小松泰信の発言 (農林水産委員会)
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○小松参考人 おはようございます。
まず初めに、こういう貴重な場に発言の機会をいただきまして、感謝申し上げます。
挨拶はそれぐらいにいたしまして、けさ、宿舎で新聞が置いてありまして、日本農業新聞が置いてありまして、それをとりました。そうしたら、競争力強化支援法案、きょう衆議院で採決、可決されるであろうというようなことが書かれておりまして、午前のこの参考人質疑はどうなるんだろうかなと思ったわけでありますけれども。
しかし、食料に関しましては、この後申し上げますけれども、超長期的な話でございます。午後の部、どうなるか、これは皆さん方の御見識によるところでありますけれども、将来にわたっての問題であるということで、私は私なりの責任を全うしたいなと思っております。
お手元に、三枚つづりのレジュメを用意しております。
まず、私、自分自身の職歴とJAグループの関係を申し上げたいと思っております。
私、専門は大学院の環境生命科学研究科、いろいろ長ったらしく書いてございますけれども、農学部の教員で、社会科学系、特に農業協同組合論を専門にしております。
なぜ農業協同組合論を専門にしたかというのは、昭和五十八年、一九八三年、二十九歳数カ月のときに、長野県に設けられました、長野県の農協だけでお金を出してつくった長野県農協地域開発機構という、最近では余り使わない言葉ですけれども、シンクタンク、JA版のシンクタンクというものに就職いたしました。出身は九州の長崎でございますから、縁もゆかりもなかったんですけれども、現場でもまれたいというようなことで入りました。
それまで農業協同組合論を専門的に勉強してきたわけではなく、耳学問で、JA批判、農業協同組合批判を学者先生方が言っているのを聞いておりましたが、私、就職して三カ月でころっと考え方が変わりまして、これだけきちっとやっている、もちろん、百点満点の組織というのはないはずでありますけれども、四十点や五十点、ちまたで言われているような組織ではないよねと。もしこれがなかりせば、なかったらどうだったんだろうかということを考えたときに、私は、その存在意義といいますか、それまでの歴史というものをもう一遍勉強し直すようにしました。
そして、わずか六年ではありましたけれども、信州、そして可能な限りのところを見て回らせてもらって、勉強させていただいた。
その後、平成元年から石川県の農業短期大学というところで教員の職を得て、ああ、所変わればこうも変わるものかと。いい悪いは別でございます。信州の高冷野菜、果樹、そういう地帯と稲作地帯というので、やはり農業協同組合の雰囲気も違うなという、いわばそこの風土の中で、農業協同組合もそれと一体化するような形で存在してきた。
それが、平成九年から岡山大学に行き、果樹産地、そういったところでの農業の形態、農業協同組合の雰囲気というものを感じまして、ああ、やはり、三者三様といいますか、地域によって違うな、それもまた県内でも異なってくるなというようなことで、本当に農の世界というのは奥深いなということ、簡単に結論づけてはいけないなというのを、私自身つくづく、知れば知るほど学ぶようになりました。
その下に、図でお示ししておりますけれども、今大切にすべきものは何なのかということで、JAの立ち位置からちょっと考えてみようというふうに思います。
基本的には、農村社会に農業協同組合、JAは存在するわけでありますけれども、この農村社会というのは実は二つの層から成っている。表向きは、表層領域ということで、一応ビジネスというふうに書いておりますけれども、食料生産販売機能というのを担う領域がございますが、重要なのは基層領域というところでございます。
ここは、その地域にある土地や里山や川や、そういった地域資源を管理し、そして人々のつながり、コミュニティーが形成され、伝統文化が育まれ、そして最近では防災というようなことも非常に重要な役割、信仰、神事、そういうことも担うところであります。ただ、これはもう当たり前のような世界でありますから、なくなってみないとその重要性がわからない、なくなったらもう取り戻すことはできないという世界であります。
結論を急ぐようでありますけれども、現在のこういう競争力強化法案とか農業をめぐるさまざまな動きというのは、実はこの基層領域の重要性を御認識になっていないか、あるいはあえて目を伏せているかというようなことで、私は大変危惧しております。
そして、農家実行組合とか農家組合とか、もう現場の人に聞けば、ああ、あれねみたいな、町内会みたいなものでありますけれども、こういうもので実は地域が支えられ、そして、そういうところの基層領域にある地域資源を活用しながら食料生産が営々と営まれてきた。
しかしこれは、肥料、農薬は購入しなければならない、つくったものは売らなければならないということで、どうしてもビジネスの領域が必要になってくる。そこのところを、農家さんたちが出資し、地域の方々が出資して、自分たちの協同組織をつくった。
ただ、その農業協同組合は、販売、ビジネスに関しましては、ほかの領域、いわゆる地域外、あるいは国内のほかの地域と取引をしなければならないということで、いわばそこで中央会とか連合組織というのが求められてくる。
連合会の役員に現場の農家の方の代表が行って、レベルが低いというような意見がありますが、それは大きな間違いでありまして、中央会とか連合会が浮世離れしないために、現場の基層領域の動きをしっかりと理解してもらうためにそういう方々が代表として行っているんだ。そういう役割も非常にある。
ただ、もちろん、全国的な視点というのは欠落している部分、弱い部分があるかもしれませんから、職員の方々、実務精通者がそれをサポートしてやっていく、こういう流れになっておるわけであります。
