我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会公聴会

2015-09-15 参議院 全181発言

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会議録情報#0
平成二十七年九月十五日(火曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 九月十四日
    辞任         補欠選任
     猪口 邦子君     宮本 周司君
     大沼みずほ君     高野光二郎君
     森 まさこ君     堂故  茂君
     片山虎之助君     川田 龍平君
     山下 芳生君     仁比 聡平君
     福島みずほ君     又市 征治君
     山本 太郎君     主濱  了君
 九月十五日
    辞任         補欠選任
     那谷屋正義君     神本美恵子君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         鴻池 祥肇君
    理 事
                石井 準一君
                佐藤 正久君
                塚田 一郎君
                馬場 成志君
                堀井  巌君
                北澤 俊美君
                福山 哲郎君
                荒木 清寛君
                清水 貴之君
    委 員
                愛知 治郎君
                石田 昌宏君
                北村 経夫君
                上月 良祐君
                高野光二郎君
                高橋 克法君
                堂故  茂君
                豊田 俊郎君
                三木  亨君
                三宅 伸吾君
                宮本 周司君
                山下 雄平君
                山本 一太君
                山本 順三君
                小川 勝也君
                小川 敏夫君
                大塚 耕平君
                大野 元裕君
                小西 洋之君
                那谷屋正義君
                白  眞勲君
                広田  一君
                蓮   舫君
                谷合 正明君
                平木 大作君
                矢倉 克夫君
                川田 龍平君
                井上 哲士君
                仁比 聡平君
                山田 太郎君
                和田 政宗君
                水野 賢一君
                又市 征治君
                主濱  了君
                荒井 広幸君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        藤田 昌三君
       常任委員会専門
       員        宇佐美正行君
   公述人
       大阪大学大学院
       法学研究科教授  坂元 一哉君
       弁護士・元最高
       裁判所判事    濱田 邦夫君
       政策研究大学院
       大学長      白石  隆君
       慶應義塾大学名
       誉教授・弁護士  小林  節君
       名古屋大学名誉
       教授       松井 芳郎君
       明治学院大学学
       生・SEALD
       s        奥田 愛基君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資
 するための自衛隊法等の一部を改正する法律案
 (内閣提出、衆議院送付)
○国際平和共同対処事態に際して我が国が実施す
 る諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関
 する法律案(内閣提出、衆議院送付)
○武力攻撃危機事態に対処するための自衛隊法等
 の一部を改正する法律案(小野次郎君発議)
○在外邦人の警護等を実施するための自衛隊法の
 一部を改正する法律案(小野次郎君外一名発議
 )
○合衆国軍隊に対する物品又は役務の提供の拡充
 等のための自衛隊法の一部を改正する法律案(
 小野次郎君外一名発議)
○国外犯の処罰規定を整備するための自衛隊法の
 一部を改正する法律案(小野次郎君外一名発議
 )
○国際平和共同対処事態に際して我が国が実施す
 る人道復興支援活動等に関する法律案(小野次
 郎君外一名発議)
○国際連合平和維持活動等に対する協力に関する
 法律の一部を改正する法律案(小野次郎君発議
 )
○周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保
 するための措置に関する法律及び周辺事態に際
 して実施する船舶検査活動に関する法律の一部
 を改正する法律案(小野次郎君発議)
    ─────────────
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鴻池祥肇#1
○委員長(鴻池祥肇君) ただいまから我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会公聴会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨十四日、猪口邦子君、大沼みずほ君、森まさこ君、山下芳生君、山本太郎君、福島みずほ君及び片山虎之助君が委員を辞任され、その補欠として、宮本周司君、高野光二郎君、堂故茂君、仁比聡平君、主濱了君、又市征治君及び川田龍平君が選任されました。
    ─────────────
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鴻池祥肇#2
○委員長(鴻池祥肇君) 本日は、我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案、国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律案、武力攻撃危機事態に対処するための自衛隊法等の一部を改正する法律案、在外邦人の警護等を実施するための自衛隊法の一部を改正する法律案、合衆国軍隊に対する物品又は役務の提供の拡充等のための自衛隊法の一部を改正する法律案、国外犯の処罰規定を整備するための自衛隊法の一部を改正する法律案、国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する人道復興支援活動等に関する法律案、国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律の一部を改正する法律案及び周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律及び周辺事態に際して実施する船舶検査活動に関する法律の一部を改正する法律案、以上九案につきまして、六名の公述人の方々から御意見を伺います。
 御出席をいただいております公述人は、大阪大学大学院法学研究科教授坂元一哉君、弁護士・元最高裁判所判事濱田邦夫君、政策研究大学院大学長白石隆君、慶應義塾大学名誉教授・弁護士小林節君、名古屋大学名誉教授松井芳郎君及び明治学院大学学生・SEALDs奥田愛基君でございます。
 この際、公述人の方々に委員会を代表しまして一言御挨拶を申し上げたいと存じます。
 本日は、御多忙のところ御出席をいただき、誠にありがとうございます。
 皆様方から忌憚のない御意見を拝聴しまして、今後の審査の参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いを申し上げます。ありがとうございます。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、公述人の方々からお一人十五分以内で順次御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 また、御発言の際は、挙手をしていただき、その都度委員長の許可を得ることとなっておりますので、御承知おきください。
 なお、公述人の御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず坂元公述人にお願いいたします。坂元公述人。
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坂元一哉#3
○公述人(坂元一哉君) 大阪大学の坂元でございます。
 政府が平和安全法制と名付けました安全保障関連法案について、法案成立に賛成する立場から意見を述べさせていただきます。
 およそ国家国民の平和と安全を守ることは政府の最も重要な義務であります。また、我が国国民も、他の国、他の国民と同様に、ますます相互依存を深める世界の中に生きており、したがって、政府は、国際社会全体の平和と安全への貢献も考慮に入れてその政府の最も重要な責務を果たさなければなりません。
 この観点から見たときに、今回政府が提出した安全保障関連法案は、我が国自身の安全のための抑止力を格段に強化し、我が国の平和もその一部であります世界平和により良く貢献する能力を増やす、よく考えられた法案だと私は評価し、その成立を願っております。
 法案が成立すれば、我が国はこれまでより更にしっかりした平和と安全保障の体制を持つことができるでしょう。我が国を取り巻く国際環境が一段と厳しさを増す中で、それはどうしても必要かつ望ましいことだと考えます。
 ただ、私がこの安全保障関連法案を評価いたしますのは、国家国民を守るという観点からだけではなく、憲法を守るという観点からでもあります。しっかりした平和安全保障の体制がなければ国家国民を守ることはできません。そして、もし国家国民を守ることができなければ憲法も守ることはできないでしょう。
 ただ、それと同時に大事なことは、憲法を守ることなくしっかりした平和安全保障の体制をつくることはできないということ、この明白なことが今度の法案を評価する際の大前提になるのは改めて言うまでもないことだろうと思います。
 私がこの安全保障関連法案を日本にとって必要だと考え、望ましいと思い、その成立を願うのも、この二つの観点から評価した上でのことであります。
 その私の評価について少し説明させていただきますが、時間の関係もありますので、後者の観点からの評価を中心にすることにしたいと思います。
 前者につきましては、以下四点。
 まず、この安全保障関連法案が、集団的自衛権の限定行使、アセットプロテクション、装備品の防護、あるいは後方支援の拡充などにより日米同盟協力を格段に強化し、同盟の抑止力を飛躍的に高める法案であること。次に、今、日米同盟の抑止力を高める必要があるのは、安全保障環境が一段と厳しくなる中で、それが国家と国民の安全をより良く守るために必要かつ適切な手段であること。三つ目に、安全保障環境について言えば、北朝鮮の核開発の脅威は相変わらずですが、それにも増して中国の急速な軍事力増強が脅威になっており、尖閣諸島の問題もありますので、言ってしまえば、海を隔てた核保有の隣国が海空軍力を急速に増強して、その島は俺の島だから返せというような容易ならざる状況になっていること。そして最後に、日米同盟の抑止力の強化は、その中国との偶発的な軍事衝突の可能性を大きく減らすだけでなく、我々が中国の軍事力に脅かされることなく中国と互恵対等の関係を築くのに役立つこと。この四点を指摘するにとどめたいと思います。
 その上で、憲法を守るという観点からの評価ですが、最も注目されている論点は、やはりたとえ限定的であっても集団的自衛権の行使を容認する法律は憲法違反ではないかという点だろうと思います。御承知のように、この点につきましては多くの憲法学者が憲法違反だと批判しているわけであります。
