水野和夫の発言 (国民生活・経済に関する調査会)
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○参考人(水野和夫君) そのとおりで、私も、一九七〇年か八〇年ぐらいまでは日本は社会が個人より優先する社会だったと思います。でも、その後、七〇年代以降、ニクソン・ショック以降、市場経済化が進んで、そして、レーガン、サッチャー、中曽根総理というこの新自由主義的な政策で、努力した者が報われるというそういう考え方が日本でも浸透してきて、実際に、そうですね、九〇年代の後半、金融危機の後ぐらいからまさにそういう政策に転換したと思うんです。努力した者が報われますよという、そういうスローガンの下に政策が取られてきましたので、これは、まさに個人の能力が先にあって、それで能力で評価しますよと、あなたの能力、あなたはこれだけ努力したのでこれだけの年収ですよとか、そういう社会になってきたと思いますので。
日本はよりこの三十年間で欧米が考えていたホッブズがつくった近代社会の考え方に染まったというのは変ですけど、ようやくそれに追い付いたということなんですが、追い付いたときには近代社会のフレームワークがもう終わっているわけですから、追い付いたときにはもうその状況がなくなっているというので、結果的には努力した者が報われるというのは、結果として、私の意識では、報われた人が努力したことにしようという、そういうふうにもう変わってきていると思いますので、そうすると、不平不満を言うと、あなたは努力していないからそうなったんだと言われて、その一言でもう切り捨てられてしまうということだと思いますので、元々個人が社会に先に存在するというのはたった四百年間の考え方で、元々の社会が個人より先に存在するというのはアリストテレス以来ですので三千年ぐらいの歴史を持っている。三千年って、三千年間のうちの二千五百年間はそうみんな考えてきたわけですから。
これは無人島で自我が存在するかということですよね。無人島に行って自我なんかできない、自分とは何かという発想はそもそも無人島では起きないように、まずは社会があって、その中でそれぞれの役割が与えられるという、元々日本は数十年前に持っていた、なくさないで持っていたわけですから、日本は世界で一番また早く切り替えられる、そういうポジションにあるはずなんですけれども、なかなかそうなっていないということじゃないかなと思います。