文教科学委員会

2015-06-11 参議院 全78発言

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会議録情報#0
平成二十七年六月十一日(木曜日)
   午前十時開会
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         水落 敏栄君
    理 事
                石井 浩郎君
                二之湯武史君
                神本美恵子君
                斎藤 嘉隆君
    委 員
                赤池 誠章君
                衛藤 晟一君
                橋本 聖子君
                藤井 基之君
                堀内 恒夫君
                丸山 和也君
                吉田 博美君
                榛葉賀津也君
                那谷屋正義君
                森本 真治君
                秋野 公造君
                新妻 秀規君
                柴田  巧君
                田村 智子君
                松沢 成文君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        美濃部寿彦君
   参考人
       白梅学園大学子
       ども学部教授   無藤  隆君
       共栄大学副学長  藤田 英典君
       法政大学キャリ
       アデザイン学部
       教授       佐貫  浩君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○学校教育法等の一部を改正する法律案(内閣提
 出、衆議院送付)
    ─────────────
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水落敏栄#1
○委員長(水落敏栄君) ただいまから文教科学委員会を開会いたします。
 学校教育法等の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本日は、本案の審査のため、参考人として白梅学園大学子ども学部教授無藤隆君、共栄大学副学長藤田英典君及び法政大学キャリアデザイン学部教授佐貫浩君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の皆様に委員会を代表して一言御挨拶を申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、誠にありがとうございます。
 参考人の皆様から忌憚のない御意見を拝聴いたしまして、本案の審査の参考にさせていただきたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 本日の会議の進め方でございますが、まず、無藤参考人、藤田参考人、佐貫参考人の順でお一人十五分程度で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 また、御発言の際は、挙手をしていただきまして、その都度委員長の許可を得ることになっておりますので、御承知おきいただきたいと存じます。
 なお、参考人、質疑者共に御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず無藤参考人から御意見をお述べいただきます。無藤参考人。
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無藤隆#2
○参考人(無藤隆君) 無藤でございます。
 私は、資料としてお手元に行っているかどうか、九つ、箇条書ということでまとめてまいりました。
 この義務教育学校、これまで中央教育審議会では小中一貫学校という言い方で審議を重ねてまいりました。たまたま私もその審議のメンバーの一員でありまして、この新たな義務教育学校の意義というものをいろいろな形で考え、また文部科学省等の調査、さらに、私は幾つか実際に、これまでのものですから一貫学校というよりは小中の連携、接続の試みでありますけれども、それを行っている自治体にも関わってまいりました。その経験を基にお話をさせていただきたいと思います。
 以下に申し上げる九つほどの点で、新たな制度化ということがプラスであるというふうに考えております。
 九つ挙げましたけれども、大きく言うと三つに分かれております。一つは、義務教育というもの、特に学校教育法で義務教育というものが規定される中で小中が位置付けられましたので、そのことに関わってということであります。大きく二番目は、小中の具体的な授業実践、生徒の指導の在り方の改善に関わるものであります。そして三番目は、カリキュラムをどういうふうに作っていくか、進めていくかに関わるものであります。
 最初に、義務教育に関わってでありますけれども、義務教育は、法律を持ち出さなくても、当然ながら九年間、小学校そして中学校まとまったものとして存在しておりますし、義務教育学校あるいは通常の小学校、中学校を含めて中学校卒業時においてどのような資質、能力を持つか、きちっとした一定の資質、能力を持つ、それが学校の責任であるということになります。
 そういう意味では、例えば小学校は基礎の部分、中学校は発展、完成の部分ですけれど、その両方が合わさって九年間の子供の成長、学びを可能にするものである。また、小中学校が言わば説明責任を持つとしても、最終的には中学校卒業時への責任であるわけです。そういう意味で、小中はできる限り協力して、一体となって義務教育に関わるという当然のことを申し上げたいと思います。
 その上で、もしそうであるとすれば、小学校、中学校の密接な協力が不可欠であるわけです。それが、これまでのところ、小学校、中学校の制度的な違いや、それから、比較的大きな問題は物理的な配置の違いだと思いますけれど、そういったことで必ずしもうまくいっていないのではないかと思うわけです。
 二番目に、校種間のつながりを改善するということで書いておきましたけれども、日本の学校は、学力検査あるいはそれ以外の実際の教育学者による視察その他で非常に国際的に高い成果を上げていると評価されていると思いますけれども、多くの海外からの見方の共通点の一つは、校種間のつながりが弱いということだろうと思います。それぞれ小学校、中学校、あるいは高校、あるいは幼稚園の完成度は非常に高いと思うのですけれども、逆に、そのためにつなぎの仕方に難しさが現れてくるのだろうと思います。
 小中の間でいえば、それは学習方法の違いであります。小学校は言うまでもなくクラス担任制です。中学校は教科担任制です。それを部分的に修正してはおりますけれども、その大きな指導法の違いというものが子供にとって混乱をもたらすところは否めないと思いますし、また、生徒指導の在り方も、具体的なやり方等が非常に異なっているわけです。そういうことも影響しながら、いわゆる中一ギャップも起こってきているのかと推察しております。
 また、中学校での、例えば中学一年での様々な問題行動なども、小学校高学年の段階に多くの芽生えがあると思いますけれども、その辺りの情報の交換、あるいは中学校の先生が小学校高学年まで見通し、またその逆というものがどうもやりにくいのではないか。
 具体的に、例えば今なかなか難しい部分の幾つかを挙げれば、生徒の生活の自己管理、つまり、家庭でスマホの問題とかあるいは夜遅くまで起きている等の問題は小学校高学年から深刻になっておりますが、そういったことについての対応を小中一緒にやっていかなければいけない。
 あるいはまた、自己学習スキルと呼んでおりますけれども、中学校になると、自分で宿題をするだけではなくて、試験勉強も含め、様々な形で自習、予習、復習が求められますけれども、その辺の学習スタイルは小学校と大きく違いながらも、中学校に向けての準備はほとんどなされておりません。その辺りの制度的な改革が必要であると考えております。