 集団的自衛権の限定行使容認は、政府が与党とともに長い時間を掛けて慎重に検討した関連法案のまさに柱となるところであります。したがって、政府にとって批判は残念なことでしょうが、専門家がそう批判する以上、政府は、政府の考える集団的自衛権の行使がなぜ憲法違反でないのか、より一層丁寧かつ分かりやすく説明する必要があります。
 言うまでもなく、ある法律が憲法違反に当たるかどうかを最終的に判断するのは最高裁判所の仕事です。その意味で、今政府が、政府が言う意味での集団的自衛権の限定行使を容認する法案が憲法違反に当たらないとするのは、学者の批判が正しいか正しくないかは別にして、この法案が国会の審議を経て現実に法律になり、その法律に関連して訴訟が起こったとしても、最高裁判所が憲法違反の判決を下すことはない、そう判断しているということだろうと思います。
 政府がそう判断する根拠は何かといえば、一九五九年、最高裁の砂川事件差戻し判決。安保条約に基づく米軍駐留が合憲かどうかを争ったこの裁判の判決の中で、最高裁は、憲法の平和主義が決して無防備、無抵抗を定めたものではないと述べ、その上で、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のこととしております。
 また、この判決は、例えば安保条約が違憲かどうかというような、主権国としての我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有する問題は、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り、裁判所の司法審査権の範囲外との判断も示しています。
 この砂川判決を前提にすれば、最高裁判所が将来、政府が言う意味での集団的自衛権の限定行使について違憲判決を出すようなことはない、政府がそう判断したといたしましても、私にはごく当然の判断であるように思えます。
 といいますのも、政府が今度の安全保障関連法案と新しい武力行使三要件で可能になるとする武力行使、国際法でいえば集団的自衛権の行使に当たる武力行使は、あくまで砂川判決に言う国の存立を全うするための自衛のための措置としての武力行使、それも必要最小限の武力行使だからであります。
 政府はこれまで、憲法上、自衛のための措置として必要最小限の武力行使ができるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限るとしてきました。それを、新しい憲法解釈では、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生した場合であっても、それによって我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるならば、そしてほかに手段がないならば、自衛のための措置としての必要最小限の武力行使ができるとしているわけであります。
 確かに、この自衛のための措置は、他国の防衛、つまり他衛を含みます。ですが、自衛が同時に他衛にもなるからといって、それを最高裁が一見極めて明白に違憲無効と認めるとは考えにくいのではないでしょうか。憲法の前文には、日本国民だけでなく、全世界の国民がひとしく平和的生存権を持つこと、また、我が国が自国のことのみに専念し他国を無視してはならないこと、平和の維持などに努力している国際社会で名誉ある地位を占めたいと思っていることをうたっているのですから、なおさらだと思います。
 実は私は、この前文によって、自衛だけではなく、それと直接関係のない他衛のための武力行使も、それが国際法上合法で、かつ必要最小限のものに限れば、場合によっては憲法上可能になるのではないか、少なくとも一見極めて明白に違憲無効にはならない武力行使もあるのではないかと考えておりました。
 しかし、政府はそうした考え方を取らず、自衛とは関係がない他衛、他国や他国民の平和と安全に関しましては、武力行使以外の手段で対応する、武力行使はしないとしています。私の考えと比較していえば、最高裁が違憲判決を出す可能性ははるかに小さいでしょうし、国際社会と国連の現状をよく考えてみますと、憲法の平和主義を守るにはよりふさわしい解釈かもしれないと今は考えております。
 無論、この安全保障関連法案が成立したとして、万一、最高裁がその成立した法律を違憲だと認める、その可能性は低いと思いますが、もしそういうことになれば、その法律は改正しなければなりません。そういう前提で法案を審議するのが立憲主義のルールだろうと考えます。
 最高裁の砂川判決に関しましては、この判決で言う自衛のための措置とは個別的自衛権のことであって、集団的自衛権は含まれないと議論する人がおられます。私は、これは国際法上の集団的自衛権の意味を誤解した議論だろうと思います。なぜなら、砂川判決に言うところの自衛のための措置とは、もちろん自国を守るための措置のことですが、個別的自衛権も集団的自衛権も、どちらも自国を守るための措置として国家に認められた国際法上の権利だからであります。
 この点、政府が一九七二年に示した憲法解釈の中に、集団的自衛権の性格を、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする」としている部分がございます。私は、この部分は国際法上の集団的自衛権の説明としては舌足らずの説明であって、その舌足らずのところがその後の集団的自衛権に関する議論を混乱させてきたのではないかと考えます。
 確かに、集団的自衛権は他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容としています。していますが、その目的は、あくまで自国の防衛であります。そこを明確にしてほしかったと思うのであります。
 国際法上の集団的自衛権は自国防衛のための権利であって、他国防衛のためのそれではありません。もし他国防衛のための権利だとすれば、なぜ自衛権という名前が付いているのか、説明が要ると思います。
 また、例えば米国は、日米安全保障条約上、集団的自衛権に基づいて日本を守る、日本に対する武力攻撃に共同対処することになっていますが、それは、条約第五条に明記してあるとおり、日本への武力攻撃が米国の平和及び安全を危うくするからであります。日本を守る権利があるから守るというのではなく、自衛の権利があるから守るのであります。米国にとって、日本防衛はまさに自衛のための措置なのであります。
 集団的自衛権という言葉は、個別的自衛権という言葉と同じく、七十年前、一九四五年にできた国連憲章の中で初めて使われた言葉です。しかし、その考え方自体は、これも個別的自衛権と同じく、それ以前から存在しておりました。時間の関係で詳しくは申しませんが、例えばイギリスは、一九二八年、国際紛争解決の手段としての戦争を禁じた不戦条約を結ぶ際に、自衛権に関して留保を付け、世界にはイギリスの平和と安全に特別で死活的な利害関係のある地域があるが、それらの地域を攻撃から守ることはイギリスにとって一つの自衛措置だと明確に述べております。
 国連憲章第五十一条が集団的自衛権も個別的自衛権も、どちらも国家固有の自衛権だという書きぶりになっておりますのも、この権利が国連憲章ができる前から存在する自衛のための権利だと認めているからではないでしょうか。
 いや、その理屈は分からないではないけれども、たとえ固有の自衛権だとしても、集団的自衛権は海外派兵への扉を開くのではないか、あるいはそういう心配が国民の間にあるかもしれません。
 実際のところ、集団的自衛権はいかなるものでも行使できないという政府の従来の説明が国民に支持されたことの大きな理由には、戦前の経験と反省から、海外派兵は絶対にしたくないという国民の強い気持ちがあったのは確かだろうと私は考えます。政府は、その気持ちが個別的自衛権の行使の問題にまで影響しては困るので、集団的自衛権は一切行使できないとするようになったのかもしれません。
 しかし、政府は今回、たとえ集団的自衛権の行使を限定的に認めるとしても、海外派兵、すなわち自衛隊を武力行使の目的で他国の領土、領海、領空に送ることは憲法で一般に禁じられているとするこれまでの解釈は変わらないとしております。そして、この点に関連して安倍総理は、先月二十四日、この参議院での答弁におきまして、例えば朝鮮半島で有事が起こっても、日本が北朝鮮や韓国の領域内で集団的自衛権を行使して戦闘に参加することは憲法上できないと明言されているわけであります。
 一般に、海外派兵は、自衛のための必要最小限度を超えるという従来の政府憲法解釈を踏襲したわけですが、これは政府と国会の関係にとって重要なことかと思います。と申しますのも、この解釈は、一九五四年、これは朝鮮戦争休戦の翌年になりますけれども、一九五四年に自衛隊が創設された際、この参議院が全会一致で行った自衛隊の海外出動を禁じる決議を踏まえたものだからであります。
 海外派兵に関する従来の政府解釈を変更しないというのは、この解釈が国権の最高機関である国会の意思を反映したものであり、政府の考えだけでは変えられないものであることを示していると考えてよいのではないでしょうか。だから、今回、集団的自衛権の行使を容認しても、一般的な海外派兵への扉は固く閉ざされていると、そう申し上げたところで時間が参りました。
 私の陳述はこれで終わらせていただきます。
 御清聴ありがとうございました。
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鴻池祥肇#4
○委員長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
 次に、濱田公述人にお願いをいたします。濱田公述人。
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濱田邦夫#5
○公述人(濱田邦夫君) 弁護士で元最高裁判所裁判官の濱田邦夫でございます。
 私は、今、坂元公述人が言われた立場と反対の立場を取るものです。その理由についてこれから申し上げます。
 まず、私の生い立ちというか、ちょっと御紹介したいんですが、七十年前、私は九歳の少年でした。静岡市におりまして、戦災、戦争の惨禍というか、その状況をある程度経験しておりますし、それと駐留軍が、占領軍が、米軍が進駐をしてきて、その米軍の振る舞いというか、それも見ております。また、いわゆる戦後民主主義教育の言わば第一陣の世代ということでございます。
 その後、日本は戦争をしないということで経済的に非常に成長を遂げ、その間、私自身は弁護士として、主として海外のビジネスに携わって国際経験というものを積んでおります。最高裁では、私のような経歴の者が最高裁に入るのはちょっと異例ではございましたけれども、それなりにいろいろ貴重な経験をさせていただきました。
 今回、こちらの公聴会で意見を述べさせていただくバックグラウンドというものを一応紹介させていただきました。
 安倍総理大臣がこの特別委員会で申されていることは、我が国を取り巻く安全保障環境が著しく変わっていると、そのために日米の緊密な協力が不可欠だということをおっしゃっています。そのこと自体についてはいろいろ考え方があり得るので、戦後、昭和四十七年に政府見解というのが出ておりますけれども、その当時は日中国交回復、沖縄返還に続いて日中国交が回復したというような状況で、冷戦体制というものがありましたので、その状況と比較してもう全然違うという認識がよろしいのかどうか疑問があるところだと思います。
 それから、その次に安倍総理がおっしゃっていることは、今の子供たちや未来の子供たちへと戦争のない平和な社会を築いていくことは政府の最も重要な責務だと、平和安全法制は憲法第九条の範囲内で国民の命と平和な暮らしを守り抜くために不可欠な法制であるとおっしゃっているのですが、趣旨は全く賛成でございます。
 私も四人孫がおりまして、今日ここにいるというのも、この四人の孫のみならず、その世代に自由で平和な豊かな社会を残したいという思いからでございますが、憲法九条の範囲内ではないんじゃないかというのが私の意見でございます。
 その根拠としては、一つ挙げられることは、我が国の最高裁判所というところは、成立した法律について違憲であるという判断をした事例が非常に少ないと。ドイツとかアメリカは割合頻繁に裁判所が憲法判断をしておるわけですけれども、日本はしていないということを海外に行きますとよく聞かれます。その理由は、日本の最高裁判所は、アメリカの最高裁判所と同じように具体的な事例に基づいての憲法判断ということで、抽象的に法令の合憲性を判断する、いわゆる憲法裁判所とは違うということにあります。
 なぜ日本では裁判所に、司法部に憲法判断が持ち込まれないかというと、これは、今はなきというとちょっと大げさですけれども、内閣法制局というところが六十年にわたって非常に綿密に政府提案の合憲性を審査してきたと。この歴史があったがゆえに、裁判所の方はそういう判断をしないでも済んだということがございます。
 今回の法制については、聞くところによると、この伝統ある内閣法制局の合憲性のチェックというものがほとんどなされていないというふうに伺っておりますが、これは、将来、司法判断にいろいろな法案が任されるというような事態にもなるのではないかという感じがします。
