佐貫浩の発言 (文教科学委員会)
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○参考人(佐貫浩君) このような機会を与えていただきまして、感謝いたします。
皆さんのお手元に四ページのレジュメと十一枚の資料をお配りしておりますので、それを見ながら私の陳述をさせていただきたいと思います。主に二点をお話ししたいと思います。
私は、現在、品川区に住んでおりまして、そして、品川の学校についての研究も継続して行っております。「品川の学校で何が起こっているのか」という、このような本も出しております。
まず第一点は、品川の小中一貫教育の現実というものが一体どういうものかということをお話しさせていただきます。
レジュメの方で第一番目の品川の小中一貫教育の実態をどう見るかというところですが、まず第一番目、小中一貫教育の実態は何よりも統廃合であったということが非常に明確です。
資料としてお配りしました一ページの一番上にあります図表を御覧ください。そうしますと、それまで十八校ありました小中学校が小中一貫校六校になりました。そして、十八校の校地があったわけですが、そのうち九つの校地が学校以外のものに転用されることになりました。品川区は、二〇一七、八年ぐらいまでは学齢期の児童が漸増傾向にありますが、そういう中でこのような統廃合が行われたということになります。そして、その結果、六つの小中一貫校のうち半分、三つ千名前後の大規模学校というものが生まれてしまいました。そのため、校地が非常に狭い大規模校が生まれてしまいました。
これについては地元からの相当な反対もございましたが、小中一貫教育という新しい教育を行うのだという、そういう教育委員会の側からの宣伝と、それから豪華な校舎、この表の中にその費用が書いてございますが、この豪華な校舎とによって反対が抑えられたというのが現実であります。
二点目ですが、その結果、小学校五、六年生の存在感、活躍の場が失われていったというのが現実です。親たちも、この小中一貫校での運動会を見て、小中一貫校とは何と過密な学校かということを改めて気が付いたというのが現実です。
中教審の議論に出されました資料の中に、品川の小中一貫教育の具体的な現実が書かれた資料がございますが、例えば入学式については、一年生と七年生で一緒に実施していて、全校生徒児童が参加。果たして、小学校一年生と七年生、この二つが同じ会場で一つの入学式をするというのが発達段階から見て妥当かどうかということは非常に疑問がございます。
あるいは卒業式について、この小中一貫の中心校は、六年生の卒業式を実施しない理由として、小中一貫校として九年間の連続性を重視し、六年生は一つのステップとして認識しているが、四年生で十歳式を実施するなど、一—四年、五—九年のまとまりを重視しているという形で、六年生の卒業式はなくなりました。後でこのことの意味はまた触れさせていただきたいと思います。
運動会については多様なやり方がありますが、学年で分けてやっている、一—四年生の運動会と五—九年生の運動会に分けてやっているところがあります。しかし、今まで小学校五、六年生が学校のリーダーとして、そのすばらしい演技を小学校一年生、四年生辺りに、こんなすばらしい五、六年生になりたいと思うような感動の場とか、そこでのパフォーマンスを五、六年生がつくることで自信を付けていくという場がなくなってしまいます。果たして、五—九年生で行う運動会で、中学三年生や二年生が活躍する場で小学校五、六年生が自分たちの出番があるというふうに本当の感動できる運動会が可能かどうかを考えてみると、これもまた非常に疑問がございます。
それから三つ目、小中一貫カリキュラムの実態というものを見る必要がございます。そして、私は率直に言って、小中一貫でカリキュラムを考えれば現在の学習指導要領よりもとてもいい指導要領ができるなんということは幻想であると思います。もしそうであるならば、既に文科省が検討して、そういうカリキュラムを作っているはずであります、学校が別であってもカリキュラムの連続性は学習指導要領として作り得るわけですから。したがって、小中が一体の学校になれば新しいカリキュラムができるというのは、私は何の根拠もないというふうに思っております。
じゃ、実際にどういうカリキュラムが行われているかということは、前倒し、繰下げカリキュラムです。私の配りました資料一ページの漢字学習カリキュラムというのが図表二でございますが、現在の学習指導要領では一年から六年までに合計千六の漢字を学ぶことになっていますが、品川区では小学校五年生までにその全部の漢字を学ぶというふうになっております。三年生は、指導要領では二百字ですが、品川では二百八十五字です。四年生は二百字ですが、品川では三百字です。
そして、これだけ詰め込んで漢字を教えるということは果たして教育的かどうか、これについては、私の身辺では、子供が漢字が嫌いになったという声が非常に聞こえてまいります。これについて検証はされておりません。これは品川の小中一貫カリキュラムの最も典型ですが、こういうものについてきちんとした検証なしに小中一貫で前倒しのカリキュラムが進行していくということは、教育学的に見ても子供の現実からしても非常に大きな問題があるというふうに私は考えております。
それから、少し飛ばしますが、学校選択制と並行されておりますが、これが非常に矛盾がございます。資料一の一番上の表で御覧いただきたいんですが、実は、小中一貫校の中でそのまま六年生から七年生に進む生徒の数は全体で四分の三です。すなわち四人に一人が脱出をしております。そして、七年生になったときに新たに外から入ってきた生徒と下の小中一貫校の六年生から進学した生徒との比率は一対一、半分になっております。
