国民生活・経済に関する調査会
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会
会議録情報#0
平成二十九年二月十五日(水曜日)
午後一時開会
─────────────
委員の異動
二月八日
辞任 補欠選任
野田 国義君 斎藤 嘉隆君
二月十五日
辞任 補欠選任
朝日健太郎君 徳茂 雅之君
─────────────
出席者は左のとおり。
会 長 川田 龍平君
理 事
上野 通子君
中西 祐介君
風間 直樹君
新妻 秀規君
岩渕 友君
藤巻 健史君
委 員
朝日健太郎君
小川 克巳君
自見はなこ君
島村 大君
進藤金日子君
徳茂 雅之君
豊田 俊郎君
中泉 松司君
松下 新平君
元榮太一郎君
森屋 宏君
神本美恵子君
斎藤 嘉隆君
平山佐知子君
宮沢 由佳君
伊藤 孝江君
宮崎 勝君
薬師寺みちよ君
事務局側
第二特別調査室
長 林 浩之君
参考人
慶應義塾大学経
済学部教授 駒村 康平君
東京大学先端科
学技術研究セン
ター准教授 熊谷晋一郎君
特定非営利活動
法人ほっとプラ
ス代表理事
聖学院大学人間
福祉学部客員准
教授 藤田 孝典君
─────────────
本日の会議に付した案件
○国民生活・経済に関する調査
(「あらゆる立場の人々が参画できる社会の構
築」のうち、経済・生活不安の解消(社会保障
分野における格差の現状と課題等)について)
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この発言だけを見る →午後一時開会
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委員の異動
二月八日
辞任 補欠選任
野田 国義君 斎藤 嘉隆君
二月十五日
辞任 補欠選任
朝日健太郎君 徳茂 雅之君
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出席者は左のとおり。
会 長 川田 龍平君
理 事
上野 通子君
中西 祐介君
風間 直樹君
新妻 秀規君
岩渕 友君
藤巻 健史君
委 員
朝日健太郎君
小川 克巳君
自見はなこ君
島村 大君
進藤金日子君
徳茂 雅之君
豊田 俊郎君
中泉 松司君
松下 新平君
元榮太一郎君
森屋 宏君
神本美恵子君
斎藤 嘉隆君
平山佐知子君
宮沢 由佳君
伊藤 孝江君
宮崎 勝君
薬師寺みちよ君
事務局側
第二特別調査室
長 林 浩之君
参考人
慶應義塾大学経
済学部教授 駒村 康平君
東京大学先端科
学技術研究セン
ター准教授 熊谷晋一郎君
特定非営利活動
法人ほっとプラ
ス代表理事
聖学院大学人間
福祉学部客員准
教授 藤田 孝典君
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本日の会議に付した案件
○国民生活・経済に関する調査
(「あらゆる立場の人々が参画できる社会の構
築」のうち、経済・生活不安の解消(社会保障
分野における格差の現状と課題等)について)
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川
川田龍平#1
○会長(川田龍平君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会いたします。
委員の異動について御報告いたします。
去る八日、野田国義君が委員を辞任され、その補欠として斎藤嘉隆君が選任されました。
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この発言だけを見る →委員の異動について御報告いたします。
去る八日、野田国義君が委員を辞任され、その補欠として斎藤嘉隆君が選任されました。
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川
川田龍平#2
○会長(川田龍平君) 国民生活・経済に関する調査を議題といたします。
本日は、「あらゆる立場の人々が参画できる社会の構築」のうち、「経済・生活不安の解消」に関し、「社会保障分野における格差の現状と課題等」について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
御出席いただいております参考人は、慶應義塾大学経済学部教授駒村康平参考人、東京大学先端科学技術研究センター准教授熊谷晋一郎参考人及び特定非営利活動法人ほっとプラス代表理事・聖学院大学人間福祉学部客員准教授藤田孝典参考人でございます。
この際、参考人の方々に一言御挨拶を申し上げます。
御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございます。
本日は、皆様方から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願いいたします。
本日の議事の進め方でございますが、まず駒村参考人、熊谷参考人、藤田参考人の順でお一人二十分程度御意見をお述べいただいた後、午後四時頃までを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、駒村参考人からお願いいたします。駒村参考人。
この発言だけを見る →本日は、「あらゆる立場の人々が参画できる社会の構築」のうち、「経済・生活不安の解消」に関し、「社会保障分野における格差の現状と課題等」について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
御出席いただいております参考人は、慶應義塾大学経済学部教授駒村康平参考人、東京大学先端科学技術研究センター准教授熊谷晋一郎参考人及び特定非営利活動法人ほっとプラス代表理事・聖学院大学人間福祉学部客員准教授藤田孝典参考人でございます。
この際、参考人の方々に一言御挨拶を申し上げます。
御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございます。
本日は、皆様方から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願いいたします。
本日の議事の進め方でございますが、まず駒村参考人、熊谷参考人、藤田参考人の順でお一人二十分程度御意見をお述べいただいた後、午後四時頃までを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、駒村参考人からお願いいたします。駒村参考人。
駒
駒村康平#3
○参考人(駒村康平君) 今日はこういう機会をいただきまして大変ありがとうございます。慶應義塾大の駒村でございます。
冒頭二十分ほどお時間をいただいて、私のお話をさせていただきたいと思います。(資料映写)
幾つかのキーワードがございますので、御存じのデータもあるかと思いますけれども、最初に、長寿社会、高齢化社会というよりは長寿社会ですね、寿命の伸長に伴う様々な社会問題、課題についてお話ししたいと。後半は、格差の問題中心にお話をしていきたいと思っております。
長寿社会、これは今新しい人口推計が発表されるということになってきているようですけど、まだ発表前だと思います。新しい人口推計でどのくらい寿命が延びるかということになるわけですけれども、これは過去の人口推計で、一九八一年の推計から最新の推計まで、寿命の延びですね、縦軸は寿命、横軸が各時点での予測ということになっていますけれども、二〇二五年までデータが入っていますけれども、寿命の延びがどう予測が変化したのかというのを見ていただいているということになります。
端的に言うと、一九八一年の予測では女性の寿命も八十歳ぐらいで頭打ちすると、ここですね、八十歳ぐらいで頭打ちをするという前提で作られていたわけですけれども、これも御案内のとおり、予想外に寿命が延びているということで、推計を繰り返すたびに寿命の上昇変更が行われていくということが見て取れるということです。
だから、少子高齢化と一概に言われますけれども、子供の数が減っているだけではなくて、予想以上に寿命も延びているということを理解しておかなければいけないということです。
そういった動きはまたいろいろなデータを見て分かります。
一般的には平均寿命と言われている概念を使うケースが多くて、男性も八十代に入り、女性も八十代後半に入ったというふうに言われていますけど、こちらで出ているのはいわゆる中位寿命、その人口の半分が生存する年齢ということで、これはかなり高い数字が来ていると。中位寿命、平均寿命じゃなくて中位寿命ですね、ちょうど半分の、真ん中の人が何歳まで生きるのかという予測になります。
あるいは、次が、これが例えば六十五歳まで何%の方が生きるのか、七十五歳までに何%の方が生きるのかという数字でありますけれども、緑の六十五歳のFは女性を意味していますけれども、現時点で女性の九〇%の方が六十五歳まで生きると、男性も八〇%の方が六十五歳まで生きるという生存率になっているということになります。
寿命の延びがどうなるのかというのは非常に難しいわけでありまして、過去においては、人類、寿命をいかに延ばすかという、人類の夢ですから、昔はもう子供の半分ぐらいが最初の五年間で亡くなっちゃうと。これ、ローマ時代とか奈良時代とか平安時代とかはそういう時代だったわけで、そういう時代の残されているデータを見れば、初めの生まれて五年間で子供の半分が亡くなっちゃうということによって寿命が短い時代があったわけですけれども、福祉国家や産業革命以降は、子供が早く死ぬということによって寿命が抑えられるという時代は終わってきて、子供は生存率が上がってくると。
そして、その福祉国家後は、六十五歳到達以降の生存率がどんどん上がってくるということになってきているということで、寿命がどこまで延びるかというのは、いろいろなデータがあるんですけれども、この赤い点線で示されているように、時々、もう幾ら何でも頭打ちだろうと。先進国のトップの国の寿命の一番長い国の数字をプロットしているものなんですけれども、しかし、日本の女性が今トップですけれども、止まるだろう、止まるだろう、止まるだろうという予測は出るんですけれども、うれしいことにというか、その止まるだろうという予測を裏切って寿命は延び続けてきている歴史であるということです。
今後も、医療技術の発展や食事や環境の改善の影響を積極的に取り入れれば、最近もそういう本が出ていますけれども、今世紀生まれた子供たちの半分近くが百歳まで到達するのではないかと。これは、今の寿命予測みたいに過去のトレンドから将来を予測するんじゃなくて、今後起きる未来の様々な技術も考慮すればそういう時代も来るのではないかというデータも出てきているということです。
いずれにしても、従来の人口推計、これは人口推計の手法としては仕方がない部分があります。過去のデータを使って未来を予測するという方法を使うわけでありますので、世の中の技術変化が予想以上に速ければ寿命の延びを抑えて予測しちゃうわけですけれども、実際にはそれを上回って寿命は延びているという状況でありまして、これが、結果、人口推計が例えば六十五歳以上の人口が将来何万人になるんだと。例えば、一九七〇年代、八〇年代の予測は二千五百万人ぐらいにとどまるだろうと予測されていたわけですけれども、最新の予測だと四千万人に到達するのではないかという予測が出てきている。だから、二千五百万人と四千万人というのは全然違うわけでありまして、こういうふうに人口推計も五年置きに実際の動きをフォローしてそれを吸収して将来予測をするわけですけれども、技術の変化や社会構造の変化が、それを上回るスピードで寿命が延びているということになっているようです。
したがって、年金制度、社会保障制度に影響を与えるのは六十五歳以上人口ということになるわけですけれども、六十五歳以降何年生きるのかと。平均寿命よりは六十五歳時点での余命があと何年あるのかというのを例えば年金で議論する場合は見なきゃいけないんですけれども、例えばこの二〇一五年。この点線入っているのは、五十五歳、六十歳、六十五歳というのはその時代その時代の厚生年金の支給開始年齢を意味しています。だから、戦時中つくられた厚生年金は当初は五十五歳、戦後、六十歳に支給開始年齢上げられて、六十五歳に切り上げられたという形で、寿命の延びに合わせて年金の支給開始年齢は先送りされているわけですけれども、そのピッチを上回るスピードでどうも、特に女性の六十五歳時点の余命は延びていくのではないかということになるわけです。
二〇六〇年になると、六十五歳以降で女性が二十七年とか二十八年とかそのくらい生きるという形になってくると、四十年間保険料払って三十年間年金をもらうという姿は自分四人で自分三人を支えるということを意味するわけですから、これは大変厳しいことになるということになります。
その辺をどう乗り越えるかという話を次にしたいと思います。ちょっとこの辺の話はスキップしたいと思います。
ちょっと今の話の続きでいくと、ダイレクトに影響を与えるのは年金制度であろうと思います。この生活の、老後生活の保障の基礎になる年金制度でありますけれども、重大なジレンマというかトリレンマというかに直面していると。一つは、財政の持続可能性を維持しなければいけない。二つ目は、しかしながら最低保障の維持はしなければいけない、生活保護とのバランスも考えなければいけない。三つ目は、世代間の公平性を維持しなければいけないと。
一番目を重視すれば、保険料を上げるか給付を下げるかしなければいけない。二番目を維持するためには、今度は保険料を上げなければいけない、しかし保険料を上げ続ければ若い世代から不満が出ると。こう非常に難しい問題に今関わっている。これは、世界中の年金がこういう課題に直面していると。
今日は寿命の延び、少子化も年金財政にはマイナスの影響を与えるわけですけれども、今日は寿命の延びに着目すると、現時点では、寿命の延びがこれ以上、今の予想の範囲で進んだとしても年金財政は持続可能であるという形にはなっています。これは、二〇一四年の財政検証で、八ケースの財政検証のうち、労働力率が伸び、生産性が上昇して、そして投資の収益率が一定の数字が確保できるという五ケースにおいては維持できるということにはなってはいます。
ただ、よく考えてみると、寿命が延びているにもかかわらず年金の支給開始年齢も六十五歳に固定して年金の持続可能性が維持できるというのは、どうもそんなうまい話があるわけじゃなくて、正確に言うと、これは巷間言われているマクロ経済スライドによって毎年一%ずつ年金の実質給付水準を下げるということを行うと。それで、厚生年金の場合は、マクロ経済スライドは報酬比例部分について五年程度適用すれば安定するとされていますけれども、より問題なのが国民年金、基礎年金の方と。こちらは、マクロ経済スライドを三十年ぐらい適用しないと財政的には維持できないということになるわけです。
この意味することはどういうことなのかというと、この次の話になるわけですけれども、この二番目のキーワードになるわけですけれども、寿命が延びた分だけもらう期間が長くなるよ、したがって一年当たりもらう金額は減らすよと。だから、もらう金額はどの世代でもバランスは取れるけれども、あなたたちの世代は前の世代よりも寿命が延びているんだから、もらう時間長いよねというロジックになるわけですけれども、一年当たりの年金はその分だけ、対賃金の価値を見てみると、厚生年金だと二〇%、基礎年金だと三〇%ほど実質価値が下がると。これは対賃金です。賃金を分母にして分子を年金額にしたときのこの比率が下がるという意味です。年金額が下がるという意味じゃなくて、年金の価値が二割から三割程度下がるというのが正確な意味でありますので、そういうことが二〇一四年の財政検証では確認されているということになるわけです。この実質価値の低下をどう考えていくのかというのは大きなテーマになるかと思います。
生活保護の方は、国民の標準的な家計支出の動向に合わせてその金額を調整しますので、マクロ経済スライドみたいに、寿命が延びたから、子供が減ったからという理由で継続的に給付水準を決めて下げていくということではないと。経済成長と家計の実質支出に連動して生活保護の方は決まるわけですから、当然、年金、特に基礎年金が実質価値が下がってくる一方で生活保護の実質価値が維持されていけば、当然、逆転現象が出てきて、逆転現象が広がる危険性もあるということについてどう考えていくのかというのは大事なテーマかなとは思います。
基礎年金の給付、現行基礎年金の実質水準を一〇〇にしたといったときに、対賃金上昇率との比較で見ると、二〇四二年で大体三〇%の水準低下、もしHケースと言われている労働力率がほとんど伸びない、成長もほとんどないという一番厳しいケースで想定すると、基礎年金の実質価値は四三%下げないと年金財政は維持できないという難しい問題に差しかかっているということになります。
ただ、一方では、今から十年後、二十年後、三十年後の六十五歳は今の六十五歳と同じ人たちなのかということも考えなければいけないと、三十年前の六十五歳と今の六十五歳が同じような能力を持った人なのかと。最近も老年学会の方から発表されたように、かなり健康状態も改善していると、そして高齢者の就労能力も知的能力も維持できているということになれば、現時点でも六十歳代後半ぐらいまでは働く能力や、その能力はあるんだろうと思います。
仮に、そういうことを考慮して、今後、例えば四十年加入にして六十五歳から支給というルールを変えて、四十五年加入にしてみましょう、あるいは四十七年加入にしてみましょう、六十七歳からの支給にしてみましょうとなると、この落ちていく年金を、こういう加入期間の延長や就労期間の延長によって、その引き下がる分を取り戻すことはできるということになると思います。そういう意味では、今日あした年金の支給開始年齢を上げるとか上げないとかいう問題ではなくて、こういうふうな超高齢化社会の中で、その六十歳後半の方をどのように能力を、活躍してもらうのか、特に今の既に六十五歳になった方をターゲットにするよりは、今の五十代、四十代にそういう意識を持たせるということは非常に重要ではないかなと思います。
ただ、一言申し上げておくべきなのは、六十代に入ると当然個人差が、健康においての個人差が出てくると思います。日本でも、所得と健康の相関性、所得が低い人ほど健康が悪いというような研究も千葉大の近藤先生なんかも発表していると。ただ、ほかの国で見られるように、非常に膨大な国民レベルの、所得においてどのくらい健康状態と寿命が違うのかということに関する研究は余りない、ほかの国ははっきりこの関係は確認されています。
だから、平均所得が、平均寿命が上がったから平均的に働ける人も上がっただろうという平均の議論をすると、当然、低所得の人は付いてこれなくなるということも考えなければいけないので、そういうところも視野に入れながら、高齢期の所得保障と労働政策は考えなければいけないだろうと思います。
これが高齢化に伴う話でありまして、次に、少し話を飛ばして格差の話に進めていきたいと思います。不足した部分は後ほど議論の中でまた資料を使って補いたいと思いますけれども、これが最近よく注目されている象の姿と言われている、世界各国で、世界全体を見たときに、どの層の賃金が、所得が上がって、どの層の所得が下がっているのかというのを見たものです。いわゆる新興国の国民の所得は上がり、先進国の中間所得層の所得は下がり、そして先進国のトップのみがリターンが出ているということで、グローバル経済はその格差を拡大したのではないかという意見が最近よく指摘されるようになっています。
日本においても、やっぱり非正規労働者の増加などがあって、これは消費態度指数と言われているもので、所得階層別に、あなた、今後半年間お金をよく使えるようになりますか、消費が意欲高まりますかというアンケートに対して、所得の低い人は、ここをレンジ的に見てもらえばいいんですけれども、余り高まっていないと。高所得者グループは、一時期低所得者とほぼ同じ動きをしていたんですけれども、大体安倍政権辺りぐらいから急激に高所得は将来の見込みは改善しているということになっています。
同じように、所得階層別に、将来あなたの賃金がどうなりますかという質問に対して何%の方が期待があるよと答えているのかというと、高所得層は上がっていくと、期待と答える人が増えていくけれども、低所得層は依然として下の方でとどまっているという傾向があるというわけです。
