井手英策の発言 (国民生活のためのデフレ脱却及び財政再建に関する調査会)

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○参考人(井手英策君) 慶應義塾大学の井手でございます。本日は、意見陳述の機会を与えていただきまして、誠にありがとうございます。
 本日は財政再建の方向性についてお話をさせていただこうと思うのですが、結論と申しますか、私が一番今日申し上げたいことを先に申し上げますと、財政再建と申しましたときに、立ち所に、歳出を削減するという見解と、あとは歳入を増やす、つまり増税をするという見解とが鋭く対立するようになってまいります。しかしながら、今日申し上げたいと思っておりますのは、その歳出と歳入の関係を考えなければ本当の意味での財政再建は可能ではないのではないかということでございます。
 早速でございますが、中身に入らせていただきます。
 まず最初に、このスライドを御覧ください。(資料映写)これは、X軸の方に労働者の中で公務員が占める割合を示しております。Y軸の方が一般政府、つまり政府の歳出の規模を見たものでございます。一目見て御覧いただけるかと思うのですが、公務員の割合で見ても政府の規模で見ても、日本というのは実は非常に小さな政府であるということをまず御確認いただきたいと思います。
 これまで、財政の議論では必ず、何が無駄か、何を節約するかということを議論してきたわけでありますけれども、そもそも削る余地というのが非常に小さいということ、歳出削減だけで本当に財政再建ができるかということを考えなければならないということをここで指摘したいと思います。その上で、いわゆるワニの口と呼ばれる図で皆さん御存じのとおりだと思いますが、決定的に不足しているのは税収であるということ、したがいまして財政の規模を考えるのと同時に税収が小さいということを考えなければならない、こう思うわけであります。
 それと、日本の増税の歴史を簡単に振り返ってみたいと思います。
 これは大変驚くべき事実なんでありますけれども、実は日本の増税というのは必ず減税とセットにして実施されてきました。つまり、減税を実施するためにはお金が必要で、そのお金を求めるために増税をするという組合せをやってきたのであります。言わば減税のために増税をするという非常に不思議な国でありまして、この始まりは七四年の二兆円減税なのですが、このときは法人税の増税とセットになっております。少し飛ばしまして八四年、この所得税の減税も法人税の増税とセットになっております。八九年、消費税の導入も所得税、法人税の減税とセットでありました。九七年の消費税増税がございましたが、これは九四年以降の所得税減税の代替財源でありました。
 したがいまして、基幹税、法人税、所得税、消費税の中のこの三つの税の純増税ですね、いわゆる増税を実施したのは八一年ということでありまして、実は今回の消費税の増税は三十数年ぶりの増税であったということであります。
 これほどまでに増税ができない国で財政が健全化するわけがそもそもないわけです。とするならば、私たちはそもそもの問いを変えなければいけないのではないかと思います。何が無駄か、何を節約するかということではなくて、なぜ日本ではこんなに増税が難しいのかということを考えなければならないと思うわけであります。
 増税のできない社会について、少し考えてみたいと思います。
 国民が増税を受け入れるとするならば、私は三つの条件が必要になるのではないかと思います。一つ目、他の納税者が自分と同様に納税義務をきちんと果たしているという信頼、つまりほかの人もちゃんと税金を払っているという信頼ですね。そして二つ目に、政府は責任を持ってきちんと税を集め、かつこれを適切に使用しているという政府への信頼。そして三つ目に、過去の人、例えば高齢者世代なんかがそうだと思いますけれども、過去の人たちはきちんと意味のある正しい借金をしてきたという信頼。このような信頼がなければ、人々は増税に対してノーと答えるのではないかと思います。
 したがいまして、租税抵抗が強い、税に対して反対する人が多い社会というのは、そもそも社会や政府に対する信頼感が弱いのではないのかということが予想されるわけであります。
 そういうことを頭に置きまして実際のデータを見てまいりますと、これはピュー・グローバル・アティチュード・サーベイというものから引っ張ってきたんですが、右側の、何色というんですかね、桃色というか、その色が付いている右側の色の方が人間は信頼できると答えた人の割合になります。
