藤田英典の発言 (文教科学委員会)
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○参考人(藤田英典君) ここで意見を申し上げますことを非常に光栄に思っております。ありがとうございます。
私は、この今回の法律案には批判的でありますが、お手元の資料のとおり、「「義務教育学校」創設の是非について 公正・公平な制度の下すべての子どもがハッピーでありうるために」と題して報告をさせていただきます。
最初に、図で示してありますけれども、学校教育が基本的に抱えている機能、役割と充足すべき要件について確認しておきたいと思います。
学校教育の基本的な役割あるいは機能として三つあります。
左上の教育・社会化機能。知識の伝達、配分により学力、能力の形成、それから人格、市民性の形成、この二つでありますが、これは、下の括弧にも書いてありますように、知識、文化の世代間継承を社会的に可能にするという意味で社会的にも非常に重要な機能であります。
二番目の大きな機能は、下に書いてありますケアリング機能であります。学校教育は、子供が学校で過ごす時間、生活空間、居場所を提供し、そして安全、安心、保護、世話を提供するところであります。したがって、校内暴力やいじめ等々の問題を迅速かつ適切に対応していくことが極めて重要であります。そういったことも含めてケアリング機能が重要です。
三番目は選抜・配分機能でありますが、これは、学校教育の直接的な目的というよりも付随的な機能と言うべきですが、しかし極めて重要で、入学者選抜と、そして受け入れた学生生徒に対して卒業証書を付与し、教育資格を付与し、そしてそれはその後の階層的な秩序への人員配分、就職等にも様々な影響を及ぼしていきます。したがって、この点におきまして、教育の機会は基本的に公正かつ公平でなければいけないということになります。
そこで、下の方に二点まとめておきましたが、学校教育システムは全ての子供に教育の機会を公正かつ公平に提供するものでなければならない、左に、学校は全ての子供に最善の教育と学びの場と機会を提供するものでなければならない。この点におきまして、今回の義務教育学校が特殊なものとして位置付く可能性があり、そしてまた、それは教育の機会を非常にゆがめていく可能性があります。
次に、小中一貫、連携の在り方について考える際に留意すべき事項として二点確認しておきたいと思います。
一点目は、初等教育は共通性原理によって、高等教育は分化原理によって編成されております。そして、その間に位置する中等教育は共通性原理と分化原理がせめぎ合う段階となっております。そのために、中等教育の在り方は国によっても、そして歴史的な発展段階によっても多様でありましたし、現在もそのような多様性が見られます。
とはいえ、前期中等教育は共通性原理によって、後期中等教育は両方の原理が収れんする傾向にあります。その意味で、小中一貫という考え方は両方とも共通性原理に属するという点では問題は特にないところでもありますが、しかし、後で述べるようなことで非常に問題が多いと考えております。
二点目は、重要な選択、選抜の時期が早いほど家庭の経済資本、文化資本、教育戦略や情報収集判断能力の違いによる教育機会の格差が拡大、固定化しがちであると。これは、義務教育学校は、現に既に施設一体型の小中一貫校として始まっている学校の多くは選択制の学校になっております。つまり、小学校入学時点から保護者が選択するということになります。ですから、学校選択制は学校間の序列化、格差化を招く傾向がある。二点目、義務教育段階の学校選択制や選択制の小中一貫校、中高一貫校の制度化は教育機会の階層間の格差の拡大を招く可能性があるということであります。
次のページ、御覧ください。小中一貫教育の法制化について。
この法制化論の根拠にされるものとして、先ほどの無藤参考人も言及されました中一ギャップというものが絶えず挙げられます。そして、この中一ギャップ論は、私は妥当性に欠けているというふうに見ておりますが、お手元の資料、学年別いじめの認知件数と学年別不登校児童生徒数、この表は、教育再生実行会議の小中一貫校の法制化を提言した第五次提言の参考資料にも掲載されているものであります。もちろん、文部科学省の調査データであります。
御覧いただくように、いじめについては、小学校六年生、一万九千人、中一、二万九千人ということで約一万人増えていて、これをもって中一ギャップあるいは中一ギャップの表れと言われているわけでありますが、私は、そこに補助線として引きました。これは増加傾向線と言っていいものでありますが、小一から中一まで増加傾向線、この線を引きますと、むしろ小学校五年生と小学校六年生は少ないと。なぜこれが少ないのかということを考える必要があるということです。これは、小学校と中学校を六三で分けていることによるものだというのが私の見方です。