 それと、今の坂元公述人のお話を聞いていますと、大丈夫だ、これで最高裁は違憲の判断をするわけないとおっしゃっていますが、私がここに出てきた一つの理由は元最高裁判所裁判官ということですけれども、これは、裁判官、私も五年間やりましたが、そのルールというか規範として、やはり現役の裁判所裁判官たちに影響を及ぼすようなことは、OBとしてはやるべきではないということでございます。
 私がこの問題について公に発言するようになったのはごく最近でございます。それは、非常に危機感がございまして、そういう裁判官を経験した者の自律性ということだけでは済まない、つまり日本の民主社会の基盤が崩れていくと、言論の自由とか報道の自由、いろいろな意味で、それから学問の自由、これは、大学人がこれだけ立ち上がって反対をしているということは、日本の知的活動についての重大な脅威だというふうにお考えになっているということがございます。
 それで、本来は憲法九条の改正手続を経るべきものを内閣の閣議決定で急に変えるということは、法解釈の安定性という意味において非常に問題がある。つまり、対外的に見ても、なぜ日本の憲法解釈が安定してきたかということは、今言ったように、司法判断がありますが、それを非常にサポートするというか、内閣の法制局の活動というものがあったわけですけれども、これが一内閣の判断で変えられるということであれば、失礼ながら、この内閣が替わればまた元に戻せるよということにもなるわけです。その点は、結局は国民の審判ということになると思います。
 法理論の問題としては砂川判決とそれから昭和四十七年の政府見解というのがございますが、砂川判決については、御承知のように、元最高裁判所長官の山口繁さんが非常に明快に述べておりまして、それと、私自身もアメリカ・ハーバード・ロースクールで勉強した身として、英米法の論理のレイシオ・デシデンダイという、つまり拘束力ある判決の理由と、それからオビタ・ディクタムという、つまり傍論、そういうことは、日本に直接は適用がなくても、基本的には日本の最高裁判所の判決についても適用されると思っておりまして、砂川判決の具体的事案としては、駐留軍、米国の軍隊の存在が憲法に違反するかということが中心的な事案でございまして、その理由として、自衛権というものはあるという抽象的な判断、それから統治権理論ということで、軽々に司法部が立法府の判断を覆すということは許されないということが述べられておりますけれども、個別的であろうが集団的であろうが、そういう自衛隊そのもの、元は警察予備隊と言っていた、そういう存在について争われた事案ではないという意味において、これを理由とするということは非常に問題があるということでございます。
 それから、昭和四十七年の政府見解につきましては、お手元に、重複になるとは思いましたけれども、お配りした資料というのがございますが、それを見ますと、カラーコピーで赤い判こが出ていますけれども、この関与した吉國長官とか真田次長、総務主幹、それから参事官、そういった方々が国会でも証言しているように、このときには、海外派兵というか、そういった集団的自衛権というものそのものは政府としては認められないと。それと、内閣法制局なりその長官の意見というのはあくまで内閣を助けるための判断でございまして、そのアドバイスに基づいて歴代の内閣が、総理大臣が決定した解釈でございます。
 それで、今回私も初めて目にした資料が、そのとき防衛庁というところが「自衛行動の範囲について」という見解をまとめて、それを法制局の意見を求めたということでございまして、手書きのところには防衛庁とありますが、ワープロに打ち直したところは防衛庁という記載がございませんけど、いずれにせよ、これは防衛庁のものとして認められて、そのとき国会にも出されております。
 この四十七年の政府見解なるものの作成経過及びその後の、その当時の国会での答弁等を考えますと、政府としては、明らかに外国による武力攻撃というものの対象は我が国であると。これは日本語の読み方として、普通の知的レベルの人ならば問題なく、それは最後の方を読めば、「したがって」というその第三段でそこははっきりしているわけで、それを強引に外国の武力攻撃というのが日本に対するものに限られないんだというふうに読替えをするというのは、非常にこれは、何といいますか、法匪という言葉がございますが、つまり、法律、字義を操って法律そのもの、法文そのものの意図するところとは懸け離れたことを主張する、これはあしき例であると、こういうことでございまして、とても法律専門家の検証に堪えられないと。
 私なり山口元長官が言っていることは、これは常識的なことを言っているまでで、現裁判官、現裁判所に影響を及ぼそうということじゃなくて、普通の一国民、一市民として、また法律を勉強した者として当然のことを言っているまででございますので、私は、坂元公述人のように、最高裁では絶対違憲の判決が出ないというふうな楽観論は根拠がないのではないかと思っております。
 それで、時間が限られておりますのでそろそろやめなければなりませんが……ヤジ大丈夫ですか。
 このメリットとデメリットのところで、抑止力が強化されてということですけれども、御承知のように、韓国、北朝鮮、中国その他、日本の武力強化等については非常に懸念を示しております。そういう近隣諸国の日本たたきというか、根拠がない面がかなりあるとは思いますが、それは国内的な事情からそれぞれ出てきている面が非常に強いわけですから、それに乗っかってこちらがこういう海外派兵、戦力強化というか、こういう形をしますと、それを口実にして、それらの近隣諸国たちが自分たちの国内政治の関係で対外脅威を口実として更にそういった挑発行動なり武力強化をすると。
 つまり、悪循環になるわけで、これは今の中東で問題になっておりますところのイスラミックステートに米国始め有志国が束になって爆撃をしてもすぐに収まらないということを見ても分かるように、このようなものは戦力で解決するものではなくて、日本は、この戦後七十年の中で培った平和国家としての技術力とか経済力とか、それから物事の調整能力ですね、これはつまり戦力によらない形で世界の平和、世界の経済に貢献していくと。この基本的なスタンスを守る方がよほど重要なことでございまして、今回の法制が通った場合には非常に、在外で活動している、人道・平和目的のために活動している人のみならず、一般の企業も非常にこれはマイナスの影響を受けるということで、決してプラスマイナスをした場合に得になることはないというふうに思います。
 それで、英語では政治家のことをポリティシャンとステーツマンという二つの言い方がございまして、御承知のように、ポリティシャンというのは、目の前にある自分や関係ある人の利益を優先すると。ステーツマンというのは、やはり国家百年の計という、自分の子供、孫子の代の社会の在り方というものを心して政治を行うと。どうか、皆様、そういうスタンスからステーツマンとしての判断をしていただきたいと思います。
 国際的には、今度の法制についても、その論理的整合性とかそういうことが問題にされ得るわけですから、まして、日本人の中でまだ全体が納得していないような状況で採決を強行するということは、日本という国の国際的信用の面からも問題があるのではないかと。
 私は、政治家の皆様には、知性と品性とそして理性を尊重していただきたいし、少なくともそれがあるような見せかけだけでもこれはやっていただきたいと。それは、皆様を選んだ国民の方にも同じことだと思います。
 そういうことで、是非この法案については慎重審議されて、悔いを末代に残すことがないようにしていただきたいと思います。
 ありがとうございました。
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鴻池祥肇#6
○委員長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
 次に、白石公述人にお願いいたします。白石公述人。
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白石隆#7
○公述人(白石隆君) 白石でございます。
 実は、私、八月の上旬、国際政治、国際法の研究者を中心としまして、安全保障法制を考える有志の会、私が世話人ということで、全会派に要望書を提出しております。これは、ちょうど衆議院で議論が終わった直後のタイミングでございますけれども、そのときに我々が申し上げたことは、安全保障法制について参院で議論されるときには、憲法の問題に加えて、是非以下のような問題について議論していただきたいということで、六点問題を提起しております。
 それは、第一に、抑止力というのをどう考えるのか。二番目に、日米安全保障体制における日本とアメリカの役割分担をどう考えるのか。日米同盟を維持発展させるためには何をすればよいのか。オーストラリア、韓国等、アジア太平洋の国々とどのような安全保障協力を進めていけばよいのか。第三番目に、台頭する中国に対してどう対応するのか。いかに中国に関与し、いかにそのリスクをヘッジすればいいのか。第四番目に、使える核兵器を持ちつつある北朝鮮の脅威にどう対処すればよいのか。第五番目に、日本のエネルギー供給を支える中東湾岸からインド洋、マラッカ海峡、南シナ海、東シナ海を経由して日本に至るシーレーンの安全保障を確保するためには何をすればいいのか。最後に、アジアそして世界の平和と安全のために我々は何をすればいいのか。
 正直申しまして、安全保障法制を考える有志の会に参加された人たちの中にも安全保障法制についてはいろんな考え方があるということは、これはよく承知した上で、私は皆さんと協議の上、こういう要望書を提出いたしました。それは、ひとえに、この安全保障法制の問題というものを憲法論、法律論だけで議論されると、肝腎の安全保障そのものの議論がお留守になるのではないかと、そういう懸念からでございます。
 私自身はこの法制に賛成でございますが、今申し上げましたように、安全保障法制を考える有志の会の皆さんにはいろんな考え方があることを承知しておりますので、私としましては、私個人として、今日は、今申し上げたような要望書に記しております論点について、画一ではない、一つ一つではありませんけれども、全体として私がどういうふうに考えているかということを申し上げたいと思います。
 まず最初に、ごく基本的なことから始めさせていただきたいと思います。それは、安全保障とは何かということでございます。
 安全保障の定義においては、誰があるいは何が、誰のあるいは何の安全を、誰からあるいは何から守るのかと、誰が誰の安全を誰から守るのか、この三つの要素がございますが、過去七十年を、第二次大戦以降を見ますと、このそれぞれについて範囲は次第に拡大しております。
 ただ、今日の議論に関わることで申しますと、国が、あるいは国家が、その国の国民と国家の安全を様々の脅威から守ることというのが、これが恐らく一番単純な安全保障の定義だと思います。あるいは、憲法の文言を使えば、日本国民の国家であります日本国が、国民の平和のうちに生存する権利、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を守る、また、そのための前提として様々の脅威から国家の独立を守る、これが安全保障ということの一番根本にある意味だろうと思います。
 その手段には、当然のことながら、外交から国際協力、治安活動、海上警備活動、防衛活動まで様々でございますが、そこで一つ非常に重要な考え方としては、外交によって日本にとり望ましい国際関係をつくり維持する、これ当然のことで、これがある意味では一番重要ですが、同時に、もう一つ抑止力という考え方があります。
 そこで、抑止力というのは、これもまた少し定義めいたことを申しますと、ある国あるいはある集団がある行動を取ろうと考えたときに、そういう行動を取っても所期の目的が達成できない、あるいは、目的は達成できるかもしれないけれども、人的、物的コストが非常に高くて結局思いとどまる、そういう力を持っているときに抑止力があるというふうに一般的に言えるだろうと思います。ということは、別の言い方をしますと、抑止力というのは能力でございますが、同時に、期待に働きかけるものであるということでございます。
 防衛というのは、この抑止力のための手段でございます。日本では、サンフランシスコ条約に署名し日米安全保障条約を締結して独立を回復して以来今日まで、日本国民と日本国の安全を守るために、自助と共助、この二つの手段によってこの抑止力ということを確保してきたというふうに言えると思います。
 そこで、自助というのは、外からの攻撃や脅迫を排除するために適切な自衛力を保持し行使できるようにしていくことということでございまして、そういう能力を持つためには、現在議論されておりますように、括弧付き、いわゆるグレーゾーン、つまり、治安行動、海上警備行動から防衛行動に至るあらゆる事態に切れ目なく対処できる法制度の整備が必要だということになります。
