2015-09-15
参議院
松井芳郎
我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会公聴会
松井芳郎の発言 (我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会公聴会)
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○公述人(松井芳郎君) 松井でございます。
私は、今までの先生方とちょっと毛色が変わりまして、国際法の観点から問題を提起してみたいと思います。
つまり、もう先ほどからさんざん御議論ありましたように、今回の法案の中心的な論点は集団的自衛権でありますが、集団的自衛権というのはすぐれて国際法上の概念でありまして、国際法からの議論が十分なされていないということは大変残念であり、また危険なことではないかというふうに思っているからであります。
ただ、時間が極めて限られておりますので、集団的自衛権との関係で今回の安全保障法案の全容を検討するというふうなことはとてもできません。したがいまして、一応レジュメごときものを皆さんに差し上げてありますが、そして、それは何となく起承転結、体系的に整理したように書いてありますけれども、これは大学の教師を長くやっていた者の悪い癖で、こういうふうに整理しないと頭がうまい具合に働かないということがあります。したがいまして、時間の関係もありますので、特に国際法上の議論で気になりましたことを集団的自衛権を中心にしてお話をする、一応筋書としてはこのお配りしたレジュメの筋に従ってお話をさせていただく、こういうことにしたいと思います。
まず、集団的自衛権という考え方の登場でありますが、これは最初に坂元先生も少し触れられたわけですけれども、一九二八年の不戦条約の頃に遡ります。そもそも、自衛権ということは、大昔から言わば言われてきたわけでありますが、二十世紀の初めぐらいまでは、伝統的国際法と我々呼んでおりますが、必ずしも戦争に訴えること、武力を用いることが禁止されておりませんでした。したがって、武力を用いる、戦争に訴えるときに、わざわざ自衛権というのを法的な正当化の理由として主張する必要はなかったわけですね。したがって、その伝統的な国際法の時期に自衛権と言われたのは、武力を用いることの政治的ないしは道義的な正当化であったと考えてよろしいかと思います。
本格的に武力行使、戦争を違法化するという動きは国際連盟から始まりますが、侵略戦争を全面的に禁止するというのは一九二八年の不戦条約が初めてのことでありまして、したがって、法的概念としての自衛権が本格的に議論されるようになるのも不戦条約を契機としてであります。
そして、その段階で早くも集団的自衛権の考え方、その言葉自体は出てまいりませんが、原型が登場しまして、その一つが、先ほど坂元先生が挙げられましたイギリスの態度表明ですね。要するに、大英帝国にとって死活の利益に関わるような地域に対する攻撃に対しては自衛権を発動するという考え方でありますが、これは、具体的にイギリスは地域名を挙げませんでしたけれども、エジプト・スエズ運河地域を想定していたと言われまして、つまり、これは当時のインド大陸に伸びる大英帝国の利益を守るために不可欠の場所だと考えられていたからであります。
それからもう一つ、米国も、モンロー主義は自衛権で正当化できるんだというふうに言いました。御存じのように、モンロー主義というのは中南米を言わばアメリカの勢力範囲として確保する政策でありますが、これを一種集団的自衛権のような考え方で正当化しようとしたわけであります。
この二例は実は割合外国の教科書等でも登場するんですが、余り気が付かれていない、私も実はごく最近気が付いたんですけれども、日本の場合も全く同じ考え方を出しておりましたので、レジュメの方にその部分を抜き書きをしておきました。一九三二年の日満議定書の中に、もう読み上げませんけれども、レジュメに書いたような規定が入っている。御存じのように、満州国というのは日本が中国大陸に進出していく過程でつくった、まあ教科書的にはかいらい国家であります。
こういうふうに見てまいりますと、そもそも集団的自衛権という考え方は先進国が海外の帝国主義的な権益を守るために考え出された概念であるということをやはり出発点として押さえておく必要があるわけでありまして、これを今の時点で日本が改めて行使可能であるという議論をすることは、日本の国の方向性としてそういう危険な方向に向く可能性があるのではないかということが危惧されるわけであります。