 大きく二つ目が、三番、四番、五番、六番に挙げたところでありますけれども、個別の子供の指導の一貫性というのを一つ挙げたいと思います。
 例えば小学校の中で、一年生から六年生までであれば、一人一人の子供の名前を挙げながら、あの子はこうである、三年生のときにこうで今五年生でこうであるといった情報の共有というのがなされます。中学に入っても、一年生から三年生についてはなされるわけですが、小六と中一の間には大きなギャップがあって、非常に抽象的な、あるいは極めて特別な情報はつなげられるにしても、日常的な情報はほとんど行き交っておりません。そういう意味で、子供一人一人の情報を共有する仕組み、これは一つの制度の下の方がはるかにやりやすいのではないかと思います。
 それからもう一つ、四番に書きましたのは小中の移行期の在り方の問題であります。
 学制改革の議論というのは以前よりあるわけで、例えば、六三制に対して四三二がいいとか五四がいいとか、いろいろな議論があると思うのですけれども、結局、それが決着はなかなか付かない一番大きな理由は、個人差が非常に大きいので、どういった子供に焦点を当てるかで、例えば小五を中学にした方がいいとか、それは早過ぎるといったことになるかと思います。
 典型的にはアメリカなどのミドルスクールのような考え方で、つまり、多くの国で小学校、中学校の中間の学校をつくるなり、あるいは移行的な学年をつくるなりという試みが増えてきております。そういう意味で、日本で別にミドルスクールをつくれと言っているわけではなくて、その辺の小学校高学年から中学の一年生ぐらいの、小学校的特徴を持ちながらも中学の指導の在り方を強化するようなことをやりたいと、そういった地域、教育委員会が増えてきているというふうに考えております。
 それから、五番、六番は子供同士の学び合い、教師同士の学び合いの問題であります。
 子供が、小学生、中学生、行き来しながら相互に学び合うとか、あるいは小学生のうちに中学に行って中学生の姿を見る、また、中学生が小学校に出かけて、学習や時に部活などの面の指導を行うということが子供たちの成長に大いに役立つ面があります。
 もう一つは、教師の学び合いであります。小学校、中学校の教師のどちらが指導技術が優れているかといえば、それは一般的にどっちが上ということではなく、種類の違いなんだろうと思います。小学校の教師は全科が基本であり、学級指導を中心とした極めて子供に近い、丁寧で一人一人の子供に対応した指導を得意としております。それに対して中学校の場合には、やはり教科専門として特定の教科についての高い知識と指導技術を持つものだろうと思います。その両方が本当は必要なわけで、そういう意味で、小中の教員が一緒になりながら相互に研さんし、学び合い、より良い在り方を求め、先ほど申し上げた小学校から中学校にかけての小中重なり合いがあるような、そういった新たな学習指導、生徒指導をつくり出していただきたいと考えております。
 最後に、七、八、九のところでありますけれども、今回の提案されている義務教育学校というものは二つの特徴があると思います。
 一つは、義務教育学校として提言されておりますけれども、基本的には教育委員会の選択である、通常のこれまでの小学校及び中学校と併存できるものである。もちろん、全部をそちらにしてもいい、あるいは選ばなくてもいい。やはり地域の事情、学校の事情、子供の在り方等々によってどのような形で自分の地域の小学校、中学校、義務教育の在り方を言わばデザインしていくかということが教育委員会また各学校に求められ、そこに参画する保護者、地域住民の考えによるということが大きいことだというふうに思います。それが一つです。
 もう一つは、そこを当然ながらそういう形で行うということは、例えば小学校、中学校のその地域の学校が義務教育学校になり得るということであります。いわゆる就学指定をするという中での組立てでありますから、当然ながら、義務教育学校の前半の小学校に相当する部分は小学校の学習指導要領をきちっと行う、また中学校に相当する部分は中学校の学習指導要領をきちっと指導する、全体として義務教育の指導内容を指導するものであるということと、それから、就学指定ということは、その地域の子供たちが原則としてその小学校若しくは義務教育学校に進学するという意味でありますので、そういう意味で、地域の学校としての新たな義務教育学校というものが構想されていると私は理解しております。そういう意味で、地域住民の関わり、あるいは現場の先生方の関与というものを大いに求めながら教育委員会が活用していただける制度となってほしいと思っております。
 それから、八番、九番なんですけれども、八番は極めて実務的な話ですけれど、特に首都圏などですと、中学になってから私立学校に転出する、進学する、あるいは引っ越すなどは結構あるのではないかと思います。そういう意味では、この義務教育学校で小六と中一の間の教育内容の多少の入替え、あるいは新教科というものも提言されてはおりますけれど、その際に、転出、転入する生徒さんへの十分な配慮、簡単に言えば、小六で学ぶべき事柄を中一で学ぶことになっていたが学んでいない場合の補習ですね、また、その逆などについてきちっと行うということをお願いしたいと存じます。
 最後に九番、教科等の一貫性の問題でありますけれど、九年間という中で様々な形で進めていただけるわけですけれど、私としては、その中で、小六から中三のつながりということを幾つかの教科ではしっかりつくるといいのではないかというふうに思っております。
 これは、義務教育学校の法律自体の問題というよりはその運用の問題でありますけれども、例えば家庭科は小五から始まり中三に続きます。それから小学校英語は、今提言されているのは小五、小六の英語活動を教科にするということのようですけれども、もしそうだとすれば、教科としての英語は小五から中三までつながるわけであります。また、理科や社会科などは小三から始まってはおりますけれども、教科内容に関して言うと、小学校部分と中学校部分の様々な繰り返しがあります。繰り返しの意義もありますけれども、それを整理しながら、より効率的に子供にとって印象深い教え方が可能になるということ。あるいは算数、数学の結び付きも、算数の高学年部分には実は代数の考え方がそれとは言わないけれども入っているわけでありますけれども。要するに、x、yという記号は使わないけれども代数的考え方が小学校算数の六年生に入りますけれども、あの辺りは、中一との結び付きがもうちょっと強くなればより優れた教え方になるのではないかと期待しているところであります。
 時間かと思います。以上です。
 ありがとうございました。
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水落敏栄#3
○委員長(水落敏栄君) ありがとうございました。
 次に、藤田参考人、お願いいたします。藤田参考人。
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藤田英典#4
○参考人(藤田英典君) ここで意見を申し上げますことを非常に光栄に思っております。ありがとうございます。
 私は、この今回の法律案には批判的でありますが、お手元の資料のとおり、「「義務教育学校」創設の是非について 公正・公平な制度の下すべての子どもがハッピーでありうるために」と題して報告をさせていただきます。
 最初に、図で示してありますけれども、学校教育が基本的に抱えている機能、役割と充足すべき要件について確認しておきたいと思います。
 学校教育の基本的な役割あるいは機能として三つあります。
 左上の教育・社会化機能。知識の伝達、配分により学力、能力の形成、それから人格、市民性の形成、この二つでありますが、これは、下の括弧にも書いてありますように、知識、文化の世代間継承を社会的に可能にするという意味で社会的にも非常に重要な機能であります。
 二番目の大きな機能は、下に書いてありますケアリング機能であります。学校教育は、子供が学校で過ごす時間、生活空間、居場所を提供し、そして安全、安心、保護、世話を提供するところであります。したがって、校内暴力やいじめ等々の問題を迅速かつ適切に対応していくことが極めて重要であります。そういったことも含めてケアリング機能が重要です。