 共助ということで、もちろん第一義的に重要なのは、これは日米の安全保障・防衛協力でございます。
 ただ、ここで一つ是非申し上げておかなければいけないことは、自助と共助というのは、これは連動しておりまして、日本の自衛の能力が高まれば、日本に対する期待も高まり、防衛協力の実効性も高まります。その意味で、日米安保条約あるいは日米安全保障・防衛協力の基礎には、能力と期待と信頼があると。この三点セットがないと、実は日米同盟というものは決して安心できるものにはならないんだということでございます。
 また、それ以外の共助の仕組みとしましては、これは、多くの場合、第二次大戦以降、アメリカを中心としてバイの安全保障条約、基地協定の束として、言わば扇のような形で、このアジア太平洋にはいわゆるハブとスポークスの地域的な安全保障のシステムがございますが、これを前提として、ASEAN地域フォーラムだとか、あるいはASEANプラスの防衛大臣会合だとか、東アジア首脳会議といった信頼醸成、予防外交の仕組みが徐々につくられておりますし、それから、最近では、太平洋からインド洋に至る非常に広大な地域における安全保障協力の進展によってハブとスポークスの地域的な安全保障システムは次第にネットワーク化し、これが共助の仕組みとしてもますますこれからは重要になるというふうに考えております。
 では、どうして今こういう安全保障法制というものを整備する時期に来ているんだろうかと。私は、大きく三つの安全保障環境の変化ということが指摘できると思います。
 一つは、これは力のバランスの変化ということでございます。
 例えば、G7というものがございまして、二十世紀にはG7というのは極めて重要な役割を果たしましたけれども、G7の世界経済に占めるシェア一つ見ましても、一九九〇年から二〇〇〇年に大体世界経済の六五ないし六六%を占めておりましたが、二〇二〇年には四五%を切るところまで下がってくると。同時に、アジアだけを見ますと、例えば二〇〇〇年、十五年前には、日本の経済の規模というのは中国、韓国、ASEAN十か国全部合わせた経済の二倍ございましたが、もう二〇一八年くらいになりますと、中国の経済は日本、韓国、ASEAN十か国全部合わせた経済よりも大きくなります。そのくらい急速にパワーバランスというのは変わっております。
 ただし、日本とアメリカの経済を合わせれば、これは二〇二〇年代を通じてこのパワーバランスというのは崩れることはございませんし、これにオーストラリア、インド等との協力をもっと強化して、ハブとスポークスの地域的な安全保障システムのネットワークを進めればこの安定というのはますます確保できることになる、これが第一点でございます。
 二つ目は、安全保障空間の拡大と軍事技術の革命でございます。
 かつて憲法が制定されました頃には、安全保障空間というのは、これは陸と海と空、この三つの空間から成っておりましたが、現在は陸、海、空、宇宙、サイバーというふうに安全保障空間が拡大しておりまして、また、現在のサイバー化あるいは情報化と無人化の趨勢、これはロボットの趨勢、あるいは防衛においてネットワークを中心とした統合的なシステムということがますます重要になっているということが、これが一番重要なことでございます。
 ここで重要なことは、日本の防衛システムにおきましては、このネットワークを中心とした統合的なシステムというのは日本だけでは完結していないということでございまして、これは、これから日米の安全保障協力、防衛協力がますます進展し、特に相互運用性が向上しますと、このネットワークを中心とする統合的なシステムが日本で完結することはほぼあり得ないというふうに考えた方がいいと思います。つまり、別の言い方をしますと、このネットワーク中心のシステムというのは、これは日本はアメリカと共用しているわけでございまして、このネットワーク中心のシステムを守る上では実は個別的自衛権と集団的自衛権ということを区別すること自体に意味がございません。
 こういうことを考えるためには、一つだけ例を挙げますが、このネットワーク中心の統合システムというのは例えば宇宙における衛星に非常に多くを依存しておりますが、この衛星が破壊されただけでこれは日本の防衛にとって非常に大きな脅威になります。こういうことを一つ考えただけでも、法律上、個別的と集団的というのを形式的にきれいに区別することはできるかもしれませんが、現実の問題としてはこういう区別はほとんどもう意味を成さなくなっているということが、これが二つ目に申し上げたいことでございます。
 それから三番目に、安全保障の領域そのものが、いわゆる伝統的な安全保障から非伝統的な安全保障、これは海賊であるとか人身売買だとか麻薬だとかサイバーだとかこういうもの、それから、さらには人間の安全保障ということで伝染病だとか災害だとか、こういうふうに非常に拡大しておりますが、そういう中で我々がこの十五年確実に学んだことというのは、失敗国家だとか破綻国家というものは世界のどこか遠いところにあって、日本の安全保障とは関係のないことなんだというふうには言えなくなってきていると。
 その意味で、失敗国家、破綻国家における平和構築、復興支援、こういうものは単に、あるいは世界の平和と安定にとってだけではなくて実は日本の安全にとっても極めて重要な問題であって、これについて日本として、これはよそ様のことでうちには関係ないから知りませんということを言うことはもうできない時代になっているというのが、これが三番目でございます。
 繰り返します。
 日本の安全というのは、これは世界の安全と平和があって初めて守ることができます。そのためには、外交、国際協力から海上警備活動、防衛活動まで様々の手段がありますし、態様がございます。その中で防衛というのは非常に重要な一つの手段でございまして、日本は第二次大戦後、独立を回復して以来、これを自助と共助の組合せでやってきました。その基本にありますのは抑止という考え方でございまして、自助と共助によって戦争をしないようにする、日本の存立を脅かされないように、そういう期待をつくり上げていくということが実は極めて重要なことであります。
 ただ同時に、今もう既に申し上げましたように、安全保障環境というのは極めて急速に変わっておりまして、これについてやはり具体的な議論をし、その上で対応をし、法制度を整備しないと、なかなか日本として対応できないところにもう来ているのではないだろうかというふうに私は考えております。憲法の問題は、私は、率直に申しまして最高裁の判断に仰げばよろしい問題でございまして、是非先生方には、今、日本の安全保障を確保するためにいかなる法制度をつくることが有効であるのかということを是非考えて議論していただきたいと思います。
 どうもありがとうございました。
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鴻池祥肇#8
○委員長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
 次に、小林公述人にお願いをいたします。小林公述人。
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小林節#9
○公述人(小林節君) 私は、反対の立場から立論させていただきます。
 先ほど濱田先生も論及をされましたけど、私もメディアを通して国会の論戦を見ておりましたが、何か、当たり前の話が多数派によって無視され続ける、不思議というか気持ち悪いというか、すごく心の据わりの悪い体験をしております。私がこれから申し上げます日本語が多数派の先生方のお心に届くことを願って、発言を続けます。
 まず、レジュメが一応ありますので、これが流れの筋ですが、平和安保法案か戦争法案かラベリングの争いがありましたけれども、こんなことで争っているのは本当ばからしくて、現時点でも現行法制度の下で平和と安全保障は確保されているんですよね。私もそれは高く評価しています、専守防衛の。
 この法律ができることによって法状況として何が変わるか。それは、現時点でこの法案が通って成立もしていない以上、どう頑張っても自衛隊を兵隊、軍隊として海外派兵することはできないんですよね。それが、今度の法律ができ上がると、内閣の判断で自衛隊を海外へ派兵できるんですね。これが一番決定的な法状況の変化です。
 ですから、不戦の状況から戦争可能状態に入る。だから、人によっては戦争準備法案と呼んでおられますけど、私は、端的で一番分かりやすく言えば、戦争法案以外の何物でもないんですね。これを目くじら立ててレッテル貼りだと怒る方がなぜそういう状態になるのかが、私ははっきり言って気持ち悪いと思います。
 真面目な議論をさせていただきたいと思います。
 それで、なぜ現在、自衛隊が外へ出せないか。これは自民党がずっと確立してきたことでありまして、私はその常識を共有しておりますが、憲法九条というのは、敗戦国日本がやはりまだ信用されていないときに、確かに、押し付け憲法であれ何であれ、いきさつは今日は論じません、私は、押し付け憲法論、そのとおりだと思いますが、とにかく我々が受け取ったことは間違いない事実なんです。現に有効で、機能している。だから、この国会も、貴族院ではなく参議院として存在しているわけです。
 一項についてはいろいろ争いがありますが、よく自民党の憲法調査会の中で、二項さえ取り払ってしまえば楽だよねという議論がずっと出ていました。それは、つまり二項が邪魔になっているから、二項は露骨に、法律というのは言葉で語っているわけでありまして、陸軍、海軍、空軍その他の戦力は持てない。だから、海軍を持てないから、警察予備隊という第二自衛隊をつくって、名前を変えて海上自衛隊と呼んでいるんですね。これは、戦争の道具として国際基準のものは持てないと書かれているわけです。その後、追うようにして九条の二項の後段で、交戦権、これは国際法上の戦争をする国家としての法的資格も自ら閉じているわけです。
 そして、七十六条の二項で、制度として軍法会議を持てない。軍というのは、殺すこと、壊すことが勲章につながる特殊な世界でありまして、町中ではそれは刑事事件です。そういう特殊な法体系で運用しないと軍隊というのは使えない。だから、軍隊を持っている国は軍法会議をやるのは当たり前の話でありまして、このように我が国は軍隊を持てない。
 じゃ、どうするか。万一、当時まだ冷戦時代でしたから、アメリカが朝鮮動乱で出ていった後、もし、イデオロギーとして、国の使命として、日本を共産化するために軍事力を行使してもいいと憲法論的に読める国があったわけですよね、強大な国が、そういう国が入ってきたらどうするか。それは、法的には警察であるが、軍隊のごとき腕力を持った第二警察である自衛隊によって、だけど、国際法上、周辺以外は使えませんから、自国のテリトリーと周辺領域を使って追い返す専守防衛という憲法原則が自民党内閣によって確立されたわけですよね。その応用型としての、だから、海外派兵の禁止と、それから海外における他国の武力行使と一体化しない。これを歴代自民党が確立してきたことで、私もこれを何とか突破できないかと冷戦時代は考えました。ソ連という国が怖かったんで。
 だけど、今はまた状況が違ってきているわけでありまして、そこで、今行われているということは、先ほどの濱田先生の話とまた重なりますが、私に言わせれば、一見明白に違憲な法律が多数決で強行されようとしている。これは統治行為論をもってしても違憲判決出し得るケースだと思いますけれども、この合憲、違憲論争はもう我々としては、何というか、飽きたというか、ばかにして見ているというか、これはもう違憲性は明々白々に立証されたからこれ以上我々は語らないというスタンスに今なりつつあるんですけれども。
 これは、改めて申し上げますと、憲法九十九条、憲法尊重擁護義務というのがあるんですね。権力者も人であるから間違いを起こし得る、昔の王様のように神ではないから、改めて法で規律させていただきますという合意で、ジョージ・ワシントンが成文憲法というものを作ってくれたわけですけれども、それを我々は学んで輸入して、自らの道具として使っているわけですけれども。
 最高権力者、それは総理大臣もある意味で最高権力者、国会も国権の最高機関、こういうところで明々白々に違憲なものを平然と押し通すということは、憲法九十九条違反という、立憲主義の冒涜だとかいうそういうきれいな表現以上に、これは、最高権力がいかなる法的規律も受けない、つまり、憲法というのは国のあるじたる主権者国民が権力担当者に課した制約であるわけですから、それを権力担当者が預かっているだけにすぎない、表現は悪いけれども、国の雇われマダムにすぎない政治家たちが憲法を無視するということは、今後、何でもできますよ、独裁政治の始まりなんですね。我々が常々おかしいと批判している北朝鮮と同じ体制。信じ難いような話であります。だから、私は、こんなこと得意じゃないんですけれども、黙れないからしゃべっているわけであります。
