熊谷晋一郎の発言 (国民生活・経済に関する調査会)
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○参考人(熊谷晋一郎君) 皆さん、こんにちは。熊谷と申します。
今日は本当に貴重な機会をいただきましてありがとうございます。
私は、今日は障害に関して、特に暴力の問題を考えたいと思います。
暴力というのは、自分と異なる他者を排除しようとする振る舞いのことですね。ですから、異なる他者と共生する社会を考える上で、その逆照射をする、つまり暴力の問題から逆に暴力のない社会を考えることで共生社会というのはどういう条件を満たしていなければいけないのかということを考えてみたいと思っています。
私は、今、大学の方で当事者研究というものを専門にしています。今日の本題に入る前に少しだけ、私が取り組んでいる当事者研究、今日お話しさせていただく内容というのは、当事者研究からの知見を半分、それからこれまでの先行研究のエビデンスを半分という形でプレゼンテーションいたしますので、まず、その当事者研究というものを、まだ聞き慣れない言葉だと思うので、少しだけ説明をしたいと思います。(資料映写)
当事者研究とは何かというと、一言で言うと自己知、つまり自分に関する知識やあるいは自助、自分を助ける方法を共同創造する、英語ではコプロデュースする、そういう実践というふうに要約することができるかと思います。
ここで言うコプロデュース、共同創造という概念は昨今欧米で注目されている概念で、従来、当事者、つまり障害を持っていたり貧困であったり虐待を経験したりという社会的弱者は、サービスの受け手、受動的なエンドユーザーとして規定されることが多かったわけですが、そうではなくて、サービスや政策やあるいは支援法や医療などの生産者になる。もちろん、当事者だけで生産者になることはできないので、専門家の側方支援が必要なわけですけれども、受容する消費者ではなく生産者側になるという取組が、実は非常に効率のいいサービスを、ある条件を満たしていれば効率のいいサービスを生み出すことができるんだというふうな考え方のことです。
昨今は、精神医療領域、特に臨床研究の中でこのコプロダクションというのが注目されていて、従来、主に臨床研究や薬の開発といった精神医療の臨床研究というのは、専門家がリサーチトピックを立ててそれに対してリサーチプランを立てるというふうなことが多かったんですが、それだと満足度の高い、コストエフェクティブな支援がなかなか開発されないということが注目されるようになり、そうではなくて、例えば、これ今お示ししている例は、統合失調症の方に集まっていただいて、次の十年で解いてほしい問いを言ってくださいと、それをトップテンリストを作るわけですね。そのトップテンリストに対して公費を付けて全国に公募する、研究者を募るというようなジェームス・リンド・アライアンスというイギリスでの取組を紹介したネーチャーの論文です。こういった取組が欧米では注目されていて、その日本版が言わば当事者研究と言えるものなわけですね。
当事者研究というのは、昨今、AMEDなんかでも支援をいただいていますけれども、当事者が精神医療あるいは医療全般をコプロデュースする取組として注目をされ始めているものです。
改めて、当事者研究とは何かといいますと、障害や病気を抱える当事者が困り事の解釈や対処法について、従来のように医者や支援者に任せきりにして受動的なエンドユーザーになるのではなく、自ら自分の困り事のメカニズムを解明しようとする研究者になるんだと、そして、似た経験を持つ仲間や支援者、専門家と助け合って困り事の意味やメカニズム、対処法を探り当てる取組、要約すると自己知と自助のコプロダクションというふうに要約できるかと思います。
実は、自己知と自助の関係というのは、これ私が取ったデータですけれども、向かって右側ですね、横軸が把握可能感、つまり自分の経験に関して意味を発見している度合いですね、自己知そのものです。縦軸が反すう傾向といって、自分の過去に起きた出来事をくよくよくよくよ、ぐるぐる思い悩む傾向の強さですね、これが強い負の相関をしている。つまり、自分を知ることというのは、単に知識が得られるだけじゃなく、それ自体がメンタルヘルスやウエルビーイングにとって非常に重要なんだということを示したデータになります。