これは歴史論でありますが、次に、国連の集団安全保障体制の中における集団的自衛権のことについて少し考えてみたいと思います。
これも昨今の議論でほとんど注目されていないことでありますが、国連憲章の基本原則は武力行使の禁止でありまして、これは国連憲章の中でも最も重要な原則であるというふうに考えられております。多くの学者が、これは強行規範である、つまり、個別国家が条約などを結んで、それに反する約束をすることはできないような高い地位を占める規範であるというふうに考えているわけです。したがって、武力行使が認められる場合というのは、その基本原則への例外という位置付けになります。
この例外は二つございます。個別的にはほかにもいろいろ議論はありますが、国際社会で国連憲章上も認められている例外としては、一つは個別的、集団的自衛権、もう一つは安保理事会の決定に従った集団安全保障の強制措置の場合であります。この二つだけが例外ということになります。したがって、例外ですから、これはできるだけ厳格に解釈するというのが出発点になろうかと思います。
ちなみに、今回の議論でも時々言及されますが、御存じのように、憲章五十一条は、自衛権のことを固有の権利、これは英語の正文の翻訳ですが、フランス語の正文を訳しますと自然権という表現になります、そういう言い方をしております。したがって、非常に重要な基本的な権利であるという印象を与えがちでありまして、そういう趣旨で今回の議論の中でも引用されることがあるんですが、そういうわけではないというのが多分通説的な理解だろう。これは、自衛権は慣習法上の権利であるということを確認した以上の意味は持っていないというのが一般的な理解であります。むしろ自衛権は、原則としての武力行使禁止、その違法性を阻却する違法性阻却事由というふうに考えるのが、例えば国際司法裁判所などの立場から導かれる結論かと思っております。
しかも、この場合の武力行使禁止原則の例外でありますが、国連憲章二条四項は武力行使と武力による威嚇を禁止しておりますけれども、その禁止の違反の全てが自衛権の発動を可能にするわけではないということに留意をしたいと思います。
これもレジュメに挙げておきました、国際司法裁判所の有名なニカラグア事件の判決でありますが、武力行使を二つに分けまして、一つは、武力攻撃を構成するような最も重大な諸形態、もう一つは、例えば国境地帯の小競り合いのような、他のより重大ではない諸形態、二つに分けまして、自衛権の発動が可能なのは前者だけであるということが確認されてきております。
そういう国際社会の議論を見ておりまして、やや不思議に思っておりました点を二点挙げたいと思いますが、一つは、何か首相はこれを撤回されたと今朝ほど聞いたんですけれども、ホルムズ海峡の機雷封鎖について集団的自衛権を行使するという議論がかなり一般的に行われてきたような印象を受けております。ただ、この場合に、機雷封鎖、どの国がどの国に対して機雷封鎖するかという議論がほとんどされなかったような感じがいたしますが、いずれにしても、海峡の機雷封鎖は、憲章の言葉で言えば、武力による威嚇ではあるかもしれませんが武力攻撃ではない、現実に武力が使われているわけではないわけですね。これに対しては、したがって個別的であれ集団的であれ自衛権を行使することはできない。もちろん、国際海峡の自由な通航を妨げますので違法行為ではあろうかと思いますが、それに対処するのは武力以外の別の方法で対処するというのが筋だろうと思いまして、ここの議論にもずっと違和感を感じておりました。
それから、文脈はちょっと異なりますが、集団的自衛権行使の例として当初から挙げられていたのは、紛争が起きてその紛争地帯から日本人を退去させるためにアメリカの軍艦に乗せて連れて帰る、そのときに、アメリカの軍艦が攻撃されたときに反撃する必要があるということがずっと閣議決定の頃から例として挙げられておりましたが、軍艦というのは武力紛争時には合法的な攻撃目標になります。したがって、これで民間人を退避させるということはおよそ考えられないことでありますし、アメリカ筋の話でも、外国人の民間人を退去させるというようなことは考えていないというふうな報道もございました。これも集団的自衛権の絡みではおかしな話だなという印象を持っておりました。
