桜井勝延の発言 (原子力問題調査特別委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○桜井参考人 福島県の南相馬市長の桜井勝延でございます。
 衆議院議員の皆さんには、私のような者をこの現場に呼んでいただきましたこと、心から感謝申し上げます。
 私の方からは、原発の立地自治体でないにもかかわらず福島県南相馬市で起こっている現状について、御報告申し上げたいと思います。
 それは、野田政権時代に、二十三年の十二月の十六日に、原発が収束したというお話がありましたが、そのとき、私は、南相馬市で建てられなかった、相馬市の仮設住宅におりました。仮設に避難させられている住民の懇談の中におりました。そのとき言われた言葉が、野田政権は収束したと言っている一方で、我々は棄民なのか、市長はどう考えるんだという言葉でした。
 私は、捨てられたというようなことに対して、発言する何物も持っておりませんでしたけれども、現在もなお、残念ながら、五千六百人を超える南相馬市民が仮設に今住まわされておりますし、南相馬市民、当時、原発事故以前に七万一千五百人いた、その人間があの大震災で、福島県全域の中で一番広い面積、四十一平方キロメートル流出しました。
 皆さん御承知かと思いますけれども、平成二十二年の二月二十八日、チリ地震津波で東日本一帯に警戒警報が発令されました。そのときに、私は就任した直後で、避難指示を出しましたけれども、そのときの津波は四十五センチでした。その一年後に南相馬市を襲った地震は、二十一メーターでした。御承知のとおり、東北電力原町火力発電所一号機、二号機、百万キロずつですけれども、両方とも破壊されました。
 このようなことが自然の中では起こるし、福島第一原発事故もこのようなことを想定していたと当時言われておりました。四十メーターの津波が来ても大丈夫なんだということを、立地したときに言っていたそうです。けれども、残念ながら、そのリスク管理はできていなかった。
 南相馬市民は、津波で六百三十六人が亡くなりました。まだ百十一人が遺体も上がっておりません。その一方で、原発事故によって、七万一千五百人のうち一万人を割り込むまで、あの市から一時的には避難をしました。結果として、残っていたのは、野良犬化した飼い犬とカラスだけでした。
 物が入らなくなる。三十キロ設定しただけで全く物資が入らなくなって、三十キロ線に警察が立っている。どうして我々が、食料を求めるのに、県が支援してくれたおにぎりを五十キロ離れた川俣町までとりに来いと言われなければいけないのか。どのような放射線量があるかわからないさなかに、我々が郡山までガソリンのタンクローリーをとりに行かなければならないのか。続いて、宇都宮までとりに来いと言われて、とりに行っておりました。このようなことが起こるんです、実際に。
 結果として、病院から避難させられた入院患者、特老から避難させられた入所患者そのものは、残念ながら、多く亡くなりました。災害関連死は、今、南相馬市民が被災三県の中で多分一番多いと思います、四百五十七名になりました。原発事故の直接死以上にふえていく可能性が出てきております。
 これも、先ほど申し上げましたように、仮設住宅に住まわされている人たちの気持ちを考えれば、先が見えない、希望がなくなっている現状の中で、自分自身を失ってしまっている。それは、とりもなおさず、原発事故によって家族が全国各地にばらばらにされて、若い世代から高齢者まで、多い家族によっては、九人世帯で六カ所に離れて住んでいる。避難によっては、多い世帯では十回も避難させられている。
 こういう現実の中で、生活の再建は本当にできるのかということになれば、今、さまざまな国の施策のもとで、損害賠償等の手当てもされてきております。残念ながら、それで生活再建全体ができているのかということが一番問題です。
 御承知のとおり、今、二十キロ圏内は直轄地域ですよ。直轄地域でなぜ除染が進まないのか。災害瓦れきの処理がなぜ進まないのか。
 我々としてやるべきことは、直轄地域であっても、市の道路、下水道、上水道、整備しました。でも、残念ながら、医療が復活できません。市単費で医療機関の再開をしました。店舗が再開しておりません。ここにどうして戻れるでしょうか。
 常磐線、線路が復旧されるかどうか、いまだかつてわかりません。安倍総理大臣のもとで、おかげさまで、常磐自動車道が来年のゴールデンウイーク前までに全線開通という、我々にとって喜ばしいニュースが飛び込んでまいりました。けれども、残念ながら、国道六号はまだ自由通過交通できておりません。