自分を知ることが何のメリットになるのかというと、大きく言うと四つぐらいあるんですが、そのうちで特に今日注目したいのがコミュニケーション能力ですね。自伝的記憶というのは、自分に関するこれまでの経験を意味ある一つの物語としてまとめた記憶の総体のことです。自己知そのものですね。その自己知があるとコミュニケーション能力が高まるということがよく知られています。それからもう一つ、展望記憶といいまして、未来の構想を描く、私はこういう人間になりたい、こういうことをしたいという意思決定の力が、自伝的記憶によって、何というかファシリテートされるということも分かっています。
現代社会においてそのコミュニケーション能力と将来に対する展望を持つというのは、不確実性が増した社会でとりわけ個人に要求される二大能力なわけですけれども、そういったものの基盤にこの自己知、専門用語で言うと自伝的記憶といったものが存在しているんだというのが当事者研究の着想の一つです。
逆に、自己知、自伝的記憶というものがうまく整理整頓できないとどういう症状が起きるのかといいますと、ちょっと、これは当事者の方が作った再現VTRですが、フラッシュバックですね、夜寝ると、目を閉じると、その日に起きた出来事がばんばんばんと勝手に再生される。トラウマを持っている、虐待を受けている方なんかよくこれが起きますけれども、トラウマを持っていなくても、例えば自閉症を持っている方なんかですと、トラウマなしでもこのフラッシュバック症状というのが起きます。
それから、そのフラッシュバックの映像を見ながらあのとき私はああ振る舞ってよかったんだろうかというふうな反省をずっとしてしまう、これを先ほども紹介しました反すう傾向といいます。もう一つ、OGMというのは、抽象的にしか過去を思い出せない、そういった記憶の持ち方で、実は、後ほど説明しますが、自殺率と相関することが分かっています。
これまで述べたようなフラッシュバックや反すう傾向あるいはOGMというのは、いずれも自己知がうまくまとめ上げられていない、自伝的記憶の統合がうまくいっていない兆候として知られているものです。そういう意味では、当事者研究がアプローチしようとしている自己知の再構築、コプロダクションというのは、こういったメンタルヘルスのかなり中核的なところに介入しようとしている取組というふうに言えます。
これも私たちのデータですけど、自閉症スペクトラムでも、昨今急激に人数が増えているコミュニケーション障害を中核とする発達障害の一種ですが、自閉スペクトラム症でもOGM傾向が強いということが分かっておりますし、先ほども申しましたように自殺のリスクがこのOGMと相関するということも分かっています。
じゃ、そのOGMといいますか自己知や自伝的記憶がうまくまとめ上げられない人はそのままに放置されていいのかというと、そんなことはありません。実は、自伝的記憶がうまく統合できる条件として知られているのが、自分の日常的な経験を言葉であるいは記号で分かち合える他者が周りにいるかどうかということが決定的に重要だということが知られているんですね。
必然的に何が分かるかというと、生まれつき見え方や聞こえ方といった認知特性の異なる少数派はそういった経験の分かち合いの機会が乏しくなりがちですので、そうするとOGMやフラッシュバックになることは必然なわけです。あるいは、先ほど駒村先生もおっしゃっていた虐待なんかもそうですね。虐待の本質は秘密です。つまり、人知れず誰とも分かち合えないひどい仕打ちを経験している、そこからの回復は、実は同じような虐待経験を持った人と一緒に自分の経験をカミングアウトして分かち合うことなんですね。そういうふうに秘密領域を持った自伝的記憶というものを持っている人も、同じくOGMやフラッシュバック、あるいは自殺率の高さ、それから今日後半で述べる犯罪の加害というものと結び付きやすいということが分かっています。
そういう意味では、人知れずひっそりと誰とも分かち合えない経験を持った少数派同士が自分の経験を似た仲間と分かち合うという当事者研究の取組自体が、これら一連の問題に対してかなり中核的な効果を及ぼすということが予想されるわけですね。実際、私たち、昨年から臨床研究をやっておりまして、まだ論文にはなっていないんですが、かなり強い手応えを感じているところがあります。
以上が当事者研究のあらましに関する説明でした。
ここから暴力の話をしようと思うんですけれども、皆さんも御存じのとおり、昨年七月二十六日に痛ましい事件が起きました。障害者施設をある容疑者が襲って、十九名の仲間たち、障害を持つ仲間たちが殺されたという事件、津久井やまゆり園の事件ですね。私は大きな衝撃を受けて、八月六日、十日後に追悼集会を開いたんです。国内外からおよそ四百通、たった十日間で四百通の、その中にはアメリカ大使館、当時の大使からのメッセージもありましたけれども、四百通のメッセージが届いたんですね。その中で特に私が印象に残ったメッセージ、一つだけ紹介します。
