榛葉賀津也の発言 (外交防衛委員会)
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○榛葉賀津也君 ありがとうございます。
ちなみに、防衛医大は、これはペナルティーがございます。そして、任官拒否率が一〇%を超えたというのは二十五年ぶり、そしてこの数字は過去四番目に多い数字ですから、きちっと検証することは、私は大事なんだろうと思います。
さて、外務省にお伺いさせていただきたいと思います。
本題の在外公館の議論に入る前に、少し今日は大臣にお礼を申し上げたいと思います。大臣並びに中南米局の南米課、そして在ブラジルの日本大使館、そして私は在京ブラジル大使館の皆様にも今回一言お礼を言いたくてこの場所に立ちました。
実は二〇〇五年十月十七日、静岡県の湖西市で当時二歳の山岡理子ちゃんが交通事故で死亡しました。犯人は日系ブラジル人の女性でございました。事故後、地元警察から取調べを受けた容疑者、突如ブラジルに帰国と。事件から六日後のことでした。ちょうど静岡県警、現在の湖西署が調査に入り、業務上過失致死での逮捕状を請求する直前です。逃亡したんですね。ここから山岡理子ちゃんの御両親の壮絶な闘いが始まりました。
我々の前に立ちはだかったのは、地球の裏側ブラジルという、距離、文化、言葉の違いだけではなくて、国際刑事警察機構、ICPOの壁であるとか、代理処罰要請の壁であるとか、地元県警が調査するんですが、ブラジルに対してこの捜査資料を全部ポルトガル語に静岡県警が翻訳をして相手国に捜査の協力を要請する、この事務手続や言葉や時間、コスト、本当に大きい壁でございました。そして、日本とブラジルの間に犯罪人引渡条約がないということや、自国民保護の原則という基本的なルールの壁もございました。ブラジル国憲法の法体系の違いの壁もございました。しかし、十年という長い年月で人々の心の中からこの事案が薄れていって、その心の壁も大変高うございました。
私は当時、野党の新米筆頭理事でございまして、こちらの委員長席には現東京都知事の舛添先生が座っておられ、与党の筆頭理事には浅野勝人先生、公明党の理事には中南米のプロフェッショナルでありました高野博師先生、この先輩方が私と一緒に本当に汗をかいてくださいました。
犯罪人引渡条約が現在あるのは、日本とアメリカ、そして日本と韓国、この二か国だけでございます。一九九〇年に入管法が改正をされて、ブラジル人が非常に多く日本に入れるように法改正されました。ピーク時には三十万人、日系ブラジル人がこの社会におりました。現在、日系ブラジル人は日本国内に十七万三千人、うち永住されている日系ブラジル人が十一万二千人おられます。静岡は断トツ一位の二万六千人でございます。
実は当時、七十万人の署名が集まったんです。日本とブラジル、こんなに密接な人的交流があり、あちらにもこちらにも日系人やブラジル国籍を持った方がたくさん生活をされているのに犯罪人引渡条約がなぜないんだ、これは全国ニュースでも取り扱われまして国民的な運動になりました。予想もしなかった七十万人の署名で、犯罪人引渡条約を締結してほしいという署名でした。当時の麻生外務大臣にも大変真摯に対応していただき、我々政治家だけではなくて、御遺族の山岡理子ちゃんの御両親にも直接お会いになっていただき、お話を聞いていただきました。しかし現実は、ハードルは極めて高かった。法的にも政治的にもこの引渡条約というのはなかなか難しい、御両親はこれを断念をして代理処罰の申請に移ったわけでございます。
大変長い時間でございました。四年たちまして、我々が心が本当に折れそうになりましたが、この代理処罰に切り替えたと。とても大きな、重い判断でございました。そして、長い時間がたちまして、我々の心が本当に折れそうになったのが、つい最近の二〇一四年四月でございました。代理処罰の控訴審でサンパウロ州の高裁が時効を認める判決を下しました。まさに青天のへきれき、何でだ、という思いでした。
理子ちゃんのお父さんとお母さんは、届くか分からない、誰が読んでくれるか分からないけれども、実はブラジル連邦の検察庁に、被害者の父親として、母親としての思いを手紙にしまして、それを送ったそうであります。そして、後日、何とブラジル連邦検察庁の検事総長が、実はこの手紙をしっかり読んでくださっていて、大変重くその手紙を受け止め、心から感動したというお話も賜りました。それには、在京ブラジル大使館のラーゴ大使を始めとする多くの皆さんが、我が事のようにこの問題を真摯に扱っていただきました。
このように、多くの皆さんの御支援で、二〇一四年四月の時効を認めた最高裁に対して、サンパウロ高等検察庁がブラジル司法高等裁判所に上告をしました。二〇一五年九月にブラジル司法高等裁判所は、時効を認めた二審の判決の破棄を決定した。そして、その後、被告の弁護団が再び異議を申し立てましたけれども、今年の二月の二日、ブラジル司法最高裁判所がこの異議申立てを棄却してくださいまして、今月の十一日、禁錮二年二か月の有罪が十年たってやっと確定をいたしました。
大臣、私は、山岡さん御夫妻のまな娘を思う気持ちと犯罪を許さないという強い覚悟、その気持ちだけで十年間もったとは思っていません。実は、私は、この御夫妻が本当に立派なのは、罪を憎んで人を憎まずではないですけれども、多くの日系ブラジル人はこの日本社会で真面目に働いているんですよと。そして、雇用の調整弁のように日本の労働力が足りないときはたくさん入ってこい、しかし、景気が悪くなると国へ帰ってくれと。静岡県にはたくさんのブラジル人がおりますし、私の町には、実は十人にお一人がブラジル人だったという時期もございました。本当に厳しい環境下で真面目な人間が生きていると。しかし、このような事件が時として起こるわけでございます。
こういう御両親のお気持ちに対して、実はブラジルの国の方々も、そして日本社会で生活されている日系ブラジル人の方々も、この犯人の逃げ得を絶対許しちゃいけないと一緒になって闘ってくださいました。外務省の中では作業部会を設置をして、様々な検討をしてくださったと聞いています。
大臣、この事件が一定の区切りを見せました。是非、大臣、この事案に対するこの十年間の感想、そして、大臣もこの時効の判決が出たときに山岡御夫妻にお会いをいただいて、本当に感謝を申し上げたいと思います。大臣からお言葉を賜れれば幸いですし、あのとき立ち上がった両政府の作業部会が今どういう状況にあるのか、もし分かれば教えていただきたいと思います。