加納忠の発言 (厚生労働委員会)
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○加納参考人 私は、全日本年金者組合大阪府本部で書記長を務めております加納でございます。
年金者組合は、年金受給者を中心に、全国で高齢者が人間らしく暮らせる町づくりや、年金制度を初めとした社会保障の充実を求める運動をしている任意団体であります。
私たちは、国民年金法等の一部を改正する法律案の、特に年金額の改定ルールの見直し、すなわち、一つには、マクロ経済スライドの前年度までの未調整分を含めて調整する案、及び、賃金変動が物価変動を下回る場合、賃金変動に合わせて年金額を改定する考えを徹底する案、これについて強い懸念を持って反対をしております。この法案に反対をする立場から意見を述べていきたいと思っております。
この案は、年金制度維持に必要とされる費用総額を抑制することを前提に、つまるところ、公的年金の給付水準を順次引き下げ、年金の支払い総額を大きく抑制して、制度維持の可能性の向上を図るというものにしかすぎないと思います。ここには、退職した年金受給者や障害年金を受けておられる方たちの健康で文化的な最低限度の生活を営む権利をどう確保するか、さらに、社会保障としての公的年金の向上及び増進にどう努めるのかの視点がほとんどないと言わざるを得ないと思います。年金制度後退を回避する方策を全く検討しないで、ひたすら年金引き下げを進めるものとなっていると思っています。
高齢者や障害者の扶養の問題は、高齢者自身、また、その家族の自己責任を基本とするのではなく、社会的扶養を基本として解決することが現実的であり、合理的であると思っています。日本における公的年金を含めた社会保障財源の根本的な問題点は、本来負担すべきものがその責任を十分果たしていないというところにあると思います。国家の税制度と予算配分を通じた合理的な所得再分配機能が十分発揮されておりません。三百十兆円を超す内部留保を持つ資本十億円以上の大企業五千数社を中心とした資本の側の社会的責任は十分果たされていないと思います。このことが問われなければならないと思います。これは、今格差、貧困の拡大が大きな問題になっている、この背景と同様の構図があるのではないかと思っております。
さて、きょうは、年金受給者の置かれている状況とその思いを私たちの運動の中から御報告申し上げたいと思っています。
年金者組合の運動の中で、平成二十五年十月からの一%年金減額措置及び平成二十七年、昨年四月から実施されましたマクロ経済スライド年金減額に対し、今現在、全国で四千六百三十六人以上の原告による年金引き下げ違憲訴訟運動が起こっております。
大阪府本部に寄せられたこの年金減額に対する年金受給者の切実な訴えの一端を御紹介してみたいと思います。
これは、大阪市在住の、仮名ではありますが、松本さんの訴えです。
昭和十三年八月生まれ、七十八歳です。長崎の製鋼所に働く一家の長男として出生しました。一歳のとき、ポリオ、小児麻痺にかかり、突然全く歩行できない両下肢麻痺の重度障害の状態となり、現在に至っています。
小学校を含め、障害を理由に一切学校に入学できませんでした。三歳下の弟の通学かばんの中の教科書を見て、字を読めるようになりたいと思い、父や弟に平仮名の読み方を教えてもらって、教科書を何回も読み返し、何とか本も読めるようになりました。しかし、算数などは全くわからず、九九も知らないまま過ごして大人になりました。
昭和二十五年、十二歳のとき、父は、勤めていた製鋼所を整理解雇され失業しました。失業と同時に父は体調を崩し、就業と失業を繰り返すという苦しい生活でした。車椅子もありませんでしたので、いつも家の中だけの生活で、雑誌などを読んで過ごす少年時代でした。今思えば、就学免除とされ、憲法二十六条に書かれている教育を受ける権利を剥奪されていたのであります。
十七歳ごろ、小倉市に家族とともに転居。市が車椅子を支給してくれて、初めて車椅子に乗りました。知り合いに連れられて映画館に行き、西部劇を見ましたが、字幕が全く見えず、ひどい近視だということがわかったということもありました。
十九歳のとき、小倉市の障害者職業訓練所に入り、印鑑づくりを習いました。その後、小倉市内の小さな印鑑店にやっとのことで就職できました。
昭和三十四年十一月から国民年金の障害福祉年金が支給されるようになり、昭和三十五年三月に初めて障害年金を受け取りました。障害一級で、その当時、月額千五百円でした。早速、眼鏡を買うことができ、こんなにも世界が鮮明なのかと感激したことを覚えています。心から、年金制度は私たちにとって大切なものだと思いました。