カナダのソーシャルワーカーのライナスさんという方のメッセージで、彼女はこういうふうに言っているんですね。このような困難な状況において、一部の人々が問題を外部化し、依存症者、精神障害者、特定の専門家といった他者を責めたくなることは理解できます。しかし、私たちは、自分たちの住むこのコミュニティーに他者などおらず、暴力行為や依存症、そして精神疾患は症状にすぎないということを知っています。そうした症状は社会のより深部にある満たされていないニーズを反映しているのですというふうに述べている。
つまり、こういった陰惨な事件が起きると犯人捜しをしたくなる、そして自分とは関係のないと思われる犯人、専門家や依存症者や精神障害者、そういった他者に全ての原因を押し付け、そして彼らを責め上げて社会から排除することであたかも自分たちのコミュニティーはまたクリーンな状態に戻ったという幻想を抱きたい動物だということを述べている。しかし、それは全く問題解決にならない。むしろ、真犯人はこの社会全体なんだ、そしてそれを支えている我々一人一人が真の加害者なんだということを見詰めましょうということを述べています。
残りの時間では、この暴力の問題を暴力の加害側からのエビデンス、それから被害側からのエビデンスに分けて紹介したいと思います。ちょっと時間の関係で少し飛ばしながらになりますけれども、まず暴力の加害のリスクに関するこれまでの先行研究を見ていきましょう。人はどういうときに他者を排除するのかという研究です。
結論だけ言いますと、これまで統計的に関係があるとされているリスクファクターは八つあります。八つ全てを説明することはできませんが、おおよそ三つに分けられます。赤い色を付けたところと青い色を付けたところとピンク色の色を付けた三つですね。赤い部分は、一言で言うと反社会的な行動パターンと言われるものです。青い部分は、社会的排除そのものです。例えば、親密な他者との関係からの排除、あるいは就労や教育からの排除、そういったものです。そして三つ目、これは後ほど、保留が必要だと、少し補う必要があるんですが、薬物使用によって暴力の加害性が増すというふうなエビデンスがありますが、これは、じゃ薬物を禁止したらいいと、そういう単純なものではないことを後ほど説明します。
これを見ますと、青い部分は社会的排除だが、赤い部分とピンクの部分は個人の特徴なのかなと勘違いされやすいのですが、そうではなく、赤い部分の反社会的行動は、実はソーシャルエクスクルージョン、特に経済的な貧困や差別といった問題によって説明されるということが分かっています。必ずしも個人に帰責できるような特徴ではないということです。
それから、薬物依存も同様です。差別や社会的な排除というものが薬物依存症の背景にあるということが分かっています。当事者研究の中でも、薬物依存症だとカミングアウトするや否やなかなか就職先が見付からない、それによって社会に再びインクルードされる機会を失って、再びアンダーグラウンドに行かざるを得なくなるというような当事者の語りがよく聞かれます。こういった差別というものが依存症に対して燃料を与えているということは重要です。
そう考えますと、先ほど述べたビッグエイトと呼ばれる八つの暴力の加害のリスクというものは、個人に帰属できるリスクというよりは、社会が一部の人を排除することによって、その排除された人々を加害性のリスクにさらしているということがお分かりになるかと思います。
少しだけ飛ばします。もう一つ重要なのは、依存症、薬物依存症が実は虐待などのトラウマによって引き起こされるという十分なエビデンスがあるということです。先ほど駒村先生のデータの中にもありましたが、虐待を受けていると人が信用できなくなります。あるいは、社会を信用できなくなる。そうすると、他者に依存できなくなるんですね。困ったときに他者に依存できない。健康な人は実は依存しているんです。たくさんのものに依存している。ところが、虐待を受けると依存できなくなる。依存できない病が依存症なんだということをまず理解していただきたい。消去法的に、人に依存できない人は物質に依存して、人に迷惑を掛けないで何とか問題をクリアしようと思って当然なわけですね。それが依存症なんだということです。ですから、依存症から回復したければ、依存できる人を増やすということが重要になってくるわけです。
