百地章の発言 (憲法審査会)

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○参考人(百地章君) 立憲主義についてのお尋ねだと思いますが、先生おっしゃいましたように、成立の事情ですよね。歴史的に見れば、これはいわゆる十七、八世紀、絶対的な王制下の下で、そういった絶対的な権力を持った国王のこの権力の濫用を抑える、あるいはその権力の行使を制限するために登場してきたのが立憲主義であることは間違いありません。それは事実です。それだけをもって今日それはもう必要ないんだという議論は私はもちろん取らないわけでありまして、権力というのは、そういう歴史的な問題だけじゃなくて、常にこれは濫用されがちである、権力は必ず腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗するといったアクトン卿の言葉もありますけれども、私は決してそんなに否定的なものではありませんが、しかし、絶えず権力に対する警戒というのは、これはなくてはいけない。そういう意味で、現代においても、そういう制限規範としての憲法という点は非常に大事だと思います。
 しかし、私はそれ以上に、それ以上にといいますか、それと同時に、ただ権力を抑制すればいい、権力を制限すればいいとなると、社会国家の現実とか、あるいは国家権力そのものに対する否定的な立場から、実際、震災のときに何があったかと。権力の行使に対する警戒とか、あるいは流されてきた瓦れきを処理することまでこれは財産権の侵害であってできないんだと。これは解釈としておかしいんでありますけれども、現にそういった形でその国の権力の行使に対するいろんなそういう警戒とか批判が出てくる。そういう意味では、正当な権力の行使の根拠となっているのは憲法であるという点はやはり押さえなくちゃいけないと思います。
 それから、あとは自由権と社会権の関係ですが、これはやっぱり局面の問題だと思います。制限規範が基本ということじゃなくて、自由権ということを考える場合には当然制限規範ということがこれが重視されてきますし、社会権の場合には授権規範としての面が表に出てくる。したがって、局面局面ごとに解釈していけばいいんじゃないかなというふうに考えております。
 それから、なお、権利と義務は裏腹の関係にあるというのは言わば常識的なそういう考え方を申したわけでありまして、憲法で定めた義務というのは国民としての特に必要な義務を掲げたものでありまして、それは限定的でありますけれども、一般常識としては、権利を行使する場合にもそういう義務というか責任意識を持ってやるのは常識だろうと、そういう話を申し上げたわけでございます。

発言情報

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発言者: 百地章

speaker_id: 18602

日付: 2015-03-04

院: 参議院

会議名: 憲法審査会