 三番目は選抜・配分機能でありますが、これは、学校教育の直接的な目的というよりも付随的な機能と言うべきですが、しかし極めて重要で、入学者選抜と、そして受け入れた学生生徒に対して卒業証書を付与し、教育資格を付与し、そしてそれはその後の階層的な秩序への人員配分、就職等にも様々な影響を及ぼしていきます。したがって、この点におきまして、教育の機会は基本的に公正かつ公平でなければいけないということになります。
 そこで、下の方に二点まとめておきましたが、学校教育システムは全ての子供に教育の機会を公正かつ公平に提供するものでなければならない、左に、学校は全ての子供に最善の教育と学びの場と機会を提供するものでなければならない。この点におきまして、今回の義務教育学校が特殊なものとして位置付く可能性があり、そしてまた、それは教育の機会を非常にゆがめていく可能性があります。
 次に、小中一貫、連携の在り方について考える際に留意すべき事項として二点確認しておきたいと思います。
 一点目は、初等教育は共通性原理によって、高等教育は分化原理によって編成されております。そして、その間に位置する中等教育は共通性原理と分化原理がせめぎ合う段階となっております。そのために、中等教育の在り方は国によっても、そして歴史的な発展段階によっても多様でありましたし、現在もそのような多様性が見られます。
 とはいえ、前期中等教育は共通性原理によって、後期中等教育は両方の原理が収れんする傾向にあります。その意味で、小中一貫という考え方は両方とも共通性原理に属するという点では問題は特にないところでもありますが、しかし、後で述べるようなことで非常に問題が多いと考えております。
 二点目は、重要な選択、選抜の時期が早いほど家庭の経済資本、文化資本、教育戦略や情報収集判断能力の違いによる教育機会の格差が拡大、固定化しがちであると。これは、義務教育学校は、現に既に施設一体型の小中一貫校として始まっている学校の多くは選択制の学校になっております。つまり、小学校入学時点から保護者が選択するということになります。ですから、学校選択制は学校間の序列化、格差化を招く傾向がある。二点目、義務教育段階の学校選択制や選択制の小中一貫校、中高一貫校の制度化は教育機会の階層間の格差の拡大を招く可能性があるということであります。
 次のページ、御覧ください。小中一貫教育の法制化について。
 この法制化論の根拠にされるものとして、先ほどの無藤参考人も言及されました中一ギャップというものが絶えず挙げられます。そして、この中一ギャップ論は、私は妥当性に欠けているというふうに見ておりますが、お手元の資料、学年別いじめの認知件数と学年別不登校児童生徒数、この表は、教育再生実行会議の小中一貫校の法制化を提言した第五次提言の参考資料にも掲載されているものであります。もちろん、文部科学省の調査データであります。
 御覧いただくように、いじめについては、小学校六年生、一万九千人、中一、二万九千人ということで約一万人増えていて、これをもって中一ギャップあるいは中一ギャップの表れと言われているわけでありますが、私は、そこに補助線として引きました。これは増加傾向線と言っていいものでありますが、小一から中一まで増加傾向線、この線を引きますと、むしろ小学校五年生と小学校六年生は少ないと。なぜこれが少ないのかということを考える必要があるということです。これは、小学校と中学校を六三で分けていることによるものだというのが私の見方です。
 同様のことは不登校についても言えます。不登校はいじめの場合よりやや複雑な面がありますが、まず、小学校六年生から中三、ピークに達する中三までの補助線のところを見ますと、明らかに中一はこの増加傾向線よりも上に出ています。しかし、その点で見ますと、中学二年生も同じように上に出ています。そして、実際に実数で言いますと、小六から中一の増加は約一万四千ですが、中一から中二にかけても約一万二千増加しております。ということになれば、もし中一ギャップというならば、同じように中二ギャップがあるということになりますが、これではギャップ論は成立しません。
 そこで、ほかの二つの補助線を御覧いただければと思いますが、小一から小六まではなだらかに増加傾向にあります。しかし、理論的に言えば、不登校は基本的には思春期以降に顕在化する傾向が強いというふうに言えますから、小四からピークに達する中三までの補助線を引きますと、この増加傾向線で見れば、いじめの場合と同様、小学校五年生、小学校六年生は極めて少ない、少なく収まっているということになります。それに対して、中学一年は増加傾向線よりもむしろ下にあります。そして中学二年生は上に出ます。つまり、中一でもちろん増えますが、中二になるともっと増える、そして中三になるとそれほど増えない。これは、中二段階で困難を抱えている子供が不登校になってしまうから中三では増えないという天井効果によるものです。
 ですから、そうしますと、ここで二つのことが指摘されます。小学校の五、六年生が少ないのは、上級学年、最上級学年になる自覚化、成長効果によるものと考えることができます。それに対して、中学校で不登校が増えるのは、これはいじめも同様なんですけれども、基本的には、中学校文化が持っている二重の競争的な、競い合うというプレッシャーであります。一つは学力、受験競争の圧力、もう一つは友達の間で人気があるかどうか、好ましく見られているかどうか。様々な点で子供たちは潜在的に競い合いの意識を持っています。その二つのプレッシャーに加えて、中学校文化では、学校における規則、規律等も小学校時代よりも強くなりますし、そしてまた様々な形で集団性圧力も強くなります。ですから、そういう中で不登校が増え続けるということでありますが、そういうことを踏まえるならば、次のページを御覧ください。
 今述べた私の見方が妥当であるなら、小中一貫校の法制化は、いじめや不登校などへの対応策として適切でも有効でもないというだけでなく、事態の更なる悪化を招きかねない。義務教育学校の法制化は、施設一体型小中一貫校の増加を促進すると予想されるが、特に都市部の大規模校で小五、小六の子供たちの萎縮、疎外やいじめ、不登校の増加を招く危険性があるというふうに考えられます。
 そこで、次に、アメリカの学校体系の変遷と現行の六三三制の意義について考えてみたいと思います。
 このアメリカの変遷は非常に興味深いものでありまして、お手元の資料の下に示しました主要な学校種の学校数の推移、一九八〇年から二〇一〇年に公立学校がどのように変化したかというものの表でありますが、これも先ほどの教育再生実行会議の第五次提言の参考資料に掲載されているものです。
 この表の要点を右の四角の中にまとめておきました。一点目は、六年制の小学校、下級ハイスクール、上級ハイスクールが大幅に減少しております、この三十年間にですね。それから二点目は、五年制の小学校、ミドルスクール、四年制ハイスクールが大幅に増加しております。これは、先ほども無藤参考人も言及されましたミドルスクールが非常に多くなってきたからであります。
 では、この二つの三十年間の変化は、もう少し長いスパンで歴史的な変遷の文脈の中に置いてみますと、次のようなことを指摘することができます。
 第一段階の二十世紀初頭までは、アメリカでは八四制、小学校八年、ハイスクール四年が大半でした。ところが、第二段階の二十世紀前半には、六三三制が導入され、増加することになります。そして、戦後日本にこの六三三制が導入されたことは御存じのとおりであります。次に、第三段階の二十世紀後半になりますと、ミドルスクールを核とする五三四制などが急増することになります。
 なぜこういう変化をたどったかということについて、六三三制とミドルスクールの制度設計理念について確認しておきたいと思います。
 まず、六三三制は、八年制の小学校から四年制ハイスクールへの移行上の困難、不適応を解消するためでした。つまり、現在の中一ギャップ論が主張していることと同じ論理で六三三制が導入されたということであります。それに対して、二番目のミドルスクールを中心とする制度再編は、ミドルスクールは思春期の発達上の難しさに適切に対応し、最善の教育環境を提供するという基本理念に基づいて導入され、増えてきているところであります。