 それから、この法案を正当だという方は、白石先生もおっしゃいましたけれども、憲法論だけで論ずるな、安全保障ということを忘れるな、必ずおっしゃるんですね。だけど、そう言っている方は、憲法論をすっ飛ばして、安全保障論だけ。つまり、これも、伝統の自民党の確立してきた必要最小限の防衛行為は憲法が許容する必要最小限、最小限を吹っ飛ばしちゃっているんですよね。必要なら何でもできるという議論。これでは、法治国家でも立憲国家でも何でもないんですよね。
 だから、憲法だけで論じるなというお言葉は、私は明確に反対しておきます。まず憲法で論じて、憲法内でできることを追求して、今そうじゃないですか、専守防衛。十分この国は守られているじゃないですか。それで足りないところはどうするか。決まっているじゃないですか。自民党の党是じゃないですか。私はそれにくみしておりましたけれども、憲法改正提案してくださいよ。それで論争して、それを国民が認めたら、今回提案されているようなものはできるわけでありまして、それをやらないと、かつては裏口入学とか、あれは別の文脈で申し上げましたが、これはもう何というか、正門の突破ですよね。入ってはいけない閉じられた門を蹴破って入ってきているようなものでありまして、これは国民主権国家に対する大変な無礼な話であります。
 それから、安全保障論を言うのであれば、私は、この法案、決して賢い法案だと思っておりません。
 まず、世界の戦争を巨視的に見ると、キリスト教グループとイスラム教グループの歴史的恨みの泥仕合みたいになっています。日本はどちらの文明でもないんです。中東では、気のいいお金持ちで、結構マナーのある民族で、優遇されていたわけです。それが、アメリカ、すなわちキリスト教側の親玉の二軍として戦争に参加したら、テロの対象になるじゃないですか。ワシントンDCやニューヨークやロンドンやパリやマドリードがテロに襲われた事実を忘れていただきたくないと思います。
 それから、アメリカという国は、私はアメリカで、私もハーバードで訓練を受けてハーバードで働いたこともある男なんですけれども、アメリカという国は、戦争を続け、続け、続けて破産した状態にある国で、年に必ず一回は公務員の給与が遅配するじゃないですか、借金の限度額を超えて。あれは戦費破産の国なんですよ。だから、アメリカの当局者は何人も私に言いました、英語で。いつ日本はアメリカが与えた憲法九条を改正してアメリカとともに戦争できる国になってくれるのかねと。僕は改憲論者として登録されてますから。
 つまり、肩代わりを求めているんですね。なぜ我が国が、ただでさえ危ない我が国が危険を冒して戦費破産のお付き合いしなきゃいけないんですか。やたら特定の企業の経営者たちが安倍内閣になびいておりますが、それはやはり軍事の下請産業でもうかるからかなと邪推してしまいます。
 それで、これも解釈の論争の問題ですけど、大きな勘違いが行われていると思います。
 確かに、一見、憲法を動きのない形で見ると、憲法解釈の最終決定権は最高裁にあるように見えます。それは、裁判沙汰になった限りではそこで止まるんです、当事者の間では。アメリカ憲法の運用実態を見れば、止まりません、そこで。つまり、政府がおかしなことをした、そしてその法律が施行されて事件になった、そうしたらその関係者がそれをもって訴え出た、そして最高裁が違憲判決を下した、あるいは合憲判決を下した。最終的には、まさに統治行為論が言っているように、一次的には、その現場においては、まず政府と国会のしたことがまかり通りますよ。で、裁判になったら、最高裁の言ったことでその当事者が関係を決められますよ。だけど、その流れを見ていた主権者国民が、それっていいかな、よくないと思ったら、それをまかり通した政府を倒そうという動きもあるし、大体頑固な最高裁がいけないんだ、最高裁の構成を変えてしまえ、現にあった話です。国会が強気になって、じゃ、裁判所法を改正して好意的な裁判官を増やせば多数決逆転するじゃない、そこまでアメリカでは具体的に提案されるんです。
 そういうことを含めて、我々主権者国民が今回の行いをきちんと見て、どちらが、何というか、政治のマナーにかなっているかの話であります。これはマナーのレベルの話です。
 そういう形で、まずは次の参議院選挙、そして最終的には政権交代の懸かる衆議院選挙で主権者国民が賢い判断をすると私は思っていますし、私はそれまで鳴きやまないつもりでおります。
 それで、あと二点、図らずも専守防衛の結果、我々は七十年間、こんな大国が戦争をしないという不思議な実績をつくりました。これがアメリカの二軍になって、どうやって安全保障理事国に入るんですか。無理ですよ。中国、ロシアが許さないじゃないですか。むしろ、非戦の大国として、平和の調整役として入るというならあり得る話だと私は思います。
 それから、中国の脅威と北朝鮮の脅威ですけれども、北朝鮮は抜けないたけみつのようなものでありまして、煩わしくはありますが、あの恫喝政治はきちんと専守防衛を構えて無視すればいい。それから、中国も、立国時代の、建国時代の三倍の国土を持っています。モンゴル、ウイグル、チベット、これは非武装地帯だから入っていっちゃったんです、事実上。ベトナムには入っていって蹴り出されました。それから、台湾は、武力解放、武力解放といって、全然手が出ません。なぜならば、台湾も徹底した専守防衛とアメリカとのパイプで守られています。
 日本も同じです。中国は入れるところには入っていきます。入れないところは周りで騒ぎます。煩わしくはあります。だから、もう少し冷静に中国の脅威というものを見詰めて、冷静に見詰めて、この議論も結論は主権者国民が決めればいい。今のでは主権者国民に決めさせてないですもの。冷静に議論を積み重ねて、主権者国民に納得ずくで決めさせていただきたい。
 以上です。
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鴻池祥肇#10
○委員長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
 次に、松井公述人にお願いをいたします。松井公述人。
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松井芳郎#11
○公述人(松井芳郎君) 松井でございます。
 私は、今までの先生方とちょっと毛色が変わりまして、国際法の観点から問題を提起してみたいと思います。
 つまり、もう先ほどからさんざん御議論ありましたように、今回の法案の中心的な論点は集団的自衛権でありますが、集団的自衛権というのはすぐれて国際法上の概念でありまして、国際法からの議論が十分なされていないということは大変残念であり、また危険なことではないかというふうに思っているからであります。
 ただ、時間が極めて限られておりますので、集団的自衛権との関係で今回の安全保障法案の全容を検討するというふうなことはとてもできません。したがいまして、一応レジュメごときものを皆さんに差し上げてありますが、そして、それは何となく起承転結、体系的に整理したように書いてありますけれども、これは大学の教師を長くやっていた者の悪い癖で、こういうふうに整理しないと頭がうまい具合に働かないということがあります。したがいまして、時間の関係もありますので、特に国際法上の議論で気になりましたことを集団的自衛権を中心にしてお話をする、一応筋書としてはこのお配りしたレジュメの筋に従ってお話をさせていただく、こういうことにしたいと思います。
 まず、集団的自衛権という考え方の登場でありますが、これは最初に坂元先生も少し触れられたわけですけれども、一九二八年の不戦条約の頃に遡ります。そもそも、自衛権ということは、大昔から言わば言われてきたわけでありますが、二十世紀の初めぐらいまでは、伝統的国際法と我々呼んでおりますが、必ずしも戦争に訴えること、武力を用いることが禁止されておりませんでした。したがって、武力を用いる、戦争に訴えるときに、わざわざ自衛権というのを法的な正当化の理由として主張する必要はなかったわけですね。したがって、その伝統的な国際法の時期に自衛権と言われたのは、武力を用いることの政治的ないしは道義的な正当化であったと考えてよろしいかと思います。
 本格的に武力行使、戦争を違法化するという動きは国際連盟から始まりますが、侵略戦争を全面的に禁止するというのは一九二八年の不戦条約が初めてのことでありまして、したがって、法的概念としての自衛権が本格的に議論されるようになるのも不戦条約を契機としてであります。
 そして、その段階で早くも集団的自衛権の考え方、その言葉自体は出てまいりませんが、原型が登場しまして、その一つが、先ほど坂元先生が挙げられましたイギリスの態度表明ですね。要するに、大英帝国にとって死活の利益に関わるような地域に対する攻撃に対しては自衛権を発動するという考え方でありますが、これは、具体的にイギリスは地域名を挙げませんでしたけれども、エジプト・スエズ運河地域を想定していたと言われまして、つまり、これは当時のインド大陸に伸びる大英帝国の利益を守るために不可欠の場所だと考えられていたからであります。
 それからもう一つ、米国も、モンロー主義は自衛権で正当化できるんだというふうに言いました。御存じのように、モンロー主義というのは中南米を言わばアメリカの勢力範囲として確保する政策でありますが、これを一種集団的自衛権のような考え方で正当化しようとしたわけであります。
 この二例は実は割合外国の教科書等でも登場するんですが、余り気が付かれていない、私も実はごく最近気が付いたんですけれども、日本の場合も全く同じ考え方を出しておりましたので、レジュメの方にその部分を抜き書きをしておきました。一九三二年の日満議定書の中に、もう読み上げませんけれども、レジュメに書いたような規定が入っている。御存じのように、満州国というのは日本が中国大陸に進出していく過程でつくった、まあ教科書的にはかいらい国家であります。
 こういうふうに見てまいりますと、そもそも集団的自衛権という考え方は先進国が海外の帝国主義的な権益を守るために考え出された概念であるということをやはり出発点として押さえておく必要があるわけでありまして、これを今の時点で日本が改めて行使可能であるという議論をすることは、日本の国の方向性としてそういう危険な方向に向く可能性があるのではないかということが危惧されるわけであります。
 これは歴史論でありますが、次に、国連の集団安全保障体制の中における集団的自衛権のことについて少し考えてみたいと思います。
 これも昨今の議論でほとんど注目されていないことでありますが、国連憲章の基本原則は武力行使の禁止でありまして、これは国連憲章の中でも最も重要な原則であるというふうに考えられております。多くの学者が、これは強行規範である、つまり、個別国家が条約などを結んで、それに反する約束をすることはできないような高い地位を占める規範であるというふうに考えているわけです。したがって、武力行使が認められる場合というのは、その基本原則への例外という位置付けになります。
 この例外は二つございます。個別的にはほかにもいろいろ議論はありますが、国際社会で国連憲章上も認められている例外としては、一つは個別的、集団的自衛権、もう一つは安保理事会の決定に従った集団安全保障の強制措置の場合であります。この二つだけが例外ということになります。したがって、例外ですから、これはできるだけ厳格に解釈するというのが出発点になろうかと思います。
 ちなみに、今回の議論でも時々言及されますが、御存じのように、憲章五十一条は、自衛権のことを固有の権利、これは英語の正文の翻訳ですが、フランス語の正文を訳しますと自然権という表現になります、そういう言い方をしております。したがって、非常に重要な基本的な権利であるという印象を与えがちでありまして、そういう趣旨で今回の議論の中でも引用されることがあるんですが、そういうわけではないというのが多分通説的な理解だろう。これは、自衛権は慣習法上の権利であるということを確認した以上の意味は持っていないというのが一般的な理解であります。むしろ自衛権は、原則としての武力行使禁止、その違法性を阻却する違法性阻却事由というふうに考えるのが、例えば国際司法裁判所などの立場から導かれる結論かと思っております。
 しかも、この場合の武力行使禁止原則の例外でありますが、国連憲章二条四項は武力行使と武力による威嚇を禁止しておりますけれども、その禁止の違反の全てが自衛権の発動を可能にするわけではないということに留意をしたいと思います。
 これもレジュメに挙げておきました、国際司法裁判所の有名なニカラグア事件の判決でありますが、武力行使を二つに分けまして、一つは、武力攻撃を構成するような最も重大な諸形態、もう一つは、例えば国境地帯の小競り合いのような、他のより重大ではない諸形態、二つに分けまして、自衛権の発動が可能なのは前者だけであるということが確認されてきております。