この高所得層と低所得層の将来期待へのギャップですね、将来の見込みのギャップの動きが、見たのがこの二つの線でありまして、特にこの時期は高所得層と低所得層で将来に対する見込みが大きな差ができた時期であるというふうに見て取れます。
こういうふうに、景気、経済が多少上向きになったとしても、低所得層はなかなか将来にいい未来が持てないと。これは恐らく非正規の増加と、こういったものが背景にあるのではないかと思います。
残された時間も短いので、この非正規層の課題や貧困の課題を着目してみますと、これはいわゆる世代間の貧困連鎖を示した線だと言われています。横の数字がいわゆるジニ係数で、その国の格差の大きさ。縦軸は、父親が貧しければ子供も貧しい、父親が豊かであれば子供も豊かであるという、その世代間の格差の連鎖の強さを示していると。既にアメリカは格差の連鎖は極めて強い国になっている、北欧は世代間の格差の連鎖が弱い国になっているということが見て取れると。日本はどうでしょうかというと、まあまあ、今の時点では中間的なところに位置するとされています。
子供の貧困率、試しに全国消費実態調査の個票を使って子供の貧困率の都道府県別格差を推計をしてみました。八・五%というのは国民生活基礎調査を使った子供の貧困率一六%に比べると半分近い数字になっていますけれども、これは、全国消費実態調査というのは比較的高所得層をカバーしていると言われていますので、この八・五%と一六%の違いというのはデータに基づく部分であると。したがって、着目すべきは、やはりかなり都道府県間で大きな差があると。
もちろん、これ後で議論する機会があれば補足説明をしますけれども、信頼区間、九五%信頼区間というのを別途計算していますので、ある一定の幅で議論しなければいけないというわけでありますので、この県とこの県が逆転しているのはどういうことなのかというのは、推計誤差が当然ありますので、たかだか数%の差であれば、それは推計誤差の範囲になります。ただ、見てみると、やはり常にパフォーマンスのいい県がある一方で、常に悪い方の上位に来る県も存在しているということは留意しなければいけないだろうと思います。
さらには、恵まれない子供たちに対して最後フォーカスを当てたいと思います。
これは横浜市が行った子供の貧困に関する調査ですけれども、虐待を受けている子供がかなり多いと言われている養護施設の子供たち、子供たちの六割から七割が虐待経験者であるとも言われていますけれども、そういう子供たちは社会や未来に対して、人に対してどういう見方をしているのかというのをこれ見たものであります。これが、施設出身の子供ではない、施設出身の子供たち。まとめて言うと、施設出身の子供たちは非常に人に対して、社会に対して信頼性を持っていないということになると。
虐待が子供たちの脳の構造にどういう影響を与えてくるのかと。これは性的虐待が、受けた子供たちの脳の容積に関する研究でありますけれども、要するに、場合によっては長い期間において子供たちの、子供時代のそういう劣悪な環境や虐待、そういったものは子供の将来を大きく左右する危険性もあるんだと。これは一つの研究でありますので、そういう研究もあるということです。
子供の貧困については、特に恵まれない子供たちの貧困は一時点の貧困では済まないと。生活環境の改善は長い良い影響を与えて、それは長い間続くんだと。逆に、放置することによって、一時点の子供時代の貧困が人生の選択や考え方に大きなマイナスの影響をもたらして、それが貧困の連鎖につながっていく可能性がありますということでまとめたいと思います。
最初の私のプレゼンは以上にさせていただきたいと思います。どうもありがとうございます。
この発言だけを見る →冒頭二十分ほどお時間をいただいて、私のお話をさせていただきたいと思います。(資料映写)
幾つかのキーワードがございますので、御存じのデータもあるかと思いますけれども、最初に、長寿社会、高齢化社会というよりは長寿社会ですね、寿命の伸長に伴う様々な社会問題、課題についてお話ししたいと。後半は、格差の問題中心にお話をしていきたいと思っております。
長寿社会、これは今新しい人口推計が発表されるということになってきているようですけど、まだ発表前だと思います。新しい人口推計でどのくらい寿命が延びるかということになるわけですけれども、これは過去の人口推計で、一九八一年の推計から最新の推計まで、寿命の延びですね、縦軸は寿命、横軸が各時点での予測ということになっていますけれども、二〇二五年までデータが入っていますけれども、寿命の延びがどう予測が変化したのかというのを見ていただいているということになります。
端的に言うと、一九八一年の予測では女性の寿命も八十歳ぐらいで頭打ちすると、ここですね、八十歳ぐらいで頭打ちをするという前提で作られていたわけですけれども、これも御案内のとおり、予想外に寿命が延びているということで、推計を繰り返すたびに寿命の上昇変更が行われていくということが見て取れるということです。
だから、少子高齢化と一概に言われますけれども、子供の数が減っているだけではなくて、予想以上に寿命も延びているということを理解しておかなければいけないということです。
そういった動きはまたいろいろなデータを見て分かります。
一般的には平均寿命と言われている概念を使うケースが多くて、男性も八十代に入り、女性も八十代後半に入ったというふうに言われていますけど、こちらで出ているのはいわゆる中位寿命、その人口の半分が生存する年齢ということで、これはかなり高い数字が来ていると。中位寿命、平均寿命じゃなくて中位寿命ですね、ちょうど半分の、真ん中の人が何歳まで生きるのかという予測になります。
あるいは、次が、これが例えば六十五歳まで何%の方が生きるのか、七十五歳までに何%の方が生きるのかという数字でありますけれども、緑の六十五歳のFは女性を意味していますけれども、現時点で女性の九〇%の方が六十五歳まで生きると、男性も八〇%の方が六十五歳まで生きるという生存率になっているということになります。
寿命の延びがどうなるのかというのは非常に難しいわけでありまして、過去においては、人類、寿命をいかに延ばすかという、人類の夢ですから、昔はもう子供の半分ぐらいが最初の五年間で亡くなっちゃうと。これ、ローマ時代とか奈良時代とか平安時代とかはそういう時代だったわけで、そういう時代の残されているデータを見れば、初めの生まれて五年間で子供の半分が亡くなっちゃうということによって寿命が短い時代があったわけですけれども、福祉国家や産業革命以降は、子供が早く死ぬということによって寿命が抑えられるという時代は終わってきて、子供は生存率が上がってくると。
そして、その福祉国家後は、六十五歳到達以降の生存率がどんどん上がってくるということになってきているということで、寿命がどこまで延びるかというのは、いろいろなデータがあるんですけれども、この赤い点線で示されているように、時々、もう幾ら何でも頭打ちだろうと。先進国のトップの国の寿命の一番長い国の数字をプロットしているものなんですけれども、しかし、日本の女性が今トップですけれども、止まるだろう、止まるだろう、止まるだろうという予測は出るんですけれども、うれしいことにというか、その止まるだろうという予測を裏切って寿命は延び続けてきている歴史であるということです。
今後も、医療技術の発展や食事や環境の改善の影響を積極的に取り入れれば、最近もそういう本が出ていますけれども、今世紀生まれた子供たちの半分近くが百歳まで到達するのではないかと。これは、今の寿命予測みたいに過去のトレンドから将来を予測するんじゃなくて、今後起きる未来の様々な技術も考慮すればそういう時代も来るのではないかというデータも出てきているということです。
いずれにしても、従来の人口推計、これは人口推計の手法としては仕方がない部分があります。過去のデータを使って未来を予測するという方法を使うわけでありますので、世の中の技術変化が予想以上に速ければ寿命の延びを抑えて予測しちゃうわけですけれども、実際にはそれを上回って寿命は延びているという状況でありまして、これが、結果、人口推計が例えば六十五歳以上の人口が将来何万人になるんだと。例えば、一九七〇年代、八〇年代の予測は二千五百万人ぐらいにとどまるだろうと予測されていたわけですけれども、最新の予測だと四千万人に到達するのではないかという予測が出てきている。だから、二千五百万人と四千万人というのは全然違うわけでありまして、こういうふうに人口推計も五年置きに実際の動きをフォローしてそれを吸収して将来予測をするわけですけれども、技術の変化や社会構造の変化が、それを上回るスピードで寿命が延びているということになっているようです。
したがって、年金制度、社会保障制度に影響を与えるのは六十五歳以上人口ということになるわけですけれども、六十五歳以降何年生きるのかと。平均寿命よりは六十五歳時点での余命があと何年あるのかというのを例えば年金で議論する場合は見なきゃいけないんですけれども、例えばこの二〇一五年。この点線入っているのは、五十五歳、六十歳、六十五歳というのはその時代その時代の厚生年金の支給開始年齢を意味しています。だから、戦時中つくられた厚生年金は当初は五十五歳、戦後、六十歳に支給開始年齢上げられて、六十五歳に切り上げられたという形で、寿命の延びに合わせて年金の支給開始年齢は先送りされているわけですけれども、そのピッチを上回るスピードでどうも、特に女性の六十五歳時点の余命は延びていくのではないかということになるわけです。
二〇六〇年になると、六十五歳以降で女性が二十七年とか二十八年とかそのくらい生きるという形になってくると、四十年間保険料払って三十年間年金をもらうという姿は自分四人で自分三人を支えるということを意味するわけですから、これは大変厳しいことになるということになります。
その辺をどう乗り越えるかという話を次にしたいと思います。ちょっとこの辺の話はスキップしたいと思います。
ちょっと今の話の続きでいくと、ダイレクトに影響を与えるのは年金制度であろうと思います。この生活の、老後生活の保障の基礎になる年金制度でありますけれども、重大なジレンマというかトリレンマというかに直面していると。一つは、財政の持続可能性を維持しなければいけない。二つ目は、しかしながら最低保障の維持はしなければいけない、生活保護とのバランスも考えなければいけない。三つ目は、世代間の公平性を維持しなければいけないと。
一番目を重視すれば、保険料を上げるか給付を下げるかしなければいけない。二番目を維持するためには、今度は保険料を上げなければいけない、しかし保険料を上げ続ければ若い世代から不満が出ると。こう非常に難しい問題に今関わっている。これは、世界中の年金がこういう課題に直面していると。
今日は寿命の延び、少子化も年金財政にはマイナスの影響を与えるわけですけれども、今日は寿命の延びに着目すると、現時点では、寿命の延びがこれ以上、今の予想の範囲で進んだとしても年金財政は持続可能であるという形にはなっています。これは、二〇一四年の財政検証で、八ケースの財政検証のうち、労働力率が伸び、生産性が上昇して、そして投資の収益率が一定の数字が確保できるという五ケースにおいては維持できるということにはなってはいます。
ただ、よく考えてみると、寿命が延びているにもかかわらず年金の支給開始年齢も六十五歳に固定して年金の持続可能性が維持できるというのは、どうもそんなうまい話があるわけじゃなくて、正確に言うと、これは巷間言われているマクロ経済スライドによって毎年一%ずつ年金の実質給付水準を下げるということを行うと。それで、厚生年金の場合は、マクロ経済スライドは報酬比例部分について五年程度適用すれば安定するとされていますけれども、より問題なのが国民年金、基礎年金の方と。こちらは、マクロ経済スライドを三十年ぐらい適用しないと財政的には維持できないということになるわけです。
この意味することはどういうことなのかというと、この次の話になるわけですけれども、この二番目のキーワードになるわけですけれども、寿命が延びた分だけもらう期間が長くなるよ、したがって一年当たりもらう金額は減らすよと。だから、もらう金額はどの世代でもバランスは取れるけれども、あなたたちの世代は前の世代よりも寿命が延びているんだから、もらう時間長いよねというロジックになるわけですけれども、一年当たりの年金はその分だけ、対賃金の価値を見てみると、厚生年金だと二〇%、基礎年金だと三〇%ほど実質価値が下がると。これは対賃金です。賃金を分母にして分子を年金額にしたときのこの比率が下がるという意味です。年金額が下がるという意味じゃなくて、年金の価値が二割から三割程度下がるというのが正確な意味でありますので、そういうことが二〇一四年の財政検証では確認されているということになるわけです。この実質価値の低下をどう考えていくのかというのは大きなテーマになるかと思います。
生活保護の方は、国民の標準的な家計支出の動向に合わせてその金額を調整しますので、マクロ経済スライドみたいに、寿命が延びたから、子供が減ったからという理由で継続的に給付水準を決めて下げていくということではないと。経済成長と家計の実質支出に連動して生活保護の方は決まるわけですから、当然、年金、特に基礎年金が実質価値が下がってくる一方で生活保護の実質価値が維持されていけば、当然、逆転現象が出てきて、逆転現象が広がる危険性もあるということについてどう考えていくのかというのは大事なテーマかなとは思います。
基礎年金の給付、現行基礎年金の実質水準を一〇〇にしたといったときに、対賃金上昇率との比較で見ると、二〇四二年で大体三〇%の水準低下、もしHケースと言われている労働力率がほとんど伸びない、成長もほとんどないという一番厳しいケースで想定すると、基礎年金の実質価値は四三%下げないと年金財政は維持できないという難しい問題に差しかかっているということになります。
ただ、一方では、今から十年後、二十年後、三十年後の六十五歳は今の六十五歳と同じ人たちなのかということも考えなければいけないと、三十年前の六十五歳と今の六十五歳が同じような能力を持った人なのかと。最近も老年学会の方から発表されたように、かなり健康状態も改善していると、そして高齢者の就労能力も知的能力も維持できているということになれば、現時点でも六十歳代後半ぐらいまでは働く能力や、その能力はあるんだろうと思います。
仮に、そういうことを考慮して、今後、例えば四十年加入にして六十五歳から支給というルールを変えて、四十五年加入にしてみましょう、あるいは四十七年加入にしてみましょう、六十七歳からの支給にしてみましょうとなると、この落ちていく年金を、こういう加入期間の延長や就労期間の延長によって、その引き下がる分を取り戻すことはできるということになると思います。そういう意味では、今日あした年金の支給開始年齢を上げるとか上げないとかいう問題ではなくて、こういうふうな超高齢化社会の中で、その六十歳後半の方をどのように能力を、活躍してもらうのか、特に今の既に六十五歳になった方をターゲットにするよりは、今の五十代、四十代にそういう意識を持たせるということは非常に重要ではないかなと思います。
ただ、一言申し上げておくべきなのは、六十代に入ると当然個人差が、健康においての個人差が出てくると思います。日本でも、所得と健康の相関性、所得が低い人ほど健康が悪いというような研究も千葉大の近藤先生なんかも発表していると。ただ、ほかの国で見られるように、非常に膨大な国民レベルの、所得においてどのくらい健康状態と寿命が違うのかということに関する研究は余りない、ほかの国ははっきりこの関係は確認されています。
だから、平均所得が、平均寿命が上がったから平均的に働ける人も上がっただろうという平均の議論をすると、当然、低所得の人は付いてこれなくなるということも考えなければいけないので、そういうところも視野に入れながら、高齢期の所得保障と労働政策は考えなければいけないだろうと思います。
これが高齢化に伴う話でありまして、次に、少し話を飛ばして格差の話に進めていきたいと思います。不足した部分は後ほど議論の中でまた資料を使って補いたいと思いますけれども、これが最近よく注目されている象の姿と言われている、世界各国で、世界全体を見たときに、どの層の賃金が、所得が上がって、どの層の所得が下がっているのかというのを見たものです。いわゆる新興国の国民の所得は上がり、先進国の中間所得層の所得は下がり、そして先進国のトップのみがリターンが出ているということで、グローバル経済はその格差を拡大したのではないかという意見が最近よく指摘されるようになっています。
日本においても、やっぱり非正規労働者の増加などがあって、これは消費態度指数と言われているもので、所得階層別に、あなた、今後半年間お金をよく使えるようになりますか、消費が意欲高まりますかというアンケートに対して、所得の低い人は、ここをレンジ的に見てもらえばいいんですけれども、余り高まっていないと。高所得者グループは、一時期低所得者とほぼ同じ動きをしていたんですけれども、大体安倍政権辺りぐらいから急激に高所得は将来の見込みは改善しているということになっています。
同じように、所得階層別に、将来あなたの賃金がどうなりますかという質問に対して何%の方が期待があるよと答えているのかというと、高所得層は上がっていくと、期待と答える人が増えていくけれども、低所得層は依然として下の方でとどまっているという傾向があるというわけです。
この高所得層と低所得層の将来期待へのギャップですね、将来の見込みのギャップの動きが、見たのがこの二つの線でありまして、特にこの時期は高所得層と低所得層で将来に対する見込みが大きな差ができた時期であるというふうに見て取れます。
こういうふうに、景気、経済が多少上向きになったとしても、低所得層はなかなか将来にいい未来が持てないと。これは恐らく非正規の増加と、こういったものが背景にあるのではないかと思います。
残された時間も短いので、この非正規層の課題や貧困の課題を着目してみますと、これはいわゆる世代間の貧困連鎖を示した線だと言われています。横の数字がいわゆるジニ係数で、その国の格差の大きさ。縦軸は、父親が貧しければ子供も貧しい、父親が豊かであれば子供も豊かであるという、その世代間の格差の連鎖の強さを示していると。既にアメリカは格差の連鎖は極めて強い国になっている、北欧は世代間の格差の連鎖が弱い国になっているということが見て取れると。日本はどうでしょうかというと、まあまあ、今の時点では中間的なところに位置するとされています。
子供の貧困率、試しに全国消費実態調査の個票を使って子供の貧困率の都道府県別格差を推計をしてみました。八・五%というのは国民生活基礎調査を使った子供の貧困率一六%に比べると半分近い数字になっていますけれども、これは、全国消費実態調査というのは比較的高所得層をカバーしていると言われていますので、この八・五%と一六%の違いというのはデータに基づく部分であると。したがって、着目すべきは、やはりかなり都道府県間で大きな差があると。
もちろん、これ後で議論する機会があれば補足説明をしますけれども、信頼区間、九五%信頼区間というのを別途計算していますので、ある一定の幅で議論しなければいけないというわけでありますので、この県とこの県が逆転しているのはどういうことなのかというのは、推計誤差が当然ありますので、たかだか数%の差であれば、それは推計誤差の範囲になります。ただ、見てみると、やはり常にパフォーマンスのいい県がある一方で、常に悪い方の上位に来る県も存在しているということは留意しなければいけないだろうと思います。
さらには、恵まれない子供たちに対して最後フォーカスを当てたいと思います。
これは横浜市が行った子供の貧困に関する調査ですけれども、虐待を受けている子供がかなり多いと言われている養護施設の子供たち、子供たちの六割から七割が虐待経験者であるとも言われていますけれども、そういう子供たちは社会や未来に対して、人に対してどういう見方をしているのかというのをこれ見たものであります。これが、施設出身の子供ではない、施設出身の子供たち。まとめて言うと、施設出身の子供たちは非常に人に対して、社会に対して信頼性を持っていないということになると。
虐待が子供たちの脳の構造にどういう影響を与えてくるのかと。これは性的虐待が、受けた子供たちの脳の容積に関する研究でありますけれども、要するに、場合によっては長い期間において子供たちの、子供時代のそういう劣悪な環境や虐待、そういったものは子供の将来を大きく左右する危険性もあるんだと。これは一つの研究でありますので、そういう研究もあるということです。
