百地章の発言 (憲法審査会)
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○参考人(百地章君) ありがとうございます。
簡潔に申し上げたいと思います。
まず最初に阿達先生ですかね、憲法に何を書くべきかということですけれども、これにつきましては、実は明治九年に出された国憲起草の詔勅、詔というのがありまして、これは、建国の体に基づき海外各国の成法をしんしゃくして国憲を定めんとすと。いわゆる国柄というものをきちんと押さえた上で、そして今であれば現代にふさわしい諸外国の制度を取り入れて、ふんだんに、それをうまくやろうということで、これが基本的な考え方として私はふさわしいんじゃないかなと考えております。
それから、小西先生でいらっしゃいますか、何か私の議論を聞いていると個人の人権が抑えられてしまうかのようなという、そういう印象を持たれたようでありますけれども、決してそんなことはありません。私、産経新聞の国民の憲法の要綱も作りましたけれども、一方で人間の尊厳、個人の尊重ということをうたった上で、他方で共同体意識というものを持ったやっぱり国民の育成ということですね、そのバランスを考えておりますので。
実は、人間の尊厳に関しましては、私、大学の授業で人権をやるときには、必ず人間の尊厳とは何か、合理的には説明し切れないことを考えるところからスタートしているんです。そういう意味で、それは御懸念無用というか……(発言する者あり)済みません、順番にと思ったんですが。
歴史と伝統、これは確かに、戦後の我が国の不幸なところは、歴史観、伝統において真っ二つに対立するそういう考え方が存在すると。そこでなかなか共通の理解が生まれていないところは日本の不幸だと思います。でも、そういうのは、やはり私は歴史というのは事実をきちんと踏まえる。いかに事実に離れた議論がなされているか。慰安婦問題にしても、あるいは南京事件にしても、私は事実をきちんと究明していけばああいった議論はなくなると思っておりますから、その事実を踏まえて、そして共通の理解を深めていく、徐々にそれを深めていくしかないだろうと思っております。また、それを受け入れない人に対しては、もちろん思想、良心の自由がありますから、寛容であることは当然であります。ということですね。
それから、丸山先生ですね。実は、「権利のための闘争」という本を大学のときには盛んに読まされまして、日本人は権利意識が低過ぎると盛んに言われてやったんですけれども、しかし、私は正直、結論的にはアメリカのような訴訟社会は合わないなと思っておりまして、司法改革が裁判員制度とかあるいはロースクールという形で出てきましたけれども、私に言わせるといずれも失敗じゃないかなと、ちょっと厳しい言い方ですけれども、残念ながらそう思っておりまして、日本人の国民性に果たしてどこまで合っているのかというところで疑問を感じております。
それから、憲法裁判所の問題ですが、私も先ほどの産経の国民の憲法要綱の中で、裁判所の中に憲法審判部というものを設けて、言わば具体的な事件、争訟を前提とした裁判の中で憲法問題が起こってきたときにはそれを、憲法問題だけを集中して扱うような言わば集中型のそういう憲法審査制度をつくったらいいんじゃないかと思って書きました。
しかし、他方で、やはりそういったところに実際ふさわしい裁判官というものが得られるんだろうかと、あるいはまたそういった裁判官が本当に憲法の大問題について、国会でも議論が真っ二つに分かれるような、衝突するような問題について果たして責任を持って判断できるような裁判官が得られるんだろうかと、そういう日本人の国民性等も考えますとなかなか難しいかなという感想を持っております。
それから、生きた憲法ということは全く同感でありまして、私も常々これを心掛けてはおります。
それから、四番目、木村先生、国家秘密というものが非常に広がってきて個人のプライバシーが圧殺されてしまう傾向にあるんじゃないかという御質問かと思います。確かに、先ほど言いましたように、人間の尊厳とかプライバシーというものの大切、私は常々言っております。
ただ一方で、具体的な例、街頭におけるいわゆる防犯のためのいろんなカメラが最近は設置されている。例えば、イギリスとかヨーロッパではかなり多数のそれが置かれている。その場合、プライバシーの侵害あるいは制限と、それから治安を確保する、どちらを選ぶかということを究極のというか、それを国民は求められている。そういう中で、ヨーロッパではむしろカメラをたくさん付けてでも治安を守ろうという、そういう結論が出てきている。我が国においても、やっぱり国民の合意を得て、どちらにより重きを置くかと。もちろんバランスを考えながら、場合によったらどちらかにある程度比重を置かざるを得ないんじゃないかなと、そういうふうに考えておりまして、そういうふうに取りあえず考えております。ということでよろしいでしょうか。