 そういう国際社会の議論を見ておりまして、やや不思議に思っておりました点を二点挙げたいと思いますが、一つは、何か首相はこれを撤回されたと今朝ほど聞いたんですけれども、ホルムズ海峡の機雷封鎖について集団的自衛権を行使するという議論がかなり一般的に行われてきたような印象を受けております。ただ、この場合に、機雷封鎖、どの国がどの国に対して機雷封鎖するかという議論がほとんどされなかったような感じがいたしますが、いずれにしても、海峡の機雷封鎖は、憲章の言葉で言えば、武力による威嚇ではあるかもしれませんが武力攻撃ではない、現実に武力が使われているわけではないわけですね。これに対しては、したがって個別的であれ集団的であれ自衛権を行使することはできない。もちろん、国際海峡の自由な通航を妨げますので違法行為ではあろうかと思いますが、それに対処するのは武力以外の別の方法で対処するというのが筋だろうと思いまして、ここの議論にもずっと違和感を感じておりました。
 それから、文脈はちょっと異なりますが、集団的自衛権行使の例として当初から挙げられていたのは、紛争が起きてその紛争地帯から日本人を退去させるためにアメリカの軍艦に乗せて連れて帰る、そのときに、アメリカの軍艦が攻撃されたときに反撃する必要があるということがずっと閣議決定の頃から例として挙げられておりましたが、軍艦というのは武力紛争時には合法的な攻撃目標になります。したがって、これで民間人を退避させるということはおよそ考えられないことでありますし、アメリカ筋の話でも、外国人の民間人を退去させるというようなことは考えていないというふうな報道もございました。これも集団的自衛権の絡みではおかしな話だなという印象を持っておりました。
 それから、次のもう一つの例外としての集団安全保障の強制措置でありますが、御存じのように、国連憲章が予定しております国連軍は正規にはできておりませんので、今までのところ、集団安全保障の強制措置に似た形が取られておりますのは、一つは、いわゆる多国籍軍に対して安保理事会が武力行使を許可するというスタイルであります。それからもう一つは、平和維持活動に対して武力行使の権限を与えるという形でありまして、今回の法案では、このいずれについても日本が従来に比べてより積極的に参加するという方向が積極的平和主義の名の下に追求されているように見受けられます。
 ただ、ここで気を付けなければならないのは、多国籍軍への協力もしばしば国連協力という形で議論されますけれども、多国籍軍の行動については安保理事会は統制を及ぼしませんので、これは国連の行動ではなくて個々の多国籍軍参加国の行動だということになります。したがって、これは国連協力ではなくて、多国籍軍を送っている他国に対する個別的な協力だということになるだろうと思います。
 時間が押しておりますので、あと一言ずつしか申し上げられませんが、その際の日本の協力というのは、補給物資の供給等、多面的な協力が予定されておりますが、その歯止めとして、現に戦闘行為が行われている現場では実施しないということが強調されておりますが、先ほどと同じように、武力紛争法によりますと場所的な区別というのは意味を持ちませんで、活動する主体とかその客体ですね、補給される物資等が軍事目標かどうかが決定的に重要であります。
 したがって、一見、戦闘現場から遠く離れていようとも、補給活動などを行いますと、これはやはり軍事目標とみなされて相手方から反撃を受ける可能性があるということを是非押さえておく必要があるだろうと思います。
 最後に、集団的自衛権の容認が安保条約にどういう影響を与えるかということ。これも、先ほどから坂元先生も白石先生も、安保条約、安保体制の強化による抑止力の強化ということを随分力を入れて説明されました。
 そういう御議論があるのはもちろん承知しておりますが、今回の議論の中で、集団的自衛権容認を安保条約の個々の規定との関係で十分に分析した議論というのが残念ながら見受けられないように思います。
 ここで二点だけ、もう本当に時間が迫っておりますので結論的なことだけを申し上げますが、安保条約五条は、ほかのNATO等と異なって少し変わった規定の仕方をしておりまして、それもレジュメに関連箇所を引用しておりますが、読み上げるのは省略して、こういう規定が置かれたのは、当時、日本は憲法上は個別的自衛権しか持たないというそういう政府の憲法解釈が前提になってこの規定が六〇年のときに入ったという経過は御存じだろうと思います。
 したがって、当時の憲法解釈であれば、日本は個別的自衛権しか行使できないから、憲法上ですね、したがって、アメリカが日本の領域外で攻撃を受けても日本はそれには共同防衛はできませんよということが、安保条約に違反せずに断ることができたわけです。
 ところが、憲法解釈を変えて日本も集団的自衛権を持てるということになりますと、この場合にも、つまり日本の領域外でのアメリカに対する攻撃についても集団的自衛権の行使が安保条約上の義務になるということであります。
 それから同時に、第六条で、アメリカに日本が基地を貸しております。様々な特権を伴って基地を貸しておりますが、これは六〇年当時の説明では、言わば一方的に日本を守ってもらうんだからその代償として基地を提供しているんだという説明であったわけですが、集団的自衛権を認めて完全に平等な立場で共同防衛を行うということになりますと、この代償論も成立しなくなる。
 ということは、要するに、今回の集団的自衛権を認めるという憲法解釈の変更は、同時に安保条約の大きな解釈の変更を伴うわけでありまして、これは本来ならば、憲法に従って新たに条約を改正して国会の承認を得なければできないことではないかというふうに思っております。
 こういうふうなわけで、今回の解釈改憲というのは、憲法解釈として立憲主義に反するだけではなくて、それが事実上の安保条約の改定をもたらす、それを国会の承認もなしに行うという意味でも立憲主義に反するのではないか、こういう印象を持っております。
 時間が超過いたしまして、申し訳ありません。
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鴻池祥肇#12
○委員長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
 次に、奥田公述人にお願いいたします。奥田公述人。
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奥田愛基#13
○公述人(奥田愛基君) 御紹介にあずかりました大学生の奥田愛基といいます。SEALDsという学生団体で活動をしております。
 済みません、こんなことを言うのは非常に申し訳ないのですが、先ほどから寝ている方がたくさんおられるので、もしよろしければお話を聞いていただければと思います。僕も二日間ぐらい緊張して寝られなかったので、僕も帰って早く寝たいと思っているので、よろしくお願いします。
 初めに、SEALDsとは、スチューデント・エマージェンシー・アクション・フォー・リベラル・デモクラシーズ、日本語で言うと自由と民主主義のための学生緊急行動です。私たちは特定の支持政党を持っていません。無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を越えてつながっています。最初はたった数十人で、立憲主義の危機や民主主義の問題を真剣に考え、五月に活動を開始しました。その後、デモや勉強会、街宣活動などの行動を通じて、私たちが考える国のあるべき姿、未来について日本社会に問いかけてきたつもりです。
 こうした活動を通して、今日、貴重な機会をいただきました。今日私が話したいことは三つあります。一つは、今全国各地でどのようなことが起こっているか、人々がこの安保法制に対してどのように声を上げているか。二つ目は、この安保法制に関して、現在の国会はまともな議論の運営をしているとは言い難く、余りにも説明不足だということです。端的に言って、このままでは私たちはこの法案に対して到底納得することができません。三つ目は、政治家の方々への私からのお願いです。
 まず第一にお伝えしたいのは、私たち国民が感じている安保法制に対する大きな危機感です。
 この安保法制に対する疑問や反対の声は、現在でも日本中でやみません。つい先日も国会前では十万人を超える人が集まりました。
 しかし、この行動は、何も東京の、しかも国会前で行われているだけではありません。私たちが独自にインターネットや新聞などで調査した結果、日本全国二千か所以上、数千回を超える抗議が行われています。累計して百三十万人以上の人が路上に出て声を上げています。この私たちが調査したものやメディアに流れているもの以外にもたくさんの集会が、あの町でもこの町でも行われています。まさに全国各地で声が上がり、人々が立ち上がっているのです。また、声を上げずとも疑問に思っている人はその数十倍もいるでしょう。
 強調しておきたいことがあります。それは、私たちを含め、これまで政治的無関心と言われてきた若い世代が動き始めているということです。これは、誰かに言われたからとか、どこかの政治団体に所属しているからとか、いわゆる動員的な発想ではありません。私たちは、この国の民主主義の在り方について、この国の未来について、主体的に一人一人、個人として考え、立ち上がっていったものです。
 SEALDsとして行動を始めてから、誹謗中傷に近いものを含む様々な批判の言葉を投げかけられました。例えば、騒ぎたいだけだとか、若気の至りだとか、そういった声があります。ほかにも、一般市民のくせにしておまえは何を一生懸命になっているのかというものもあります。つまり、おまえは専門家でもなく学生なのに、若しくは主婦なのに、おまえはサラリーマンなのに、フリーターなのに、なぜ声を上げるのかということです。
 しかし、先ほども御説明させていただきましたように、私たちは、一人一人、個人として声を上げています。不断の努力なくして、この国の憲法や民主主義、それらが機能しないことを自覚しているからです。
 政治のことは選挙で選ばれた政治家に任せておけばいい、この国にはどこかそのような空気感があったように思います。それに対し、私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について考え、声を上げることは当たり前なのだということ、そう考えています。その当たり前のことを当たり前にするために、これまでも声を上げてきました。
 そして、二〇一五年九月現在、今やデモなんてものは珍しいものではありません。路上に出た人々がこの社会の空気を変えていったのです。デモや至る所で行われた集会こそが不断の努力です。そうした行動の積み重ねが、基本的な人権の尊重、平和主義、国民主権といったこの国の憲法の理念を体現するものだと私は信じています。私は、私たち一人一人が思考し、何が正しいのかを判断し、声を上げることは間違っていないと確信しています。また、それこそが民主主義だと考えています。
 安保法制に賛成している議員の方々も含め、戦争を好んでしたい人など誰もいないはずです。私は、先日、予科練で特攻隊の通信兵だった方と会ってきました。七十年前の夏、あの終戦の日、二十歳だった方々は、今では九十歳です。ちょうど今の私やSEALDsのメンバーの年齢で戦争を経験し、そしてその後の混乱を生きてきた方々です。そうした世代の方々も、この安保法制に対し強い危惧を抱かれています。私は、その声をしっかりと受け止めたいと思います。
 そして、議員の方々も、どうかそうした危惧や不安をしっかり受け止めてほしいと思います。今、これだけ不安や反対の声が広がり、説明不足が叫ばれる中での採決は、そうした思いを軽んじるものではないでしょうか。七十年の不戦の誓いを裏切るものではないでしょうか。
 今の反対のうねりは世代を超えたものです。七十年間、この国の平和主義の歩みを、さきの大戦で犠牲になった方々の思いを引き継ぎ、守りたい、その思いが私たちをつなげています。私は、今日、そのうちのたった一人としてここで話をしています。つまり、国会前の巨大な群像の中の一人として国会に来ています。
 第二に、この法案の審議に関してです。
 各世論調査の平均値を見たとき、初めから過半数近い人々は反対していました。そして、月を追うごと、反対世論は拡大しています。理解してもらうためにきちんと説明していくと現政府の方はおっしゃられておりました。しかし、説明した結果、内閣支持率は落ち、反対世論は盛り上がり、この法案への賛成の意見は減りました。
 選挙のときに集団的自衛権に関して既に説明したとおっしゃる方々もいます。しかしながら、自民党が出している重要政策集では、アベノミクスに関しては二十六ページ中八ページ近く説明されていましたが、それに対して安全保障関連法案に関してはたった数行でしか書かれていません。昨年の選挙でも、菅官房長官は、集団的自衛権は争点ではないと言っています。