依存症の結果、女子刑務所に入った方々の当事者研究というのも私たちやっているんですが、研究の結果が非常に興味深い結果になっています。一言で言うと、刑務所はどういうところだったかというと、犯罪の学校だったというふうに要約されているわけです。実際、海外でも笑えないような取組がございます。刑務所の中で学んだ文化が犯罪のリスクを高めるという十分な証拠があります。ですので、刑務所から出所した人に対して、その刑務所で学んだ文化を解除するためのプログラムというのを税金を投入して回している地域がある。素朴に考えれば、そもそも最初から刑務所に入れなければよかったんじゃないか。二度税金を使っているわけですよね、刑務所に入れてリスクを高めて、それを解除するのにもう一回税金を使うというような状況で、本当に、今まで慣習的に薬物依存の人を、違法な薬物を使ったからという、ただそれだけの理由で刑務所に入れてきたわけだけれど、そこにエビデンスはあったのかということが今先進国では問い直されているんですね。エビデンスベースドなポリシーメーキングになっていたかどうかということです。
実際、トラウマを持っている人が犯罪の犯すリスクが高いという十分な証拠があります。それともう一つ、刑務所に入るとトラウマが増えるという十分な証拠があります。二つを足し合わせたら何が起きるか。トラウマ・刑務所・犯罪、トラウマ・刑務所・犯罪という三角形がぐるぐるぐると回るような事実、現実というものが容易に想像が付くわけですね。ですから、何が何でも現行の刑法の制度の枠組みで、何でもかんでもエビデンスを無視して刑務所に入れることが本当に妥当なのかということを考えるタイミングにあると。
実際、国際的なNGOで薬物に関する政策に対して様々なエビデンスベースドな提案をしているNGO、GCDPというNGOがあるんですが、その勧告の中でも、薬物使用者、単純使用者ですね、つまり犯罪をほかに、薬物以外の暴力や犯罪を犯している場合にはもちろん刑務所に入らないといけないけれども、単純に薬物を使用しただけで刑務所に入れることはエビデンスに合っていないということを勧告しているわけです。
以上が暴力の加害に関するお話でした。残り二分で暴力の被害、特に障害を持った人がどういうときに暴力の被害を受けやすいかという話をします。
これが結論ですね。大きく言うと三つの要因に分かれます。暴力を受ける子供側の要因としては、移動能力の低さ、言語能力の低さ、これは容易に想像が付きますよね。暴力から逃げられない、移動できなければ逃げられない。言語がうまく操れなければ暴力を受けたという経験を他者に報告できない、あるいは信用されないということです。三つ目が非常に重要で、見えにくい障害、これは発達障害や高次脳機能障害など、周囲からは健常者と違いが分からない障害は、実は暴力の被害を受けやすいということが分かっています。なぜかというと、周囲の大人が健常者並みに振る舞えることを期待するからですね。その期待外れな行動に対して意味が分からないので、この子はきっと反抗しているんだとか、この子はサボっているんだというふうな解釈を周囲が与えやすい。しかも、本人もその周囲の解釈を内面化しやすい。なぜなら、見えにくい障害というのは、周囲から見えにくいだけじゃなく、本人からも見えにくいからです。ですから、自分は駄目なんだというふうにして自尊心をすり減らしていく。そういう中で、見えにくい障害というのは、実は暴力の被害を受けやすいだけでなく、加害にもつながりやすいということが分かっています。ここを何とかしなきゃいけない。
それから、養育者側の要因。これは親密さが暴力の加害につながりやすいということが分かっています。とりわけ共依存ですね。共依存というのは、言葉の正しい意味で説明すると、相手の依存先を独占することで相手を支配することと定義されます。依存できる先が少ないと、ほかに依存できない、つまり相手に支配される構造になるわけです。ですから、親、特に障害を持った子供の親なんかは共依存になりやすいということが分かっています。それから、ストレスですね。これ、ストレスは経済的なストレスももちろん含まれます。あるいは、先ほどの見えにくい障害について申し上げたような、障害についての知識の不足、これも暴力の加害につながりやすい。
そして、最後、環境要因。社会的排除が強い環境では暴力の加害が起きやすい。
このスライドでおしまいにしますね、もう時間も来ましたので。
最後、もう一つだけ環境要因で重要なのが、専門的な支援が充実していれば暴力の加害がなくなるのかというと、そういうわけでもない。むしろ、隣近所に依存できるか、隣近所にSOSが出せるかということが非常に重要なんだということが分かっています。
ちょっと尻切れとんぼになってしまいましたが、取りあえず暴力の加害、被害の話をさせていただきました。話は以上になります。どうもありがとうございました。