日比野敏陽の発言 (国家安全保障に関する特別委員会)
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○参考人(日比野敏陽君) こんにちは。日比野でございます。
本日は、このような場に発言をする機会を与えていただきまして、誠に光栄であります。ありがとうございます。
今日は、一新聞記者として、そして全国の多くの新聞記者が加盟する日本新聞労働組合連合の代表としてこの場に来ておるところです。日常的に取材、そして報道の仕事に携わる者として、この秘密保護法案には極めて問題が多く、国民の知る権利に奉仕する取材、報道の自由を大きく損なうものであるということを指摘させていただき、廃案にするように求めたいと思います。よろしくお願いいたします。
まず初めに、この法案には、知る権利、取材、報道の自由が盛り込まれておりますが、その評価について述べたいと思います。
法案第二十二条で、国民の基本的人権を不当に侵害することがあってはならず、国民の知る権利に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならないというふうにされております。当初の原案になかった知る権利への言及があり、政府答弁では、これで報道や取材が過剰に規制されることはないというふうに説明を受けておりますが、私にはとてもそうは思えません。
同じ二十二条の二には、取材行為について、著しく不当な行為と認められない限りは正当な取材だとしております。この著しく不当な行為とは何でしょうか。極めて曖昧であります。
これまでの政府の説明では、取材対象者の人格を著しくじゅうりんする、そういったものだと説明されております。また、森大臣は、衆院本会議で、単に酒席において情報を得る行為は不当な行為に当たらないというふうに答弁されています。しかし、こういった説明も極めて曖昧であります。著しくというのは何でしょうか。取材内容によっては私たち記者は、現実には、相手に対して厳しく迫る、言葉として厳しく迫ることは少なくはありません。また、単にというお酒の席とそうでないお酒の席があるのでしょうか。
公務員の皆さんと、また関連の皆さんと、そして国会議員の先生方ともお酒を飲みながら取材をする、若しくは取材につながるようなお話をするということは、私にとっても、そして皆様方、先生方にとっても日本の中では普通にあることだと思います。新聞記者にとっても、そういったお酒の席というものは、単にだろうが単にではなかろうが極めて日常的なことであると思います。法案の内容や政府の説明は、こうした取材、報道の現場の事情からは極めて懸け離れた非常に非現実的な規定であるとまず指摘させていただきたいと思います。
そもそも、この二十二条の配慮するというその主体は誰でしょうか。取材、報道する側の意向に関係なく捜査当局が配慮するわけですから、この規定は明らかに、捜査当局に配慮してもらうように取材中も自分でいい子になれ、規制しろと言われているというふうにしか思えません。
率直に言って、私たちにとってどのような形で取材をするのか、その手法について当局にいろいろと指図される筋合いではありません。重要なことは、これは重要なことです、その取材によって国民、読者の知る権利にこたえられるかどうかであります。私たち新聞労連は、国際ジャーナリスト連盟、IFJに加盟しております。取材の手法について、このように言わば箸の上げ下げのように当局の介入を許すような法律は先進国ではほかにないというふうに聞いております。
そもそも、知る権利、報道等、取材の自由が追加条項として盛り込まれたとしても、この法案が成立すれば、私たちの取材相手である、そして情報源でもある公務員の皆さんが、そして関連の皆さんがこれまで以上に萎縮して、国民そして読者に知らせるべき重要な情報も出てこなくなる、これは確実であると思います。報道の除外規定があったとしても、取材対象者が過剰に萎縮してしまう、それが全く機能していない、その例は既に個人情報保護法の施行によって明らかになっていると私は指摘をさせていただきたいと思います。
二〇〇五年の個人情報保護法の施行以降、警察を筆頭に、全国で官庁の出す情報から個人名が消える傾向にあります。都道府県警は今、例えば交通死亡事故に関する発表で、AさんがBさんの乗用車にはねられて死亡したというような発表を当然のようにするようになっています。本当にこの事故があったのかというようなことも疑わざるを得ないような発表、情報提供が堂々となされているという実態が増えております。個人情報保護法には報道除外規定が入っております。しかし、情報を出す公務員が過剰に反応し、今やそれが当然のようになっている。それが様々な社会的支障を起こしていることは議員の皆様方も御存じのとおりではないかと思います。
秘密保護法案は、秘密をもたらすよう教唆した人や扇動した人を処罰対象としております。これでは、実際には秘密情報を取得できなくても、そして報道に至らなかったとしても、秘密を取り扱っている相手に接触し、取材しようとしただけで教唆や扇動の罪が成立してしまう可能性が強く、重大な懸念を抱いております。また、形式的に犯罪に該当する、しかし、接触したことですね、公益目的、かつ正当な取材であれば許すというこの法案の構造自体が非常に問題であるというふうに指摘させていただきたいと思います。
なぜなら、裁判で無罪になるかもしれないけれども、訴追はできるということであります。要するに、取材や報道の邪魔はすることが可能だということであります。ある問題の一番報道しなければならないタイミングでそういった圧力があれば報道はできません。そういったツールを時の権力が握るということになります。その恐ろしさを是非多くの皆さんに、議員の皆さんに自覚していただきたいなというふうに訴えたいところです。
