赤嶺政賢の発言 (安全保障委員会)
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○赤嶺委員 私も、中谷防衛大臣と一緒にイラクに行き、アフガニスタンに行き、ISAFの本部も訪ね、いわば、イラク戦争やアフガン戦争というものがどういうものであるかということをある程度共有している面はあると思います。
共有しながらも政治的立場が違うことは非常に残念でありますけれども、憲法学者の方が文民統制についてこのように述べているんですよ。憲法学者の佐藤功先生ですが、一九七六年に出した著書の中で述べていることですが、ちょっと読み上げてみたいと思います。
文民統制の思想は、軍隊や戦争が自由や人権や民主主義を脅かす存在であることを認め、その危険を防止しようとするものであるが、しかしそれは軍隊そのものを否定するというところまではいかない。ところがこれに反して、第九条は戦争を放棄するとともに、軍隊そのものを保持しないとした。したがって、それは文民統制の目標、つまり軍隊あるいは戦争によって人権や民主主義が否定されることを防止しようというその目標をさらに徹底した、あるいはそれを極限にまで貫いたものだといってもよいわけである。したがって、日本国憲法には文民統制に関する規定はない。それは第九条がある以上、当然のことといえるのであり、軍隊を保持しない以上、軍隊に対する統制は本来不必要なのである。
ところがそれなのに今日、文民統制が論議され、また、文民統制が侵されたとか、文民統制を強化する必要があるなどといわれているのはなぜであろうか。いうまでもなく、それは自衛隊の存在に基づくわけである。つまり第九条のもとで否定されたはずの軍隊の実質を備えているところの自衛隊が存在する。そこに第九条のもとでは本来不必要となったはずの文民統制がなお必要とされることになったのである。
こう述べております。
過去の侵略戦争に対する反省を踏まえ、二度と戦争はしないことを世界に誓って戦後の日本は出発をいたしました。国の最高法規である憲法に戦争放棄、戦力不保持と交戦権否定を明記することで文民統制は徹底したのであります。
ところが、アメリカは、米ソの対決構造が強まるもとで、戦後初期の対日方針を転換し、日本再軍備へかじを切りました。朝鮮戦争の勃発を契機として、マッカーサーの指令による警察予備隊の創設という形で、コワルスキーが言うところの時代の大うそが始まったのであります。
歴代政府は、自衛隊の違憲性を言い繕うために、自衛のための必要最小限度の実力組織は憲法に違反しないと弁明し、文官が自衛隊をコントロールすることを文民統制の一つの要素として説明せざるを得ませんでした。
ところが、九〇年代以降、アメリカの新たな対日要求につき従って、現行憲法が全く想定していなかった自衛隊の海外派遣に道を開き、今度は、その海外での軍事作戦の迅速かつ効果的な遂行に邪魔になった文民統制さえも廃止しようというのであります。軍事合理性を貫き、米軍と一体の効率的な軍事組織につくりかえようとするものにほかなりません。
今回の設置法の改正、文官統制ありやなしやと言う前に、そういう歴史的経過を踏まえたときに、憲法九条が一番の文民統制であったわけです。現行憲法のもとでこのような今回のような法改正は許されないと私は思いますが、それが許される余地がどこにあるんですか、大臣。