子供の貧困については、特に恵まれない子供たちの貧困は一時点の貧困では済まないと。生活環境の改善は長い良い影響を与えて、それは長い間続くんだと。逆に、放置することによって、一時点の子供時代の貧困が人生の選択や考え方に大きなマイナスの影響をもたらして、それが貧困の連鎖につながっていく可能性がありますということでまとめたいと思います。
最初の私のプレゼンは以上にさせていただきたいと思います。どうもありがとうございます。
川
熊
熊谷晋一郎#5
○参考人(熊谷晋一郎君) 皆さん、こんにちは。熊谷と申します。
今日は本当に貴重な機会をいただきましてありがとうございます。
私は、今日は障害に関して、特に暴力の問題を考えたいと思います。
暴力というのは、自分と異なる他者を排除しようとする振る舞いのことですね。ですから、異なる他者と共生する社会を考える上で、その逆照射をする、つまり暴力の問題から逆に暴力のない社会を考えることで共生社会というのはどういう条件を満たしていなければいけないのかということを考えてみたいと思っています。
私は、今、大学の方で当事者研究というものを専門にしています。今日の本題に入る前に少しだけ、私が取り組んでいる当事者研究、今日お話しさせていただく内容というのは、当事者研究からの知見を半分、それからこれまでの先行研究のエビデンスを半分という形でプレゼンテーションいたしますので、まず、その当事者研究というものを、まだ聞き慣れない言葉だと思うので、少しだけ説明をしたいと思います。(資料映写)
当事者研究とは何かというと、一言で言うと自己知、つまり自分に関する知識やあるいは自助、自分を助ける方法を共同創造する、英語ではコプロデュースする、そういう実践というふうに要約することができるかと思います。
ここで言うコプロデュース、共同創造という概念は昨今欧米で注目されている概念で、従来、当事者、つまり障害を持っていたり貧困であったり虐待を経験したりという社会的弱者は、サービスの受け手、受動的なエンドユーザーとして規定されることが多かったわけですが、そうではなくて、サービスや政策やあるいは支援法や医療などの生産者になる。もちろん、当事者だけで生産者になることはできないので、専門家の側方支援が必要なわけですけれども、受容する消費者ではなく生産者側になるという取組が、実は非常に効率のいいサービスを、ある条件を満たしていれば効率のいいサービスを生み出すことができるんだというふうな考え方のことです。
昨今は、精神医療領域、特に臨床研究の中でこのコプロダクションというのが注目されていて、従来、主に臨床研究や薬の開発といった精神医療の臨床研究というのは、専門家がリサーチトピックを立ててそれに対してリサーチプランを立てるというふうなことが多かったんですが、それだと満足度の高い、コストエフェクティブな支援がなかなか開発されないということが注目されるようになり、そうではなくて、例えば、これ今お示ししている例は、統合失調症の方に集まっていただいて、次の十年で解いてほしい問いを言ってくださいと、それをトップテンリストを作るわけですね。そのトップテンリストに対して公費を付けて全国に公募する、研究者を募るというようなジェームス・リンド・アライアンスというイギリスでの取組を紹介したネーチャーの論文です。こういった取組が欧米では注目されていて、その日本版が言わば当事者研究と言えるものなわけですね。
当事者研究というのは、昨今、AMEDなんかでも支援をいただいていますけれども、当事者が精神医療あるいは医療全般をコプロデュースする取組として注目をされ始めているものです。
改めて、当事者研究とは何かといいますと、障害や病気を抱える当事者が困り事の解釈や対処法について、従来のように医者や支援者に任せきりにして受動的なエンドユーザーになるのではなく、自ら自分の困り事のメカニズムを解明しようとする研究者になるんだと、そして、似た経験を持つ仲間や支援者、専門家と助け合って困り事の意味やメカニズム、対処法を探り当てる取組、要約すると自己知と自助のコプロダクションというふうに要約できるかと思います。
実は、自己知と自助の関係というのは、これ私が取ったデータですけれども、向かって右側ですね、横軸が把握可能感、つまり自分の経験に関して意味を発見している度合いですね、自己知そのものです。縦軸が反すう傾向といって、自分の過去に起きた出来事をくよくよくよくよ、ぐるぐる思い悩む傾向の強さですね、これが強い負の相関をしている。つまり、自分を知ることというのは、単に知識が得られるだけじゃなく、それ自体がメンタルヘルスやウエルビーイングにとって非常に重要なんだということを示したデータになります。
自分を知ることが何のメリットになるのかというと、大きく言うと四つぐらいあるんですが、そのうちで特に今日注目したいのがコミュニケーション能力ですね。自伝的記憶というのは、自分に関するこれまでの経験を意味ある一つの物語としてまとめた記憶の総体のことです。自己知そのものですね。その自己知があるとコミュニケーション能力が高まるということがよく知られています。それからもう一つ、展望記憶といいまして、未来の構想を描く、私はこういう人間になりたい、こういうことをしたいという意思決定の力が、自伝的記憶によって、何というかファシリテートされるということも分かっています。
現代社会においてそのコミュニケーション能力と将来に対する展望を持つというのは、不確実性が増した社会でとりわけ個人に要求される二大能力なわけですけれども、そういったものの基盤にこの自己知、専門用語で言うと自伝的記憶といったものが存在しているんだというのが当事者研究の着想の一つです。
逆に、自己知、自伝的記憶というものがうまく整理整頓できないとどういう症状が起きるのかといいますと、ちょっと、これは当事者の方が作った再現VTRですが、フラッシュバックですね、夜寝ると、目を閉じると、その日に起きた出来事がばんばんばんと勝手に再生される。トラウマを持っている、虐待を受けている方なんかよくこれが起きますけれども、トラウマを持っていなくても、例えば自閉症を持っている方なんかですと、トラウマなしでもこのフラッシュバック症状というのが起きます。
それから、そのフラッシュバックの映像を見ながらあのとき私はああ振る舞ってよかったんだろうかというふうな反省をずっとしてしまう、これを先ほども紹介しました反すう傾向といいます。もう一つ、OGMというのは、抽象的にしか過去を思い出せない、そういった記憶の持ち方で、実は、後ほど説明しますが、自殺率と相関することが分かっています。
これまで述べたようなフラッシュバックや反すう傾向あるいはOGMというのは、いずれも自己知がうまくまとめ上げられていない、自伝的記憶の統合がうまくいっていない兆候として知られているものです。そういう意味では、当事者研究がアプローチしようとしている自己知の再構築、コプロダクションというのは、こういったメンタルヘルスのかなり中核的なところに介入しようとしている取組というふうに言えます。
これも私たちのデータですけど、自閉症スペクトラムでも、昨今急激に人数が増えているコミュニケーション障害を中核とする発達障害の一種ですが、自閉スペクトラム症でもOGM傾向が強いということが分かっておりますし、先ほども申しましたように自殺のリスクがこのOGMと相関するということも分かっています。
じゃ、そのOGMといいますか自己知や自伝的記憶がうまくまとめ上げられない人はそのままに放置されていいのかというと、そんなことはありません。実は、自伝的記憶がうまく統合できる条件として知られているのが、自分の日常的な経験を言葉であるいは記号で分かち合える他者が周りにいるかどうかということが決定的に重要だということが知られているんですね。
必然的に何が分かるかというと、生まれつき見え方や聞こえ方といった認知特性の異なる少数派はそういった経験の分かち合いの機会が乏しくなりがちですので、そうするとOGMやフラッシュバックになることは必然なわけです。あるいは、先ほど駒村先生もおっしゃっていた虐待なんかもそうですね。虐待の本質は秘密です。つまり、人知れず誰とも分かち合えないひどい仕打ちを経験している、そこからの回復は、実は同じような虐待経験を持った人と一緒に自分の経験をカミングアウトして分かち合うことなんですね。そういうふうに秘密領域を持った自伝的記憶というものを持っている人も、同じくOGMやフラッシュバック、あるいは自殺率の高さ、それから今日後半で述べる犯罪の加害というものと結び付きやすいということが分かっています。
そういう意味では、人知れずひっそりと誰とも分かち合えない経験を持った少数派同士が自分の経験を似た仲間と分かち合うという当事者研究の取組自体が、これら一連の問題に対してかなり中核的な効果を及ぼすということが予想されるわけですね。実際、私たち、昨年から臨床研究をやっておりまして、まだ論文にはなっていないんですが、かなり強い手応えを感じているところがあります。
以上が当事者研究のあらましに関する説明でした。
ここから暴力の話をしようと思うんですけれども、皆さんも御存じのとおり、昨年七月二十六日に痛ましい事件が起きました。障害者施設をある容疑者が襲って、十九名の仲間たち、障害を持つ仲間たちが殺されたという事件、津久井やまゆり園の事件ですね。私は大きな衝撃を受けて、八月六日、十日後に追悼集会を開いたんです。国内外からおよそ四百通、たった十日間で四百通の、その中にはアメリカ大使館、当時の大使からのメッセージもありましたけれども、四百通のメッセージが届いたんですね。その中で特に私が印象に残ったメッセージ、一つだけ紹介します。
カナダのソーシャルワーカーのライナスさんという方のメッセージで、彼女はこういうふうに言っているんですね。このような困難な状況において、一部の人々が問題を外部化し、依存症者、精神障害者、特定の専門家といった他者を責めたくなることは理解できます。しかし、私たちは、自分たちの住むこのコミュニティーに他者などおらず、暴力行為や依存症、そして精神疾患は症状にすぎないということを知っています。そうした症状は社会のより深部にある満たされていないニーズを反映しているのですというふうに述べている。
つまり、こういった陰惨な事件が起きると犯人捜しをしたくなる、そして自分とは関係のないと思われる犯人、専門家や依存症者や精神障害者、そういった他者に全ての原因を押し付け、そして彼らを責め上げて社会から排除することであたかも自分たちのコミュニティーはまたクリーンな状態に戻ったという幻想を抱きたい動物だということを述べている。しかし、それは全く問題解決にならない。むしろ、真犯人はこの社会全体なんだ、そしてそれを支えている我々一人一人が真の加害者なんだということを見詰めましょうということを述べています。
残りの時間では、この暴力の問題を暴力の加害側からのエビデンス、それから被害側からのエビデンスに分けて紹介したいと思います。ちょっと時間の関係で少し飛ばしながらになりますけれども、まず暴力の加害のリスクに関するこれまでの先行研究を見ていきましょう。人はどういうときに他者を排除するのかという研究です。
結論だけ言いますと、これまで統計的に関係があるとされているリスクファクターは八つあります。八つ全てを説明することはできませんが、おおよそ三つに分けられます。赤い色を付けたところと青い色を付けたところとピンク色の色を付けた三つですね。赤い部分は、一言で言うと反社会的な行動パターンと言われるものです。青い部分は、社会的排除そのものです。例えば、親密な他者との関係からの排除、あるいは就労や教育からの排除、そういったものです。そして三つ目、これは後ほど、保留が必要だと、少し補う必要があるんですが、薬物使用によって暴力の加害性が増すというふうなエビデンスがありますが、これは、じゃ薬物を禁止したらいいと、そういう単純なものではないことを後ほど説明します。
これを見ますと、青い部分は社会的排除だが、赤い部分とピンクの部分は個人の特徴なのかなと勘違いされやすいのですが、そうではなく、赤い部分の反社会的行動は、実はソーシャルエクスクルージョン、特に経済的な貧困や差別といった問題によって説明されるということが分かっています。必ずしも個人に帰責できるような特徴ではないということです。
それから、薬物依存も同様です。差別や社会的な排除というものが薬物依存症の背景にあるということが分かっています。当事者研究の中でも、薬物依存症だとカミングアウトするや否やなかなか就職先が見付からない、それによって社会に再びインクルードされる機会を失って、再びアンダーグラウンドに行かざるを得なくなるというような当事者の語りがよく聞かれます。こういった差別というものが依存症に対して燃料を与えているということは重要です。
そう考えますと、先ほど述べたビッグエイトと呼ばれる八つの暴力の加害のリスクというものは、個人に帰属できるリスクというよりは、社会が一部の人を排除することによって、その排除された人々を加害性のリスクにさらしているということがお分かりになるかと思います。
少しだけ飛ばします。もう一つ重要なのは、依存症、薬物依存症が実は虐待などのトラウマによって引き起こされるという十分なエビデンスがあるということです。先ほど駒村先生のデータの中にもありましたが、虐待を受けていると人が信用できなくなります。あるいは、社会を信用できなくなる。そうすると、他者に依存できなくなるんですね。困ったときに他者に依存できない。健康な人は実は依存しているんです。たくさんのものに依存している。ところが、虐待を受けると依存できなくなる。依存できない病が依存症なんだということをまず理解していただきたい。消去法的に、人に依存できない人は物質に依存して、人に迷惑を掛けないで何とか問題をクリアしようと思って当然なわけですね。それが依存症なんだということです。ですから、依存症から回復したければ、依存できる人を増やすということが重要になってくるわけです。
依存症の結果、女子刑務所に入った方々の当事者研究というのも私たちやっているんですが、研究の結果が非常に興味深い結果になっています。一言で言うと、刑務所はどういうところだったかというと、犯罪の学校だったというふうに要約されているわけです。実際、海外でも笑えないような取組がございます。刑務所の中で学んだ文化が犯罪のリスクを高めるという十分な証拠があります。ですので、刑務所から出所した人に対して、その刑務所で学んだ文化を解除するためのプログラムというのを税金を投入して回している地域がある。素朴に考えれば、そもそも最初から刑務所に入れなければよかったんじゃないか。二度税金を使っているわけですよね、刑務所に入れてリスクを高めて、それを解除するのにもう一回税金を使うというような状況で、本当に、今まで慣習的に薬物依存の人を、違法な薬物を使ったからという、ただそれだけの理由で刑務所に入れてきたわけだけれど、そこにエビデンスはあったのかということが今先進国では問い直されているんですね。エビデンスベースドなポリシーメーキングになっていたかどうかということです。
実際、トラウマを持っている人が犯罪の犯すリスクが高いという十分な証拠があります。それともう一つ、刑務所に入るとトラウマが増えるという十分な証拠があります。二つを足し合わせたら何が起きるか。トラウマ・刑務所・犯罪、トラウマ・刑務所・犯罪という三角形がぐるぐるぐると回るような事実、現実というものが容易に想像が付くわけですね。ですから、何が何でも現行の刑法の制度の枠組みで、何でもかんでもエビデンスを無視して刑務所に入れることが本当に妥当なのかということを考えるタイミングにあると。
実際、国際的なNGOで薬物に関する政策に対して様々なエビデンスベースドな提案をしているNGO、GCDPというNGOがあるんですが、その勧告の中でも、薬物使用者、単純使用者ですね、つまり犯罪をほかに、薬物以外の暴力や犯罪を犯している場合にはもちろん刑務所に入らないといけないけれども、単純に薬物を使用しただけで刑務所に入れることはエビデンスに合っていないということを勧告しているわけです。
以上が暴力の加害に関するお話でした。残り二分で暴力の被害、特に障害を持った人がどういうときに暴力の被害を受けやすいかという話をします。
これが結論ですね。大きく言うと三つの要因に分かれます。暴力を受ける子供側の要因としては、移動能力の低さ、言語能力の低さ、これは容易に想像が付きますよね。暴力から逃げられない、移動できなければ逃げられない。言語がうまく操れなければ暴力を受けたという経験を他者に報告できない、あるいは信用されないということです。三つ目が非常に重要で、見えにくい障害、これは発達障害や高次脳機能障害など、周囲からは健常者と違いが分からない障害は、実は暴力の被害を受けやすいということが分かっています。なぜかというと、周囲の大人が健常者並みに振る舞えることを期待するからですね。その期待外れな行動に対して意味が分からないので、この子はきっと反抗しているんだとか、この子はサボっているんだというふうな解釈を周囲が与えやすい。しかも、本人もその周囲の解釈を内面化しやすい。なぜなら、見えにくい障害というのは、周囲から見えにくいだけじゃなく、本人からも見えにくいからです。ですから、自分は駄目なんだというふうにして自尊心をすり減らしていく。そういう中で、見えにくい障害というのは、実は暴力の被害を受けやすいだけでなく、加害にもつながりやすいということが分かっています。ここを何とかしなきゃいけない。
それから、養育者側の要因。これは親密さが暴力の加害につながりやすいということが分かっています。とりわけ共依存ですね。共依存というのは、言葉の正しい意味で説明すると、相手の依存先を独占することで相手を支配することと定義されます。依存できる先が少ないと、ほかに依存できない、つまり相手に支配される構造になるわけです。ですから、親、特に障害を持った子供の親なんかは共依存になりやすいということが分かっています。それから、ストレスですね。これ、ストレスは経済的なストレスももちろん含まれます。あるいは、先ほどの見えにくい障害について申し上げたような、障害についての知識の不足、これも暴力の加害につながりやすい。
そして、最後、環境要因。社会的排除が強い環境では暴力の加害が起きやすい。
このスライドでおしまいにしますね、もう時間も来ましたので。
最後、もう一つだけ環境要因で重要なのが、専門的な支援が充実していれば暴力の加害がなくなるのかというと、そういうわけでもない。むしろ、隣近所に依存できるか、隣近所にSOSが出せるかということが非常に重要なんだということが分かっています。
ちょっと尻切れとんぼになってしまいましたが、取りあえず暴力の加害、被害の話をさせていただきました。話は以上になります。どうもありがとうございました。
この発言だけを見る →今日は本当に貴重な機会をいただきましてありがとうございます。
私は、今日は障害に関して、特に暴力の問題を考えたいと思います。
暴力というのは、自分と異なる他者を排除しようとする振る舞いのことですね。ですから、異なる他者と共生する社会を考える上で、その逆照射をする、つまり暴力の問題から逆に暴力のない社会を考えることで共生社会というのはどういう条件を満たしていなければいけないのかということを考えてみたいと思っています。
私は、今、大学の方で当事者研究というものを専門にしています。今日の本題に入る前に少しだけ、私が取り組んでいる当事者研究、今日お話しさせていただく内容というのは、当事者研究からの知見を半分、それからこれまでの先行研究のエビデンスを半分という形でプレゼンテーションいたしますので、まず、その当事者研究というものを、まだ聞き慣れない言葉だと思うので、少しだけ説明をしたいと思います。(資料映写)
当事者研究とは何かというと、一言で言うと自己知、つまり自分に関する知識やあるいは自助、自分を助ける方法を共同創造する、英語ではコプロデュースする、そういう実践というふうに要約することができるかと思います。
ここで言うコプロデュース、共同創造という概念は昨今欧米で注目されている概念で、従来、当事者、つまり障害を持っていたり貧困であったり虐待を経験したりという社会的弱者は、サービスの受け手、受動的なエンドユーザーとして規定されることが多かったわけですが、そうではなくて、サービスや政策やあるいは支援法や医療などの生産者になる。もちろん、当事者だけで生産者になることはできないので、専門家の側方支援が必要なわけですけれども、受容する消費者ではなく生産者側になるという取組が、実は非常に効率のいいサービスを、ある条件を満たしていれば効率のいいサービスを生み出すことができるんだというふうな考え方のことです。
