小林良彰の発言 (憲法審査会)
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○参考人(小林良彰君) 慶應大学の小林良彰です。
本日は発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。
私は、ほかの参考人の方々とは異なりまして、政治学を専門にしております。政治学は、現行法令から現実を見るという視点ではなくて、現実のどこに問題があり、その解決のためにどうすればいいのかという視点から研究をしておりますので、本日はそうした立場から意見を述べさせていただきたいと思います。
まず、第一の選挙権年齢の十八歳への引下げ関係につきましては、国民投票の投票権が十八歳になるのだから、国民の権利と義務は同一なので、全てを十八歳に引き下げるべきとは考えておりません。国民の権利や義務といっても、内容によってその求められる能力は異なりますので、それぞれの法律の立法趣旨に即して決められるべきものであります。例えば、民法八百十七条の四の特別養子縁組の養親は二十六歳以上ですし、同じ民法でも九百六十一条によれば、遺言は十五歳以上ができるということになります。
その上で、公職選挙法の選挙権年齢について見ますと、憲法九十六条の国民と十五条一項の国民が主権者として政治に参加する者という点では一致していると考えることができますので、国民投票への投票権が十八歳に引き下げられるのであれば、同じ立法趣旨に基づく選挙権も十八歳に引き下げるのが適当であると考えますし、また、主権者としての平等性、選挙権の平等性から出てくる当然の要請になると考えております。それ以外の民法等における年齢規定においては、各々の立法趣旨に基づいて決めるべきものであると考えます。
恐らくここまでは、これまでも多くの方が議論されていると思いますので、私は更に一歩踏み込んで、投票権引下げに合わせて選挙権を引き下げることが望ましいということを申し上げたいと思います。なぜなら、言うまでもなく、ここは裁判所ではなくて立法府ですので、現実の課題をより良い方向に改善するための方策を御検討いただくことをお願いしたいためであります。
まず、事前に送付させていただいたお手元の資料を御覧いただければと思います。資料の二ページ目を御覧いただきたいと思います。上が参議院選挙、下が衆議院選挙の年代別投票率です。例えば、昨年の参議院選挙では、二十代で投票した者は僅か三分の一しかおりません。三十代で四割、五十代でも半分余りという現状です。しかも、平成十年以降緩やかに下がってきております。衆議院では多少投票率が高いものの、平成十七年郵政解散・総選挙と平成二十一年政権交代の焦点となったその二回を除けば、やはり緩やかに下がってきております。
これは、年代別投票率の違いが加齢効果、つまり年齢が上がれば自然に投票に行くようになるという要因だけではなくて、世代効果、つまり世代によって次第に投票に行かなくなる人が新たに有権者として参入してきているという効果の二つが組み合わさったことによるためであります。
したがって、衆議院選挙で見ると、低い投票率から始まった世代は、その後、年齢を重ねても前の世代の同年齢のときほどは投票率が実は上がってはおりません。つまり、有権者のスタートである若年層の投票率を上げることがその世代の生涯の政治参加に大きな影響をもたらしているということになります。
日本の参議院は、実は各国の上院と比べても最も民主主義的に議員を選出している制度を取っております。例えば、イギリスの貴族院はそもそも選挙しておりませんし、ドイツの連邦参議院は地方政府の代表者で議員が構成されており、フランスの元老院は間接選挙、一般の有権者は選挙権を持っておりません。アメリカの連邦上院は有権者による直接選挙ですが、各州の代表であることから定数不均衡は一対七十ぐらいまで開いております。つまり、日本の参議院議員は世界の上院の中で最も民主主義的な手続で選出をされております。
しかしながら、それにもかかわらず有権者が投票になぜ来ないのか。それをほかの国と比較しながら見たのが三ページ目以降になります。これは、私が慶應大学でセンター長を務めていたときにアジアで行った調査を同様の質問で行ったEU諸国における調査データと比較したものです。