 更に言えば、選挙のときに、国民投票もせず、解釈で改憲するような、違憲で法的安定性もない、そして国会の答弁をきちんとできないような法案を作るなど、私たちは聞かされていません。私には、政府は法的安定性の説明をすることを途中から放棄してしまったようにも思えます。憲法とは国民の権利であり、それを無視することは国民を無視するのと同義です。
 また、本当に与党の方々は、この法律が通ったらどのようなことが起こるのか理解しているのでしょうか、想定しているのでしょうか。先日言っていた答弁とは全く違う説明を翌日に平然とし、野党からの質問に対しても国会の審議は何度も何度も速記が止まるような状況です。このような状況で一体どうやって国民は納得したらいいのでしょうか。
 SEALDsは確かに注目を集めていますが、現在の安保法制に対してその国民的な世論を私たちがつくり出したのではありません。もしそう考えていられるのでしたら、それは残念ながら過大評価だと思います。
 私の考えでは、この状況をつくっているのは紛れもなく現在の与党の皆さんです。つまり、安保法制に関する国会答弁を見て、首相のテレビでの理解し難い例え話を見て、不安に感じた人が国会前に足を運び、また全国各地で声を上げ始めたのです。ある金沢の主婦の方がフェイスブックに書いた国会答弁の文字起こしは、瞬く間に一万人もの人にシェアされました。ただの国会答弁です。ふだんなら見ないようなその書き起こしをみんなが読みたがりました。なぜなら不安だったからです。
 今年の夏までに武力行使の拡大や集団的自衛権の行使の容認をなぜしなければならなかったのか。それは、人の生き死にに関わる法案で、これまで七十年間日本が行ってこなかったことでもあります。一体なぜ十一個の法案を二つにまとめて審議したか、その理由もよく分かりません。一つ一つ審議しては駄目だったのでしょうか。全く納得がいきません。結局、説明をした結果、しかも国会の審議としては異例の九月末まで延ばした結果、国民の理解を得られなかったのですから、もうこの議論の結論は出ています。今国会での可決は無理です。廃案にするしかありません。
 私は、毎週国会前に立ち、この安保法制に対して抗議活動を行ってきました。そして、たくさんの人々に出会ってきました。その中には、自分のおじいちゃんやおばあちゃん世代の人や、親世代の人、そして最近では自分の妹や弟のような人たちもいます。
 確かに、若者は政治的に無関心だと言われています。しかしながら、現在の政治状況に対して、どうやって彼らが希望を持つことができるというのでしょうか。関心が持てるというのでしょうか。私や彼らがこれから生きていく世界は、相対的貧困が五人に一人と言われる超格差社会です。親の世代のような経済成長もこれからは期待できないでしょう。今こそ政治の力が必要なのです。どうかこれ以上政治に対して絶望してしまうような仕方で議会を運営するのはやめてください。
 何も賛成から全て反対に回れというのではありません。私たちも、安全保障上の議論は非常に大切なことを理解しています。その点について異論はありません。しかし、指摘されたこともまともに答えることができない、その態度に強い不信感を抱いているのです。政治生命を懸けた争いだとおっしゃいますが、政治生命と国民一人一人の生命を比べてはなりません。与野党の皆さん、どうか若者に希望を与えるような政治家でいてください。国民の声に耳を傾けてください。まさに、義を見てせざるは勇なきなりです。政治のことをまともに考えることがばからしいことだと思わせないでください。
 現在の国会の状況を冷静に把握し、今国会での成立を断念することはできないのでしょうか。世論の過半数を超える意見は、明確にこの法案に対し今国会中の成立に反対しているのです。自由と民主主義のために、この国の未来のために、どうかもう一度考え直してはいただけないでしょうか。
 私は単なる学生であり、政治家の先生方に比べ、このようなところで話すような立派な人間ではありません。もっと正直に言うと、この場でスピーチすることも、昨日から寝れないぐらい緊張して来ました。政治家の先生方は毎回このようなプレッシャーに立ち向かっているのだと思うと、本当に頭が下がる思いです。一票一票から国民の思いを受け、それを代表し、この国会という場所で毎回答弁をし、最後には投票により法案を審議する、本当に本当に大事なことであり、誰にでもできることではありません。それはあなたたちにしかできないことなのです。
 では、なぜ私はここで話しているのか、どうしても勇気を振り絞り、ここに来なくてはならないと思ったのか、それには理由があります。参考人としてここに来てもいい人材か分かりませんが、参考にしてほしいことがあります。
 一つ、仮にこの法案が強行に採決されるようなことになれば、全国各地でこれまで以上に声が上がるでしょう。連日、国会前は人であふれ返るでしょう。次の選挙にももちろん影響を与えるでしょう。当然、この法案に関する野党の方々の態度も見ています。本当にできることは全てやったのでしょうか。私たちは決して今の政治家の方の発言や態度を忘れません。三連休を挟めば忘れるだなんて、国民をばかにしないでください。むしろそこからまた始まっていくのです。
 新しい時代はもう始まっています。もう止まらない。既に私たちの日常の一部になっているのです。私たちは学び、働き、食べて、寝て、そしてまた路上で声を上げます。できる範囲で、できることを、日常の中で。私にとって、政治のことを考えるのは仕事ではありません。この国に生きる個人としての不断の、そして当たり前の努力です。私はこの困難な四か月の中でそのことを実感することができました。それが私にとっての希望です。
 最後に、私からのお願いです。SEALDsの一員ではなく、個人としての、一人の人間としてのお願いです。
 どうかどうか政治家の先生たちも個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の個であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し、判断し、行動してください。皆さんには、一人一人考える力があります、権利があります。政治家になった動機は人それぞれ様々あるでしょうが、どうか政治家とはどうあるべきなのかを考え、この国の民の意見を聞いてください。勇気を振り絞り、ある種賭けかもしれない、あなたにしかできないその尊い行動を取ってください。日本国憲法はそれを保障し、何より日本国に生きる民一人一人、そして私はそのことを支持します。
 困難な時代にこそ希望があることを信じて、私は自由で民主的な社会を望み、この安全保障関連法案に反対します。
 二〇一五年九月十五日、奥田愛基。
 ありがとうございました。
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鴻池祥肇#14
○委員長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
 以上で公述人各位の意見陳述は終わりました。
 これより公述人に対する質疑を行います。
 なお、質疑の時間が限られておりますので、御答弁は簡潔に行っていただくようにお願いを申し上げます。
 質疑のある方は順次御発言願います。
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上月良祐#15
○上月良祐君 自由民主党の上月良祐でございます。
 質問の機会をいただき、関係の皆様方に心より感謝をいたしております。
   〔委員長退席、理事佐藤正久君着席〕
 公述人の皆様方には、それぞれの立場から大変貴重な御意見を本当にありがとうございました。
 私は、自分の意見と違う意見にも耳を傾けることが大変重要であるというふうに思っております。それを、ただ皆さんにも求めたい、みんながそうあってほしいと思っておりまして、その上で懸案を一つ一つ前に進めていくということが必要だと思っております。懸案を片付けられない、懸案に、一つ一つ前に進められないことこそ、今の日本の停滞の原因であると私は思っております。
 最初に、済みません、先日来の豪雨と、そして噴火で大変大きな被害に遭われました皆様方に心よりお見舞いを申し上げたいと思います。私は地元が茨城でございますので、自分自身が復旧復興に頑張らないといけないと気持ちを新たにいたしております。
 それでは、早速、坂元公述人を中心に、白石先生にもできましたら御質問をさせていただきたいと思っております。
 まず最初に、私は決して好戦的ではありませんし、全く戦争をしたいとも思っておりません。その意味では、皆さん方と全く同じだと思っております。
 まず最初に、坂元先生にお聞きしたいと思います。
 これまでの審議を私は参議院で耳を澄まして聞いておりました。その中でこういう意見があったんです。中国による軍事的な対応に対して我が国が集団的自衛権といったような形で騒ぎ立てる、そういったようなことをすると軍事対軍事の対応になってしまう、エスカレートしてしまう危険性があるといったような意見がございました。どんな意見も尊重はしますけれども、私はただ、やはり日本がやっているのは、別に相手を上回ろうというようなことでバランシング・オブ・パワーをつくっていこうということをしているわけじゃなくて自衛のための力を持とうとしている、打撃力を持とうとしているわけでもないわけです。このバランシング・オブ・パワーが崩れて物すごく力の差が大きくなると、かえっていろんないさかい、紛争が起こりかねないような状況になるのではないかと。南沙や西沙で起こっているようなことを見ますと、力の空白が生じたときに次々に占拠や支配、そういったものが行われてきたというのが現実ではないかというふうに思っております。
 一方で、日本の財政状況などを見ますと、防衛費がどんどん伸びていくみたいなことはおよそ考えられないわけでありまして、そういった状況の中で今回の限定的な集団的自衛権を持つというこの法案がどういう意味があるか、どう思っていらっしゃるか、お考えをお聞きしたいと思います。
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坂元一哉#16
○公述人(坂元一哉君) 安全保障のジレンマという言葉が国際政治学でありますけれども、こちら側が防衛力を強化しますと、相手がそれにおびえて相手も防衛力を強化する、そうするとまたこっちも防衛力を強化しなきゃいけない、こういうジレンマがあると、これは国際政治の一つの理論でありますけれども。これをもって、日本がこの集団的自衛権の限定的な行使容認をすれば、相手もそれにおびえてまた軍事力の増強に行くんじゃないかという、こういう議論があるんですけれども、あらゆる理論は現実のコンテクストの中で考えなければいけないわけですが、中国の軍拡について見ますと、我々が軍事費を上げるというか、むしろ下げているときにどんどん軍事費が上がってくるということになったわけでございます。ですから、現実のコンテクストからいうと、そういう安全保障のジレンマというような状況ではまずないのかなと思いますが。
 それよりも、これは、この問題を考えるときに考えなきゃいけないのは、何といっても中国は核保有国でありまして、こちらがまさか核兵器を持つということは考えませんが、こちらの防衛力の強化、集団的自衛権の限定的な行使容認をしたからといって、それで何か日本がすごく危険に思えてくるということは、核兵器を持っている国がそう思うということはちょっと考えにくいかなというふうに思います。
 ですから、私は、日本が、中国の海空軍力の強化、これは核兵器の保有を前提にした強化なんですけれども、これに対して、集団的自衛権の限定行使でその抑止力を高めていってバランスを取っていこうというのは非常に穏当な在り方だろうというふうに思います。
 我々は本当に核兵器を持たないで、核兵器を持っている国との間でバランスといいますか抑止力を持っていこうということですから、いろんな工夫が要るんですけれども、この集団的自衛権の限定的な行使容認というのはその中でも適切な工夫だろうというふうに思います。
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上月良祐#17
○上月良祐君 ありがとうございます。
 私は、今のような質問をして別に危機をあおろうと思っているわけではもちろんございません。
 私は、地元で、いろんなところで法案の説明というんでしょうか、求められまして、いろんなところに参りました。それで、法案に反対している皆さんのところでも一度呼ばれてお話をしたんです。そのときにちょっと耳に残っている言葉があって、起こりもしないような危機で、それを言ってあおって、こんな法整備、戦争をするようなと言ったかもしれませんが、法整備をするのは良くないというようなことを最後の方で言われたんですね。
 私は、自然災害と違うことは重々認識をいたしております。そんなことはよく分かっています。しかし、あの三・一一の大津波も、例えば今回まさに茨城や栃木や宮城で起こったような、線状降水帯というものですか、それによる大水害も、この災害多発時代だから、ひょっとしたら起こるかもと思っていても、明日それが自分の身に降りかかると思っている人というのはそんなに多くはなかったんだというふうに思うんです。
