西尾勝の発言 (国の統治機構に関する調査会)
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○参考人(西尾勝君) 諸井委員会が発足をいたしまして三か月間ぐらい、七名の委員だけで議論を続けました。いずれ専門委員のような方々を十数名更に委嘱しようと思っていたのですけれども、それをせずに七名の委員だけで徹底的に議論をしようということで三か月間議論を続けていました。
そのときに以後の委員会の運営の仕方の基本方針を徐々に決めていったんですけれども、そのときの基本方針の一つが、受皿論は当面棚上げにしようということでした。都道府県レベルでいえば都道府県の統合とか、あるいは道州制という議論、市町村について言えば市町村の更なる合併をすべきか否かという問題、こうした受皿論が当時横行していたわけです、世論の中では。要するに、分権を進めるのはいいけれども、分権をこれ以上進めようと思ったらば、受皿になる都道府県なり市町村なりを今のままではなくて再編成して強化しなければ受皿にならないのではないかという議論がかなりあったわけです。そういう議論が世の中にあるけれども、それに手を付けることはやめようと決めました。
我々は、現在の国、都道府県、市町村という姿を前提にして、その体制の中でできる限りの分権を図るというのをこの委員会の方針にしようと、こういうことでスタートしました。それは同時に、委員会としては、都道府県、市町村という自治体の人たちの要望する分権改革を実現したいと、こういうふうに考えましたので、地方六団体が結束して応援してくれるようなやり方でやろうという方針決定でもあったわけです。
そういうつもりで始めたのですけれども、第一次勧告を出す前後です、そのときに国会議員の方々から、当初一番我々と接触したのは第一党の自由民主党でしたけれども、そこの行政改革本部で議論が委員会関係者と行われたときに、棚上げの方針は都道府県レベルについては認めると、しかし市町村レベルの合併は急ぐということをおっしゃいまして、そして、それは先送りするのではなくて分権改革と同時並行で進めなさいと。そういうふうにしろということを強くおっしゃって、それは自民党の声だけではなくて、委員長が各党をちょっと回っていろいろ幹部の方々に伺ったところ、かなり与野党にまで及ぶ御意見であるというふうに委員長は受け取られたわけですね。
そこで、我々は、最初そういう申合せをしたけれども、市町村合併は手を付けないと国会の先生方の支持が十分に得られないのではないかというふうな委員長の御判断で、急遽それも、合併は議論するということになりました。その結果、第二次勧告の中で、市町村合併はあくまでも対等合併で、住民の合意の上での合併ですから、それが大原則で、自主合併が原則で強制することはあってはならないけれども、政府としてはできるだけそれを支援していくような、促進していくような方策を取るべきであるという勧告を出したわけですね。それが大本になって、後の平成の町村合併と言われるものが進むようになっていったわけです。ですから、我々の委員会自身が出した勧告が大本になって進んでしまったわけです。そういう立場を取らざるを得なかったと思っています。
私自身は、その時点で市町村合併を進めることには反対でした。早過ぎると思っていました。もう少し分権改革が進んでからならばあり得ると、そのとき考えてもいいんではないかという、時期の問題として反対していました。そうなれば、町村関係者は、現にそうなったんですけど、分権に非常に批判的になったわけでありまして、余り町村会も町村議会議長会も協力的ではなくなったわけです。それだけ六団体の一致した支持というのを得られなくなったわけです。そうなるのはつらかったんですけれども、結果的にそうなってしまいました。
でも、そのときにもし合併をしないでずっと済ませてきていたら今も済ませられるかといいますと、その後のこの高齢化の進捗と、それから人口減少時代に入ることは予想されていましたが、本格的に始まり出しています。こういう状況になって、今、地方消滅可能性都市などという議論までなされるというこういう時点になって、あのとき平成の合併が行われていなかったら、今、大議論になっているだろうと思います、恐らく。
ですから、そういう意味では、時期が早過ぎたか否かという問題、あるいはやり方が適当であったかどうかという問題はありますが、当時としてはやりたくないことに手を付けたという状況でした。