また、仮に記者、ジャーナリストが処罰対象にならなかったとしても、情報を記者に提供した人を逮捕、起訴してしまう、そして公判を維持しようとすれば、その記者は無関係ではいられないということです。捜査当局は、記者にどのような情報が提供されたのか立証するために、記者のメモや資料を押収したり、新聞社やテレビ局の捜索に入ることもあり得ます。こうなれば、仮に記者が逮捕されなくても、報道に対する事実上の弾圧が可能になるというふうに考えます。
知る権利は、それを幾ら振りかざしても、国民、読者に伝えなければならない情報は出てきません。自動販売機にお金を入れれば缶コーヒーが出てくる、そのようなわけにはいかないのです。法案に国民の知る権利と報道、取材の自由を入れたら、国民にとって重要な情報が出てくるというわけではありません。これまでにも述べたように、取材、報道は、人間対人間の極めて泥臭い仕事であります。情報は人間から取るしかないのです。
私は、こういった泥臭い新聞記者、ジャーナリストの営みが全国各地で行われているからこそ、日本の民主主義と民主主義の文化が成り立っているのだと思います。その意味で、この法案が成立すれば、主権者たる国民が正しい情報を得られず、正しい判断ができない、そして日本の民主主義を根底から脅かすものになると言わざるを得ません。
秘密を取り扱う公務員と報道機関の接触に規範を設けるかどうかという議論についても考えを述べさせていただきたいと思います。
結論から言いますと、このような倫理規程はどのようなものであっても不要だと指摘したいと思います。既に述べたとおり、取材や報道の現場は極めて個別そして具体的であり、人間くさい作業です。規程や規範を念頭に仕事をすることはあり得ません。規範などは取材現場に萎縮効果をもたらすだけだとここで強調させていただきたいと思います。
また、新聞記者の立場として、同じ報道、表現に携わっているフリージャーナリストの皆さんの立場でも一言申し上げたいと思います。
法案では、報道の業務に従事する者の取材行為については保護されるとなっております。報道の業務に従事するというのはどういった人なんでしょうか。誰が線引きをするのでしょうか。これも捜査当局になるわけです。今、日ごろは別の仕事をしながら取材活動を続けている、そういったフリージャーナリストはたくさんいらっしゃいます。新聞やテレビだけでなくインターネットメディアで様々な人が発信を続けているわけです。こういった人たちの中で一体誰が報道の業務に従事している者なのか、そういったことを常に捜査当局が監視するというようなことになるのは極めて不健全な社会になるのではないかなというふうに思わざるを得ません。
健全なジャーナリズムは民主主義社会に不可欠な機能であります。私の尊敬する通信社のある記者は、最近の記事で、ジャーナリズムの本義は権力の監視にあると断言しておられます。そして、権力の不正に関する情報は外部からもたらされることはないんだと、内側にいて間違いを正したい、そういった内部告発者からこそもたらされ、それがジャーナリズムを機能させているんだというふうに指摘されております。
全ての人や組織に矛盾があります。そのように、あらゆる権力も矛盾をはらんで必ず不正や腐敗があると思います。権力の内部にいる公務員の皆さんは時の権力に奉仕するわけではなくて国民に奉仕するわけですから、不正を通報するのは国民の義務としても当然ではないでしょうか。権力の内部で不正を告発する人の存在はジャーナリズムの健全な成長にとって不可欠なことであると思います。そして、それは民主主義社会にとって不可欠なものであると思います。秘密保護法案は、この民主主義社会にとって不可欠な存在を懲役十年の重い罰則で抑え込むことになる。これが日本社会と民主主義の健全な発展につながるとは到底思えないと指摘させていただきたいと思います。
終わりに、国の政府の情報は誰のものかということに言及をさせていただきたいと思います。
政府の情報は、主権者である国民のものであり、政治と政策に対し私たちが適切な意見を述べるためには、全てが公開されることが前提になっていると思います。私たち報道の仕事も主権者の判断に資することが重要な責務の一つだと考えております。もちろん、一定程度の秘密は一定期間は公開できない、そういったものがあることも現実であると思います。しかし、法案では六十年も秘密にできることになっている。六十年後では当事者の多くは生きておりません。それでは検証や、検証効果からより良い政治と政策を実現することも不可能になってしまうのではないかと思います。
さて、自民党の石破幹事長は街頭デモをテロ行為と共通していると指摘されました。撤回をされましたが、事の本質が解決されたとは到底思えません。秘密保護法案ではテロリズムを、政治上その他の主義主張に基づく、国家若しくは他人にこれを強要するといったように定義しております。このとおりなら、新聞の社説やコラム、そしてあらゆるジャーナリストの原稿もテロ扱いされるのではないかという声が新聞記者仲間からも上がっております。まさに、この部分にこの法案の本質が隠れているのではないかと指摘せざるを得ません。
この法案の審議を見る限り、私たち報道関係者の危機感は増すばかりであります。国会では、処罰対象となり得る取材方法について、質問に答える範囲でしか説明をされておりません。当局の恣意的な運用が起きることは確実だとほとんどの記者が考えております。政府・与党は今国会で成立を急いでおられますが、参議院は良識の府であります。衆議院のような強行可決は絶対に許されないと思います。
このような問題が多過ぎる法案については廃案にすべきだと訴えさせていただきまして、終わりたいと思います。
ありがとうございました。