昨今は、精神医療領域、特に臨床研究の中でこのコプロダクションというのが注目されていて、従来、主に臨床研究や薬の開発といった精神医療の臨床研究というのは、専門家がリサーチトピックを立ててそれに対してリサーチプランを立てるというふうなことが多かったんですが、それだと満足度の高い、コストエフェクティブな支援がなかなか開発されないということが注目されるようになり、そうではなくて、例えば、これ今お示ししている例は、統合失調症の方に集まっていただいて、次の十年で解いてほしい問いを言ってくださいと、それをトップテンリストを作るわけですね。そのトップテンリストに対して公費を付けて全国に公募する、研究者を募るというようなジェームス・リンド・アライアンスというイギリスでの取組を紹介したネーチャーの論文です。こういった取組が欧米では注目されていて、その日本版が言わば当事者研究と言えるものなわけですね。
当事者研究というのは、昨今、AMEDなんかでも支援をいただいていますけれども、当事者が精神医療あるいは医療全般をコプロデュースする取組として注目をされ始めているものです。
改めて、当事者研究とは何かといいますと、障害や病気を抱える当事者が困り事の解釈や対処法について、従来のように医者や支援者に任せきりにして受動的なエンドユーザーになるのではなく、自ら自分の困り事のメカニズムを解明しようとする研究者になるんだと、そして、似た経験を持つ仲間や支援者、専門家と助け合って困り事の意味やメカニズム、対処法を探り当てる取組、要約すると自己知と自助のコプロダクションというふうに要約できるかと思います。
実は、自己知と自助の関係というのは、これ私が取ったデータですけれども、向かって右側ですね、横軸が把握可能感、つまり自分の経験に関して意味を発見している度合いですね、自己知そのものです。縦軸が反すう傾向といって、自分の過去に起きた出来事をくよくよくよくよ、ぐるぐる思い悩む傾向の強さですね、これが強い負の相関をしている。つまり、自分を知ることというのは、単に知識が得られるだけじゃなく、それ自体がメンタルヘルスやウエルビーイングにとって非常に重要なんだということを示したデータになります。
自分を知ることが何のメリットになるのかというと、大きく言うと四つぐらいあるんですが、そのうちで特に今日注目したいのがコミュニケーション能力ですね。自伝的記憶というのは、自分に関するこれまでの経験を意味ある一つの物語としてまとめた記憶の総体のことです。自己知そのものですね。その自己知があるとコミュニケーション能力が高まるということがよく知られています。それからもう一つ、展望記憶といいまして、未来の構想を描く、私はこういう人間になりたい、こういうことをしたいという意思決定の力が、自伝的記憶によって、何というかファシリテートされるということも分かっています。
現代社会においてそのコミュニケーション能力と将来に対する展望を持つというのは、不確実性が増した社会でとりわけ個人に要求される二大能力なわけですけれども、そういったものの基盤にこの自己知、専門用語で言うと自伝的記憶といったものが存在しているんだというのが当事者研究の着想の一つです。
逆に、自己知、自伝的記憶というものがうまく整理整頓できないとどういう症状が起きるのかといいますと、ちょっと、これは当事者の方が作った再現VTRですが、フラッシュバックですね、夜寝ると、目を閉じると、その日に起きた出来事がばんばんばんと勝手に再生される。トラウマを持っている、虐待を受けている方なんかよくこれが起きますけれども、トラウマを持っていなくても、例えば自閉症を持っている方なんかですと、トラウマなしでもこのフラッシュバック症状というのが起きます。
それから、そのフラッシュバックの映像を見ながらあのとき私はああ振る舞ってよかったんだろうかというふうな反省をずっとしてしまう、これを先ほども紹介しました反すう傾向といいます。もう一つ、OGMというのは、抽象的にしか過去を思い出せない、そういった記憶の持ち方で、実は、後ほど説明しますが、自殺率と相関することが分かっています。
これまで述べたようなフラッシュバックや反すう傾向あるいはOGMというのは、いずれも自己知がうまくまとめ上げられていない、自伝的記憶の統合がうまくいっていない兆候として知られているものです。そういう意味では、当事者研究がアプローチしようとしている自己知の再構築、コプロダクションというのは、こういったメンタルヘルスのかなり中核的なところに介入しようとしている取組というふうに言えます。
これも私たちのデータですけど、自閉症スペクトラムでも、昨今急激に人数が増えているコミュニケーション障害を中核とする発達障害の一種ですが、自閉スペクトラム症でもOGM傾向が強いということが分かっておりますし、先ほども申しましたように自殺のリスクがこのOGMと相関するということも分かっています。
じゃ、そのOGMといいますか自己知や自伝的記憶がうまくまとめ上げられない人はそのままに放置されていいのかというと、そんなことはありません。実は、自伝的記憶がうまく統合できる条件として知られているのが、自分の日常的な経験を言葉であるいは記号で分かち合える他者が周りにいるかどうかということが決定的に重要だということが知られているんですね。
必然的に何が分かるかというと、生まれつき見え方や聞こえ方といった認知特性の異なる少数派はそういった経験の分かち合いの機会が乏しくなりがちですので、そうするとOGMやフラッシュバックになることは必然なわけです。あるいは、先ほど駒村先生もおっしゃっていた虐待なんかもそうですね。虐待の本質は秘密です。つまり、人知れず誰とも分かち合えないひどい仕打ちを経験している、そこからの回復は、実は同じような虐待経験を持った人と一緒に自分の経験をカミングアウトして分かち合うことなんですね。そういうふうに秘密領域を持った自伝的記憶というものを持っている人も、同じくOGMやフラッシュバック、あるいは自殺率の高さ、それから今日後半で述べる犯罪の加害というものと結び付きやすいということが分かっています。
そういう意味では、人知れずひっそりと誰とも分かち合えない経験を持った少数派同士が自分の経験を似た仲間と分かち合うという当事者研究の取組自体が、これら一連の問題に対してかなり中核的な効果を及ぼすということが予想されるわけですね。実際、私たち、昨年から臨床研究をやっておりまして、まだ論文にはなっていないんですが、かなり強い手応えを感じているところがあります。
以上が当事者研究のあらましに関する説明でした。
ここから暴力の話をしようと思うんですけれども、皆さんも御存じのとおり、昨年七月二十六日に痛ましい事件が起きました。障害者施設をある容疑者が襲って、十九名の仲間たち、障害を持つ仲間たちが殺されたという事件、津久井やまゆり園の事件ですね。私は大きな衝撃を受けて、八月六日、十日後に追悼集会を開いたんです。国内外からおよそ四百通、たった十日間で四百通の、その中にはアメリカ大使館、当時の大使からのメッセージもありましたけれども、四百通のメッセージが届いたんですね。その中で特に私が印象に残ったメッセージ、一つだけ紹介します。
カナダのソーシャルワーカーのライナスさんという方のメッセージで、彼女はこういうふうに言っているんですね。このような困難な状況において、一部の人々が問題を外部化し、依存症者、精神障害者、特定の専門家といった他者を責めたくなることは理解できます。しかし、私たちは、自分たちの住むこのコミュニティーに他者などおらず、暴力行為や依存症、そして精神疾患は症状にすぎないということを知っています。そうした症状は社会のより深部にある満たされていないニーズを反映しているのですというふうに述べている。
つまり、こういった陰惨な事件が起きると犯人捜しをしたくなる、そして自分とは関係のないと思われる犯人、専門家や依存症者や精神障害者、そういった他者に全ての原因を押し付け、そして彼らを責め上げて社会から排除することであたかも自分たちのコミュニティーはまたクリーンな状態に戻ったという幻想を抱きたい動物だということを述べている。しかし、それは全く問題解決にならない。むしろ、真犯人はこの社会全体なんだ、そしてそれを支えている我々一人一人が真の加害者なんだということを見詰めましょうということを述べています。
残りの時間では、この暴力の問題を暴力の加害側からのエビデンス、それから被害側からのエビデンスに分けて紹介したいと思います。ちょっと時間の関係で少し飛ばしながらになりますけれども、まず暴力の加害のリスクに関するこれまでの先行研究を見ていきましょう。人はどういうときに他者を排除するのかという研究です。
結論だけ言いますと、これまで統計的に関係があるとされているリスクファクターは八つあります。八つ全てを説明することはできませんが、おおよそ三つに分けられます。赤い色を付けたところと青い色を付けたところとピンク色の色を付けた三つですね。赤い部分は、一言で言うと反社会的な行動パターンと言われるものです。青い部分は、社会的排除そのものです。例えば、親密な他者との関係からの排除、あるいは就労や教育からの排除、そういったものです。そして三つ目、これは後ほど、保留が必要だと、少し補う必要があるんですが、薬物使用によって暴力の加害性が増すというふうなエビデンスがありますが、これは、じゃ薬物を禁止したらいいと、そういう単純なものではないことを後ほど説明します。
これを見ますと、青い部分は社会的排除だが、赤い部分とピンクの部分は個人の特徴なのかなと勘違いされやすいのですが、そうではなく、赤い部分の反社会的行動は、実はソーシャルエクスクルージョン、特に経済的な貧困や差別といった問題によって説明されるということが分かっています。必ずしも個人に帰責できるような特徴ではないということです。
それから、薬物依存も同様です。差別や社会的な排除というものが薬物依存症の背景にあるということが分かっています。当事者研究の中でも、薬物依存症だとカミングアウトするや否やなかなか就職先が見付からない、それによって社会に再びインクルードされる機会を失って、再びアンダーグラウンドに行かざるを得なくなるというような当事者の語りがよく聞かれます。こういった差別というものが依存症に対して燃料を与えているということは重要です。
そう考えますと、先ほど述べたビッグエイトと呼ばれる八つの暴力の加害のリスクというものは、個人に帰属できるリスクというよりは、社会が一部の人を排除することによって、その排除された人々を加害性のリスクにさらしているということがお分かりになるかと思います。
少しだけ飛ばします。もう一つ重要なのは、依存症、薬物依存症が実は虐待などのトラウマによって引き起こされるという十分なエビデンスがあるということです。先ほど駒村先生のデータの中にもありましたが、虐待を受けていると人が信用できなくなります。あるいは、社会を信用できなくなる。そうすると、他者に依存できなくなるんですね。困ったときに他者に依存できない。健康な人は実は依存しているんです。たくさんのものに依存している。ところが、虐待を受けると依存できなくなる。依存できない病が依存症なんだということをまず理解していただきたい。消去法的に、人に依存できない人は物質に依存して、人に迷惑を掛けないで何とか問題をクリアしようと思って当然なわけですね。それが依存症なんだということです。ですから、依存症から回復したければ、依存できる人を増やすということが重要になってくるわけです。
依存症の結果、女子刑務所に入った方々の当事者研究というのも私たちやっているんですが、研究の結果が非常に興味深い結果になっています。一言で言うと、刑務所はどういうところだったかというと、犯罪の学校だったというふうに要約されているわけです。実際、海外でも笑えないような取組がございます。刑務所の中で学んだ文化が犯罪のリスクを高めるという十分な証拠があります。ですので、刑務所から出所した人に対して、その刑務所で学んだ文化を解除するためのプログラムというのを税金を投入して回している地域がある。素朴に考えれば、そもそも最初から刑務所に入れなければよかったんじゃないか。二度税金を使っているわけですよね、刑務所に入れてリスクを高めて、それを解除するのにもう一回税金を使うというような状況で、本当に、今まで慣習的に薬物依存の人を、違法な薬物を使ったからという、ただそれだけの理由で刑務所に入れてきたわけだけれど、そこにエビデンスはあったのかということが今先進国では問い直されているんですね。エビデンスベースドなポリシーメーキングになっていたかどうかということです。
実際、トラウマを持っている人が犯罪の犯すリスクが高いという十分な証拠があります。それともう一つ、刑務所に入るとトラウマが増えるという十分な証拠があります。二つを足し合わせたら何が起きるか。トラウマ・刑務所・犯罪、トラウマ・刑務所・犯罪という三角形がぐるぐるぐると回るような事実、現実というものが容易に想像が付くわけですね。ですから、何が何でも現行の刑法の制度の枠組みで、何でもかんでもエビデンスを無視して刑務所に入れることが本当に妥当なのかということを考えるタイミングにあると。
実際、国際的なNGOで薬物に関する政策に対して様々なエビデンスベースドな提案をしているNGO、GCDPというNGOがあるんですが、その勧告の中でも、薬物使用者、単純使用者ですね、つまり犯罪をほかに、薬物以外の暴力や犯罪を犯している場合にはもちろん刑務所に入らないといけないけれども、単純に薬物を使用しただけで刑務所に入れることはエビデンスに合っていないということを勧告しているわけです。
以上が暴力の加害に関するお話でした。残り二分で暴力の被害、特に障害を持った人がどういうときに暴力の被害を受けやすいかという話をします。
これが結論ですね。大きく言うと三つの要因に分かれます。暴力を受ける子供側の要因としては、移動能力の低さ、言語能力の低さ、これは容易に想像が付きますよね。暴力から逃げられない、移動できなければ逃げられない。言語がうまく操れなければ暴力を受けたという経験を他者に報告できない、あるいは信用されないということです。三つ目が非常に重要で、見えにくい障害、これは発達障害や高次脳機能障害など、周囲からは健常者と違いが分からない障害は、実は暴力の被害を受けやすいということが分かっています。なぜかというと、周囲の大人が健常者並みに振る舞えることを期待するからですね。その期待外れな行動に対して意味が分からないので、この子はきっと反抗しているんだとか、この子はサボっているんだというふうな解釈を周囲が与えやすい。しかも、本人もその周囲の解釈を内面化しやすい。なぜなら、見えにくい障害というのは、周囲から見えにくいだけじゃなく、本人からも見えにくいからです。ですから、自分は駄目なんだというふうにして自尊心をすり減らしていく。そういう中で、見えにくい障害というのは、実は暴力の被害を受けやすいだけでなく、加害にもつながりやすいということが分かっています。ここを何とかしなきゃいけない。
それから、養育者側の要因。これは親密さが暴力の加害につながりやすいということが分かっています。とりわけ共依存ですね。共依存というのは、言葉の正しい意味で説明すると、相手の依存先を独占することで相手を支配することと定義されます。依存できる先が少ないと、ほかに依存できない、つまり相手に支配される構造になるわけです。ですから、親、特に障害を持った子供の親なんかは共依存になりやすいということが分かっています。それから、ストレスですね。これ、ストレスは経済的なストレスももちろん含まれます。あるいは、先ほどの見えにくい障害について申し上げたような、障害についての知識の不足、これも暴力の加害につながりやすい。
そして、最後、環境要因。社会的排除が強い環境では暴力の加害が起きやすい。
このスライドでおしまいにしますね、もう時間も来ましたので。
最後、もう一つだけ環境要因で重要なのが、専門的な支援が充実していれば暴力の加害がなくなるのかというと、そういうわけでもない。むしろ、隣近所に依存できるか、隣近所にSOSが出せるかということが非常に重要なんだということが分かっています。
ちょっと尻切れとんぼになってしまいましたが、取りあえず暴力の加害、被害の話をさせていただきました。話は以上になります。どうもありがとうございました。
川
藤
藤田孝典#7
○参考人(藤田孝典君) 改めまして、皆さん、こんにちは。今日は本当にお招きいただいてありがとうございます。貴重な機会をいただいたことに感謝申し上げます。
私の方からは、経済・生活不安の解消において今、近々の課題となっている格差、貧困をどう縮小していけばいいのかということを話をさせていただけたらと思っております。(資料映写)
私は、今日、肩書にも書いてありますが、NPO法人ほっとプラスというところで、これは埼玉にある団体なんですけれども、年間約五百件、生活に困窮されている方の相談を受ける事務所で活動しております。そこには十代から八十代まで様々な方が、生活に困窮されて、中には明日の生活にも不安を抱えているという状況で相談に来られています。その方たちの実態から、まずは、どう政策があるべきなのか、どういうふうにしたら生活不安を解消していけるんだろうかということを話をさせていただけたらというふうに思っております。
私自身、いろんな相談を受けておりますので、昨今、ブラック企業等の問題で若者が非常に苦しいという方も相談に来ますし、労働相談ありますし、あるいは家賃が滞納してしまってというような住宅政策の相談も多く寄せられるというような、そんな状況があります。様々な生活に困難を抱えるという方たちがいらっしゃるので、これにどうやって向き合っていったらいいのかというのが今の現場の専らの課題になっております。
それに対して、私たちのNPOは、弁護士、司法書士、税理士、あるいは不動産屋さん、労働組合、様々な方に協力してもらいながらそれに対応していくということをしています。ここから見えてきた問題を少し今日は話ができたらいいかなというふうに思います。
一言で言えば、現場で困っているという方たちにサポートするNPOの活動がまだまだ足りないという状況もありますし、そういった活動のネットワークがまだ弱いというんですか、そういった実態もあるかなというふうに思います。なので、これは、おととしから生活困窮者自立支援法が施行されていますけれども、まだまだそれを加速していく必要性があるだろうというふうにも思っております。
なぜこういう生活に困っている方たちが実態としては増えている、あるいは高止まりの状態が続いているのかということについては、やはり失われた二十年というんですか、経済がなかなか上向いていかないという中で、働いても十分収入が得られない、賃金が得られないという若い人、それを中心にしながら、子供は育てにくい、あるいは親に仕送りができない、後半でちょっと高齢者の貧困問題についてもお話をさせていただこうと思いますが、親を援助することが難しいというような実態が浮かび上がってきます。
なので、まず、貧困率が非常に世界で見ても高い方に位置する国にもうなってしまったんだというような、そこからどうやって脱却したらいいんだろうかということが大きな課題として上がってくるんじゃないかというふうに思っております。
御承知のとおり、先ほど駒村先生もお出しした、先ほどは全消の資料に基づいたデータですけれども、こちらは国民生活基礎調査に基づいた調査でも同じように高い数値が見られる傾向があるかなというふうに思います。
子供の数は減っているわけなんですが、貧困に苦しむ、そういった状況にある子供たちは逆に増え続けてきているというのが今の日本の実態であるかと思います。
中でもNPOに相談が寄せられる件数で多いのは一人親のお母さん、母子家庭のお母さんという実態はもう明らかです。これは統計を見てみるとはっきりしておりまして、相対的貧困率、これ五四・六%と非常に高い数字が見られていて、世界最悪の水準じゃないかというふうな指摘もされている状況です。要するに、貧困が生まれやすい家庭があって、生活不安を抱えやすい家庭があるんだということがまず注目すべきところじゃないかというふうにも思います。
先ほど、駒村先生の補足にもなりますけれども、じゃ子供の貧困を放置するとどうなるのかということを考えていただけると、これ日本の将来を大きく左右する問題と言っていいんじゃないかというふうなデータが出てきます。