まず、三ページ目の上は有権者が政治について日頃議論するかどうかを見たものですが、日本では半数以上が全くしない。三八%が時々する。頻繁にする有権者というのは実は五%しかおりません。政治参加の中で最も簡単な日頃政治について話すということすらしていないわけです。その下は、その国の民主主義に対する満足感で、十七か国中十五位と低く、オランダやデンマークで八割が満足しているのに比べて五割にとどまっております。
その理由は、四ページの上にありますとおり、有権者に知識がないわけではなくて、むしろ欧米に比べて有権者の政治的知識のレベルは高いと言えます。また、下の図にあるように、政治や行政に対する信頼も相対的には低いとは言えません。しかし、それにもかかわらず参加しない。
そこで、日本の有権者の政治意識で何が特徴的なのかを探しますと、五ページにありますとおり、政治的有効性感覚が低いことです。欧米や韓国に比べても低く、特に国政に対する有効性感覚が低くなっております。
ここで、慶應大学のセンターと横浜市が、今回の論点となっております十八歳を含む高校生に対する調査、これは六千四百名から回答を得た大規模な調査ですが、これに基づく共分散構造分析を行った六ページの結果を御覧いただきますと、横浜市政や政治に対する関心を阻害している最大の要因が、自分自身が政治に働きかけることができるかどうかという内的有効性感覚の欠如にあることが分かります。
十八歳という年齢が重要なのは、多くの十八歳が高校で、学年進行に従いまして政治・経済や公民を通して現代日本の政治や社会の諸課題を学び、それについての関心が芽生える機会を得る時期になります。しかし、そうした機会を得ながら、実際の選挙で投票する機会を得るのは早くても二年先、場合によっては四、五年先になり、自分は何も関与することができないという若者に内的有効性感覚を持てという方が無理ではないかと思います。つまり、十八歳の若者にとっては、待たされている間に関心が薄れていき、それが世代効果を通じてその後の政治関心にも影響しているということになります。
このため、神奈川県では、平成十九年に四校の県立高校で模擬投票を実験的に行った上で、平成二十二年には全ての県立高校、百四十四校で模擬投票を行い、若者の内的有効性感覚を高める努力をしました。そのとき模擬投票を経験した若者に後から調査をすると、政治関心や政治についての議論をする機会が増え、様々な意味で参加意識あるいは憲法に対する関心、そういうものが高まるという効果が見られます。
もちろん、選挙権年齢を十八歳に引き下げても選挙に来ないのではないかという意見もありますが、しかし、有権者は、自分が参加する機会を持つことで、内的有効性感覚のみならず、政党や政治家に対する外的有効性感覚も高くなり、それが民主主義に対する満足感や政治への積極性を育てることにつながるエンパワーメント効果を見ることができます。
七ページを御覧いただきますと、これはEUの有権者三千六百人から得た意識調査の回答を基に、国民投票の頻度が有権者の政治的有効性感覚を通して民主主義への満足感や政治への積極性にどのように影響しているのかを共分散構造分析で見たもので、明らかにエンパワーメント効果を統計的に有意なレベルで見ることができます。
これまで述べてきた分析結果は、国民投票の投票年齢を十八歳にすることに合わせて公職選挙法の選挙権年齢を十八歳に引き下げることで、国民投票や選挙を通じた若年層の政治関心や政治参加意識、ひいては民主主義に対する満足感に良い影響をもたらすことが期待できることを明らかにしております。
ただし、選挙権年齢引下げを若年層の政治意識の向上に生かすためには、現行の政治・経済などにおける諸外国の制度や数字を覚える知識偏重な教育だけではなくて、問題解決型の教育を取り入れていくことが必要になります。なぜならば、あの国はああいう制度、あの国の選挙年齢は何歳、そういう数字だけ、知識だけでは生徒は疑うことができません。知識、事実そのとおりということになります。問題解決型にして、自分の解決策を相互に討論で議論を高めていくことで、例えば常識と思われるようなことも疑い、自分自身の考えで政治、経済、社会を捉えていく目を養うということが何よりも重要であると思います。