 そこで、以上を踏まえますと、次のページにまとめておきましたけれども、一番目として、戦後日本に導入された六三三制は、八年制小学校から四年制ハイスクールへの移行上の困難、不適応の解消という点にあり、その点で、現在日本で言われている中一ギャップ問題と同種の問題への対応策であったということであります。二点目といたしまして、二十世紀後半以降に導入されて増加してきたミドルスクールは、思春期の発達上の難しさに適切に対応し、最善の教育環境を提供しようとするものであり、アメリカの経験に基づく改革とは真逆の改革が今日本で進められようとしております。
 そこで、この部分の結論として、一、中一ギャップの問題の解消が主要な理由、目的の一つであるなら、その点で九年制義務教育学校の創設には目的合理性はないと言える。加えて、二、思春期の難しさが重大であるとするなら、いじめ、不登校などへの適切な対応という点でも、おおらかな環境の下で生活、学習し、誇りと自信を持って自己形成していくことができるようにするという点でも、九年制義務教育学校の法制化には目的合理性、適切性はなく、むしろ事態の悪化を招く危険性があるということであります。
 そこで、次に、問題はしかしそれだけではなくて、九年制義務教育学校創設の副次的あるいは付随的な効果として、教育機会の制度的格差を拡大するという問題があります。義務教育段階の学校選択制や選択制の小中一貫校、中高一貫校が教育格差の拡大を招くというのは、これは教育社会学を始めとして様々な研究がこれまで明らかにしてきたところであります。
 ここで四点まとめてありますが、赤字にしておいた三点目と四点目だけを申し上げたいと思います。学校選択制は人気校と不人気校をつくり出し、その固定化と格差化を招きがちである。四点目、学校選択制も小中一貫校、中高一貫校も、重要な選択の時期を早期化、早くすることになりますから、その結果として、家庭の経済力、文化資本、教育戦略などによる教育機会の格差化を招くことになるという点で公平性を欠くというふうに言えます。
 そして、こういったような制度改革の結果に対する責任は誰が取るのか。これまでの経験では、責任を取らされてきたのは子供、保護者であり学校、教師でありました。しかし、ここにいらっしゃる議員の先生方を始め、政策担当者が責任を取ったということはこれまで一度もありません。このことは極めて理不尽かつ不条理なことであると私は考えておりますが、このような理不尽、不条理を回避するためにも、良識の府とされる参議院におきまして賢明な判断と決定をしていただきたいというのが私の願いであります。
 それで、それにしても、日本の教育はこういうような制度改革をしなければいけないほど問題の多い駄目な教育制度であるのかということであります。
 OECD教育調査団が一九七一年に日本に来て詳細な調査をして、報告書として日本の教育政策というものを公表しております。このときのメンバーは、ジョセフ・ベン・デビッド、高等教育の専門家です。それからロナルド・ドーア、日本研究者として世界でも第一人者と言われる人です。それからヨハン・ガルツング、平和研究者としても有名です。エドガー・フォールはフランスの最年少で首相を務め、文部大臣も務めた人です。それから、エドウィン・ライシャワーは御存じのとおりであります。
 我々は、自分たちの国に比べて初中等段階での日本の成果がいかに大きいかに深く印象付けられた、日本の人々に役立つようなことをこちらから指摘したり示唆するよりも、むしろ我々自身の方が学ぶべき立場に置かれている、日本は十五歳まで、すなわち中学校段階まで差別的な教育はやらないように細心の努力を払ってきた国の一つである、コースの分化を避け、優秀な子供には遅れた仲間の学習を助けさせるという中学校教育の在り方は、最も魅力的で人間的な教育の特質として我々の心を捉えたと、これが当時のOECD教育調査団の日本の初等中等教育に対する評価であります。
 しかし、この三十年間、この良さを基本的にはずたずた切り裂いてきたのが主要な制度改革であったと見ております。
 私の時間ほぼ過ぎましたので、最後のページの「公正な制度の下すべての子どもがハッピーでありうるために」のところにつきましては、後ほどもし御質問等ありましたら説明をさせていただきます。
 どうも御清聴ありがとうございました。
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水落敏栄#5
○委員長(水落敏栄君) ありがとうございました。
 次に、佐貫参考人、お願いいたします。佐貫参考人。
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佐貫浩#6
○参考人(佐貫浩君) このような機会を与えていただきまして、感謝いたします。
 皆さんのお手元に四ページのレジュメと十一枚の資料をお配りしておりますので、それを見ながら私の陳述をさせていただきたいと思います。主に二点をお話ししたいと思います。
 私は、現在、品川区に住んでおりまして、そして、品川の学校についての研究も継続して行っております。「品川の学校で何が起こっているのか」という、このような本も出しております。
 まず第一点は、品川の小中一貫教育の現実というものが一体どういうものかということをお話しさせていただきます。
 レジュメの方で第一番目の品川の小中一貫教育の実態をどう見るかというところですが、まず第一番目、小中一貫教育の実態は何よりも統廃合であったということが非常に明確です。
 資料としてお配りしました一ページの一番上にあります図表を御覧ください。そうしますと、それまで十八校ありました小中学校が小中一貫校六校になりました。そして、十八校の校地があったわけですが、そのうち九つの校地が学校以外のものに転用されることになりました。品川区は、二〇一七、八年ぐらいまでは学齢期の児童が漸増傾向にありますが、そういう中でこのような統廃合が行われたということになります。そして、その結果、六つの小中一貫校のうち半分、三つ千名前後の大規模学校というものが生まれてしまいました。そのため、校地が非常に狭い大規模校が生まれてしまいました。
 これについては地元からの相当な反対もございましたが、小中一貫教育という新しい教育を行うのだという、そういう教育委員会の側からの宣伝と、それから豪華な校舎、この表の中にその費用が書いてございますが、この豪華な校舎とによって反対が抑えられたというのが現実であります。
 二点目ですが、その結果、小学校五、六年生の存在感、活躍の場が失われていったというのが現実です。親たちも、この小中一貫校での運動会を見て、小中一貫校とは何と過密な学校かということを改めて気が付いたというのが現実です。
 中教審の議論に出されました資料の中に、品川の小中一貫教育の具体的な現実が書かれた資料がございますが、例えば入学式については、一年生と七年生で一緒に実施していて、全校生徒児童が参加。果たして、小学校一年生と七年生、この二つが同じ会場で一つの入学式をするというのが発達段階から見て妥当かどうかということは非常に疑問がございます。
 あるいは卒業式について、この小中一貫の中心校は、六年生の卒業式を実施しない理由として、小中一貫校として九年間の連続性を重視し、六年生は一つのステップとして認識しているが、四年生で十歳式を実施するなど、一—四年、五—九年のまとまりを重視しているという形で、六年生の卒業式はなくなりました。後でこのことの意味はまた触れさせていただきたいと思います。
 運動会については多様なやり方がありますが、学年で分けてやっている、一—四年生の運動会と五—九年生の運動会に分けてやっているところがあります。しかし、今まで小学校五、六年生が学校のリーダーとして、そのすばらしい演技を小学校一年生、四年生辺りに、こんなすばらしい五、六年生になりたいと思うような感動の場とか、そこでのパフォーマンスを五、六年生がつくることで自信を付けていくという場がなくなってしまいます。果たして、五—九年生で行う運動会で、中学三年生や二年生が活躍する場で小学校五、六年生が自分たちの出番があるというふうに本当の感動できる運動会が可能かどうかを考えてみると、これもまた非常に疑問がございます。