 一方で、中国。中国、中国と言うのもどうかと思いますが、国防費が大変増大していることや南沙での現状、それから北朝鮮のミサイル開発や核開発の状況、それから延坪島の砲撃、火器管制レーダーの照射、防空識別圏の設定などもありました。こういった現状を見て、起こりもしないような危機であおっているという状況と本当に思っていていいのかどうかということを、その専門の先生の御意見を少しお聞きしたいというふうに思います。
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坂元一哉#18
○公述人(坂元一哉君) 今自然災害の例えを出されましたので、その関連でお話ししますが、自然災害の場合は、これは、こちらが備えを行っても、残念ながらその自然災害が起こるときは起こるわけでございます。我々にできることは、その災害の被害を軽減するということになろうかと思います。できればその被害がゼロになるというふうに努力をしなきゃいけないんですが、防衛の場合は、これは、実は抑止ということで相手の心理に働きかけるということになりますから、こちらがきちんとした備えをすればそれは起こらないということになるわけなんですね。
 ですから、例えば、我々は個別的自衛権、六十年間行使できると言っているんですけれども、一回も使ったことはないわけでありまして、使ったことがないからそれは要らなかったんじゃないのというのは、これは抑止というものの考え方からするとちょっと違うのかなという感じがいたします。
 今回の集団的自衛権の新三要件も、非常に、何といいますか、国の存立が脅かされ、国民の基本的な人権が脅かされるというような、そういうことというのはなかなか起こらないことであってほしいし、そうだろうと思うんですけれども、それに備えることによりましてそういうことが起こらないということをますます確実にすると、そういうための法案だろうと、そういうのが安全保障の体制なんだろうなという感じがいたします。ですから、起こらないんじゃないかと言われたら、それはいいことじゃないかと私は思うのであります。
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上月良祐#19
○上月良祐君 ありがとうございます。
 隣り合う二か国が、海を隔てていたとしても、仲が良くてしようがないと、もう何もしなくても本当に仲が良くて良くてしようがないというような国というのは、多分歴史的にもそんなにないんだと思うんです。やはり隣り合っている国は、やはりそれなりにお互いに何かいろんなものを抱えながら、お互いに競争と協調を繰り返しながら伸びていく、そして一緒に、お互いに互恵関係の下で一緒に伸びていくべきなんだと思います。何もしないで治る傷のようなものではなくて、何かがやっぱり積極的な対応、積極的に何もしないということも必要かもしれませんが、そういうように思っております。
 それから、白石先生にちょっとお聞きしたいんですが、先ほど、ネットワーク化されているというお話がありました。私もまさにそう思います。装備も部隊の運用もネットワーク化されているので、大変重要だと思うんですが、ネットワーク化されているだけに、やはり訓練というものもやっておかないと本当の意味での抑止力にはならないんだと思うんですね。ただ制度があるだけでは実際には動かないと。その訓練がされているということがそれほどの抑止力がないのではないか、使わないという意味でですね、あくまで、と思っております。
 そのことと、あと、先生はもう御専門でもありますが、日本が生きていくときに、やはり海洋国、海洋の民主主義国とのやっぱり連携って大変重要だと思っておりまして、中でもオーストラリア、それからインド、インドはやはり少しちょっとまた立場が違う国だと思うんですが、ASEANの海洋諸国、そういった国々から今回のことがどういうふうに見られているのかということ、その二点、ちょっと併せまして簡潔に教えていただきたいと思います。
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白石隆#20
○公述人(白石隆君) 二点申し上げます。
 まず最初に、ネットワーク化に伴う、これはネットワーク中心の防衛システムにおける訓練、これは極めて重要でございます。自衛隊のような非常に大きな組織の場合には、日頃の訓練がきちっとできていないと何かあったときには動けません。ですから、その意味で、常に訓練しておくということはもうこれは必須の条件でございます。
 二番目に、海洋の連携ということでございますが、先ほどの少し先生の質問にも敷衍しながら申しますと、実はその中国に対する脅威認識というのは、過去十五年ぐらいで見ますと、これは日本だけではなくてオーストラリアでもインドでも、あるいは東南アジアの国々でも上がっております。
 それはなぜかと申しますと、恐らく三つぐらいの理由がございまして、一つは、やはり力のバランスが変化していると。これは別に中国が非常に大きな資源を軍備増強に必ずしも投入しているわけではございません。GDPの二%台、もちろん日本に比べると倍以上の資源を投入しておりますけれども、何しろ急速にGDPがこれまで伸びてまいりましたので、結果的に非常に軍事費は増大したと。二番目に、私はこれが決定的だと思いますが、あるタイミングで中国の行動が変わってきております。非常にある意味では自己主張の強い、英語で申しますとアサーティブな行動になってきていて、これが日本だけではなくて東南アジアの国々、あるいはオーストラリア、インドのようなところで中国に対する脅威認識を高めていると。それから三番目に、やはり体制の違いというのはこれはもう間違いなくございます。
 ですから、こういうことの中でそれではどうするのかと。先ほど申しましたように一国ではなかなか大変な大国に対しては対抗できませんので、アメリカとはもちろん協力しながら、同時に、だけれども、抑止の一環としてオーストラリアだとかインドと協力していくということになって、これは逆に申しますと、インドだとかオーストラリアの方でも同じような脅威認識を踏まえてそういう動きが出ていると、これは事実でございます。
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上月良祐#21
○上月良祐君 ありがとうございます。
 坂元先生に、アメリカに巻き込まれるんじゃないかというようなことを心配される方がいらっしゃいます。ただ、存立危機事態は、昨日、公明党の山口代表の質問で、ケースとしてはかなりまれであるということを法制局長官も安倍総理も御答弁の中で言われたんです。自衛の僅かな切れ目、それを埋めるものであって、決して、何というんでしょうか、これで戦争する国になるようなものではないと私は認識をいたしておるんですが、アメリカに対して巻き込まれないために、国会の関与も重要だと思いますが、そのことにつきまして先生のお考えをお聞きしたいと思います。
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坂元一哉#22
○公述人(坂元一哉君) それは、アメリカに対する日本の発言力というのを高めるということが一番大切なことなんだろうと思いますけれども、それは、何かを頼まれたときに何でもできないんだというよりも、これはできる、できないと、これをはっきりさせることが大切かなというふうに思います。
 それで、集団的自衛権に関しましては、ベトナム戦争など、あれなどに巻き込まれなかったのは集団的自衛権を行使できなかったからではないかという議論がありましたけれども、それは、例えばイギリス、イギリスは参加していないわけなんです、ベトナム戦争には。集団的自衛権はもちろん行使できる。それはイギリスとアメリカの関係でありまして、それはその力関係の問題でありますから。
 我々も、実はアメリカに対してはいろいろ何かアメリカの言うことを聞いているようで聞いていないところはいっぱいありまして、アメリカの戦争に巻き込まれないというのは非常に日本がずっと考えてきたことでありますけれども、今後、アメリカに対する立場が強くなれば、それはますますそういうことになるんだろうと私は思っております。
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上月良祐#23
○上月良祐君 ありがとうございます。
 もう時間でございますので、坂元先生がおっしゃった国家国民を守れないと憲法も守れないと。一方で、憲法の下で憲法を守らないと国家国民を守れないと。どちらも大変重要だと思います。その立場でいろいろ議論があるんだと思いますので、ただ、いずれにしても平和外交というものが一番重要であるというのが私の考えでもございます。
 それを最後に申し上げて、そしてやや、どうしても感情的になる面があったり、一般の方々の中に、一部ですね、そういうのもあると思いますので、そうならないように、議論がますます進む、そういったことが大切であろうと思いますので、そのことを申し上げて、私の質問といたします。
 ありがとうございました。
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蓮舫#24
○蓮舫君 民主党の蓮舫です。
 公述人の皆様、今日はありがとうございました。改めて、参議院の審議を通じて、公述人の皆様方の意見を聞いて私が思ったのは、安保法制は必要です、ただ、それはあくまでも憲法の枠の中なんだと。そういう意味で、今回の法案には私たちはやっぱり改めて反対だという思いを今新たにしています。
 何点か短く濱田公述人に確認をさせてください。
 まず、今審議されている集団的自衛権の行使を認めるこの立法、この立法そのものは合憲の範囲内ですか。
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濱田邦夫#25
○公述人(濱田邦夫君) 違憲です。
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蓮舫#26
○蓮舫君 限定的な集団的自衛権、武力行使の海外派兵例はホルムズ海峡だけだったと、ここしか考えていないんだと安倍総理はこれまでずうっと説明をしてまいりましたが、実は昨日の参議院のこの委員会で、安倍総理自ら、ホルムズ海峡での機雷掃海は発生を想定していないと全否定をしました。立法事実はなおありますか。
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濱田邦夫#27
○公述人(濱田邦夫君) 新しい法律を作る場合には、もちろん国会において多数党が賛成すれば形式的にはできるわけですけれども、法律家の立場から見ますと、その法律の成立が納得できるような立法事実というものがなければいけないということと、選挙で政権に就いている立場が与党ではありますけれども、その時点における国民の意見というもの、つまり納得性、国民の納得性というものがあって初めて新しい法律というのはできるべきものと思います。
 今回の一群の法律制定に当たっては、今議員がおっしゃったように、立法事実そのものを、政府、安倍総理等の答弁というのがどんどんどんどん変わって、現在ではいずれも該当しないということになっているというのは非常に、それでも強行採決をするというのはどうも納得がいかないと思います。
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蓮舫#28
○蓮舫君 納得性の次に正当性を伺いたいんですが、ホルムズ海峡での機雷掃海は発生を想定していない、これ立法事実が崩れました。
 もう一つは、去年の七月一日の閣議決定の後に、安倍総理自らがパネルを使って、米艦に乗っている日本人のお母さんと赤ちゃん、この人たちを守れなくてどうするんですか、だから限定的な集団的自衛権を使えるようにするんですと説明をしました。ところが、参議院の審議で、我が党の大野委員の質問の中で、この母子が乗っているというのは集団的自衛権行使の要件ではないことが判明しました。これも立法事実が崩れました。
 納得性がない上に、この法案には正当性はあるでしょうか。
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濱田邦夫#29
○公述人(濱田邦夫君) 正当性はないと思います。
 安倍総理の手法は国民の感情に訴えたつもりでありましたけれども、現在の国民感情というものは圧倒的に反対ということで、安倍政権に国民が望んでいるのは経済的な問題の解決、それで総選挙も勝ったわけですし、今も内閣を支持する一定の割合の国民がいるというのは、経済を何とかしてくれということであって、戦争をできるようにしてくれと言っているわけじゃないと思います。
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