 どうして我々の生活を守ることを最優先しないのか。生活が守られなければ、生活再建できません。
 今、私は、東京に出てくるのに、必ず福島まで出て、福島から新幹線で来なければなりません。L特急が走っていた原ノ町から上野まで来られたのが、全く来られない状況です。このようなことがいつまで続くのか。
 我々特別職の者にとっては、まだいいですよ。一般市民がこのようなことを強いられているということは、我々にかけられる言葉は、憲法は我々を見捨てたのか、最低限の文化的な生活を営む権利さえ奪われているというふうに、我々は今でも言われています。
 南相馬市は、最低、頑張っていて、あの二十キロ圏内にかかった地域に今、五千、二十キロ圏外に五万五千人弱、正確に言うと五万二千人住んでおります。一方で、同じ人口を抱えていた双葉郡八町村は、七万六千人のうち、まだ五千人も住んでいないと思います。
 これは、残念ながら、政府がリスク管理できていなかったこと。今も、その結果として、役場ごと避難してしまった結果、住民が求心力を失っているわけです。
 南相馬市は、残念ながら、避難指示が出たにもかかわらず文書も来なかったので、私の独断で、住民は避難させても役所をとどめました。結果として、役所は、住民からすれば大変な非難ごうごうの中で、住民の生活を守ろうとして、役所職員は大変な疲弊をしましたけれども、幸い、今は五万人を超えるまで回復しています。
 その中での最大の問題は、皆さんも御承知かと思いますけれども、若い世代が戻らない。南相馬市からもう既に転出してしまっている四十歳以下の人口は七千六百人おります。これは、飯舘村六千人の全村避難どころではありません。
 今、南相馬市にとって一番大切な復興に向かうときに、働く人がいない。それは、とりもなおさず、原発事故によって、健康不安を抱える母親たち、そして若い親たちが、子供を戻せない。だから、今現場では、皆さんも御承知かと思いますけれども、吉野家の牛丼に象徴されるように、我々のところはすき家がございます、今、時給幾らだと思いますか。夜の時給は千五百円ですよ。それでも人が集まらない。これが実態です。
 ですので、今、東京電力にもお願いしてきましたけれども、二十キロ圏内のセキュリティーを消防団が守れないような状況になっているときに、東京電力にも一緒になってセキュリティー管理をしてほしい、我々は、お金だけを要求するのではなくて、人が当たり前に住む環境と、人が命を守れる環境を保障してほしいんだということを申し上げています。
 国会議員の皆さんはそれぞれの地域の代表ですので、地域の皆さんの命と暮らしを預かっていると思います。それを国全体で考えていると思います。ですから、あえて皆様方にお願いしたいのは、国民の健康、本当に命を守ろうとするのであれば、エネルギーも基本的に大切です。なければなりません。けれども、その前に、命を守るということをしっかりしていかないと、加えて、暮らしを、安全を担保していかないと、住民は見捨てられたというふうな思いになってしまいます。
 ですから、地域で、日本全国で原発を抱えている自治体は苦しんでいます。皆さんも御承知だと思いますけれども、函館市長が私のところに来て、訴訟したいということをお話しされました。私は、訴訟は大変だということを申し上げましたけれども、決断したようです。
 このように、住民を抱える首長は、住民の本当の命の安全性、暮らしの担保というのはどういうふうにするのかということを考えて行動しているわけで、これは自民党だとか共産党だとか公明党だとか政党だけの問題ではなくて、全てその地域に暮らす人が、当たり前に安心して暮らせることを担保してほしいということを望んでいるんだろうと思います。
 私は、今回の福島原発事故を機に、この国が新しいエネルギーに挑戦する、ヨーロッパのように新しいエネルギー革命を起こすんだというところにシフトしていってほしいと思います。その結果が、現場でいろいろなエネルギー、電力に参加する人たちがふえてきますし、農業者も、風評被害で食えない農業者が農地に太陽光パネルを張ったり風力発電を設置したりすることが、どれほど今まで考えていなかったような産業に自分たちが踏み出せるんだという勇気づけと希望を与えるかということをぜひ認識していただいて、この国が本当に変わってほしいし、世界の先導役として皆さんが提示してほしいと心から願っています。
 きょうは本当にありがとうございました。(拍手)

発言情報

speech_id: 118604194X00720140605_006

発言者: 桜井勝延

speaker_id: 13576

日付: 2014-06-05

院: 衆議院

会議名: 原子力問題調査特別委員会