これ、文科省が出しているデータですけれども、低所得の子供の家庭からは大学進学率が低い、もう性急に労働力を売らざるを得ない、労働力の窮迫販売と呼ばれますが、もう中学校卒業、高校卒業してから働かざるを得ないというような、そういった子供たちが出てきているという状況です。ですので、当然ですが、まだ日本社会、大学、大学院、進学した方がほかの学歴と比べても所得がやっぱり高いという傾向が見られますので、この大学の学費が捻出できない、教育費が捻出できないということは子供の将来に大きな影響を与えていくだろうということがデータでもはっきり見えてくるかと思います。
下のデータは、低所得であればあるほど成績とも相関関係が激しいというデータです。これ、ようやく少しずつ、大学の学費をどうやって工面していけばいいのかということで、政府の方でも少しずつ奨学金等を入れていこうということで議論が始まっていますけれども、どの家庭で生まれたとしても、これは将来、もう希望ですね、大学に行くか行かないかと選択肢を提供するということはやっぱり大事だと思います。今は選択する余地すらもないというのが、低所得の家庭の子供たちあるいはお母さん方が抱える大きな不安として上がってきています。
是非現場に足をお運びいただきたいなというふうにも思っておるんですけれども、今、子供食堂、子供の学習支援、急速に行っているNPO、各社会福祉法人が増えてきています。この現場に足を運んでみるとどうかというと、もう既に将来の夢を語らない子供たちが出てきています。
この前相談を受けた女の子は中学校二年生で、将来の夢は何ですかと聞いてみると、正社員と答えるんですね。正社員ってなぜなのかというと、これ雇用形態ですので、なぜこういうふうな答え方をするのかというと、お母さんがダブルワーク、もう日中も夜も家にいなくて、一生懸命働いて子供を育てている、時給八百円、九百円で働いているという状況ですので、それだと将来が不安定なので、私はああいう働き方はしたくないという声が現場の多くの子供たちから出てくるというんですか、もう非正規雇用が非常に広がっているという状況もあって、正社員であることがそもそも夢になりつつあるというような子供たちもかなり見られてきている傾向かなというふうに思います。成績が優秀であっても大学進学を諦めざるを得ないという子供たちが平成になったこの日本社会であってもまだいらっしゃるという状況を何とか改善していかないといけないかなというふうに思います。
一つは、なぜこういう実態になっているのかというと、働いている労働者、特に三十代以降でばりばり働いている、要するに稼働年齢層と呼ばれる方たちの貧困率が上がっているという傾向も見られています。ですので、働いて、普通だったらちゃんと賃金が得られる、福利厚生等企業から受けられて安心して家族を養うことができるという人々が、企業の体力の低下とともに、なかなかそうなっていないという方たちが非常に増えてきている実態があります。
要するに、社宅であるとか家族手当であるとか、以前は大部分の企業が提供していたということがあるんですが、軒並み、企業で今、給料以外支給する、ほかの福利厚生がなくなっているという状況がありますので、これは、後半にも少し付け加えさせていただきたいなと思っているんですが、まず、これまで企業が行ってきたこういった福利厚生を出さない限りは国民生活の不安は解消しないんじゃないか、あるいは、働いている賃金だけだと十分に子供を育てること、あるいは家族を養う、親を養うということはちょっと難しくなってきているんじゃないかということを指摘せざるを得ない社会保障の実態があるかなというふうに思います。なので、まず一番最初に削る、経済が衰退している、低迷しているという状況で削るのは人件費あるいは福利厚生費になりますので、この部分を誰が担うのかという課題が大きく出てくるだろうというふうに思っております。
もう一つ、昔から貧困問題がなぜ起こるのかという議論をしていく中で、必ず賃金と社会保障という議論になります。これは、賃金が少なくてもそれを補う社会保障があれば人々は生活不安を抱えないというわけなんですが、日本は残念ながら今非常に中途半端な状況にあると言わざるを得ない、賃金が低くて、なおかつ社会保障が弱いと言わざるを得ないんじゃないかなというふうにも思っております。
これ、国際比較で最低賃金の金額を挙げているもので、少し前のデータなんですけれども、世界各国と比べてもまだ随分低いレベルの水準にあります。少しずつ、今、過去最多で最低賃金の伸び率も上がってきている状況ではありますが、引き続き、シングルマザーのお母さんが少なくとも子供と向き合える時間を持つための賃金、あるいは、この後お見せする、年金を少ないがために働くお年寄りが少し働いただけで暮らしが楽になる、生活ができる、過度に労働に埋没しなくても人間らしい暮らしができるというような、そういった働き方を是非御議論いただけたら有り難いなと思っております。残念ながら、今シングルマザーのお母さん、低所得である若者、高齢者、様々な方は、低賃金であるがゆえにダブルワーク、トリプルワークという非常に過酷な中働いている、働かざるを得ないという実態があるんじゃないかなというふうにも思います。
今までは子供の貧困、シングルマザーのお母さんの貧困等を見てきましたが、次は、若者の貧困、なぜ生活不安なのか、生きづらいのかということを見ていけたらと思っています。
御承知のとおり、非正規雇用が非常に拡大してきているという傾向もありますし、福利厚生が軒並み削られてきているという傾向もありますので、なので、結婚することもそもそも難しいという若い方たちが出てきています。これは先ほどの駒村先生のお話にもあるとおり、少子高齢化が進む中で、子供がいなければ当然、年金、様々なもの、社会保障の財源というものが確保することが難しい中で、若者の貧困が広がっているという状況なんかがあるかなというふうに思います。
どれだけ働いてもなかなか今報われないという状況もありますので、それが何を招いているかというと、若い人たちは本当は元気に働いてもらって納税をしてもらったり社会に貢献してもらうということが必要なはずなんですが、私たちの元に相談に来られる方は軒並みうつ病、精神疾患、あるいは自殺未遂含めてかなり追い詰められている状況にあるんじゃないかというふうに思います。これは、頑張って働いても報われないという実体験があるというんですか、あるいは三十代になるともう三つ、四つ転職を繰り返さざるを得ない、なかなか賃金が上がらないという就労形態が増えてきていますので、この賃金だけだとなかなか生活ができない若者たちをどうするのかということが議論される必要があるんじゃないかというふうに思います。
後半の話にもちょっとつなげていきたいところはこの上の実家暮らし率の割合でして、若者が実家から出られないという現象が今急速に起こっているというところが私が各種指摘しているところです。以前であれば、ちゃんと働きさえすれば、企業に勤めさえすれば、最初の三年、五年は実家暮らしで、その後は実家を出られて独り暮らしということがあって、そこで結婚する、同棲する、様々な機会があってライフコースを歩んでいくということになるわけなんですが、日本の若者は実家から今出られない。要するに、賃金が低過ぎて、あるいは企業が社宅、住宅手当、様々なものを支給を取りやめていますので、この辺りの急速な実家依存というんですか、親依存、あるいは家族依存と言ってもいいかもしれないですけれども、相互に支えざるを得ないという実態が生まれています。
これ、フランス等幾つかヨーロッパの調査結果でも住宅政策の弱さと未婚率、少子化の相関関係って比較的エビデンスが出始めておりますので、この住宅政策、若者の住まいをどうするのかということ、特に低所得の若者、非正規雇用、不安定な若者の住宅をどうするのかということがもう少し議論されてもいいのかなというふうにも思っております。
特に若者についていえば、教育費の高さ、これ子育て世帯にも言えますけれども、教育費の高さ、あとは卒業した後の職業訓練制度の不十分さ、失業した後はまた同じ低賃金の労働に従事せざるを得ないというような、なかなかそこから抜けられないという実態とか、あとは家賃分が高過ぎるというんですか、特に二十三区内、平均すると大体家賃十二万円から十四万円、ワンルームでもそれくらい掛かりますので、初任給十八万円から二十二万円くらい、大卒初任給であってもこれくらいの住宅費になってくると負担するのは到底難しいだろうということが見て取れるかなというふうに思います。
これ、以前は、繰り返しになりますが、企業が一部住宅手当を支給していたということなので、それは表面化しなかったわけなんですが、非正規雇用の拡大と福利厚生費の削減に伴って若者が非常に急速に生活がしにくくなっている、明日への希望が持ち得なくなってきているという状況があるんじゃないかというふうに思います。それの一環が、うつ病あるいは自殺等の蔓延ということで起こってくる一つの問題かというふうに思います。
あとは、最後は高齢者の貧困問題についても見ていこうと思いますが、まず、高齢者の貧困も、悠々自適に高齢者は暮らしているんじゃないかと思われていたんですが、そうでもないんだという実態を一昨年からずっと指摘してきています。
まず、先進諸国の中でも、幾つか議論、先ほど駒村先生の中でも年金の議論がありましたが、年金が実は貧困を抑止するためのものになっているのかということがもう一つ注目すべきところかなというふうに思っております。特に一人分の年金、国民年金であったり遺族年金、旦那さんが亡くなった後の女性の遺族年金が、支給されたとしても人間らしい暮らしが難しいというんですか、そんな実態なんかが浮かび上がってきています。
特に、年齢を重ねれば重ねるほど、年を取れば取るほど貧困率は上がっていくというんですか、そんな傾向も見られていて、そのときに医療費、介護費の負担が重くのしかかってきますので、高齢者は、当然ですが、自分の生活を何とかしようとすると過度な貯蓄に励むということが今の実態です。
ですので、個人消費が伸びようがないというんですか、一生懸命今政府でも経済対策をやろうとしていますが、将来不安、生活不安があればあるほど、それが解消しなければしないほど個人消費が伸びないだろうということはやっぱり言うまでもないことかなというふうに思います。若者は教育費の高さ、住宅費の高さ、高齢者は医療費、介護費、あとは住宅、同じように困っている、それに不安を抱えているということが分かりやすく出てくるかなというふうに思います。
あとは、ちょっと飛ばそうと思いますが、高齢者の中で生活保護受給世帯も、やっぱり年金を受けていても生活保護にならざるを得ないという方も増えているということからもお分かりのとおりですし、これは幾つか私もやや過激な言葉を使いながら、下流老人という言葉を使いながら高齢者の貧困問題を可視化、見える化していこうという取組等をしております。これくらい過激な言葉を使わないとなかなか対策が前に進まないというんですか、なので、実態としてはかなり広範に高齢者の貧困問題も広がっているという状況があるかと思います。
どれくらい高齢者が今年金もらって生活しているのか、個人当たりの年金を見てもらうと、一人当たり十万円以下で生活しているという状況があります。これは夫婦で何とか暮らしているから今の高齢者は貧困に苦しまなくて済んでいますが、これくらいの水準の年金支給額だと容易に生活保護基準を割り込んでくる、あるいは人間らしい暮らしができなくなってくるということが予想できるかと思います。医療、介護が必要になったら誰がこれを負担するんだろうかということは議論がされる必要があるだろうというふうに思います。
あとは、なぜ今格差、貧困の議論なのかというと、このなかなか経済が低迷しているという状況の中で、生活費自体は減らない、だけれども収入が下がっている。これは全体的に収入が下がっているんですが、年金受給者、労働者、全体的になかなか上がらないという状況もありますので、最近、若干大企業を中心に上向いてきている傾向はありますが、全体的には相変わらず沈んでいる傾向が取れますので、生活費自体は下がりませんから当然手元に残るお金が減りますので、これが生活が苦しいという要因の一つになるだろうというふうに思います。
なので、後半のまとめになっていくと思いますが、この支出をどう下げるのかという政策がやっぱり最も重要になってくるかと思います。介護費、医療費、教育費、住宅費、保育料、様々な支出、これがなければ人間らしい暮らしができないというものの支出をいかに下げていくのかということが議論として必要かと思っております。これ、収入を上げるということがちょっと難しいという場合には、あとは支出を下げる政策をどう入れるかということになりますので、この支出を下げる政策も是非御議論いただけたらいいのかなというふうに思っております。
これからも独り暮らしの高齢者は増え続けていきますし、地域の関係性も希薄化していくという状況も見られています。なので、働かざるを得ないという高齢者が増えていきますので、これ、元気に働く高齢者はいればいいと思いますが、先ほど駒村先生もおっしゃったとおり、高齢者は非常に個別差がありますので、年金が少ないがために特に低所得の方たちが窮迫して労働力を売らないと暮らしが成り立たないということがないように、丁寧な制度の導入を期待したいところです。既に高齢者であっても働かざるを得ないという環境が広がっていて、世界でも類を見ないくらい働かざるを得ない高齢者が多い国になっています。
結論を申し上げると、最後、これがやっぱり必要だということで申し上げると、医療、介護、住宅、教育、保育で積極的な税の投入をまず先行的にお願いしたいというふうに思っております。これ、支出を下げる政策を是非導入していただきたいということです。これ、具体的に空き家活用であるとか、あるいは、今、定年した方たちが退職金でたくさんアパートを建設したりとしていますので、この税制優遇をしたりしながら、なるべく低所得の人に住宅を供給するのであれば、税制優遇等の措置をするということであるとか、様々、住宅の支出を下げてあげたり教育費をなるべく無償に近づけていったりだとか、医療、介護等の不安を解消していく施策を更に推進いただけたら有り難いというふうに思っております。特に、家族がいないと苦しいという状況にある、家族が依存し合わないと困ってしまうという状況をなるべくなくしていくというんですか、そういった状況がやっぱり必要なんじゃないかということを思います。
今は残念ながら、上に挙げた五つ全て買わないといけない、商品になっていますので、これ買わなくてもあらかじめそろっておくような、脱商品化された社会といいますけれども、そういった社会をなるべく目指していく方が、人々の生活不安は解消し、個人消費、貯蓄に回っていたお金が個人消費に回っていくんじゃないかということも予想されるかというふうに思います。
私の方からは以上にしたいと思います。どうも御清聴ありがとうございました。
この発言だけを見る →私の方からは、経済・生活不安の解消において今、近々の課題となっている格差、貧困をどう縮小していけばいいのかということを話をさせていただけたらと思っております。(資料映写)
私は、今日、肩書にも書いてありますが、NPO法人ほっとプラスというところで、これは埼玉にある団体なんですけれども、年間約五百件、生活に困窮されている方の相談を受ける事務所で活動しております。そこには十代から八十代まで様々な方が、生活に困窮されて、中には明日の生活にも不安を抱えているという状況で相談に来られています。その方たちの実態から、まずは、どう政策があるべきなのか、どういうふうにしたら生活不安を解消していけるんだろうかということを話をさせていただけたらというふうに思っております。
私自身、いろんな相談を受けておりますので、昨今、ブラック企業等の問題で若者が非常に苦しいという方も相談に来ますし、労働相談ありますし、あるいは家賃が滞納してしまってというような住宅政策の相談も多く寄せられるというような、そんな状況があります。様々な生活に困難を抱えるという方たちがいらっしゃるので、これにどうやって向き合っていったらいいのかというのが今の現場の専らの課題になっております。
それに対して、私たちのNPOは、弁護士、司法書士、税理士、あるいは不動産屋さん、労働組合、様々な方に協力してもらいながらそれに対応していくということをしています。ここから見えてきた問題を少し今日は話ができたらいいかなというふうに思います。
一言で言えば、現場で困っているという方たちにサポートするNPOの活動がまだまだ足りないという状況もありますし、そういった活動のネットワークがまだ弱いというんですか、そういった実態もあるかなというふうに思います。なので、これは、おととしから生活困窮者自立支援法が施行されていますけれども、まだまだそれを加速していく必要性があるだろうというふうにも思っております。
なぜこういう生活に困っている方たちが実態としては増えている、あるいは高止まりの状態が続いているのかということについては、やはり失われた二十年というんですか、経済がなかなか上向いていかないという中で、働いても十分収入が得られない、賃金が得られないという若い人、それを中心にしながら、子供は育てにくい、あるいは親に仕送りができない、後半でちょっと高齢者の貧困問題についてもお話をさせていただこうと思いますが、親を援助することが難しいというような実態が浮かび上がってきます。
なので、まず、貧困率が非常に世界で見ても高い方に位置する国にもうなってしまったんだというような、そこからどうやって脱却したらいいんだろうかということが大きな課題として上がってくるんじゃないかというふうに思っております。
御承知のとおり、先ほど駒村先生もお出しした、先ほどは全消の資料に基づいたデータですけれども、こちらは国民生活基礎調査に基づいた調査でも同じように高い数値が見られる傾向があるかなというふうに思います。
子供の数は減っているわけなんですが、貧困に苦しむ、そういった状況にある子供たちは逆に増え続けてきているというのが今の日本の実態であるかと思います。
中でもNPOに相談が寄せられる件数で多いのは一人親のお母さん、母子家庭のお母さんという実態はもう明らかです。これは統計を見てみるとはっきりしておりまして、相対的貧困率、これ五四・六%と非常に高い数字が見られていて、世界最悪の水準じゃないかというふうな指摘もされている状況です。要するに、貧困が生まれやすい家庭があって、生活不安を抱えやすい家庭があるんだということがまず注目すべきところじゃないかというふうにも思います。
先ほど、駒村先生の補足にもなりますけれども、じゃ子供の貧困を放置するとどうなるのかということを考えていただけると、これ日本の将来を大きく左右する問題と言っていいんじゃないかというふうなデータが出てきます。
これ、文科省が出しているデータですけれども、低所得の子供の家庭からは大学進学率が低い、もう性急に労働力を売らざるを得ない、労働力の窮迫販売と呼ばれますが、もう中学校卒業、高校卒業してから働かざるを得ないというような、そういった子供たちが出てきているという状況です。ですので、当然ですが、まだ日本社会、大学、大学院、進学した方がほかの学歴と比べても所得がやっぱり高いという傾向が見られますので、この大学の学費が捻出できない、教育費が捻出できないということは子供の将来に大きな影響を与えていくだろうということがデータでもはっきり見えてくるかと思います。
下のデータは、低所得であればあるほど成績とも相関関係が激しいというデータです。これ、ようやく少しずつ、大学の学費をどうやって工面していけばいいのかということで、政府の方でも少しずつ奨学金等を入れていこうということで議論が始まっていますけれども、どの家庭で生まれたとしても、これは将来、もう希望ですね、大学に行くか行かないかと選択肢を提供するということはやっぱり大事だと思います。今は選択する余地すらもないというのが、低所得の家庭の子供たちあるいはお母さん方が抱える大きな不安として上がってきています。
是非現場に足をお運びいただきたいなというふうにも思っておるんですけれども、今、子供食堂、子供の学習支援、急速に行っているNPO、各社会福祉法人が増えてきています。この現場に足を運んでみるとどうかというと、もう既に将来の夢を語らない子供たちが出てきています。