 それから三つ目、小中一貫カリキュラムの実態というものを見る必要がございます。そして、私は率直に言って、小中一貫でカリキュラムを考えれば現在の学習指導要領よりもとてもいい指導要領ができるなんということは幻想であると思います。もしそうであるならば、既に文科省が検討して、そういうカリキュラムを作っているはずであります、学校が別であってもカリキュラムの連続性は学習指導要領として作り得るわけですから。したがって、小中が一体の学校になれば新しいカリキュラムができるというのは、私は何の根拠もないというふうに思っております。
 じゃ、実際にどういうカリキュラムが行われているかということは、前倒し、繰下げカリキュラムです。私の配りました資料一ページの漢字学習カリキュラムというのが図表二でございますが、現在の学習指導要領では一年から六年までに合計千六の漢字を学ぶことになっていますが、品川区では小学校五年生までにその全部の漢字を学ぶというふうになっております。三年生は、指導要領では二百字ですが、品川では二百八十五字です。四年生は二百字ですが、品川では三百字です。
 そして、これだけ詰め込んで漢字を教えるということは果たして教育的かどうか、これについては、私の身辺では、子供が漢字が嫌いになったという声が非常に聞こえてまいります。これについて検証はされておりません。これは品川の小中一貫カリキュラムの最も典型ですが、こういうものについてきちんとした検証なしに小中一貫で前倒しのカリキュラムが進行していくということは、教育学的に見ても子供の現実からしても非常に大きな問題があるというふうに私は考えております。
 それから、少し飛ばしますが、学校選択制と並行されておりますが、これが非常に矛盾がございます。資料一の一番上の表で御覧いただきたいんですが、実は、小中一貫校の中でそのまま六年生から七年生に進む生徒の数は全体で四分の三です。すなわち四人に一人が脱出をしております。そして、七年生になったときに新たに外から入ってきた生徒と下の小中一貫校の六年生から進学した生徒との比率は一対一、半分になっております。
 小中一貫教育といいながら、その中心の小中一貫校で非常に六年生と七年生の段階で入れ替わりが激しい。本来、小中一貫教育の成果があるならば六年生は七年生に、これはいい教育だということで進むはずですが、そんなふうにはなっておりません。そういう点では、学校選択制との矛盾というものも非常に激しいものがございます。
 さて、小中一貫教育の教育学的根拠があるのかということについて簡単に触れますが、中教審で議論されている議論が、全部でその理由が五点あります。
 第一点は、教育基本法、学校教育法の改正による義務教育の目的、目標規定の新設ということがあります。しかし、これは不思議な理由付けです。今まで果たして共通の目標はなかったのか。教育方法に共通の目標が書かれたからといって小中が一貫になる必然性はどこにもございません。
 二つ目、近年の教育内容の量的、質的充実への対応。量的、質的な充実はそれぞれの段階で量を新たに検討すればいいことであって、連続すればこの量的な増加に対して対応できるという根拠は一つもありません。
 三つ目、児童生徒の発達の早期化との関係ということが言われております。これについては、確かに、身体的コンピテンス、実は、思春期において大きく発達するのは身体的コンピテンス、社会的コンピテンス、認知的コンピテンス、コンピテンスというのは能力とお考えいただければいいんですが、ございます。そして、身体的コンピテンス、性的な特徴の発達という点では確かに早まっております。しかし、認知的な発達というものが大きく一年、二年と早まったという証拠はどこにもございません。
 そして、重要なことは、思春期の段階を豊かに生きるためには、子供たち自身が自分の世界をつくるということが非常に重要です。なぜかと申しますと、思春期というのは、初めて子供たちが自分の概念的思考によって、今までは見たものをそのまま受け入れるという発達段階から、自分の頭の中で何がいいか、価値というものは何か、経験の上で望ましいことは何かという価値によって世界をつくり直す、そういう段階になるわけです。したがって、初めて主体的に仲間関係をつくり、世界の意味を考え、価値というものを照らして自分たちの生活を再構成していく時期です。
 ということはどういうことかというと、自分で考えて関係をつくり、仲間をつくり、世界をつくっていくという、そういう発達段階が始まるということです。そうしますと、小学校の早くは四年生、五年生、六年生辺りで子供たちが自分で考え自分の世界をつくるという、こういう主体的、自治的、自分の思考によって世界をつくるという、その場をつくることが非常に重要になっております。そして、現在の六三制は、実は、そういう五、六年生が学校のリーダーとして様々な活動を行い、そしてクラスをつくり、言わば中学生に行く大きな飛躍力、ジャンプ力を身に付けていく時期なわけです。
 そういう点でいえば、五、六年生が小学校の指導的学年として初めて全校的なリーダーシップに挑戦し、行事や生活づくりの責任を負い、自治の経験を経ることは重要な意味を持っております。その五、六年生を一—四年生と切り離し、七年生、中学一年生を頭とするグループ、しかもそのグループは、一貫校のリーダーシップは九年生が取るので、五—七年生グループにはリーダーシップのイメージが希薄になります。こういう位置に小学校五、六年生を配置することは慎重でなければならないというふうに思います。
 それから、藤田参考人も述べられましたが、中一ギャップですが、これについては、皆さんにお配りいたしました資料の九番目、十番目にあります、これは国立教育政策研究所、文部省の下にありますこの研究所が作りました生徒指導・進路指導研究センターのパンフレットでありますが、この中に中一ギャップという用語の問題性が指摘されています。
 中一ギャップという語に明確な定義はなく、その前提となっている事実認識、いじめ、不登校の急増も客観的事実とは言い切れないと書いております。中一ギャップに限らず、便利な用語を安易に用いることで思考を停止し、根拠を確認しないままの議論を進めたり広めたりしてはならないというふうに書いております。
 さらに、その資料の十番目には、中学に行くときの不安がある、そして不安が不登校を急増させるという言説があるけれども、これは科学的に裏付けられたものではありませんと書いております。そして、不安感が原因で不登校になるという事実が確認できるかどうかを検証した結果、そういうことはないと。どういうふうに結論付けたかというと、分布をよく見ると、最も不安感の高かった生徒は誰一人新規不登校者になっていない、しかも、それより少し点数が下だった生徒でも新規不登校群になったのは一名ずつで、反対に、不安感が低い方にも同じくらい新規不登校群になった生徒はいますし、不安感が中くらいの生徒には新規不登校者が多くいます。要するに、不安感が原因で不登校になるという仮説自体に無理があるのですというふうにはっきり書いております。
 私は、中一プロブレムというのは、中学に行くときに壁があって、それを越えなければいけないと、こういうふうに理解されていますが、実は、中学校教育そのものが非常に厳しい困難な競争性があって、したがって、中学プロブレムとでもいうふうに言った方がいいと思います。
 最後になりますが、実は、品川区において親の小中一貫教育に対する意見は、賛成しないという方が多い数字が品川区のホームページ自身に書かれております。そして、管理職においては圧倒的に小中一貫教育がいいという結論になっておりますが、一般の教員、特に養護教員ではこの小中一貫教育は問題があるという方が多くなっております。本当の検証のためには、現場の教師や親たちの意見をしっかり聞く必要があると思いますが、中教審で展開されている議論は、言わばこの改革の中心になっている管理職と行政の側にアンケート調査をして、これはいいというふうに結論が出ているもので、これでは本当の検証にならないと思います。
 以上で私の証言を終わります。
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水落敏栄#7
