2015-09-15
参議院
白石隆
我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会公聴会
白石隆の発言 (我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会公聴会)
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○公述人(白石隆君) 白石でございます。
実は、私、八月の上旬、国際政治、国際法の研究者を中心としまして、安全保障法制を考える有志の会、私が世話人ということで、全会派に要望書を提出しております。これは、ちょうど衆議院で議論が終わった直後のタイミングでございますけれども、そのときに我々が申し上げたことは、安全保障法制について参院で議論されるときには、憲法の問題に加えて、是非以下のような問題について議論していただきたいということで、六点問題を提起しております。
それは、第一に、抑止力というのをどう考えるのか。二番目に、日米安全保障体制における日本とアメリカの役割分担をどう考えるのか。日米同盟を維持発展させるためには何をすればよいのか。オーストラリア、韓国等、アジア太平洋の国々とどのような安全保障協力を進めていけばよいのか。第三番目に、台頭する中国に対してどう対応するのか。いかに中国に関与し、いかにそのリスクをヘッジすればいいのか。第四番目に、使える核兵器を持ちつつある北朝鮮の脅威にどう対処すればよいのか。第五番目に、日本のエネルギー供給を支える中東湾岸からインド洋、マラッカ海峡、南シナ海、東シナ海を経由して日本に至るシーレーンの安全保障を確保するためには何をすればいいのか。最後に、アジアそして世界の平和と安全のために我々は何をすればいいのか。
正直申しまして、安全保障法制を考える有志の会に参加された人たちの中にも安全保障法制についてはいろんな考え方があるということは、これはよく承知した上で、私は皆さんと協議の上、こういう要望書を提出いたしました。それは、ひとえに、この安全保障法制の問題というものを憲法論、法律論だけで議論されると、肝腎の安全保障そのものの議論がお留守になるのではないかと、そういう懸念からでございます。
私自身はこの法制に賛成でございますが、今申し上げましたように、安全保障法制を考える有志の会の皆さんにはいろんな考え方があることを承知しておりますので、私としましては、私個人として、今日は、今申し上げたような要望書に記しております論点について、画一ではない、一つ一つではありませんけれども、全体として私がどういうふうに考えているかということを申し上げたいと思います。
まず最初に、ごく基本的なことから始めさせていただきたいと思います。それは、安全保障とは何かということでございます。
安全保障の定義においては、誰があるいは何が、誰のあるいは何の安全を、誰からあるいは何から守るのかと、誰が誰の安全を誰から守るのか、この三つの要素がございますが、過去七十年を、第二次大戦以降を見ますと、このそれぞれについて範囲は次第に拡大しております。
ただ、今日の議論に関わることで申しますと、国が、あるいは国家が、その国の国民と国家の安全を様々の脅威から守ることというのが、これが恐らく一番単純な安全保障の定義だと思います。あるいは、憲法の文言を使えば、日本国民の国家であります日本国が、国民の平和のうちに生存する権利、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守る、また、そのための前提として様々の脅威から国家の独立を守る、これが安全保障ということの一番根本にある意味だろうと思います。
その手段には、当然のことながら、外交から国際協力、治安活動、海上警備活動、防衛活動まで様々でございますが、そこで一つ非常に重要な考え方としては、外交によって日本にとり望ましい国際関係をつくり維持する、これ当然のことで、これがある意味では一番重要ですが、同時に、もう一つ抑止力という考え方があります。
そこで、抑止力というのは、これもまた少し定義めいたことを申しますと、ある国あるいはある集団がある行動を取ろうと考えたときに、そういう行動を取っても所期の目的が達成できない、あるいは、目的は達成できるかもしれないけれども、人的、物的コストが非常に高くて結局思いとどまる、そういう力を持っているときに抑止力があるというふうに一般的に言えるだろうと思います。ということは、別の言い方をしますと、抑止力というのは能力でございますが、同時に、期待に働きかけるものであるということでございます。
防衛というのは、この抑止力のための手段でございます。日本では、サンフランシスコ条約に署名し日米安全保障条約を締結して独立を回復して以来今日まで、日本国民と日本国の安全を守るために、自助と共助、この二つの手段によってこの抑止力ということを確保してきたというふうに言えると思います。
そこで、自助というのは、外からの攻撃や脅迫を排除するために適切な自衛力を保持し行使できるようにしていくことということでございまして、そういう能力を持つためには、現在議論されておりますように、括弧付き、いわゆるグレーゾーン、つまり、治安行動、海上警備行動から防衛行動に至るあらゆる事態に切れ目なく対処できる法制度の整備が必要だということになります。
共助ということで、もちろん第一義的に重要なのは、これは日米の安全保障・防衛協力でございます。
ただ、ここで一つ是非申し上げておかなければいけないことは、自助と共助というのは、これは連動しておりまして、日本の自衛の能力が高まれば、日本に対する期待も高まり、防衛協力の実効性も高まります。その意味で、日米安保条約あるいは日米安全保障・防衛協力の基礎には、能力と期待と信頼があると。この三点セットがないと、実は日米同盟というものは決して安心できるものにはならないんだということでございます。