この前相談を受けた女の子は中学校二年生で、将来の夢は何ですかと聞いてみると、正社員と答えるんですね。正社員ってなぜなのかというと、これ雇用形態ですので、なぜこういうふうな答え方をするのかというと、お母さんがダブルワーク、もう日中も夜も家にいなくて、一生懸命働いて子供を育てている、時給八百円、九百円で働いているという状況ですので、それだと将来が不安定なので、私はああいう働き方はしたくないという声が現場の多くの子供たちから出てくるというんですか、もう非正規雇用が非常に広がっているという状況もあって、正社員であることがそもそも夢になりつつあるというような子供たちもかなり見られてきている傾向かなというふうに思います。成績が優秀であっても大学進学を諦めざるを得ないという子供たちが平成になったこの日本社会であってもまだいらっしゃるという状況を何とか改善していかないといけないかなというふうに思います。
一つは、なぜこういう実態になっているのかというと、働いている労働者、特に三十代以降でばりばり働いている、要するに稼働年齢層と呼ばれる方たちの貧困率が上がっているという傾向も見られています。ですので、働いて、普通だったらちゃんと賃金が得られる、福利厚生等企業から受けられて安心して家族を養うことができるという人々が、企業の体力の低下とともに、なかなかそうなっていないという方たちが非常に増えてきている実態があります。
要するに、社宅であるとか家族手当であるとか、以前は大部分の企業が提供していたということがあるんですが、軒並み、企業で今、給料以外支給する、ほかの福利厚生がなくなっているという状況がありますので、これは、後半にも少し付け加えさせていただきたいなと思っているんですが、まず、これまで企業が行ってきたこういった福利厚生を出さない限りは国民生活の不安は解消しないんじゃないか、あるいは、働いている賃金だけだと十分に子供を育てること、あるいは家族を養う、親を養うということはちょっと難しくなってきているんじゃないかということを指摘せざるを得ない社会保障の実態があるかなというふうに思います。なので、まず一番最初に削る、経済が衰退している、低迷しているという状況で削るのは人件費あるいは福利厚生費になりますので、この部分を誰が担うのかという課題が大きく出てくるだろうというふうに思っております。
もう一つ、昔から貧困問題がなぜ起こるのかという議論をしていく中で、必ず賃金と社会保障という議論になります。これは、賃金が少なくてもそれを補う社会保障があれば人々は生活不安を抱えないというわけなんですが、日本は残念ながら今非常に中途半端な状況にあると言わざるを得ない、賃金が低くて、なおかつ社会保障が弱いと言わざるを得ないんじゃないかなというふうにも思っております。
これ、国際比較で最低賃金の金額を挙げているもので、少し前のデータなんですけれども、世界各国と比べてもまだ随分低いレベルの水準にあります。少しずつ、今、過去最多で最低賃金の伸び率も上がってきている状況ではありますが、引き続き、シングルマザーのお母さんが少なくとも子供と向き合える時間を持つための賃金、あるいは、この後お見せする、年金を少ないがために働くお年寄りが少し働いただけで暮らしが楽になる、生活ができる、過度に労働に埋没しなくても人間らしい暮らしができるというような、そういった働き方を是非御議論いただけたら有り難いなと思っております。残念ながら、今シングルマザーのお母さん、低所得である若者、高齢者、様々な方は、低賃金であるがゆえにダブルワーク、トリプルワークという非常に過酷な中働いている、働かざるを得ないという実態があるんじゃないかなというふうにも思います。
今までは子供の貧困、シングルマザーのお母さんの貧困等を見てきましたが、次は、若者の貧困、なぜ生活不安なのか、生きづらいのかということを見ていけたらと思っています。
御承知のとおり、非正規雇用が非常に拡大してきているという傾向もありますし、福利厚生が軒並み削られてきているという傾向もありますので、なので、結婚することもそもそも難しいという若い方たちが出てきています。これは先ほどの駒村先生のお話にもあるとおり、少子高齢化が進む中で、子供がいなければ当然、年金、様々なもの、社会保障の財源というものが確保することが難しい中で、若者の貧困が広がっているという状況なんかがあるかなというふうに思います。
どれだけ働いてもなかなか今報われないという状況もありますので、それが何を招いているかというと、若い人たちは本当は元気に働いてもらって納税をしてもらったり社会に貢献してもらうということが必要なはずなんですが、私たちの元に相談に来られる方は軒並みうつ病、精神疾患、あるいは自殺未遂含めてかなり追い詰められている状況にあるんじゃないかというふうに思います。これは、頑張って働いても報われないという実体験があるというんですか、あるいは三十代になるともう三つ、四つ転職を繰り返さざるを得ない、なかなか賃金が上がらないという就労形態が増えてきていますので、この賃金だけだとなかなか生活ができない若者たちをどうするのかということが議論される必要があるんじゃないかというふうに思います。
後半の話にもちょっとつなげていきたいところはこの上の実家暮らし率の割合でして、若者が実家から出られないという現象が今急速に起こっているというところが私が各種指摘しているところです。以前であれば、ちゃんと働きさえすれば、企業に勤めさえすれば、最初の三年、五年は実家暮らしで、その後は実家を出られて独り暮らしということがあって、そこで結婚する、同棲する、様々な機会があってライフコースを歩んでいくということになるわけなんですが、日本の若者は実家から今出られない。要するに、賃金が低過ぎて、あるいは企業が社宅、住宅手当、様々なものを支給を取りやめていますので、この辺りの急速な実家依存というんですか、親依存、あるいは家族依存と言ってもいいかもしれないですけれども、相互に支えざるを得ないという実態が生まれています。
これ、フランス等幾つかヨーロッパの調査結果でも住宅政策の弱さと未婚率、少子化の相関関係って比較的エビデンスが出始めておりますので、この住宅政策、若者の住まいをどうするのかということ、特に低所得の若者、非正規雇用、不安定な若者の住宅をどうするのかということがもう少し議論されてもいいのかなというふうにも思っております。
特に若者についていえば、教育費の高さ、これ子育て世帯にも言えますけれども、教育費の高さ、あとは卒業した後の職業訓練制度の不十分さ、失業した後はまた同じ低賃金の労働に従事せざるを得ないというような、なかなかそこから抜けられないという実態とか、あとは家賃分が高過ぎるというんですか、特に二十三区内、平均すると大体家賃十二万円から十四万円、ワンルームでもそれくらい掛かりますので、初任給十八万円から二十二万円くらい、大卒初任給であってもこれくらいの住宅費になってくると負担するのは到底難しいだろうということが見て取れるかなというふうに思います。
これ、以前は、繰り返しになりますが、企業が一部住宅手当を支給していたということなので、それは表面化しなかったわけなんですが、非正規雇用の拡大と福利厚生費の削減に伴って若者が非常に急速に生活がしにくくなっている、明日への希望が持ち得なくなってきているという状況があるんじゃないかというふうに思います。それの一環が、うつ病あるいは自殺等の蔓延ということで起こってくる一つの問題かというふうに思います。
あとは、最後は高齢者の貧困問題についても見ていこうと思いますが、まず、高齢者の貧困も、悠々自適に高齢者は暮らしているんじゃないかと思われていたんですが、そうでもないんだという実態を一昨年からずっと指摘してきています。
まず、先進諸国の中でも、幾つか議論、先ほど駒村先生の中でも年金の議論がありましたが、年金が実は貧困を抑止するためのものになっているのかということがもう一つ注目すべきところかなというふうに思っております。特に一人分の年金、国民年金であったり遺族年金、旦那さんが亡くなった後の女性の遺族年金が、支給されたとしても人間らしい暮らしが難しいというんですか、そんな実態なんかが浮かび上がってきています。
特に、年齢を重ねれば重ねるほど、年を取れば取るほど貧困率は上がっていくというんですか、そんな傾向も見られていて、そのときに医療費、介護費の負担が重くのしかかってきますので、高齢者は、当然ですが、自分の生活を何とかしようとすると過度な貯蓄に励むということが今の実態です。
ですので、個人消費が伸びようがないというんですか、一生懸命今政府でも経済対策をやろうとしていますが、将来不安、生活不安があればあるほど、それが解消しなければしないほど個人消費が伸びないだろうということはやっぱり言うまでもないことかなというふうに思います。若者は教育費の高さ、住宅費の高さ、高齢者は医療費、介護費、あとは住宅、同じように困っている、それに不安を抱えているということが分かりやすく出てくるかなというふうに思います。
あとは、ちょっと飛ばそうと思いますが、高齢者の中で生活保護受給世帯も、やっぱり年金を受けていても生活保護にならざるを得ないという方も増えているということからもお分かりのとおりですし、これは幾つか私もやや過激な言葉を使いながら、下流老人という言葉を使いながら高齢者の貧困問題を可視化、見える化していこうという取組等をしております。これくらい過激な言葉を使わないとなかなか対策が前に進まないというんですか、なので、実態としてはかなり広範に高齢者の貧困問題も広がっているという状況があるかと思います。
どれくらい高齢者が今年金もらって生活しているのか、個人当たりの年金を見てもらうと、一人当たり十万円以下で生活しているという状況があります。これは夫婦で何とか暮らしているから今の高齢者は貧困に苦しまなくて済んでいますが、これくらいの水準の年金支給額だと容易に生活保護基準を割り込んでくる、あるいは人間らしい暮らしができなくなってくるということが予想できるかと思います。医療、介護が必要になったら誰がこれを負担するんだろうかということは議論がされる必要があるだろうというふうに思います。
あとは、なぜ今格差、貧困の議論なのかというと、このなかなか経済が低迷しているという状況の中で、生活費自体は減らない、だけれども収入が下がっている。これは全体的に収入が下がっているんですが、年金受給者、労働者、全体的になかなか上がらないという状況もありますので、最近、若干大企業を中心に上向いてきている傾向はありますが、全体的には相変わらず沈んでいる傾向が取れますので、生活費自体は下がりませんから当然手元に残るお金が減りますので、これが生活が苦しいという要因の一つになるだろうというふうに思います。
なので、後半のまとめになっていくと思いますが、この支出をどう下げるのかという政策がやっぱり最も重要になってくるかと思います。介護費、医療費、教育費、住宅費、保育料、様々な支出、これがなければ人間らしい暮らしができないというものの支出をいかに下げていくのかということが議論として必要かと思っております。これ、収入を上げるということがちょっと難しいという場合には、あとは支出を下げる政策をどう入れるかということになりますので、この支出を下げる政策も是非御議論いただけたらいいのかなというふうに思っております。
これからも独り暮らしの高齢者は増え続けていきますし、地域の関係性も希薄化していくという状況も見られています。なので、働かざるを得ないという高齢者が増えていきますので、これ、元気に働く高齢者はいればいいと思いますが、先ほど駒村先生もおっしゃったとおり、高齢者は非常に個別差がありますので、年金が少ないがために特に低所得の方たちが窮迫して労働力を売らないと暮らしが成り立たないということがないように、丁寧な制度の導入を期待したいところです。既に高齢者であっても働かざるを得ないという環境が広がっていて、世界でも類を見ないくらい働かざるを得ない高齢者が多い国になっています。
結論を申し上げると、最後、これがやっぱり必要だということで申し上げると、医療、介護、住宅、教育、保育で積極的な税の投入をまず先行的にお願いしたいというふうに思っております。これ、支出を下げる政策を是非導入していただきたいということです。これ、具体的に空き家活用であるとか、あるいは、今、定年した方たちが退職金でたくさんアパートを建設したりとしていますので、この税制優遇をしたりしながら、なるべく低所得の人に住宅を供給するのであれば、税制優遇等の措置をするということであるとか、様々、住宅の支出を下げてあげたり教育費をなるべく無償に近づけていったりだとか、医療、介護等の不安を解消していく施策を更に推進いただけたら有り難いというふうに思っております。特に、家族がいないと苦しいという状況にある、家族が依存し合わないと困ってしまうという状況をなるべくなくしていくというんですか、そういった状況がやっぱり必要なんじゃないかということを思います。
今は残念ながら、上に挙げた五つ全て買わないといけない、商品になっていますので、これ買わなくてもあらかじめそろっておくような、脱商品化された社会といいますけれども、そういった社会をなるべく目指していく方が、人々の生活不安は解消し、個人消費、貯蓄に回っていたお金が個人消費に回っていくんじゃないかということも予想されるかというふうに思います。
私の方からは以上にしたいと思います。どうも御清聴ありがとうございました。
川
川田龍平#8
○会長(川田龍平君) ありがとうございました。
以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
これより質疑を行います。
本日の質疑はあらかじめ質疑者を定めずに行います。
まず、各会派一名ずつ指名させていただき、その後は、会派にかかわらず発言いただけるよう整理してまいりたいと存じます。
質疑を希望される方は、挙手の上、会長の指名を待って御発言くださいますようお願いいたします。
質疑及び答弁は着席のまま行い、質疑の際はその都度答弁者を明示していただきますようお願いいたします。
なお、できるだけ多くの委員が発言の機会を得られますよう、答弁を含めた時間がお一人十五分以内となるよう御協力をお願いいたします。
それでは、質疑のある方は挙手を願います。
自見はなこ君。
この発言だけを見る →以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
これより質疑を行います。
本日の質疑はあらかじめ質疑者を定めずに行います。
まず、各会派一名ずつ指名させていただき、その後は、会派にかかわらず発言いただけるよう整理してまいりたいと存じます。
質疑を希望される方は、挙手の上、会長の指名を待って御発言くださいますようお願いいたします。
質疑及び答弁は着席のまま行い、質疑の際はその都度答弁者を明示していただきますようお願いいたします。
なお、できるだけ多くの委員が発言の機会を得られますよう、答弁を含めた時間がお一人十五分以内となるよう御協力をお願いいたします。
それでは、質疑のある方は挙手を願います。
自見はなこ君。
自
自見はなこ#9
○自見はなこ君 ありがとうございます。本日は、国民生活・経済に関する調査会にて質問する機会を頂戴いたしましたことを心から感謝申し上げます。参議院の自見はなこでございます。よろしくお願いいたします。
まず初めに私の所感を述べさせていただいた後に質問に入りたいと思います。
私は、去年の七月の参議院選挙で、全国比例区で当選をさせていただきました。三人の先生方のそれぞれの立場からのお話を今拝見しながら、自分自身がなぜ政治を志したかということの原点を改めて思い出させていただくような、すばらしいそれぞれの先生の内容であったと思っております。
私自身は、選挙に出るまでは実は小児科の医師でありました。実は今日で四十一歳になりましたけれども、私が政治を志すことを決めたのは三十八歳の頃でありました。それまで私は一小児科の勤務医として働いておりましたけれども、実は突然掛かってきた医療の国際電話での相談というものがきっかけになって私は政治の道を志すことを決めております。
それは、当時私が働いておりました虎の門病院の小児科での当直の日のある晩の出来事であります。一件の電話相談がアメリカから掛かってまいりました。それはお母様からの電話、小児科でございますので、お母様からの電話相談でありました。お母様がおっしゃるには、自分に十二歳の一人の女の子がいて、一週間東京でホームステイをしている。その子がおなかが痛くなってしまって、泣いてお母さんに国際電話で相談をしてきた。お母さんは大変心配になって、一体どうしたらいいんでしょうかということで電話相談をしてきたというのが私が受け取った電話でありました。
お話を聞いておりますと、幸いにもお嬢様の症状というものが本当に軽いおなかの風邪、胃腸炎の初期の症状かなと思われましたので、日本であれば誰もが当たり前にするように、こうやって水分摂取をしたらよろしいんじゃないでしょうかとか、あるいはこんなふうな症状が出てきたらすぐに病院にかかってくださいねという、日本であれば当たり前のいわゆる電話相談というものをさせていただきました。
ところが、その電話相談が終わりましたときに、実はお母様が電話の向こう側で本当に大きな声で号泣されました。私が大変驚いて、一体どうされましたかとお母様にお伺いしたときにおっしゃった一言というものが私のある意味でいえば人生を変えたわけですけれども、そのときの一言というのが、私の国の私の入っている民間の医療保険では私は直接医者と話すことすら許されていないのに、日本ではこうやって医者とも話すことができて、かつ夜中に受診してもいいよと言われるなんて、何ていい国なんでしょう、ゴッド・ブレス・ジャパンと言って本当においおいと泣き続けられました。そのことが私はきっかけとなっております。
それまで留学経験もございましたし、頭の中では国民皆保険というものがいかに大事かということを分かっているつもりでございましたけれども、改めて、医療がビジネスである国ではこんな思いを人々が抱きながら生きているんだ、そして、日本ではこの国民皆保険というものがやはり政治で守られているということは知っておりましたので、私も本当に、一小児科の勤務医ではありましたけれども、この国民皆保険がない国になってしまった場合に、恐らく医療従事者である私たちがこの悲惨な状況というものに耐えられないだろうという思いで、これは守っていきたいという思いで私自身は政治の世界に飛び込んでおります。
本日は、それぞれの参考人の先生方が御指摘を下さいました。貧困というものは大変大きな社会問題であると私も思っております。特に、最近は四百万から七百万円の所得の層というものが一気に落ち込んでまいりまして、残念ながら所得の二極分化というものが明らかに日本でもなっております。その中で、子供の六人に一人は貧困にあえいでいるという状況の中で、子供食堂を民間の基金を活用してですとかいう流れは、私自身は私たちの国の在り方としてはいま一度立ち止まって考えるべき課題ではないかなと思っております。
また、参考人の先生の藤田先生からも御指摘ございましたように、子供を持ちたい世帯というものが実は、もちろん二十代、三十代の特に結婚して五年以内の世帯には多うございますけれども、その中の八三%の世帯の方々が経済的な理由というものを挙げて子供が持てないというのが実情であると思っております。
私自身はいわゆる大きな政府論者でありまして、この所得の再分配というものを強化していくこと、そして次世代に投資をしていくことというのが今の日本にとって最も求められているものではないかなというふうに思っております。
質問に移りたいと思っておりますけれども、私は、様々な考えがあるとは思いますけれども、行き過ぎたというあえて形容詞を付けさせていただきますけれども、行き過ぎたグローバリゼーションですとかあるいは新自由主義というものが私は多くの人々を幸せにするかどうかということに関しては大変疑問を感じております。
本日は大変貴重な機会でございますので、それぞれのお立場から、まずグローバリゼーションの本質というものは何だとお考えかということと、それから、格差とこのグローバリゼーションということを結び付けて考えるということが最近よく新聞の論調でも出てきておりますが、それについてのお考えと、そして、この格差社会というものが今あるとするとすれば、それのスタート、きっかけは一体どこに日本社会の場合はあったかと、この三点について、まずそれぞれのお立場から御意見をお伺いできたらと思います。
この発言だけを見る →まず初めに私の所感を述べさせていただいた後に質問に入りたいと思います。
私は、去年の七月の参議院選挙で、全国比例区で当選をさせていただきました。三人の先生方のそれぞれの立場からのお話を今拝見しながら、自分自身がなぜ政治を志したかということの原点を改めて思い出させていただくような、すばらしいそれぞれの先生の内容であったと思っております。