 実は、これ地域ごとに分かれていますが、アジアの中で最も社会に対する信頼度が低いのは日本であります。この四三という数字を御記憶いただきたいのですが、例えば他の先進国、カナダであれば七一、アメリカであれば五八、下に行きまして、ヨーロッパ、スウェーデンが七八ですかね、イギリスが六五、ドイツ五六、フランス四五、そして日本と同じ四三、スペインと来ます。そして、唯一日本より低いのがイタリアということであります。
 一つ面白いと思いますのは、この社会を信頼しない人々の多い三つの国、日本、スペイン、イタリアはいずれも財政赤字に苦しんでいる国だということであります。
 異なったデータを見てみましょう。次のスライドを御覧ください。
 これは別のデータからまた持ってきたものですが、社会の人々は信頼できますかという問いに対して、信頼できると答えた人の割合を示しておりますけれども、いわゆる先進国の中で日本は最も、信頼できると答えた人々の割合が少ない国であります。
 ここで、試みにX軸の方に信頼できると答えた人の割合を取ってみまして、Y軸の方に税収がGDPに占める割合を取ってみました。この図が意味しているのは、明らかな右上がりの関係があるということであります。すなわち、信頼度が高い国ではたくさんの税を集めることができ、信頼度の低い国では余り多くの税を集めることができないという関係があるということであります。
 それともう一つ、税を集められない国というのは、当然のように小さな政府になってまいります。財政の規模が小さくなってまいりますが、その小さな政府であるということは、すなわち格差の大きな社会であるということをこの図は示しております。X軸の方に不平等の改善度を取り、Y軸の方に政府の財政規模を取るわけですけれども、この中でこれまた右上がりの関係が出てくる。すなわち、政府が大きければ格差は当然ながら改善されると。
 ですので、予想されることは、信頼が低い社会というのは、税収が少なく、かつそのことによって政府規模が小さくなり、そして格差も大きくなるのではないのかということであります。
 これを念頭に、日本の財政がOECDの中でどういう位置にあるかというものを見てみたいと思います。
 左側、これは給付、支出を通じた格差の是正効果を見ております。右側は、税を通じた格差の是正効果を見ております。左側は、貧しい低所得層に対して給付をしていけば格差が小さくできるという財政の役割でありまして、右側は、富裕層に税を重たく掛けることによって格差を小さくしていくということを示すものであります。この左と右の二つの図を御覧いただいて分かることは、日本の財政というのは極めて再分配の効果が弱いということであります。
 私たちはなぜこんなに再分配の弱い財政をつくってしまったのか、このことについて考えなければいけないと思うのですが、そのことを考える上での大きなヒントが、先ほど申し上げた人間に対する信頼度であります。
 例えば、低所得層に対して手厚い給付を出したときに、その人たちが無駄遣いをする、あるいは本来の趣旨とは違う使い方をするという不信感を持っている社会であれば、当然のことながら低所得層に対して給付を行うことに反対するのではないでしょうか。あるいは、税も同じです。人々が脱税をする、人間は正しく税を納めないと考えるような社会であれば、あらゆる人々がフラットに税を払い、誰もが逃れることのできないような消費税のような税を求めるかもしれません。いずれにせよ、信頼が弱いということとこのような財政をつくったということの関係というのは、私たちは真面目に考えなければいけない問題だというふうに私は思っております。
 では、更に問いを先に進めていきたいと思います。
 なぜ、私たちの社会はこれほどまでに信頼度が低いのか。今日はたまたま社会に対する信頼度をお示ししましたが、政府に対する信頼度というのもあります。ちなみに、この政府に対する信頼度も先進国で最低なのが日本であります。
 このように人を疑うことが合理的な社会、それはどこからきているのか、私は三つあると思っています。
 一つは、皆さん御存じのような雇用の不安定化、所得の歴史的な低下によって中間層の平均所得が下がっていき、この中で低所得層に対する寛大さが失われていっている中で、なるべく低所得層に対する給付を減らしたいという人々の気持ちが低所得層に対する批判につながっているという側面があるのではないのかと思います。
 二つ目、これは後で具体的な数字をお示ししますが、財政が個別に利益が分断されておりまして、それぞれの既得権益が明確なため、自分の予算を削る前に人の予算を削れというようなプレッシャーが加わる。したがって、人を疑うことが合理的な財政になっているのではないのか。