この農業協同組合と異なる位置といいますか、立ち位置が違うのがグローバル企業。この図の右上に浮遊と。世界じゅうを駆けめぐる、しかし農村社会とか基層領域には責任を持たないということであります。片方で着土、地域に密着するという右下の着土という概念ですね。他方、グローバルにおいては浮遊という概念。
我々は今どちらを特に重視しなければならないのかということ、これを私は強く申し上げたい。基本的には着土ですね。これは私の言葉ではなくて、福井県立大学の学長をやり、京都大学の名誉教授だった祖田修先生の言葉であります。意識を持って腰を据えて地域に根をおろす、着土でございます。
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そういう中で、私は、協同の力といいますか、そういうものの有用性ということで、これは単純な図ではございますけれども、寿命が延びる、医療とか衛生等々の関連の進捗の中で延びる。そういう中で、実はQOL、クオリティー・オブ・ライフというのは延びているのかというと、これは皆さん方、私もそうでありますけれども、自分の、高齢者を抱えた家とか、そういうことを考えれば、QOLは決して寿命曲線と同じような角度では延びていかない。そのギャップを私は生き地獄と呼んでおります。
組合員各位を生き地獄に落とさないために、本当なら、国家が社会保障でサポートしてくれるのが理想かもしれませんけれども、なかなかそういう状況にならない。それをきっちり、協同の力で少しでもこの寿命曲線に近づけるようにやって、生き地獄を組合員にもたらさないというようなことで、私は、農業協同組合、JAグループはやってきたんではなかろうかなというふうに思っております。
という前提で、農業競争力強化支援法案を検討する際のポイントとして、私は、第二次産業、第三次産業の論理を第一次産業に簡単に当てはめるのはかなり問題である。
かつてのペティの法則というのがあって、その国が経済的に成長していったら、人、金、土地、そういった生産要素が第二次産業、第三次産業に流れていく。第二次産業、第三次産業を成長させるために生産要素を供出していった産業が強くなれるわけがない。もし本当に強くなってほしいなら、これまで出した人や金を戻してから言ったらどうですかというのが本音の部分でございます。
そして、こういう状況の中でも、一億二千七百万人を食料では困らせないという使命に立ったときに、いかなる強さが農業に求められるのか。私は、単純な第二次産業、第三次産業の論理の強さではなく、根強さ、根強い農業という言葉を使っております。それは、地域にまさに根を張った根強さ、そして国民、そして日本の食料を評価する国外の方々のまさに体、胃袋にしっかり入り込む、そういった両方における根強い農業ということを目指すべきであろうと思っております。
そういう中で、私は、自給率が四割を切っているということは大変問題である。国民の基礎代謝、千ちょっとの熱量すら自国で供給できないということ、これは甚だ問題であろう。あえて言うなら、輸出を語る資格はない。輸出を語りたければ、食料自給率、そういうものをもっと、基礎代謝、六〇%ぐらいまで回復する、自給率を六〇%ぐらいまでに回復して後の話ではなかろうかなと思っています。
農学部の教員といたしまして、私は、その使命ということを何なのかと考えるときに、生命の連鎖性というキーワードを持っています。これは、それぞれの生き物がつながっていくということであり、かつ、横のつながりを持っていく。そういう意味では、超長期の視点が必要だし、だからこそ、規制は岩盤でなければならない。簡単に壊されるということは、まさに国民の生命というものに危機をはらんでくるということであります。であるがゆえに、成長よりも安定、改革よりも日々の改善、改良ということが問われてきます。
ぜひ御検討いただきたい事項といたしましては、先ほど鈴木先生もかなり強くおっしゃいましたけれども、競争力とは何ぞやということ。私は、ことしの農業の競争相手は昨年の日本の農業であった、ライバルは去年の農業である、そして、来年にとっての農業のライバルはことしの農業であった、そういう形での競争ということをやはり地道に続けていく必要があるのではないか。
さらに、法文の中で、有利な取引相手という言葉がありますが、超長期に考えたときに何が有利なのか。極めて短期的に、どっちが得なんでしょうというようなことを法律の条文でうたうような話なのかというふうに私は思います。そして、そういう業者から買いなさいということを法律の条文で示すレベルの話なのかというふうに非常に疑問を禁じ得ません。
次の、最後のページでございます。
さらに、食料において卸売市場等々の流通業界がどれだけの責任を果たしてきたかということ。集荷、分荷、品ぞろえ、価格発見、代金決済、情報の提供、もう少しこの辺のところをやはり評価し、改善は必要かもしれませんけれども、どんどん民間に参入させて、あるいはなくして、そこを飛ばして直接取引をしなさいというようなところまで書き込むというのは、本当に法律としてこのレベルなのかなということで、非常に私は疑問を禁じ得ないところであります。
時間が今、十四分ほどになりましたので、ぜひ、また後からの御質問にも答えたいと思いますけれども、結びのところで書いておりますが、やはり、我が国の食文化を守りながら、食料自給率六〇%を目指す、あるいは、人的資本への大胆な投資、農ある世界の人づくり、そして、ぜひ、多様な担い手、担い手の多様性を尊重し、そういう担い手が重層的に存在し、そして、生命の連鎖性というところをしっかりこの国が守り続けていくということを願って、こういうことを報告いたしまして、私の陳述とさせていただきます。
どうもありがとうございました。(拍手)