百地章の発言 (憲法審査会)

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○参考人(百地章君) ありがとうございます。
 公共の福祉論ですが、実は学説の唱えるところ、通説、宮沢説を通説とするならば、宮沢説の主張するところと判例とは大きく異なっておりまして、宮沢説では公共の福祉というのは人権相互の矛盾、衝突を調整するものであると、実質的公平の原理であると言っていますね。確かに、そう書かないと司法試験にも通らないようでございますけれども。
 しかし、実際の最高裁判決を見たら、例えばチャタレー事件であれば、あれはわいせつ文書の規制、表現の自由の規制ですよね。あのときに、人権相互の衝突の調整になっているかどうか。わいせつ文書の規制の法益ですよね。何のために規制を行うかというと、これは、性的秩序を保護し、最小限度の性道徳ですか、これを、済みません、ちょっと上がっておりまして、性的秩序を守り、最小限度の性的道徳を維持すると、だったと思いますけれども、そういった表現をしておりまして、ここには人権相互の衝突という発想はありません。
 そのように、最高裁は、例えばデモ行進にしても、公安条例にしましても、これ、例えば同じ道路を通過する歩行している人たちとの調整のために規制が許されるなんていう議論ではなくて、公共の安寧秩序を維持するためにデモ行進の規制は許されるというのが最高裁の判例であります。
 したがいまして、その辺、私は、学説の言うところは一つの説明としては分かりますが、やはり多くの国民、常識的な国民を納得させる説明にはなっていないと、最高裁の言っていることが私は妥当だと思っております。
 もう一つは、済みません、宮沢教授については、私に言わせると、国家論がないからこういう議論になっている。つまり、人権以上の価値は存在しない、国家といえども人権よりも下にあるんだという、そういった議論をされているわけですね。この国家というのが政府のことであるならば、つまり国民、その政府の下に国民があるというのはおかしいんじゃないかという議論になるかもしれません。しかし、国民共同体としての国家というものを考えるならば、その国民共同体の例えば存続、維持のために人権が一時的に制約されるということはあり得るわけでありまして、この国家論の不在が宮沢教授のこういった議論をもたらしているんじゃないかなというふうに私は考えているところであります。

発言情報

speech_id: 118914183X00220150304_016

発言者: 百地章

speaker_id: 18602

日付: 2015-03-04

院: 参議院

会議名: 憲法審査会