 そして三つ目、財政ニーズが満たされておらず十分な受益感がないために、そのことによって人々を疑い、自分の取り分を増やそうとすることがあるのではないのかと。
 こういうふうな仮説のようなものを立てながらデータを見ていきたいと思います。
 所得水準の低下というのは、もう皆さん御存じのとおりです。ピーク時の九六年と比較しますと、世帯所得が約百十万円程度下落しております。平均的な世帯所得が百十万円落ちるだけではなく、加えて、専業主婦世帯と共稼ぎ世帯、共働き世帯の比率が逆転しておりますので、二人の人が働きに行くようになる中で所得が二割近く落ちてしまったというのがこれまでの経緯ではないかと思います。
 消費税の前回の増税の先送りをめぐっていろんな議論がありましたけれども、名目雇用者報酬が増えているか、いやいや、そうではなくて実質で見ると減っているではないかというような様々な議論がありましたが、数%所得が増えたということでは取り返しが付かないぐらい、二割に近い大きな所得の下落が、落ちているということを考えなければいけないと思います。
 この中で、中間層がそもそも低所得層に対して寛容ではいられない社会、まずは自分のことを考えなければいけないような社会が生み出されているということが一つあるのかと思います。
 二つ目、これは意外と言われないことでありますが、日本の財政ほど個別の誰かの利益になっている財政というのはございません。
 これ、意味がちょっと分かりにくいかもしれませんが、例えば公共事業といった瞬間に、地方や低所得層の利益だと人々は考えます。あるいは、障害者医療といえば当然障害者。中等・高等教育というふうに、高校、大学の教育といったときに、授業料が免除されるのは貧しい人だけだ。あるいは、育児、保育も、都市の共稼ぎ世帯の場合は入れてもらえるんだけれども、専業主婦だと保育所に入れてもらえない。生活保護や児童手当、障害児福祉手当など、これはもう当然低所得層の利益になっており、中小企業金融やあるいは農家に対する所得補償やという形で、日本の財政というのは全てが分断され、個別の誰かの利益になっております。
 例えば医療費がただであるといったときには、それはあらゆる国民にとって利益になるわけです。大学の授業料が無償化されるというときには、例えばあらゆる国民の利益になるわけです。しかし、そうではなく、日本の財政の場合は個別の誰かの利益になっておりますので、その中で財政赤字が大きくなる文脈の中では、誰が無駄遣いをしているのか、どの給付が不必要なのか、そのようなことを暴露し合うような、むしろ人間の不信を助長するような政治が主流になっていくということではないのかと思います。
 財政ニーズの問題ですが、近年、日本の社会保障は少しずつGDPに対する割合を上げてきております。しかしながら、この赤丸で囲まれている部分、すなわち高齢者のメリットとなるようなサービスと、青の丸、現役世代がメリットを受けるようなサービスの間に大きな差が出ております。この違いというのは極めて決定的な違いになっておりまして、今の日本の社会支出は、主な受益者たる高齢者とほとんど受益感のない現役世代の間で対立を深めるような形になっています。このことも社会の不信感につながっていくものと思います。
 やや難しい図なのですが、これは青と赤、この青と赤は国民の負担率を示しております。この国民の負担率から、私は試しに医療や教育、社会的保護というような、あらゆる人々が必要とするサービスの受益を引いてみました。負担から受益を引きますと、純粋な負担率というものが見えてくるかと思います。これを見て驚きますのは、日本と北欧諸国はほとんど純負担率が変わらないということです。すなわち、非常に大きな税負担にややもすれば苦しんでいると言われる北欧諸国でありますが、同時に、極めて受益感が大きいために、かつあらゆる人々が必要とするような受益感が大きいために、実質的な負担率は低くなっているということでございます。
 その結果、どうなるかといいますと、次のスライドを御覧ください。中間層の税負担をどう思いますかという質問に対して、日本よりもスウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマーク、いわゆる高福祉高負担の国々の方が税を軽いと思っている人々の割合が大きいということになってまいります。すなわち、日本人の強い租税抵抗の理由の一つというのは、受益感に乏しいこと。しかも、それは個別の利害ではなく、あらゆる人々が必要とするであろう利益が少ないということによって説明できるのではないかと思います。