私自身は、選挙に出るまでは実は小児科の医師でありました。実は今日で四十一歳になりましたけれども、私が政治を志すことを決めたのは三十八歳の頃でありました。それまで私は一小児科の勤務医として働いておりましたけれども、実は突然掛かってきた医療の国際電話での相談というものがきっかけになって私は政治の道を志すことを決めております。
それは、当時私が働いておりました虎の門病院の小児科での当直の日のある晩の出来事であります。一件の電話相談がアメリカから掛かってまいりました。それはお母様からの電話、小児科でございますので、お母様からの電話相談でありました。お母様がおっしゃるには、自分に十二歳の一人の女の子がいて、一週間東京でホームステイをしている。その子がおなかが痛くなってしまって、泣いてお母さんに国際電話で相談をしてきた。お母さんは大変心配になって、一体どうしたらいいんでしょうかということで電話相談をしてきたというのが私が受け取った電話でありました。
お話を聞いておりますと、幸いにもお嬢様の症状というものが本当に軽いおなかの風邪、胃腸炎の初期の症状かなと思われましたので、日本であれば誰もが当たり前にするように、こうやって水分摂取をしたらよろしいんじゃないでしょうかとか、あるいはこんなふうな症状が出てきたらすぐに病院にかかってくださいねという、日本であれば当たり前のいわゆる電話相談というものをさせていただきました。
ところが、その電話相談が終わりましたときに、実はお母様が電話の向こう側で本当に大きな声で号泣されました。私が大変驚いて、一体どうされましたかとお母様にお伺いしたときにおっしゃった一言というものが私のある意味でいえば人生を変えたわけですけれども、そのときの一言というのが、私の国の私の入っている民間の医療保険では私は直接医者と話すことすら許されていないのに、日本ではこうやって医者とも話すことができて、かつ夜中に受診してもいいよと言われるなんて、何ていい国なんでしょう、ゴッド・ブレス・ジャパンと言って本当においおいと泣き続けられました。そのことが私はきっかけとなっております。
それまで留学経験もございましたし、頭の中では国民皆保険というものがいかに大事かということを分かっているつもりでございましたけれども、改めて、医療がビジネスである国ではこんな思いを人々が抱きながら生きているんだ、そして、日本ではこの国民皆保険というものがやはり政治で守られているということは知っておりましたので、私も本当に、一小児科の勤務医ではありましたけれども、この国民皆保険がない国になってしまった場合に、恐らく医療従事者である私たちがこの悲惨な状況というものに耐えられないだろうという思いで、これは守っていきたいという思いで私自身は政治の世界に飛び込んでおります。
本日は、それぞれの参考人の先生方が御指摘を下さいました。貧困というものは大変大きな社会問題であると私も思っております。特に、最近は四百万から七百万円の所得の層というものが一気に落ち込んでまいりまして、残念ながら所得の二極分化というものが明らかに日本でもなっております。その中で、子供の六人に一人は貧困にあえいでいるという状況の中で、子供食堂を民間の基金を活用してですとかいう流れは、私自身は私たちの国の在り方としてはいま一度立ち止まって考えるべき課題ではないかなと思っております。
また、参考人の先生の藤田先生からも御指摘ございましたように、子供を持ちたい世帯というものが実は、もちろん二十代、三十代の特に結婚して五年以内の世帯には多うございますけれども、その中の八三%の世帯の方々が経済的な理由というものを挙げて子供が持てないというのが実情であると思っております。
私自身はいわゆる大きな政府論者でありまして、この所得の再分配というものを強化していくこと、そして次世代に投資をしていくことというのが今の日本にとって最も求められているものではないかなというふうに思っております。
質問に移りたいと思っておりますけれども、私は、様々な考えがあるとは思いますけれども、行き過ぎたというあえて形容詞を付けさせていただきますけれども、行き過ぎたグローバリゼーションですとかあるいは新自由主義というものが私は多くの人々を幸せにするかどうかということに関しては大変疑問を感じております。
本日は大変貴重な機会でございますので、それぞれのお立場から、まずグローバリゼーションの本質というものは何だとお考えかということと、それから、格差とこのグローバリゼーションということを結び付けて考えるということが最近よく新聞の論調でも出てきておりますが、それについてのお考えと、そして、この格差社会というものが今あるとするとすれば、それのスタート、きっかけは一体どこに日本社会の場合はあったかと、この三点について、まずそれぞれのお立場から御意見をお伺いできたらと思います。
川
駒
駒村康平#11
○参考人(駒村康平君) では、今の三つの御質問についてお答えしたいと思います。
私の資料でも、今のグローバリゼーションの話は象の姿、象の姿というパワーポイントを使わせていただきました、二十四ページ。
グローバリゼーションについては、経済学者は、世界全体で見れば世界全体の中での格差は縮まっているんじゃないかという言い方をしています。つまり、新興国の人の所得が上がっているから、それは一つの成果であると。ただ、一方では、国の政治というのは国家単位で意思決定、民主主義の意思決定行われますので、この中間層がグローバリゼーションの結果埋没していくということは、当然不安定な状態になってくる、政治が不安定になってくる。これが今、トランプ現象なりUKの、あのイギリスの離脱の問題なんかにもつながっていると思います。
グローバリゼーションをやる一方で、当然多くの国もそれを心掛けてきたわけですけれども、再分配政策を同時に強化すると。つまり、グローバリゼーションを進めたければ再分配政策をやらないと、付いていけない人が政治を通じてそのグローバリゼーションそのものを潰してしまうというのが今起きている状態だと思いますので、そういう意味では、アメリカは、イギリスにしても、グローバリゼーションの二極の、二つの車輪である再分配の強化が非常に甘かったということが言えるんではないかと思います。データを見る限りは、グローバリゼーションをやっている国は大きな政府を目指しているという傾向はあったんですけれども、不十分だったという理解をしています。これが最初の二つの答えになるかと思います。
三つ目は、日本の場合はやはり九〇年代前半のバブル崩壊が大きな影響だったと思います。先ほど藤田さんがお話ししたように日本型雇用システム、つまり、いいか悪いかは別にしても、一つの企業で働いて年功賃金で保障して住宅も買えるような、子供を学校に行かせるような社会モデルがあったと。残念ながら、それと引換えに、結婚した女性は早く家に戻ると、こういうシステムが起動していたわけですけれども、肝腎要の年功給あるいは企業福祉がどんと落ちた、そして非正規労働者が増えたと。それを補うように本来は社会保障が出てこなければいけなかったわけなんですけれども、財政状況が非常に悪かったためにそこを補えなかったということで、今の状況が起きているのではないかと思います。
以上です。
この発言だけを見る →私の資料でも、今のグローバリゼーションの話は象の姿、象の姿というパワーポイントを使わせていただきました、二十四ページ。
グローバリゼーションについては、経済学者は、世界全体で見れば世界全体の中での格差は縮まっているんじゃないかという言い方をしています。つまり、新興国の人の所得が上がっているから、それは一つの成果であると。ただ、一方では、国の政治というのは国家単位で意思決定、民主主義の意思決定行われますので、この中間層がグローバリゼーションの結果埋没していくということは、当然不安定な状態になってくる、政治が不安定になってくる。これが今、トランプ現象なりUKの、あのイギリスの離脱の問題なんかにもつながっていると思います。
グローバリゼーションをやる一方で、当然多くの国もそれを心掛けてきたわけですけれども、再分配政策を同時に強化すると。つまり、グローバリゼーションを進めたければ再分配政策をやらないと、付いていけない人が政治を通じてそのグローバリゼーションそのものを潰してしまうというのが今起きている状態だと思いますので、そういう意味では、アメリカは、イギリスにしても、グローバリゼーションの二極の、二つの車輪である再分配の強化が非常に甘かったということが言えるんではないかと思います。データを見る限りは、グローバリゼーションをやっている国は大きな政府を目指しているという傾向はあったんですけれども、不十分だったという理解をしています。これが最初の二つの答えになるかと思います。
三つ目は、日本の場合はやはり九〇年代前半のバブル崩壊が大きな影響だったと思います。先ほど藤田さんがお話ししたように日本型雇用システム、つまり、いいか悪いかは別にしても、一つの企業で働いて年功賃金で保障して住宅も買えるような、子供を学校に行かせるような社会モデルがあったと。残念ながら、それと引換えに、結婚した女性は早く家に戻ると、こういうシステムが起動していたわけですけれども、肝腎要の年功給あるいは企業福祉がどんと落ちた、そして非正規労働者が増えたと。それを補うように本来は社会保障が出てこなければいけなかったわけなんですけれども、財政状況が非常に悪かったためにそこを補えなかったということで、今の状況が起きているのではないかと思います。
以上です。
熊
熊谷晋一郎#12
○参考人(熊谷晋一郎君) 私は完全に専門外で、門外漢なもので、うまく答えられる自信は全くないんですが、少し、私のきっと役割だと思うので、障害に関連した部分でお話しできることをお話ししようと思うんですが。
今回、能力主義ですとか優生思想というものが昨今障害者に対して大きなプレッシャーとしてのしかかっていて、その背景には、やはりそういった優生思想や能力主義がはびこる土壌というものがあるんだろうと思います。その最たるものが恐らく分配の仕方、もう既におっしゃっている生産物に比例した形で分配する貢献原則と、それから必要に応じて分配する必要原則の割合が、後者の必要原則を担う担い手というのは国家がその担い手なわけですけれども、グローバリゼーションというのは、その国家の力がある意味では弱まって、グローバル企業というものが力を持ち始めて、それと比例して、もしも分配の仕方も割合として貢献原則にウエートが強まっていくとすると、そういった能力主義あるいは優生思想というものがはびこる、それがひいては障害者の尊厳を傷つけるというようなことが今起きているんではないかなというふうには観測しています。
日本に関して、格差のきっかけ、これは全くちょっと私も素人なので分からないんですが、私の周辺では発達障害という概念が、急に人数が増えた時期というのがおおよそバブル崩壊以降なんですよね。その発達障害と呼ばれてラベリングを貼られてやってくる、当事者研究の場にやってくる方の多くはかつては健常とされていた人で、恐らくメンバーシップ型の雇用の中で包摂されていた人なんだと思うんですね。そういった人々が今急速に社会から排除されて、そして、その排除の理由を個人化するための概念として発達障害というものが非常に活用されているというふうな印象がございます。
その背景に何があるのか、もちろん私、門外漢ではありますが、私の周辺でも観測される事実としてはそういった現象が起きているなというふうな感触を持っています。
この発言だけを見る →今回、能力主義ですとか優生思想というものが昨今障害者に対して大きなプレッシャーとしてのしかかっていて、その背景には、やはりそういった優生思想や能力主義がはびこる土壌というものがあるんだろうと思います。その最たるものが恐らく分配の仕方、もう既におっしゃっている生産物に比例した形で分配する貢献原則と、それから必要に応じて分配する必要原則の割合が、後者の必要原則を担う担い手というのは国家がその担い手なわけですけれども、グローバリゼーションというのは、その国家の力がある意味では弱まって、グローバル企業というものが力を持ち始めて、それと比例して、もしも分配の仕方も割合として貢献原則にウエートが強まっていくとすると、そういった能力主義あるいは優生思想というものがはびこる、それがひいては障害者の尊厳を傷つけるというようなことが今起きているんではないかなというふうには観測しています。
日本に関して、格差のきっかけ、これは全くちょっと私も素人なので分からないんですが、私の周辺では発達障害という概念が、急に人数が増えた時期というのがおおよそバブル崩壊以降なんですよね。その発達障害と呼ばれてラベリングを貼られてやってくる、当事者研究の場にやってくる方の多くはかつては健常とされていた人で、恐らくメンバーシップ型の雇用の中で包摂されていた人なんだと思うんですね。そういった人々が今急速に社会から排除されて、そして、その排除の理由を個人化するための概念として発達障害というものが非常に活用されているというふうな印象がございます。
その背景に何があるのか、もちろん私、門外漢ではありますが、私の周辺でも観測される事実としてはそういった現象が起きているなというふうな感触を持っています。
藤
藤田孝典#13
○参考人(藤田孝典君) 私の方からは、駒村先生とほぼ同意見ですけれども、国際競争をするということでいえば、やっぱり企業が生き残り策をあらゆる手を取っていく、取っていかざるを得ないという非常に企業にとっては厳しい時代を迎えているんじゃないかというふうに思います。
その企業が、もうこれ禁断とも言えますけれども、手を付けてきたのが人件費、福利厚生費だと私は思っておりますので、なので、いわゆる弱肉強食というんですか、なるべく強くありたい、生き残りたいということを考えれば、そのためにどういう手段を取れば企業体が生き残るのかということを考えたときの手だてだったんじゃないかということで、多くの労働者が低賃金の中に埋没し、一部の企業であれば正社員とかエリートの人たちだけはうまく以前の終身雇用、賃金形態の中に残されていて、なので、格差が非常に広がっていきつつあるかなという、そういった状況かと思っております。
なので、大企業の正社員であっても非常に厳しいし、長時間労働で苦しいし、中小零細も厳しいし、非正規雇用の人たちはなかなか暮らしが成り立たないというんですか、なので、どの労働者の人たちも厳しいという状況にありますので、これ、それぞれの階層で厳しさを解消するための、先ほど社会保障がなかったということがやはり大きな要因だと思いますので、なので、この社会保障を企業に全部委ねてきたと言っていいと思うんですね。なので、この社会保障を、じゃ企業がやらなくなったら、労働者を守らなくなったら誰がするのかということは次の日本を見据える上で重要な視点かというふうには思っております。
この発言だけを見る →その企業が、もうこれ禁断とも言えますけれども、手を付けてきたのが人件費、福利厚生費だと私は思っておりますので、なので、いわゆる弱肉強食というんですか、なるべく強くありたい、生き残りたいということを考えれば、そのためにどういう手段を取れば企業体が生き残るのかということを考えたときの手だてだったんじゃないかということで、多くの労働者が低賃金の中に埋没し、一部の企業であれば正社員とかエリートの人たちだけはうまく以前の終身雇用、賃金形態の中に残されていて、なので、格差が非常に広がっていきつつあるかなという、そういった状況かと思っております。
なので、大企業の正社員であっても非常に厳しいし、長時間労働で苦しいし、中小零細も厳しいし、非正規雇用の人たちはなかなか暮らしが成り立たないというんですか、なので、どの労働者の人たちも厳しいという状況にありますので、これ、それぞれの階層で厳しさを解消するための、先ほど社会保障がなかったということがやはり大きな要因だと思いますので、なので、この社会保障を企業に全部委ねてきたと言っていいと思うんですね。なので、この社会保障を、じゃ企業がやらなくなったら、労働者を守らなくなったら誰がするのかということは次の日本を見据える上で重要な視点かというふうには思っております。
自
自見はなこ#14
○自見はなこ君 それぞれの先生からのお立場の御発言、本当にありがとうございました。熊谷参考人には、貢献原則と必要原則の再分配の話まで及んでいただきまして本当に感謝をしております。
残された時間が僅かでございますので、最後コメントにして締めたいと思います。
私は、この格差社会というものを何とか日本が乗り切っていかなければいけないと思っておりますし、そのための社会の制度づくりというものに対して一議員としてしっかり頑張っていきたいと思っております。
今、私は医療の分野が専門でありますけれども、医療の世界では地域包括ケアというものが今進められております。これに恐らく一番大事になってくるのは、いろんな制度の構築と同時に、その地域の力そのもの、人と人との結び付きそのものが大変大きな意味を見出してくると思っております。失われた二十年は恐らくは分断の歴史であったのかなと思いますけれども、私は、これからは連帯の、人と人が改めてつながり合う時代になっていけたらいいな、そのためのお手伝いを立法府の一員として働けたらいいなという思いで本日は先生方三人のそれぞれの御意見を拝聴させていただきました。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →残された時間が僅かでございますので、最後コメントにして締めたいと思います。
私は、この格差社会というものを何とか日本が乗り切っていかなければいけないと思っておりますし、そのための社会の制度づくりというものに対して一議員としてしっかり頑張っていきたいと思っております。
今、私は医療の分野が専門でありますけれども、医療の世界では地域包括ケアというものが今進められております。これに恐らく一番大事になってくるのは、いろんな制度の構築と同時に、その地域の力そのもの、人と人との結び付きそのものが大変大きな意味を見出してくると思っております。失われた二十年は恐らくは分断の歴史であったのかなと思いますけれども、私は、これからは連帯の、人と人が改めてつながり合う時代になっていけたらいいな、そのためのお手伝いを立法府の一員として働けたらいいなという思いで本日は先生方三人のそれぞれの御意見を拝聴させていただきました。
ありがとうございました。
川
平
平山佐知子#16
○平山佐知子君 参議院議員の平山佐知子と申します。
今日は、本当に三人の先生方の貴重な現場に即したお話、また御提案等も藤田先生からもいただきました。本当に貴重なお話をありがとうございます。
中でも年金について様々お話がありましたけれども、まずは駒村先生に伺いたいと思います。
私は団塊ジュニア世代でございまして、以前の職は、いわゆる正社員ではなくてフリーランスで仕事をしておりました。大変長年不安定な状況が続いて、体力的にも精神的にも、僅かかもしれませんけれども、大変な状況を経験をいたしました。そんな中、国民年金を払い続けるというのは大変しんどくて、頑張って働いて、そして頑張って納付して、しかも四十年真面目に納めても、満額で六十五歳になって受け取れる額というのは今でいうと六万五千円ということで、大変厳しい。そして、しかも先生のお話にもありましたけれども、著書にもありましたけれども、マクロ経済スライドが二〇一四年検証では基礎年金部分のみを大きく引き下げることが、対賃金ということですけれども、明らかになったとあります。
非正規労働者が今こうして増えている状況で、また、世帯も高齢者の単独世帯が増えるなど世帯構造が変わってきている現状を見ても、かつて自営業者を中心に考えられてきた第一号の基礎年金、この部分がこのままでいいのかどうか、この仕組みからもう見直す必要があるんじゃないかというふうに私も疑問に思うところもあるんですが、まずその辺りを先生のお考えを聞かせていただきたいと思います。
この発言だけを見る →今日は、本当に三人の先生方の貴重な現場に即したお話、また御提案等も藤田先生からもいただきました。本当に貴重なお話をありがとうございます。
中でも年金について様々お話がありましたけれども、まずは駒村先生に伺いたいと思います。
私は団塊ジュニア世代でございまして、以前の職は、いわゆる正社員ではなくてフリーランスで仕事をしておりました。大変長年不安定な状況が続いて、体力的にも精神的にも、僅かかもしれませんけれども、大変な状況を経験をいたしました。そんな中、国民年金を払い続けるというのは大変しんどくて、頑張って働いて、そして頑張って納付して、しかも四十年真面目に納めても、満額で六十五歳になって受け取れる額というのは今でいうと六万五千円ということで、大変厳しい。そして、しかも先生のお話にもありましたけれども、著書にもありましたけれども、マクロ経済スライドが二〇一四年検証では基礎年金部分のみを大きく引き下げることが、対賃金ということですけれども、明らかになったとあります。