同様のことは不登校についても言えます。不登校はいじめの場合よりやや複雑な面がありますが、まず、小学校六年生から中三、ピークに達する中三までの補助線のところを見ますと、明らかに中一はこの増加傾向線よりも上に出ています。しかし、その点で見ますと、中学二年生も同じように上に出ています。そして、実際に実数で言いますと、小六から中一の増加は約一万四千ですが、中一から中二にかけても約一万二千増加しております。ということになれば、もし中一ギャップというならば、同じように中二ギャップがあるということになりますが、これではギャップ論は成立しません。
そこで、ほかの二つの補助線を御覧いただければと思いますが、小一から小六まではなだらかに増加傾向にあります。しかし、理論的に言えば、不登校は基本的には思春期以降に顕在化する傾向が強いというふうに言えますから、小四からピークに達する中三までの補助線を引きますと、この増加傾向線で見れば、いじめの場合と同様、小学校五年生、小学校六年生は極めて少ない、少なく収まっているということになります。それに対して、中学一年は増加傾向線よりもむしろ下にあります。そして中学二年生は上に出ます。つまり、中一でもちろん増えますが、中二になるともっと増える、そして中三になるとそれほど増えない。これは、中二段階で困難を抱えている子供が不登校になってしまうから中三では増えないという天井効果によるものです。
ですから、そうしますと、ここで二つのことが指摘されます。小学校の五、六年生が少ないのは、上級学年、最上級学年になる自覚化、成長効果によるものと考えることができます。それに対して、中学校で不登校が増えるのは、これはいじめも同様なんですけれども、基本的には、中学校文化が持っている二重の競争的な、競い合うというプレッシャーであります。一つは学力、受験競争の圧力、もう一つは友達の間で人気があるかどうか、好ましく見られているかどうか。様々な点で子供たちは潜在的に競い合いの意識を持っています。その二つのプレッシャーに加えて、中学校文化では、学校における規則、規律等も小学校時代よりも強くなりますし、そしてまた様々な形で集団性圧力も強くなります。ですから、そういう中で不登校が増え続けるということでありますが、そういうことを踏まえるならば、次のページを御覧ください。
今述べた私の見方が妥当であるなら、小中一貫校の法制化は、いじめや不登校などへの対応策として適切でも有効でもないというだけでなく、事態の更なる悪化を招きかねない。義務教育学校の法制化は、施設一体型小中一貫校の増加を促進すると予想されるが、特に都市部の大規模校で小五、小六の子供たちの萎縮、疎外やいじめ、不登校の増加を招く危険性があるというふうに考えられます。
そこで、次に、アメリカの学校体系の変遷と現行の六三三制の意義について考えてみたいと思います。
このアメリカの変遷は非常に興味深いものでありまして、お手元の資料の下に示しました主要な学校種の学校数の推移、一九八〇年から二〇一〇年に公立学校がどのように変化したかというものの表でありますが、これも先ほどの教育再生実行会議の第五次提言の参考資料に掲載されているものです。
この表の要点を右の四角の中にまとめておきました。一点目は、六年制の小学校、下級ハイスクール、上級ハイスクールが大幅に減少しております、この三十年間にですね。それから二点目は、五年制の小学校、ミドルスクール、四年制ハイスクールが大幅に増加しております。これは、先ほども無藤参考人も言及されましたミドルスクールが非常に多くなってきたからであります。
では、この二つの三十年間の変化は、もう少し長いスパンで歴史的な変遷の文脈の中に置いてみますと、次のようなことを指摘することができます。
第一段階の二十世紀初頭までは、アメリカでは八四制、小学校八年、ハイスクール四年が大半でした。ところが、第二段階の二十世紀前半には、六三三制が導入され、増加することになります。そして、戦後日本にこの六三三制が導入されたことは御存じのとおりであります。次に、第三段階の二十世紀後半になりますと、ミドルスクールを核とする五三四制などが急増することになります。
なぜこういう変化をたどったかということについて、六三三制とミドルスクールの制度設計理念について確認しておきたいと思います。