○委員長(水落敏栄君) ありがとうございました。
 以上で参考人の皆様からの意見の聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
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二之湯武史#8
○二之湯武史君 自由民主党の二之湯武史と申します。本日は、大変貴重な御提言をいただきましてありがとうございます。
 まず、お伺いしたいんですけれども、この小中一貫校、現行でも千百三十校という数が今運営されているわけでございまして、そういった中には、それぞれ性格というか事情を異にする場合があると思います。必ずしも行政の恣意的な意味での統合という意味ではなくて、そこはやっぱり住民も参加した上で、協議を踏まえて、住民の合意を取り付けた上で小中一貫を進めているところ、若しくは今佐貫参考人がおっしゃったような、都市部でほかの学校もありながら小中一貫校というものが一つの選択肢として提供されていると、そんな地域もあるように思います。
 そういった中で、まず無藤参考人にお伺いしたいんですが、これ簡潔にお願いしたいんですけれども、義務教育の中にそういった選択できるある種の幾つかの類型があるということについてはどのようにお考えでしょうか。
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無藤隆#9
○参考人(無藤隆君) まず一つは、私が義務教育学校について選択可能であると申し上げたのは、教育委員会として、特定の言わば学区の中学校、小学校について義務教育にするか、あるいは従来の小学校及び中学校の組合せにするかという選択という意味であります。
 そういう意味で、私は、基本的には義務教育学校であろうと小学校であろうと、就学指定の下で成り立つということであれば、学校選択制とは全く別の議論として義務教育学校というものを考えるべきだと思います。すなわち、特定の学区においてそこに住む住民、そのお子さんたちが基本的には義務教育学校に行くならそこにみんなが行く、要するに、地域の学校としての義務教育学校という形で私は考えたいというふうに思っております。
 以上です。
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二之湯武史#10
○二之湯武史君 つまり、その地域に生まれてそこに義務教育学校があれば、それはほかの学校に行く選択肢ではなくて、その地域の義務教育学校に行くと、こんな意味でしょうか。
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無藤隆#11
○参考人(無藤隆君) そのとおりです。
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二之湯武史#12
○二之湯武史君 もう一つ、無藤参考人にお伺いしたいんですが、藤田、佐貫両参考人が九年一貫であることと現行との大きな違いの中に、やはり小学校五、六年生の自覚といいますか成長の実感といいますか、私自身も、そういった部分には大変今まだ懸念というか疑念を持っているのは事実なんですね。
 やはり九年制になったときの四、五年生というのがある種の、非常に、何というんですかね、自己肯定感とか自己責任感みたいなものが持ちにくいような中間層になってしまうんじゃないかなと。また、六年の時点で卒業式、そして中一の時点で入学式という儀式を経ることによって、そういった人生の一つの壁や関門を通過することによる精神的な、人間的な成長というような視点というものがこの小中一貫校の中で今までどおり確保できるのかどうか、そういった点について無藤参考人にもう一度お伺いしたいと思います。
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無藤隆#13
○参考人(無藤隆君) 二つのことがあると思います。
 一つは、子供たちはいかなる年齢であろうとリーダーシップとともに上への憧れを持ち、その両面を持ちながら成長していくものであると思います。
 ですから、例えば小学校二年生においても憧れと同時にリーダーシップを持つべきである。そのために、例えば最近は幼稚園と小学校のつながりの中にリーダーシップのある機会を与えようとしております。そういう意味で、小学校でいえば、恐らく二年単位ぐらいでリーダーシップのある機会というのを十分に用意するべきであると思いますし、中学校でいえば、中一に対してどういう形でリーダーシップを用意するかということを真剣に考えるべきである。同時に、小学校六年生などにとって憧れの機会をどうつくるかということももう一つ課題になり、その両面で常に学校教育はあるべきだというのが第一です。
 二番目は、儀式、成長の機会を確認するというときに卒業式というのは一つでありますけれど、先ほど言及がありましたが、運動会や学芸会、様々な発表の機会、スポーツ大会への参加等々は様々な学年の組合せで可能になりますし、部活動などもそうであります。機械的に小学校六年生の卒業式がなければそれができないというのは、余りに儀式というものの極端な見方であると私は考えます。
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二之湯武史#14
○二之湯武史君 もう一度、無藤参考人にお伺いしたいんですが、今日提出いただきましたレジュメのところの一つ目に、義務教育の目的、意義の上で小中をまとまりとして捉えることが好ましいと、こういうふうにしっかり書かれているわけですね。ということは、基本的には全小中学校、義務教育における全小中学校が小中一貫校となって小中をまとまりとして捉えることが望ましいというようなお考えなんでしょうか。
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無藤隆#15
○参考人(無藤隆君) それは様々だと思います。
 お二人の参考人も多分おっしゃっていることだと思うのですけれど、現在の六三制において小学校も中学校もしっかりとその責務を果たし、展望を持てば、特に義務教育学校にしなくても、全体として、例えば小学校も、卒業させれば小学校の責務は終わるということではなくて、中三まで見通した指導をできると思います。
 しかし、そのためには十分小学校と中学校が連携していく必要がある。そのときに、連携、接続というものが非常につくりにくい場合に、義務教育学校にすることによってそれが大いに改善する場合もあるということですので、やはり具体的な地域、学校の事情によって判断すべきだと思います。
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二之湯武史#16
○二之湯武史君 大変よく分かりました。ありがとうございます。
 もう一方で、現行の小学校、中学校という組織がそれぞれあって、その中で現在義務教育が行われているわけですけれども、多くの場合ではですね。その小中のままで今おっしゃったように連携を進めていくということがもう一つのアプローチなんだろうと思うんですが、これは藤田参考人、佐貫参考人両人にお伺いしたいんですけれども、現行のいわゆる小中連携みたいなものというものが、例えば小学校の先生は六年生までで自らの教育の要は視座を持って、その子が十五歳の時点でどうなっていくかというその視点を持って現在の小学校で教育されているのか、若しくは、中学校の先生も同じだと思うんですが、六年生の時点のその子の姿と一年生のその子の姿に当然思いを致しながら、なるべく今統計的に出ているような中一ギャップという問題が出ていかないように教育しないといけない。
 つまり、小中の連携というものが、現行の小学校、中学校という二つの組織がある中で今十分に進められているのかどうかということと、それを進めていく上で、今まで以上にしっかりと今の組織の分かれたままで取り組んでいけるのかということを、それぞれ簡潔にお伺いしたいと思います。
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藤田英典#17
