赤池誠章の発言 (文教科学委員会)
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○赤池誠章君 ありがとうございました。
大臣御指摘のとおりだなということを改めて感じているところであります。
それぞれの民族にとって言語それから宗教というのは大変大事なものであります。ところが、それが逆に価値観の相違を生んで、誤解や、また意思の疎通を欠いてトラブル、紛争の種になるということもまた歴史が証明しているところではないかと思います。日本の道徳教育というのは、そういう面では、宗教を当然、日本としての宗教心を背景にしながら、宗派、宗徒に一辺倒に属しない部分としての普遍的な価値をどう子供たちに教えるかという積み重ねの中で今日来たのではないかというふうに思っておりますので、改めて、それはまさに大臣御指摘のように普遍的な価値を持つということではないのかなというふうに感じておりますので、そういう面では、今、日本型教育を輸出しようということで今年度の予算にも盛り込まれているところでもありますし、G7の取組を通じて、日本の道徳だったり、また最近は運動会というのも海外からも評価をされたり、また掃除という部分も評価をされていると聞いておりますので、是非そういった観点で引き続き取り組んでいただきたいと思います。
次に、これは全般的な私の感覚なんですが、近年感じることが多いというのは、文部科学行政、大変大臣のリーダーシップの下で、また安倍総理の教育再生実行会議、それは十年前の教育基本法の改正というのが大きかったというふうに感じて、教育行政というのは本当に進んでいるなということを感じる一方で、ともすると弱者の保護、セーフティーネットの構築というのは大変大事な視点であると思う一方で、そういったことばかりが優先的に取り扱われているということの印象があるのではないかという感じも一部持たれているのではないかと感じています。
人格の完成とか国家及び社会の形成者という、これ教育基本法の教育の目的ということの国民の育成という観点から、その究極というのは、やはり教育というのは自助ですね、自立というものが一番大事であり、それをどう涵養していくかということではないのかなというふうに感じているところであります。持てる能力を開花して、そして働いて、それぞれの実情に応じて家庭を持ち、それぞれ幸福を追求していく、それをどう支援しているかという、これが教育の根本的な考え方ではないかというふうに思っておりますが、それがともすると二の次に、三の次になっている、バランスを欠くことになっていないのかということであります。ある方が、文部科学省が社会保障省というふうになってはいないかというようなことを指摘する方もいらっしゃいます。
改めて、教育行政、文教行政に対する基本理念、方針をお伺いをしたいと思います。