 その典型が今回の消費税論議でありました。平成二十六年度の予算で約五兆円の財源が新しくあったというふうに言われましたけれども、その中で新しく社会保障が充実されたのは僅か〇・五兆円であります。〇・五兆円の社会保障のために五兆円を取られたということ、このことに対する国民の租税抵抗が今回の増税の先送りの理由の一つではないか、こういった議論がほとんどなされなかったことに対して私はやや違和感を覚えております。
 実は、格差を是正するというときに、大きく言って二つの方向があるということが意外と知られておりません。私たちが普通、格差を是正するといいますと、まず所得制限を付けて、そして貧しい人にお金をあげる。これをもって格差が是正できると私たちは考えがちなのではないでしょうか。しかし、実はもう一つ再分配の方法があります。それは何か。所得制限を付けずに、あらゆる人々に対して現物給付を与えるという方法であります。実はこういった再分配の方法があるということを日本の中では余り議論されません。
 その中で、しかし、これは二つとも再分配の効果を持つのですが、重要な違いがあります。前者は特定の人々を受益者とし、中間層以上を負担者としてしまうために所得階層間の強い対立を生み、中間層の租税抵抗を生むということであります。一方で、後者はあらゆる人々が受益者となりますので、中間層が低所得層や他の人々を批判する必要がなくなります。
 したがいまして、信頼が高い、人々を信頼する国というのは、この所得制限を伴わない現物給付の領域が広いということになります。言わば、やや象徴的に申し上げれば、誰かの利益ではなく、人々が必要とする人間の利益について考えていかなければならないということであります。
 これちょっと英語で申し訳ありません、口頭で申し上げますが、実は現物給付、これ、上の方のQ1、Q2というのは所得階層を示していまして、Q1、Q2の方が貧しい人々の層ということになります。現物給付をあまねく人々に提供しますと何が起きるか。一番上のエデュケーション、その下のヘルスケア、つまり、教育や医療を幅広く人々に提供していくと非常に大きな格差の是正効果があるということがこのデータによって分かります。それと、赤では囲っておりませんが、もう一つ、ECECという、これ就学前の教育、育児、保育ですね、ここをあまねく人々に提供していくことによって大きな格差是正効果を持つことも知られております。
 次のグラフは、X軸の右に行けば行くほど今申し上げた現物給付、人々に現物給付、サービスを提供する割合が大きくなることを示しております。そうすると、先ほどの表を証明するかのように、明確に所得格差は是正されてまいります。
 そしてもう一つ、現役世代と高齢者の間の受益のギャップが大きいということを申し上げましたが、X軸、これは現役世代向けの社会保障を示しておりますけれども、今の現役世代に対する社会保障が薄い国は貧困率が高いというデータも出ております。
 したがいまして、日本というのは、まさに、税が少なく人々をなかなか信頼できることのできない国であり、かつ給付面でも、高齢者に対して手厚く現役層に対して手薄い、その結果として、格差も大きくなり貧困率も大きくなっているという現状がおおよそ説明できるのではないかと思います。
 財政再建をどうすればよいのかということを考えるときに、歳出を削ればよい、あるいは歳入を増やせばよいというふうに議論するのではなく、歳出の中身を組み替えていくことによって中間層と低所得層の対立をなくし、現役世代と高齢者の対立をなくしていくことができます。そうすることによって、社会への信頼度を高めていく中で増税への合意形成を図るということが大事なのではないかと思います。
 最後に一点だけ、このように申し上げたときに必ず出てくるであろう反論が、政府の規模が大きくなれば財政赤字が大きくなるのではないのかという心配であります。それが最後の図でありまして、X軸に一般政府の歳出の規模を取り、つまり財政の大きさを取り、Y軸に借金の大きさを取っております。この双方には何の関係もないということが統計的な結果であります。
 したがいまして、政府を大きくすれば財政赤字が大きくなるということでは決してない。むしろ、その中で人々の信頼を育み、租税への合意を整えていく中で増税の可能性を強め、そして財政を再建していくというのがあるべき方向性ではないのかと私は考えております。
 以上でございます。

発言情報

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発言者: 井手英策

speaker_id: 29980

日付: 2015-04-15

院: 参議院

会議名: 国民生活のためのデフレ脱却及び財政再建に関する調査会