なお、日本の有権者の政治意識を見ますと、投票率だけではなくて、お手元に参考人資料というのを、別途私が書いた論文の方を提出させていただいておりますが、選挙区選挙であれ比例代表選挙であれ、選挙に関して有権者が判断する基準に実は政策争点が大きな影響を与えておりません。つまり、各党の政策や、あるいは各候補者の選挙公約というものや、あるいは努力というものよりも、いわゆる風と言われるような全国的トレンドで選挙結果が決まっている割合が大きいことが分かります。これは、選挙を通して政策争点についての有権者の民意を負託するという代議制民主主義の本来の姿とは少し離れているように思います。
さて、第二の公務員の政治的行為に係る法整備関係については、公務員といえども有権者であることから、自由に行い得る部分と、公務員の職務上求められる政治的中立性から制限される部分が当然出てきます。具体的には地位利用ということが問題になりますが、何をもって地位利用とするかについて一番分かりやすい考え方は、その地位にない一般市民としてでき得ることであったかどうかになります。つまり、公務員がその地位を離れて一般市民であったとしてもなし得た行為であったのかどうか。しかし、特定公務員についてはもちろんその限りではなくて、私は国民投票運動の主体となるべきではないと考えております。
なお、公務員でなければ何をしてもいいというわけではなくて、例えば一人の会社のオーナーが取引先とかそういうところに対して明示的に取引増加と引換えに特定の考えを押し付けることは、当然公務員でなくても適切とは言えませんので、この点、組織的な多数人買収とか多数人利益誘導以外の国民投票に関わる買収や利益誘導に対する対応等々について、まだ国会で議論すべきことが残っているのではないかと思います。
最後に、国民投票の対象拡大については、もちろん憲法の前文にありますとおり代議制民主主義ということになっております。先ほど国民投票機会の増加が有権者の有効性感覚を通じて民主主義に対する満足感や政治参加意識につながると申し上げましたが、あくまでも代議制民主主義を損なわない範囲で行われるべきものであると考えます。言い換えますと、直接民主主義は、有権者の政治意識に良い効果をもたらす一方で、時には危うい状況をもたらすこともあります。
例えば、ドイツの独裁者であったヒットラーが首相と大統領の権限を一人が担う総統になったのは、もちろん軍事クーデターによるものではなくて、当時のヒンデンブルク大統領が病死した際に、首相であるヒットラーに大統領の権限を移行させることを国民投票に掛けて、九割の賛成で承認されたことによります。ナポレオンも国民投票で世襲の皇帝になったわけです。
これを受けまして、戦後、イギリスのシュンペーターが議会重視の代議制民主主義を強調して現在に至っています。つまり、国会議員が熟慮することで最悪の事態が生じないようにすべきと考えているわけです。こうした考えに基づけば、国民投票の範囲を仮に拡大することを検討する場合であっても、あくまでも国会が国民投票に諮るべきと判断したことに限定して、拘束力を持たないものに限定して検討すべきであると思います。
なお、私自身、九〇年代半ばにカリフォルニアに長く住んでおりましたが、一九九八年の中間選挙に際して、プロポジション187という不法移民に対する公共サービスを停止する州民投票が行われて六対四で可決され、その結果、マイノリティーは常に自分が合法的居住者であることの証明を求められました。その際、合法的居住者であるマイノリティーの小さなお子さんが事故で公立病院に運ばれて、証明する書類をお子さんですから持っておりませんので、結果的には追い返されて次の病院に行く間に亡くなるというようなことが多々起きまして、事実上のマイノリティー排斥につながったことがあります。
つまり、こうした、投票によらずとも守られるべき人権などございますので、全てのことを国民投票で決めるべきとは考えられないと思います。
時間を過ぎましたので、これ以上のことは質問に答える形で述べさせていただきたいと思います。
ありがとうございました。