小中一貫教育といいながら、その中心の小中一貫校で非常に六年生と七年生の段階で入れ替わりが激しい。本来、小中一貫教育の成果があるならば六年生は七年生に、これはいい教育だということで進むはずですが、そんなふうにはなっておりません。そういう点では、学校選択制との矛盾というものも非常に激しいものがございます。
さて、小中一貫教育の教育学的根拠があるのかということについて簡単に触れますが、中教審で議論されている議論が、全部でその理由が五点あります。
第一点は、教育基本法、学校教育法の改正による義務教育の目的、目標規定の新設ということがあります。しかし、これは不思議な理由付けです。今まで果たして共通の目標はなかったのか。教育方法に共通の目標が書かれたからといって小中が一貫になる必然性はどこにもございません。
二つ目、近年の教育内容の量的、質的充実への対応。量的、質的な充実はそれぞれの段階で量を新たに検討すればいいことであって、連続すればこの量的な増加に対して対応できるという根拠は一つもありません。
三つ目、児童生徒の発達の早期化との関係ということが言われております。これについては、確かに、身体的コンピテンス、実は、思春期において大きく発達するのは身体的コンピテンス、社会的コンピテンス、認知的コンピテンス、コンピテンスというのは能力とお考えいただければいいんですが、ございます。そして、身体的コンピテンス、性的な特徴の発達という点では確かに早まっております。しかし、認知的な発達というものが大きく一年、二年と早まったという証拠はどこにもございません。
そして、重要なことは、思春期の段階を豊かに生きるためには、子供たち自身が自分の世界をつくるということが非常に重要です。なぜかと申しますと、思春期というのは、初めて子供たちが自分の概念的思考によって、今までは見たものをそのまま受け入れるという発達段階から、自分の頭の中で何がいいか、価値というものは何か、経験の上で望ましいことは何かという価値によって世界をつくり直す、そういう段階になるわけです。したがって、初めて主体的に仲間関係をつくり、世界の意味を考え、価値というものを照らして自分たちの生活を再構成していく時期です。
ということはどういうことかというと、自分で考えて関係をつくり、仲間をつくり、世界をつくっていくという、そういう発達段階が始まるということです。そうしますと、小学校の早くは四年生、五年生、六年生辺りで子供たちが自分で考え自分の世界をつくるという、こういう主体的、自治的、自分の思考によって世界をつくるという、その場をつくることが非常に重要になっております。そして、現在の六三制は、実は、そういう五、六年生が学校のリーダーとして様々な活動を行い、そしてクラスをつくり、言わば中学生に行く大きな飛躍力、ジャンプ力を身に付けていく時期なわけです。
そういう点でいえば、五、六年生が小学校の指導的学年として初めて全校的なリーダーシップに挑戦し、行事や生活づくりの責任を負い、自治の経験を経ることは重要な意味を持っております。その五、六年生を一—四年生と切り離し、七年生、中学一年生を頭とするグループ、しかもそのグループは、一貫校のリーダーシップは九年生が取るので、五—七年生グループにはリーダーシップのイメージが希薄になります。こういう位置に小学校五、六年生を配置することは慎重でなければならないというふうに思います。
それから、藤田参考人も述べられましたが、中一ギャップですが、これについては、皆さんにお配りいたしました資料の九番目、十番目にあります、これは国立教育政策研究所、文部省の下にありますこの研究所が作りました生徒指導・進路指導研究センターのパンフレットでありますが、この中に中一ギャップという用語の問題性が指摘されています。
中一ギャップという語に明確な定義はなく、その前提となっている事実認識、いじめ、不登校の急増も客観的事実とは言い切れないと書いております。中一ギャップに限らず、便利な用語を安易に用いることで思考を停止し、根拠を確認しないままの議論を進めたり広めたりしてはならないというふうに書いております。
さらに、その資料の十番目には、中学に行くときの不安がある、そして不安が不登校を急増させるという言説があるけれども、これは科学的に裏付けられたものではありませんと書いております。そして、不安感が原因で不登校になるという事実が確認できるかどうかを検証した結果、そういうことはないと。どういうふうに結論付けたかというと、分布をよく見ると、最も不安感の高かった生徒は誰一人新規不登校者になっていない、しかも、それより少し点数が下だった生徒でも新規不登校群になったのは一名ずつで、反対に、不安感が低い方にも同じくらい新規不登校群になった生徒はいますし、不安感が中くらいの生徒には新規不登校者が多くいます。要するに、不安感が原因で不登校になるという仮説自体に無理があるのですというふうにはっきり書いております。
私は、中一プロブレムというのは、中学に行くときに壁があって、それを越えなければいけないと、こういうふうに理解されていますが、実は、中学校教育そのものが非常に厳しい困難な競争性があって、したがって、中学プロブレムとでもいうふうに言った方がいいと思います。
最後になりますが、実は、品川区において親の小中一貫教育に対する意見は、賛成しないという方が多い数字が品川区のホームページ自身に書かれております。そして、管理職においては圧倒的に小中一貫教育がいいという結論になっておりますが、一般の教員、特に養護教員ではこの小中一貫教育は問題があるという方が多くなっております。本当の検証のためには、現場の教師や親たちの意見をしっかり聞く必要があると思いますが、中教審で展開されている議論は、言わばこの改革の中心になっている管理職と行政の側にアンケート調査をして、これはいいというふうに結論が出ているもので、これでは本当の検証にならないと思います。
以上で私の証言を終わります。