西尾勝の発言 (国の統治機構に関する調査会)
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○参考人(西尾勝君) 大変難しい御質問です。
まさに地方分権改革を求めてきた地方自治研究者たちあるいは地方公共団体関係者たち、そして、その人たちが入っていた地方制度調査会は、分権の推進とか自治の充実ということを答申で求め続けたにもかかわらず、時々の内閣によってほとんど取り上げられず、実現しなかったという苦い思い出を持っているのですね。
それが、一九七九年に第十七次地方制度調査会が最終答申を出しているんですけれども、その答申は前書きに、我々地方制度調査会は、過去何度も提言したけれども全く動かせなかった、世の中を、これはこれ以上続けても同じことの繰り返しなので、より強力な内閣レベルの諮問機関を設置して、そこで地方分権、地方自治の充実を議論してほしいというようなことを調査会の答申の中に書いているんですよ。これ、異例の答申だったのですね。
そのときは自治体関係者の願望、願いを述べただけのことだったのですけれども、何とその二年後の一九八一年に第二次臨調がスタートするんですよ。土光臨調が始まる。大行政改革の流れがそこで起こるわけですが、そのとき、これで何とかこの地方分権改革も進むんじゃないかという期待を寄せたんですね。でも、三公社五現業、国鉄分割・民営化等々の大問題から取り上げられましたから、なかなか地方分権に関係するようなテーマは出てこなかった。
これじゃやっぱり進まないのかなと思っていたら、少しずつ出始めた。でも、なかなか地方自治関係者たちの期待のようにはいかないという経験を積んで、そこで、やっぱり行政改革、臨調とか第一次行革審とか第二次行革審、第三次行革審、行政改革委員会という中では限界があって、それと並行して並ぶ地方分権改革を先端的に扱う諮問機関をつくらないとどうも思うようにいかないんじゃないかと思い出したんです。
それを何とかつくれないかというふうに動いているときに、国会の衆参両院の推進決議があった。そこからぐっと勢い付いて、地方分権推進委員会というものを独立につくるという動きになって今日まで来たわけです。これ並んで走る並走状態になったわけです、行政改革と地方分権改革が。ところが、全体としては、行政改革を求めている勢力に後押しされながらやってきた分権改革なんですよ。そこが物すごく難しかったといいますか、いろんな矛盾をはらまざるを得ないというところがどうしてもあります。
ですから、行革にでもなく分権にも矛盾しないというような世界も全くないわけではありません。しかし、多くの問題でやっぱり衝突するというテーマだと、私はそう思っています。