非正規労働者が今こうして増えている状況で、また、世帯も高齢者の単独世帯が増えるなど世帯構造が変わってきている現状を見ても、かつて自営業者を中心に考えられてきた第一号の基礎年金、この部分がこのままでいいのかどうか、この仕組みからもう見直す必要があるんじゃないかというふうに私も疑問に思うところもあるんですが、まずその辺りを先生のお考えを聞かせていただきたいと思います。
駒
駒村康平#17
○参考人(駒村康平君) では、お答えさせていただきたいと思います。
高齢化によって、先ほど正確に申し上げたように、金額ベースよりは水準ベースで見ると、これは対賃金で見るか対物価で見るかによってその水準の落ち方は少し違うわけですけれども、貨幣価値を、経済が成長して賃金が成長したらば社会も豊かになると、その豊かさに高齢世帯が付いてこれるかという尺度で見たときに、対賃金上昇率で見たときに、徐々にですけれども、二〇四〇年ぐらいまでマクロ経済スライドは続くと想定されると、基礎年金の実質水準は三割ほど下がるという見込みになっているということです、これは正確な。
おっしゃるとおり、ただ、一九八五年あるいは一九六〇年代にできた現行制度は、やっぱり一号というのは自営業者であると、こういう想定だったわけですけど、実際起きているのは一号の大半が非正規労働者になってきていると。つまり、国民年金一号は既に自営業者年金ではなく非正規労働者、あるいは不安定労働者、零細企業者の労働者が入る年金になってきているということは構造変化として捉えなければいけないだろうと思います。
〔会長退席、理事風間直樹君着席〕
したがって、対応すべきものは、まず現行制度の中でやるべきものは、徹底的な非正規労働者に対する厚生年金の適用拡大を行うと、このことによってほとんどの、国民年金の一号の四割、五割ぐらいはもう適用拡大することによって厚生年金に吸収されますので、厚生年金は所得比例で保険料払いますから、少ない保険料でも二階はもらえますので、場合によっては三号も付いてきますので、非常にメリットがあると思います。もちろん、企業側としては反対したいとは思いますけれども、私は、まずやるべきことは非正規労働者に対する厚生年金、同時に健康保険の適用拡大、これを徹底的に進めるというのがまずやるべき政策だと思います。
以上です。
この発言だけを見る →高齢化によって、先ほど正確に申し上げたように、金額ベースよりは水準ベースで見ると、これは対賃金で見るか対物価で見るかによってその水準の落ち方は少し違うわけですけれども、貨幣価値を、経済が成長して賃金が成長したらば社会も豊かになると、その豊かさに高齢世帯が付いてこれるかという尺度で見たときに、対賃金上昇率で見たときに、徐々にですけれども、二〇四〇年ぐらいまでマクロ経済スライドは続くと想定されると、基礎年金の実質水準は三割ほど下がるという見込みになっているということです、これは正確な。
おっしゃるとおり、ただ、一九八五年あるいは一九六〇年代にできた現行制度は、やっぱり一号というのは自営業者であると、こういう想定だったわけですけど、実際起きているのは一号の大半が非正規労働者になってきていると。つまり、国民年金一号は既に自営業者年金ではなく非正規労働者、あるいは不安定労働者、零細企業者の労働者が入る年金になってきているということは構造変化として捉えなければいけないだろうと思います。
〔会長退席、理事風間直樹君着席〕
したがって、対応すべきものは、まず現行制度の中でやるべきものは、徹底的な非正規労働者に対する厚生年金の適用拡大を行うと、このことによってほとんどの、国民年金の一号の四割、五割ぐらいはもう適用拡大することによって厚生年金に吸収されますので、厚生年金は所得比例で保険料払いますから、少ない保険料でも二階はもらえますので、場合によっては三号も付いてきますので、非常にメリットがあると思います。もちろん、企業側としては反対したいとは思いますけれども、私は、まずやるべきことは非正規労働者に対する厚生年金、同時に健康保険の適用拡大、これを徹底的に進めるというのがまずやるべき政策だと思います。
以上です。
平
平山佐知子#18
○平山佐知子君 ありがとうございます。
そうすると、本当に、単独世帯だとなかなかそこら辺の救済、まあ再分配なのか、様々また議論が必要なのかなというふうに考えますが、まずはその四割から五割は助かるということで厚生年金への移行ということ、大変参考になります。ありがとうございました。
また、藤田先生にもお伺いしたいんですけれども、先ほど、一人親世帯、大変厳しい状況があるというふうにお伺いしました。私も、地元が静岡県なんですけれども、静岡県の母子寡婦福祉連合会という一人親の方々が入っている団体があるんですが、その方々に聞き取りをしたところ、やはり大変厳しいと、ダブルワーク、トリプルワークをしても子供さんの給食費もなかなか支払うのが大変だというお話を聞いたりしております。
藤田さんの著書の中でも、若者たちの中でも生活保護受給者予備軍は相当分厚い層を形成しているというふうに書かれているところがありました。ただ、本当に厳しい方を救済するこの生活保護ですけれども、一方で、受給しても例えばギャンブルに使ってしまうとか、生活保護ビジネスという言葉も私聞いたことがあるんですけれども、そういうものがあるのも現状かなと見受けられます。その辺り、本当に困っている人を救済するものである一方でそういう方々もいらっしゃるという現状を、もし知っているところがあれば聞かせていただきたいなと思います。
この発言だけを見る →そうすると、本当に、単独世帯だとなかなかそこら辺の救済、まあ再分配なのか、様々また議論が必要なのかなというふうに考えますが、まずはその四割から五割は助かるということで厚生年金への移行ということ、大変参考になります。ありがとうございました。
また、藤田先生にもお伺いしたいんですけれども、先ほど、一人親世帯、大変厳しい状況があるというふうにお伺いしました。私も、地元が静岡県なんですけれども、静岡県の母子寡婦福祉連合会という一人親の方々が入っている団体があるんですが、その方々に聞き取りをしたところ、やはり大変厳しいと、ダブルワーク、トリプルワークをしても子供さんの給食費もなかなか支払うのが大変だというお話を聞いたりしております。
藤田さんの著書の中でも、若者たちの中でも生活保護受給者予備軍は相当分厚い層を形成しているというふうに書かれているところがありました。ただ、本当に厳しい方を救済するこの生活保護ですけれども、一方で、受給しても例えばギャンブルに使ってしまうとか、生活保護ビジネスという言葉も私聞いたことがあるんですけれども、そういうものがあるのも現状かなと見受けられます。その辺り、本当に困っている人を救済するものである一方でそういう方々もいらっしゃるという現状を、もし知っているところがあれば聞かせていただきたいなと思います。
風
藤
藤田孝典#20
○参考人(藤田孝典君) ありがとうございます。
私、現場で何をしているかというと、ソーシャルワーカーとしてそういった生活に困窮されている方と向き合っておりますので、先ほどの様々な方たちを生活保護制度に結び付けたりとか支援の救済制度に結び付けるということを行っています。
その中で、例えばギャンブル依存症であるとかアルコール依存症であるとか、熊谷さんの領域も含みますけれども、そういう依存症に罹患しているという方たちが非常に多く見られていて、これに対するケアとか支援体制であるとか、本人が望む、当事者からの、支援を受けられるような体制になっていないという状況もあって、実際にはもう小さな政府としてケースワーカーが一人当たり持つ人員数というのも非常に多いという状況がありますから、なので、一人当たり相当過重な負担が出てきているというんですかね。以前であれば、ちゃんと依存症を治療に結び付けたり、安心してそれこそ依存ができる関係性をケースワーカーさんと結んだりだとか、そういったことができていた福祉職が急速に今減ってきていますので、この辺りの、だから、ケアをする、人々をケアする、困っている人たちをケアするという仕組み自体が人員削減とともに随分弱くなってきているんじゃないかというふうに思っています。
〔理事風間直樹君退席、会長着席〕
ですので、地域福祉という言葉で、最近、地域に何でも委ねていこう、財源がないので公務員を減らして福祉的な機能を地域に委ねていこうということが強い傾向があるんですが、できれば公、公務員の人たちがちゃんと福祉事務所内で働きやすく人々をケアできる仕組みを整備していっていただけると有り難いなというふうには思っております。
この発言だけを見る →私、現場で何をしているかというと、ソーシャルワーカーとしてそういった生活に困窮されている方と向き合っておりますので、先ほどの様々な方たちを生活保護制度に結び付けたりとか支援の救済制度に結び付けるということを行っています。
その中で、例えばギャンブル依存症であるとかアルコール依存症であるとか、熊谷さんの領域も含みますけれども、そういう依存症に罹患しているという方たちが非常に多く見られていて、これに対するケアとか支援体制であるとか、本人が望む、当事者からの、支援を受けられるような体制になっていないという状況もあって、実際にはもう小さな政府としてケースワーカーが一人当たり持つ人員数というのも非常に多いという状況がありますから、なので、一人当たり相当過重な負担が出てきているというんですかね。以前であれば、ちゃんと依存症を治療に結び付けたり、安心してそれこそ依存ができる関係性をケースワーカーさんと結んだりだとか、そういったことができていた福祉職が急速に今減ってきていますので、この辺りの、だから、ケアをする、人々をケアする、困っている人たちをケアするという仕組み自体が人員削減とともに随分弱くなってきているんじゃないかというふうに思っています。
〔理事風間直樹君退席、会長着席〕
ですので、地域福祉という言葉で、最近、地域に何でも委ねていこう、財源がないので公務員を減らして福祉的な機能を地域に委ねていこうということが強い傾向があるんですが、できれば公、公務員の人たちがちゃんと福祉事務所内で働きやすく人々をケアできる仕組みを整備していっていただけると有り難いなというふうには思っております。
平
平山佐知子#21
○平山佐知子君 ありがとうございます。
では、もう一つ、熊谷先生にもお話を伺いたいんですけれども、私もやはり地元の障害者のお子さんを持つ親御さんたちのNPO法人の方にもこの前お話を伺ったんですけれども、様々意見交換をさせてもらう中で、どうしてもやはり障害者の方々の生涯の選択の余地がすごく狭まっている気がするというお母さん方の御意見がたくさんありました。
様々支援をしてもらっていることを踏まえて、もちろんぜいたくは言えないというふうなことはそれぞれおっしゃっていたんですけれども、そんな中で、例えば放課後デイとか、十八歳までの様々支援をしてくださる国の予算も入った施設はたくさんあるんですけれども、十九歳になってしまうと、じゃ例えばショートステイでどうですかというふうに言われると。そうすると、十九歳の若者でも高齢者の方々と一緒の施設になってしまうと、もうただそこにいるだけ、何もしないような状況、そのような世界があるだけだということになってしまって、それで本当にいいのかどうかということを疑問に感じていらっしゃるお母さん方がたくさんいらっしゃるように感じました。
日本でいうと、私もちょっと勉強不足のところもあるかもしれないんですけれども、十八歳までの様々な支援が手厚くある一方で、十九歳以降の長い生涯の中でどういうプランを考えていけばいいのかすごく迷っていらっしゃる方が多かったので、その辺りのことで、もし、どういうプランがあるとか、具体的に何かあれば教えていただきたいと思います。
この発言だけを見る →では、もう一つ、熊谷先生にもお話を伺いたいんですけれども、私もやはり地元の障害者のお子さんを持つ親御さんたちのNPO法人の方にもこの前お話を伺ったんですけれども、様々意見交換をさせてもらう中で、どうしてもやはり障害者の方々の生涯の選択の余地がすごく狭まっている気がするというお母さん方の御意見がたくさんありました。
様々支援をしてもらっていることを踏まえて、もちろんぜいたくは言えないというふうなことはそれぞれおっしゃっていたんですけれども、そんな中で、例えば放課後デイとか、十八歳までの様々支援をしてくださる国の予算も入った施設はたくさんあるんですけれども、十九歳になってしまうと、じゃ例えばショートステイでどうですかというふうに言われると。そうすると、十九歳の若者でも高齢者の方々と一緒の施設になってしまうと、もうただそこにいるだけ、何もしないような状況、そのような世界があるだけだということになってしまって、それで本当にいいのかどうかということを疑問に感じていらっしゃるお母さん方がたくさんいらっしゃるように感じました。
日本でいうと、私もちょっと勉強不足のところもあるかもしれないんですけれども、十八歳までの様々な支援が手厚くある一方で、十九歳以降の長い生涯の中でどういうプランを考えていけばいいのかすごく迷っていらっしゃる方が多かったので、その辺りのことで、もし、どういうプランがあるとか、具体的に何かあれば教えていただきたいと思います。
熊
熊谷晋一郎#22
○参考人(熊谷晋一郎君) ありがとうございます。
これは日本に限らずアメリカの支援者にも聞いた言葉ですけど、ブラッディーナインティーンという言葉があって、血みどろの十九歳ですね。これは、障害を持った子供が十九歳になったときに、親たちが行き場を失う現象を指して親の会でよく使われる言葉です。日本でも全く同じそのブラッディーナインティーン問題というのは起きていると思います。
その最も重要な背景というのは、じゃ本当に十八歳までの支援というのは共生社会にかなうものだったのかどうかというところだと思うんですね。手厚い囲い込みであるケースというのは結構多くて、地域の中で例えば同年代の子供たちとどれぐらい一緒に過ごすことができたのか、素人に支えられる機会を十八歳までにどれぐらい得てきたのか。とかく、先ほども虐待を受けやすいリスクの一つとして専門的支援への囲い込みの問題というのがありましたけど、十八歳までの支援の在り方がもしもコミュニティーから排除する形で手厚さを提供しているものだったとすると、非常に十九歳以降の適応状態に大きな影響が出るということが、それこそエビデンスがあるんですね。
ですから、十八歳までの支援は手厚いという前提で論じるのではなくて、もしかすると十九歳以降を見越していない手厚さですね。地域の中で、私なんかは、専門職というのはもっと黒子のようになって、地域社会の中で共生できるような人間関係を支援するような、ちょっと縁の下の力持ち的なサポートが必要だと思うんですけれども、本当にそういうふうになっているのかというとちょっと心もとないところがやはり、私も小児科で外来でそういった相談非常に多いので、十九歳以降どうしましょうというふうな。思うと、やっぱり十八歳までの暮らしぶりというものが非常に大きく影響を及ぼしているな、そこで資源を開拓してこなかったことというのが、これは別に本人のせいではないんですけど、社会の支援の仕方が、必ずしも手厚さと共生社会というのが一致はしないというところは意識しておく必要があるのかなと思っています。
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その最も重要な背景というのは、じゃ本当に十八歳までの支援というのは共生社会にかなうものだったのかどうかというところだと思うんですね。手厚い囲い込みであるケースというのは結構多くて、地域の中で例えば同年代の子供たちとどれぐらい一緒に過ごすことができたのか、素人に支えられる機会を十八歳までにどれぐらい得てきたのか。とかく、先ほども虐待を受けやすいリスクの一つとして専門的支援への囲い込みの問題というのがありましたけど、十八歳までの支援の在り方がもしもコミュニティーから排除する形で手厚さを提供しているものだったとすると、非常に十九歳以降の適応状態に大きな影響が出るということが、それこそエビデンスがあるんですね。
ですから、十八歳までの支援は手厚いという前提で論じるのではなくて、もしかすると十九歳以降を見越していない手厚さですね。地域の中で、私なんかは、専門職というのはもっと黒子のようになって、地域社会の中で共生できるような人間関係を支援するような、ちょっと縁の下の力持ち的なサポートが必要だと思うんですけれども、本当にそういうふうになっているのかというとちょっと心もとないところがやはり、私も小児科で外来でそういった相談非常に多いので、十九歳以降どうしましょうというふうな。思うと、やっぱり十八歳までの暮らしぶりというものが非常に大きく影響を及ぼしているな、そこで資源を開拓してこなかったことというのが、これは別に本人のせいではないんですけど、社会の支援の仕方が、必ずしも手厚さと共生社会というのが一致はしないというところは意識しておく必要があるのかなと思っています。
平
平山佐知子#23
○平山佐知子君 ありがとうございます。
そうすると、やはり周りも、地域も含めて、御家族もそうですけれども、十八歳、放課後デイでいろんなカリキュラムがあるから、じゃ、そこに入ってもらってというふうに安易に考えるのではなくて、それぞれに見合った生活の仕方というか……
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熊
川
平
熊
熊谷晋一郎#27
○参考人(熊谷晋一郎君) 済みません。ごめんなさい。
そうですね、見合ったというよりは、ある種、混ぜこぜというんでしょうかね。今、小学校で例えば特別支援学級に行くのかそれとも普通学級に行くのかというのが、もしかすると以前よりもよりきめ細やかにするために排除するというんでしょうかね、そういうふうなレトリックが若干目立つ感じがしているんですね。
そうすると、十八歳までの育ちは専門的支援によってあたかもバックアップされているように見えるんだけれど、十九歳から地域の中にぽんと出たときに全然つながりがないというふうな状況になりがちで、そこら辺を、本人に合わせたとかカスタマイズしたきめ細やかなというレトリックがもしかしたら社会からの分離の方に働いていないかというのは、ちょっとチェックする必要があるかもしれません。
この発言だけを見る →そうですね、見合ったというよりは、ある種、混ぜこぜというんでしょうかね。今、小学校で例えば特別支援学級に行くのかそれとも普通学級に行くのかというのが、もしかすると以前よりもよりきめ細やかにするために排除するというんでしょうかね、そういうふうなレトリックが若干目立つ感じがしているんですね。
そうすると、十八歳までの育ちは専門的支援によってあたかもバックアップされているように見えるんだけれど、十九歳から地域の中にぽんと出たときに全然つながりがないというふうな状況になりがちで、そこら辺を、本人に合わせたとかカスタマイズしたきめ細やかなというレトリックがもしかしたら社会からの分離の方に働いていないかというのは、ちょっとチェックする必要があるかもしれません。
平
平山佐知子#28
○平山佐知子君 ありがとうございます。
貴重なまた現場の声を様々私も聞いて、また何かあれば御相談をさせていただきたいと思います。
ありがとうございました。
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この発言だけを見る →貴重なまた現場の声を様々私も聞いて、また何かあれば御相談をさせていただきたいと思います。
ありがとうございました。
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川
川田龍平#29
○会長(川田龍平君) この際、委員の異動について御報告いたします。
本日、朝日健太郎君が委員を辞任され、その補欠として徳茂雅之君が選任されました。
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この発言だけを見る →本日、朝日健太郎君が委員を辞任され、その補欠として徳茂雅之君が選任されました。
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