上月良祐の発言 (内閣委員会)
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○上月良祐君 自由民主党、茨城県の上月良祐でございます。
山本大臣始め皆様には、大変お疲れさまでございますが、真摯な御答弁をよろしくお願いをいたしたいと思います。
平成十四年から始まった構造改革特区、あじさい、もみじと言われておりましたが、初夏と秋に提案を年に二回ずっと受け付け続けてきて、今やもう千三百近い特区の計画が認定されておるわけです。平成二十三年からは、これは民主党政権でございましたが、総合特区の制度があり、国際戦略総合特区で七つあり、そして地域の方は数十あるわけであります。平成二十五年からそれらの経緯も踏まえて国家戦略特区というふうなものがつくられて十区域認定をされて、それぞれに違った形の制度が今併存しながら進んでいるという状況であります。
私は、それぞれの特区に違った立場からこれまで関わってまいりまして、制度の進化というのか、変遷というのか、そういう様子を見させていただいてまいりました。
役人時代に、小泉官邸にいた役人として、ちょうど構造改革特区の創設のときに関わらせていただきました。鴻池大臣が御担当ということでありましたので、参議院の先生が御担当ということで、私は、今、野上先生がいらっしゃるところの秘書官をやっておりましたので、まさに参議院の副長官の下で、参議院の大臣が関わられていた構造改革特区に秘書官として関わらせていただいた。もっと言えば、そこに来るまでの間、役所の中で何年も掛けて制度創設をめぐる議論があったわけです。まあ、せめぎ合いと言っていいのかもしれません。そういったものがたくさんありました。そういったものに関わらせていただいておりました。絶対できないと言われていた制度でありましたけれども、小泉内閣のときに、百八十度というか、三百六十度というか、転回して、ドラマのようにできたものであります。
国際戦略総合特区のときは、これは先ほど申し上げましたように民主党政権でありましたが、地方の自治体に出ておりました。言わば責任者、副知事でありましたが、として指定を受ける側から大変厳しい政権のヒアリングを何度も経験をさせていただいて、学者さんのヒアリングも責任者として説明をし、政治家によるヒアリングも責任者として私が対応させていただいて、大塚耕平先生だったと思いますが大変厳しく御指摘をいただいて、しかし何とかかんとか最後つくばを認めていただいて、地域の方から推進する側として関わらせていただいたわけであります。
そして、国家戦略特区については、まさにこの内閣委員会の委員として関わらせていただいて、以来、特区の質問については、もうこの内閣委員にならせていただいてから基本的に全て、たしか全部やらせていただいてきたと思っております。
これら特区は、先ほど大臣からお話が、国家特区についてお話がありましたけれども、それぞれに大変重要な役割を果たしてきたんだと思っております。また、それぞれに違う役割も持っているんだと思っております。この特区が平成十四年の頃もし端緒が開けていなかったら、日本の社会というのはもっと大きく、何というんでしょうか、まあ変わっていなかったというのかな、進展していなかったであろうと思います。日本の中でどこかの地域だけ規制のありようが違うというのは憲法の問題にもなるんじゃないかとまで言われていた問題だったわけですが、しかし、やってみれば、チャレンジしてみれば、大変意味のある制度としてある意味定着をしてきているんだと思います。
これらの様々な特区の制度がこれまでどんな役割を果たしてきて、どんな取組をしてこられたのか、その辺りについてどんなふうに評価されているか、これは佐々木局長で結構でございますので、ちょっとお答えをいただきたいと思います。