二十六歳のとき、単身で大阪に出て、吹田市の印鑑店に就職、約十年勤めた後、昭和四十九年、三十六歳で独立、借家の自宅で下請の仕事の印鑑店を持ちました。やっていけるのだろうかと大変不安でしたが、徐々に得意先もふえ、何とか自立した生活ができました。重度障害の私がどうにか生活できたのも、仕事があり、障害基礎年金があったからこそです。
しかし、日本の少なくない障害者は、不当に厳しい受給要件や、制度を知らないために無年金のまま放置されている方がたくさんおられます。年金を受給していても、一級、二級の重度障害のほとんどは就業できず、生活費の全てを低水準の障害年金に頼らざるを得ず、自立した生活を送れないでいます。まさに社会保障は、人間が人間らしく自立して生きるための前提として機能しなければだめだと思います。
体力も衰えてきたので、平成十二年、六十二歳で吹田市の店を閉じ、大阪市内の府営住宅に転居しました。同時に結婚し、現在、妻と二人暮らしです。収入は、私の障害基礎年金月額八万一千円余り、妻の老齢厚生年金、老齢基礎年金合計月額八万五千円余り、二人足して月十六万六千円のみです。
妻は、厚生年金に入れない非正規の勤務時間が非常に長かったので、老齢年金額はわずかです。家賃や光熱費、また介護保険料や後期高齢者医療保険料、その他生活必需品などを支払うと、多くは残りません。私たちは自営業だったので退職金はなく、貯蓄も余りできませんでした。将来のために貯蓄をしなければと切り詰めて生活をしています。ほとんど旅行もしたことはありません。二人で生活をしているので何とか生活をできますが、二人とも後期高齢者で将来のことが不安です。片一方が亡くなれば、たちまち大変な事態になると思っています。
平成二十五年十月から二・五%の年金削減をされました。私たちのように低年金者にも一律の削減に怒りを持っていましたが、昨年四月にマクロ経済スライドが実施され、今審議されている年金法案では、今後の年金減額のスピードが増すと聞いています。本当に許せません。
私は、みずからの人生を振り返って強く思うことは、少年時代は就学免除で教育を受ける権利を奪われ、高齢になり、いよいよ障害基礎年金だけで暮らしていくことになった今、憲法二十五条で保障されているはずの健康で文化的に生きる生存権を奪われているということであります。
最低保障もない、ほとんどお小遣い年金のようなひどい年金制度を若い世代に残すわけにはいきません。私は、これから生まれてくる人も含めて、全ての人が人間らしく生きる権利を守るため、マクロ経済スライド違憲訴訟の原告となりました。
こういうお話でございます。これはまさに個人の自己責任の問題として放置することができるでしょうか。
もうお一人、七十二歳の女性、山本さん、これも仮名でございますが、年金について簡単に御紹介したいと思います。
この方の年金額につきましては、資料としてお手元に届けておりますが、高校を卒業し、大企業の紡績会社に就職、十八歳から六十歳定年まで四十一年間、厚生年金を掛けてこられました。この方の年金額は、何と月額十三万六千円です。お手元に年金記録の資料をつけております。ぜひ見ていただきたいと思います。
四百九十三月、四十一年の年金加入でこの年金額に山本さんは衝撃を受けたと述べています。女性の賃金の低さが直接年金額に反映しているわけであります。さらに、年金制度の仕組み、日本の年金制度の水準の低さ、四十年も掛けてこの水準、十五年、二十年の方はいかがなものか、すぐ想像つくことだと思います。
現在七十二歳、年々ふえる国民健康保険料、介護保険料など公租公課の天引きで生活はどんどん余裕がなくなっていくとおっしゃっています。高齢者の年金は高過ぎるは、全くの見当外れであります。
このような年金受給者の厳しい状況は、今の年金受給者だけの問題ではなく、現役世代、若者にとってこそさらに深刻、切実な問題であります。持続可能であっても、もしこのような年金制度を残されたら、現役世代こそいい迷惑ということではないでしょうか。
最大の問題は、日本には最低保障年金制度が確立していないということであります。
国連人権規約委員会は、既に二度にわたって日本政府に、最低保障年金制度をつくるべきと総括所見で勧告をしております。この部分をお手元に資料としてお配りしております。
スウェーデンでは、一九九〇年代後半、年金制度改革が議論され、年金水準の一定の見直しがされましたが、それでも、低所得者、無所得者であった者には、最低保障の年金により、最低生活保障の、ナショナルミニマムを保障する仕組みがあります。日本は、ナショナルミニマムを保障する最低保障年金制度もつくらず、一切の考慮もなく一律に年金削減を続けるなど、余りにもひどい年金制度となっていると思います。
まさに今、最低保障年金制度の確立を初めとした年金制度の改善こそ、今、国会でも審議され、それが実現するべきことではないかと訴えて、私の陳述とさせていただきます。
どうもありがとうございました。(拍手)