また、それ以外の共助の仕組みとしましては、これは、多くの場合、第二次大戦以降、アメリカを中心としてバイの安全保障条約、基地協定の束として、言わば扇のような形で、このアジア太平洋にはいわゆるハブとスポークスの地域的な安全保障のシステムがございますが、これを前提として、ASEAN地域フォーラムだとか、あるいはASEANプラスの防衛大臣会合だとか、東アジア首脳会議といった信頼醸成、予防外交の仕組みが徐々につくられておりますし、それから、最近では、太平洋からインド洋に至る非常に広大な地域における安全保障協力の進展によってハブとスポークスの地域的な安全保障システムは次第にネットワーク化し、これが共助の仕組みとしてもますますこれからは重要になるというふうに考えております。
では、どうして今こういう安全保障法制というものを整備する時期に来ているんだろうかと。私は、大きく三つの安全保障環境の変化ということが指摘できると思います。
一つは、これは力のバランスの変化ということでございます。
例えば、G7というものがございまして、二十世紀にはG7というのは極めて重要な役割を果たしましたけれども、G7の世界経済に占めるシェア一つ見ましても、一九九〇年から二〇〇〇年に大体世界経済の六五ないし六六%を占めておりましたが、二〇二〇年には四五%を切るところまで下がってくると。同時に、アジアだけを見ますと、例えば二〇〇〇年、十五年前には、日本の経済の規模というのは中国、韓国、ASEAN十か国全部合わせた経済の二倍ございましたが、もう二〇一八年くらいになりますと、中国の経済は日本、韓国、ASEAN十か国全部合わせた経済よりも大きくなります。そのくらい急速にパワーバランスというのは変わっております。
ただし、日本とアメリカの経済を合わせれば、これは二〇二〇年代を通じてこのパワーバランスというのは崩れることはございませんし、これにオーストラリア、インド等との協力をもっと強化して、ハブとスポークスの地域的な安全保障システムのネットワークを進めればこの安定というのはますます確保できることになる、これが第一点でございます。
二つ目は、安全保障空間の拡大と軍事技術の革命でございます。
かつて憲法が制定されました頃には、安全保障空間というのは、これは陸と海と空、この三つの空間から成っておりましたが、現在は陸、海、空、宇宙、サイバーというふうに安全保障空間が拡大しておりまして、また、現在のサイバー化あるいは情報化と無人化の趨勢、これはロボットの趨勢、あるいは防衛においてネットワークを中心とした統合的なシステムということがますます重要になっているということが、これが一番重要なことでございます。
ここで重要なことは、日本の防衛システムにおきましては、このネットワークを中心とした統合的なシステムというのは日本だけでは完結していないということでございまして、これは、これから日米の安全保障協力、防衛協力がますます進展し、特に相互運用性が向上しますと、このネットワークを中心とする統合的なシステムが日本で完結することはほぼあり得ないというふうに考えた方がいいと思います。つまり、別の言い方をしますと、このネットワーク中心のシステムというのは、これは日本はアメリカと共用しているわけでございまして、このネットワーク中心のシステムを守る上では実は個別的自衛権と集団的自衛権ということを区別すること自体に意味がございません。
こういうことを考えるためには、一つだけ例を挙げますが、このネットワーク中心の統合システムというのは例えば宇宙における衛星に非常に多くを依存しておりますが、この衛星が破壊されただけでこれは日本の防衛にとって非常に大きな脅威になります。こういうことを一つ考えただけでも、法律上、個別的と集団的というのを形式的にきれいに区別することはできるかもしれませんが、現実の問題としてはこういう区別はほとんどもう意味を成さなくなっているということが、これが二つ目に申し上げたいことでございます。
それから三番目に、安全保障の領域そのものが、いわゆる伝統的な安全保障から非伝統的な安全保障、これは海賊であるとか人身売買だとか麻薬だとかサイバーだとかこういうもの、それから、さらには人間の安全保障ということで伝染病だとか災害だとか、こういうふうに非常に拡大しておりますが、そういう中で我々がこの十五年確実に学んだことというのは、失敗国家だとか破綻国家というものは世界のどこか遠いところにあって、日本の安全保障とは関係のないことなんだというふうには言えなくなってきていると。
その意味で、失敗国家、破綻国家における平和構築、復興支援、こういうものは単に、あるいは世界の平和と安定にとってだけではなくて実は日本の安全にとっても極めて重要な問題であって、これについて日本として、これはよそ様のことでうちには関係ないから知りませんということを言うことはもうできない時代になっているというのが、これが三番目でございます。
繰り返します。
日本の安全というのは、これは世界の安全と平和があって初めて守ることができます。そのためには、外交、国際協力から海上警備活動、防衛活動まで様々の手段がありますし、態様がございます。その中で防衛というのは非常に重要な一つの手段でございまして、日本は第二次大戦後、独立を回復して以来、これを自助と共助の組合せでやってきました。その基本にありますのは抑止という考え方でございまして、自助と共助によって戦争をしないようにする、日本の存立を脅かされないように、そういう期待をつくり上げていくということが実は極めて重要なことであります。
ただ同時に、今もう既に申し上げましたように、安全保障環境というのは極めて急速に変わっておりまして、これについてやはり具体的な議論をし、その上で対応をし、法制度を整備しないと、なかなか日本として対応できないところにもう来ているのではないだろうかというふうに私は考えております。憲法の問題は、私は、率直に申しまして最高裁の判断に仰げばよろしい問題でございまして、是非先生方には、今、日本の安全保障を確保するためにいかなる法制度をつくることが有効であるのかということを是非考えて議論していただきたいと思います。
どうもありがとうございました。