熊谷晋一郎の発言 (国民生活・経済に関する調査会)

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○参考人(熊谷晋一郎君) ありがとうございます。
 グローバリゼーションとの関連で述べたときに、例えば人的資本、ヒューマンキャピタルをどういうふうに高めるかというふうな話をしたときに、OECDなんかが、かつてのような能力基準ではなくて、もっとコミュニケーション、異質な他者とコミュニケーションできる力であるとか、あるいは自分の価値観や感情を少し切り離して相対化する力であるとか、いわゆるちょっと物差しでは測りづらい非認知能力というんでしょうか、そういうものが実は年収と関係していたりですとか、そういうふうな研究は今盛んになされています。そういうふうなエビデンスが蓄積されているときに、教育の中でどういうふうな人的資源の開発というんでしょうか、国連のいう意味でのディベロップメントを考えるのかというのをちょっと冷静に議論しなければいけないと思うんですね。
 例えば、分離教育が進んだら、果たしてそこで得られる経験というのはグローバル化した社会に適応的なんだろうかというと、そうでもない気がいたします。異質な他者と自分をこらえながら助け合っていくような力というのは恐らく必要とされていると思うんですよね。そういう意味で、本当に今のような分離してきめ細やかにゾーニングして発達保障をするというような考え方で果たしていろんな角度から見たときにいいんだろうかということをちょっと思います。
 例えば、イギリスなんかで取り組まれている教育方法で、インクルーシブ教育の例として友達媒介サポート法という方法がありまして、それは、クラスの中でちょっとリーダー格のメンバーを一人選んで、あなたに今日から重度の障害を持っているクラスメートのサポートをお願いしますというふうなサポート法なんですよね。それの研究結果が出ていて、実はサポートする側の子供の成績が伸びたという結果が報告されているんですね。それはPTAからの批判に先行して応えるための研究なんですけれど、日本なんかだとすぐに、うちの子をそういう友達媒介サポートに動員するなんて、うちの子の成績が落ちたらどうするんだというふうに言われかねないと思うんですが、そういうことを先に芽を摘むためにそういった論文が出ていたりします。
 そういう意味で、共存しながら、インクルーシブな環境で教育を行うということの本当の意味というものを少し学術的にも研究する余地がありますし、本当に今の方向でいいのかというと、私はちょっと疑問ですね。

発言情報

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発言者: 熊谷晋一郎

speaker_id: 29495

日付: 2017-02-15

院: 参議院

会議名: 国民生活・経済に関する調査会