それから、次のもう一つの例外としての集団安全保障の強制措置でありますが、御存じのように、国連憲章が予定しております国連軍は正規にはできておりませんので、今までのところ、集団安全保障の強制措置に似た形が取られておりますのは、一つは、いわゆる多国籍軍に対して安保理事会が武力行使を許可するというスタイルであります。それからもう一つは、平和維持活動に対して武力行使の権限を与えるという形でありまして、今回の法案では、このいずれについても日本が従来に比べてより積極的に参加するという方向が積極的平和主義の名の下に追求されているように見受けられます。
ただ、ここで気を付けなければならないのは、多国籍軍への協力もしばしば国連協力という形で議論されますけれども、多国籍軍の行動については安保理事会は統制を及ぼしませんので、これは国連の行動ではなくて個々の多国籍軍参加国の行動だということになります。したがって、これは国連協力ではなくて、多国籍軍を送っている他国に対する個別的な協力だということになるだろうと思います。
時間が押しておりますので、あと一言ずつしか申し上げられませんが、その際の日本の協力というのは、補給物資の供給等、多面的な協力が予定されておりますが、その歯止めとして、現に戦闘行為が行われている現場では実施しないということが強調されておりますが、先ほどと同じように、武力紛争法によりますと場所的な区別というのは意味を持ちませんで、活動する主体とかその客体ですね、補給される物資等が軍事目標かどうかが決定的に重要であります。
したがって、一見、戦闘現場から遠く離れていようとも、補給活動などを行いますと、これはやはり軍事目標とみなされて相手方から反撃を受ける可能性があるということを是非押さえておく必要があるだろうと思います。
最後に、集団的自衛権の容認が安保条約にどういう影響を与えるかということ。これも、先ほどから坂元先生も白石先生も、安保条約、安保体制の強化による抑止力の強化ということを随分力を入れて説明されました。
そういう御議論があるのはもちろん承知しておりますが、今回の議論の中で、集団的自衛権容認を安保条約の個々の規定との関係で十分に分析した議論というのが残念ながら見受けられないように思います。
ここで二点だけ、もう本当に時間が迫っておりますので結論的なことだけを申し上げますが、安保条約五条は、ほかのNATO等と異なって少し変わった規定の仕方をしておりまして、それもレジュメに関連箇所を引用しておりますが、読み上げるのは省略して、こういう規定が置かれたのは、当時、日本は憲法上は個別的自衛権しか持たないというそういう政府の憲法解釈が前提になってこの規定が六〇年のときに入ったという経過は御存じだろうと思います。
したがって、当時の憲法解釈であれば、日本は個別的自衛権しか行使できないから、憲法上ですね、したがって、アメリカが日本の領域外で攻撃を受けても日本はそれには共同防衛はできませんよということが、安保条約に違反せずに断ることができたわけです。
ところが、憲法解釈を変えて日本も集団的自衛権を持てるということになりますと、この場合にも、つまり日本の領域外でのアメリカに対する攻撃についても集団的自衛権の行使が安保条約上の義務になるということであります。
それから同時に、第六条で、アメリカに日本が基地を貸しております。様々な特権を伴って基地を貸しておりますが、これは六〇年当時の説明では、言わば一方的に日本を守ってもらうんだからその代償として基地を提供しているんだという説明であったわけですが、集団的自衛権を認めて完全に平等な立場で共同防衛を行うということになりますと、この代償論も成立しなくなる。
ということは、要するに、今回の集団的自衛権を認めるという憲法解釈の変更は、同時に安保条約の大きな解釈の変更を伴うわけでありまして、これは本来ならば、憲法に従って新たに条約を改正して国会の承認を得なければできないことではないかというふうに思っております。
こういうふうなわけで、今回の解釈改憲というのは、憲法解釈として立憲主義に反するだけではなくて、それが事実上の安保条約の改定をもたらす、それを国会の承認もなしに行うという意味でも立憲主義に反するのではないか、こういう印象を持っております。
時間が超過いたしまして、申し訳ありません。