○参考人(藤田英典君) 私も、実は品川区の京陽小学校というところの外部評価委員会の委員長を十一年やっております。そこは連携校でありまして、施設一体型ではありません。随分連携の成果は上がってきつつあると思います。最初はいろいろ苦労もあったようですけれども。
 これは、全国的に連携を積極的に進めているところとほとんどそれをやっていないところありますが、大体におきまして都市部の方が、いわゆる教科のつながりとか、中学校になると教科担任制になりますから、中学校の理科の先生が小学校の理科を教えるとか、そういったようなことを導入しているところもあるようですから、そういう意味で、それぞれの自治体と学校の意欲次第だと思います。
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佐貫浩#18
○参考人(佐貫浩君) 一つの問題点は、今、教師が非常に多忙になっているということです。したがって、例えば中教審の資料でありますが、小中一貫校を実現していく上で何が困難になっているかというと、そのための、連携のための話合いとか教師の移動とか、その時間を確保するのがとても難しいというふうになっております。これは、たとえ小中が一体化しても、そのための、仕事が増えるということであれば実際上の結合は非常に難しくなると思います。
 したがって、ここで注意しておきたいのは、連携と一貫とは違うんですね。私たちは、連携という形で、むしろ小学校と中学校の違いというものを徹底的に追求しながらそれが連携していくという、この形が望ましいと思って、先ほど私も言いましたように、これが一貫という形でそれぞれの独自性が失われるよりも、連携という形で実現していく方が望ましいというふうに考えております。
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二之湯武史#19
○二之湯武史君 ありがとうございます。
 現行千百三十あると申し上げましたけれども、その千百三十を対象にしたアンケート調査というのもありまして、その中で、今、佐貫参考人がおっしゃったように、連携における打合せや研修という時間を取らなきゃいけない、改めてですね、それによって多忙化が進んでいるという実態もそのアンケートではうかがい知れます。一方で、中一ギャップといった問題について、ある一定の成果が上がっていると、こういうアンケート調査も出ているのも事実であります。
 それが、今おっしゃったように連携なのか一貫なのか、これが制度化されることによって一貫になっていくわけですけれども、もう一度お伺いしたいんですけれども、そういった今千百三十実際ある中での小中一貫校における成果の面について、そういうある一定の成果が出ているという結果については、佐貫参考人、どのようにお考えでしょうか。
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佐貫浩#20
○参考人(佐貫浩君) 私の資料の六ページを御覧ください。
 私は、科研費で小中一貫教育の研究をグループでやってまいりました。そのグループの中で、相当数の生徒に対するアンケート調査をいたしました。その結果として、この下に表がございますが、自己価値得点の推移というものがございます。ほかも同じようなものですが、一つだけ説明いたします。
 これは、自分に自信がありますか、他者よりもうまくいろんなことができますかというふうな項目で自己価値度を調べたものですが、この青いのが一貫校の生徒の点数です。そうしますと、逆に一貫校の場合は、四年生、五年生、六年生の得点が低くなるという傾向が出てまいりました。これは恐らく、五、六年生が最高学年で、そこで自信を持つというプロセスがやっぱり消えているということではないかと。確かに、これはハードルですから、そこにうまい指導がないとなかなか自信は持てないわけですが、そういう課題自身が提起されないという結果としてこういうことが出てきているのではないかというふうに思います。
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二之湯武史#21
○二之湯武史君 ありがとうございます。大変示唆に富んだ調査結果も御紹介いただきました。
 いずれにいたしましても、藤田参考人がおっしゃったように、制度改革というものは当然政治家が主導していくわけです。特に、小中一貫校においては地域の自治体、これが大きな責任を持つわけですから、いずれにいたしましても、地域の皆さんの同意をしっかり得る形で進めていかなければ、説明責任を果たす形で今まで以上にそういうことをしていかなければいけないというふうに、今日の参考人の御意見のおかげで私も認識を更に深めることができました。
 どうもありがとうございました。終わります。
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那谷屋正義#22
○那谷屋正義君 民主党・新緑風会の那谷屋正義でございます。
 今日は、三人の参考人の皆さん、本当に貴重な御提言ありがとうございました。
 三名の参考人のそれぞれの御意見を聞いていると、ますます分からなくなるのが、なぜ今これを制度化するのかという政府の狙い、文科省の狙いというのがどうしても見えてこない。これまで、千百三十校が既に、今お話がありましたように、もう一貫校があると。その中で、それぞれの課題について、少しずつ解決する中でいい方向に行っているものもあれば、なかなか問題点が指摘されないところもあるというふうなこと、あるいは地域の実態によってそのありようが違うということであるならば、なぜ今ここで、今この時期にこれを制度化しようとするのかということについてますます分からなくなってきたのでありますけれども、恐れ入ります、これについて三人の御見解をそれぞれお聞かせいただけたらと思います。
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無藤隆#23
○参考人(無藤隆君) なぜ今という、特定の今と言われると分かりませんけれども、私は、小中一貫学校の幾つかに何年か関わってみて、そこでの良さを全国化するという意味、また、そこでの問題点を多少とも克服するという意味で今回の制度化を位置付けたいと考えております。
 具体的に二点だけ申し上げます。
 一貫学校の中にも、既に校舎も一体になっている、校長などは分かれたとしても、つながった校舎でやっているようなところが一部あります。それから、隣接で、文字どおりフェンスを隔てているようなところもあります。それから、離れている距離で、五分ぐらいだったり自動車で行かなきゃいけない、いろいろあるわけでありますけれども、文科省の調査でも、あるいは私が関わっている場合でも、やはり物理的距離は非常に大きな意味があって、生徒の行き来、先生方の行き来の支障になるかならないか、気楽にちょっとしたところで話せるかということが大きいと思います。
 今のことと、もう一つは、教師が打合せ等で難しい、これが小中の連携などで必ず出てくる、恐らく一番大きなポイントであることは確かだと思いますが、その辺りも、制度的な保障や、あるいは物理的に隣接化する、一体化するということである程度克服できる部分があります。
 例えば、ある学校は、一体化の中で職員室を隣り合わせといいますか近づけるようにし、また、小学校と中学校の時間割の中で、それまで会議日が別だったところを合わせるという形での連携をしました。それだけでも、もちろん多忙さは変わりませんけれども、その中で打合せ、あるいは相互の乗り入れ授業というものの実現に踏み切ることもできています。
 そういった具体的なことまで考えてみますと、具体的な制度の中で例えば義務教育学校ということを選ぶことができて、その中で一生懸命やる方が具合がいいと、そういう地域、学校は十分あり得るというふうに考えております。
 以上です。
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藤田英典#24
○参考人(藤田英典君) 私は、これは自民党の教育再生実行本部、それから教育再生実行会議、こういったところが制度改革をしたかったからだというふうに思います。