まず、六三三制は、八年制の小学校から四年制ハイスクールへの移行上の困難、不適応を解消するためでした。つまり、現在の中一ギャップ論が主張していることと同じ論理で六三三制が導入されたということであります。それに対して、二番目のミドルスクールを中心とする制度再編は、ミドルスクールは思春期の発達上の難しさに適切に対応し、最善の教育環境を提供するという基本理念に基づいて導入され、増えてきているところであります。
そこで、以上を踏まえますと、次のページにまとめておきましたけれども、一番目として、戦後日本に導入された六三三制は、八年制小学校から四年制ハイスクールへの移行上の困難、不適応の解消という点にあり、その点で、現在日本で言われている中一ギャップ問題と同種の問題への対応策であったということであります。二点目といたしまして、二十世紀後半以降に導入されて増加してきたミドルスクールは、思春期の発達上の難しさに適切に対応し、最善の教育環境を提供しようとするものであり、アメリカの経験に基づく改革とは真逆の改革が今日本で進められようとしております。
そこで、この部分の結論として、一、中一ギャップの問題の解消が主要な理由、目的の一つであるなら、その点で九年制義務教育学校の創設には目的合理性はないと言える。加えて、二、思春期の難しさが重大であるとするなら、いじめ、不登校などへの適切な対応という点でも、おおらかな環境の下で生活、学習し、誇りと自信を持って自己形成していくことができるようにするという点でも、九年制義務教育学校の法制化には目的合理性、適切性はなく、むしろ事態の悪化を招く危険性があるということであります。
そこで、次に、問題はしかしそれだけではなくて、九年制義務教育学校創設の副次的あるいは付随的な効果として、教育機会の制度的格差を拡大するという問題があります。義務教育段階の学校選択制や選択制の小中一貫校、中高一貫校が教育格差の拡大を招くというのは、これは教育社会学を始めとして様々な研究がこれまで明らかにしてきたところであります。
ここで四点まとめてありますが、赤字にしておいた三点目と四点目だけを申し上げたいと思います。学校選択制は人気校と不人気校をつくり出し、その固定化と格差化を招きがちである。四点目、学校選択制も小中一貫校、中高一貫校も、重要な選択の時期を早期化、早くすることになりますから、その結果として、家庭の経済力、文化資本、教育戦略などによる教育機会の格差化を招くことになるという点で公平性を欠くというふうに言えます。
そして、こういったような制度改革の結果に対する責任は誰が取るのか。これまでの経験では、責任を取らされてきたのは子供、保護者であり学校、教師でありました。しかし、ここにいらっしゃる議員の先生方を始め、政策担当者が責任を取ったということはこれまで一度もありません。このことは極めて理不尽かつ不条理なことであると私は考えておりますが、このような理不尽、不条理を回避するためにも、良識の府とされる参議院におきまして賢明な判断と決定をしていただきたいというのが私の願いであります。
それで、それにしても、日本の教育はこういうような制度改革をしなければいけないほど問題の多い駄目な教育制度であるのかということであります。
OECD教育調査団が一九七一年に日本に来て詳細な調査をして、報告書として日本の教育政策というものを公表しております。このときのメンバーは、ジョセフ・ベン・デビッド、高等教育の専門家です。それからロナルド・ドーア、日本研究者として世界でも第一人者と言われる人です。それからヨハン・ガルツング、平和研究者としても有名です。エドガー・フォールはフランスの最年少で首相を務め、文部大臣も務めた人です。それから、エドウィン・ライシャワーは御存じのとおりであります。
我々は、自分たちの国に比べて初中等段階での日本の成果がいかに大きいかに深く印象付けられた、日本の人々に役立つようなことをこちらから指摘したり示唆するよりも、むしろ我々自身の方が学ぶべき立場に置かれている、日本は十五歳まで、すなわち中学校段階まで差別的な教育はやらないように細心の努力を払ってきた国の一つである、コースの分化を避け、優秀な子供には遅れた仲間の学習を助けさせるという中学校教育の在り方は、最も魅力的で人間的な教育の特質として我々の心を捉えたと、これが当時のOECD教育調査団の日本の初等中等教育に対する評価であります。
しかし、この三十年間、この良さを基本的にはずたずた切り裂いてきたのが主要な制度改革であったと見ております。
私の時間ほぼ過ぎましたので、最後のページの「公正な制度の下すべての子どもがハッピーでありうるために」のところにつきましては、後ほどもし御質問等ありましたら説明をさせていただきます。
どうも御清聴ありがとうございました。