藤洋一

speaker_id: 20785

日付: 2013-12-03

院: 参議院

会議名: 国家安全保障に関する特別委員会