 この間、政治主導の改革というのが非常に強くなってきていると。まあ政治家が決めるのは当然なんですが、制度を変えるということは実質的にその後も継続しますから業績になるのかもしれませんけれども、予算を付けただけでは余り業績にならないからだというふうに思います。ですから、私は、率直に言えば余計な制度改革はすべきではないというふうに思います。小中一貫も中高一貫もその類いのものだというふうに考えております。
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佐貫浩#25
○参考人(佐貫浩君) 三点あると思います。
 第一は、学校統廃合を今進めるという動きが自治体で広がっておりますが、ただ単なる統廃合ということであれば住民の抵抗は非常に強いわけです。ところが、新しい小中一貫教育というすばらしい教育を行うのだということで、豪華校舎、新しい校舎が提示されると、住民の多くは賛成に回ります。実は、小中一貫教育について、品川に住んでおりますと、ケーブルテレビで品川の小中一貫教育のすばらしさというのが連日と言ってもいいほど報道されております。こういう形で、統廃合というものが教育学的ある種の理由付けによって住民に合意を得るという、これが進行すると思います。
 それから、過疎の地域では、小学校が何校かあって中学校があるというときに、これが統合されるという、こういうことが、今過疎の中でどう学校を残すかという努力がいっぱいあるわけですが、そこが越えられてしまうという、これが第一です。
 二つ目は、これは慎重に考えていただきたいんですが、品川で何が起こっているかといいますと、例えば品川独自のカリキュラムができ、そして市民科という指導要領が作られ、そして区が教科書を作り、それが全ての学校で義務的に使用されています。国のレベルでカリキュラムが決定されて学習指導要領があって、それは審議会があって決めるわけですね、文科省が直接決めるのではなしに。そして、それに基づいて一般の教科書会社が作り、それを選択して選ぶという、言わば教育の自律性とか専門性が保障されるシステムがあるわけです。ところが、品川で見ますと、その審議過程も一切公表されませんし、したがって、外から見ると、教育行政が自分で決めて、区定教科書、国でいえば国定教科書ですね、それを作って学校に全て義務化するという。
 そうすると、日本において教育の自律性というものを保障する国レベルの仕組みがほとんどないところで、自治体では、行政や例えば選挙で中心になる政党や首長がこういうことをやりたいという公約をして、それを実現するために教育内容が行政の主導で決められて、それが実施されるという、こういう教育の自律性にとっては非常に危険な状態が生まれる。したがって、それはある意味で自治体、首長の自由な改革を保障する制度ではありますが、教育の自律性というものを保障するこのシステムが非常に弱くなるという、これが二点目です。
 三つ目は、実は学校選択が復活する可能性があるというふうに思っております。
 私の資料の二ページ目に、品川の学校選択の結果どうなったかという資料がございます。例えば、行政は三割ぐらいが選択しているといいますが、私立中学も合わせると五・五割が地元の学校から脱出いたします。そして、非常にたくさん出る学校では七割程度の生徒が地元から出ていきます。そして、義務学校というものが、例えば大阪の場合は、それは特別な学校だから広域から選べるという、そういう方法を取っているようですが、そうしますと、この義務学校については学校選択が入るという形で、非常に問題が大きい学校選択制が復活されるということもあると思います。
 そういうことも含んで、実際に、親たちからすれば、小学校でどこの学校に行かせよう、中学校でどこに行かせよう、自分の子供をどうやったら将来の見通しにつながる学校に選べるかという、こういう心配と努力が非常に広まって、これは義務教育というものの公平性にとって非常に大きな問題になるというふうに思っております。
 以上です。
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那谷屋正義#26
○那谷屋正義君 ありがとうございました。
 もう少し今のお答えに対して御質問したいんですが、時間の方が大分迫ってまいりました。
 ちょっと今までこの委員会でまだ議論になっていないことについて私の方からお尋ねをしたいと思いますけれども、この間、義務教育学校が子供たちの成長にどういうふうな影響を与えるのか、メリット、デメリットについてるるお話はございました。しかし、指導する側の教員の免許、こういったものについてなかなかまだ議論がされていません。これから私も大臣にいろいろただしていきたいと思っていますけれども。
 当面は併有を原則とすると。しかし、直ちにということにはならないので、当分の間、前期は小学校の免許、それから後期の方は中学校の免許を持っている方というふうな形になっているわけであります。もしこれを制度化して実際に行われる場合には仕方ないことなのかなというふうに当面は思いますけれども、私が思っているのは、免許というものについて、特に、いろいろな免許がございますけれども、更新制を伴う免許というのは教員だけだということに対して私は相変わらず不満を持っておりまして、そういう意味では、更新をしなければその身分を失うという免許の意義というものについて一体どう考えているのかと。私は、更新制も含めて、もう一回教員の免許制度全体を見直すこれは必要があるというふうに考えているんですけれども、三人の方にそれぞれお尋ねをしたいと思います。
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水落敏栄#27
○委員長(水落敏栄君) それでは、無藤参考人、藤田参考人、佐貫参考人の順に、簡潔にお願いいたします。
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無藤隆#28
○参考人(無藤隆君) 教員については、その資質、能力について十分高いものを保持していく、そのための援助というものを国、行政側も提供すべきだと思います。そういう意味で、中央教育審議会で現在、教員養成部会という中ででありますけれども、養成のみならず、採用とともに研修についても議論をする。研修について議論するということは、当然ながら、その中で国なり自治体、教育委員会が教員のもっと勉強する場、あるいは学校現場の中で授業、教育を振り返り、高める、そういった機会を増やしたいという意味であります。そういう意味で、教員の多忙化ということについての軽減を含めながら、より高い資質を持った教師にしていく、その勉学の場になってほしいと思います。免許更新講習も、そういう中で再検討が望まれるのではないかというふうに考えております。
 以上です。
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藤田英典#29
○参考人(藤田英典君) 三点述べたいと思います。
 まず第一は、日本の教師の資質、力量は平均的に見れば世界的にはトップクラスにあるということ、これはこのように断言していいと思います。もちろん、優秀な先生はどこの国でもいますから、そのレベルも基本的にそんなに遜色ないと言っていいと思います。
 二点目としまして、教員免許更新制には私も基本的には余り意味がないと考えておりましたが、先生や大学によっては、リフレッシュの機会になったとか新しい知識をあるいは見方を得ることができたという評価もありますから、一概に間違っていたかなというふうに今は考えておりません。ただ、私費負担になっておりますから、それで忙しい中で受けているということは改善の余地はあると思います。
 しかし、それと関連して、今、例の教員免許の国家資格化あるいは試験化ということが出ていますが、これについてはとんでもない話だと思いますけれども、教員の免許更新制やあるいは十年研修とセットにして、教員が現職を数年間経験した後で大学に例えば一年ぐらい通って上級レベルの専修免許を取得できるようにするという、そういう制度を制度化することは非常に意義があることだというふうに考えております。
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