斉藤文代の発言 (北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会)
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○参考人(斉藤文代君) この度は、参議院の拉致問題に関する特別委員会の参考人質疑に出席させていただき、心より感謝申し上げます。
北朝鮮による拉致被害者救出に取り組む家族会、救う会は、本年二月に会議を開き、政府に、拉致問題を最優先とし、今年中に全ての被害者を救出することを求めるという運動方針を決めました。しかし、残念ながらその願いはかないそうにありません。毎年同じ言葉になるのですが、私は体の続く限り拉致問題を訴えていきたいと思いますので、来年こそは政府も被害者を救出してほしいと思います。
また、今月十日、熊本県立大学で行われた平成二十九年度北朝鮮拉致問題解決に向けた講演会において、私は被害者家族の声を訴えました。その話の中で、十一月六日、トランプ大統領と拉致被害者家族が面会したときのことをお話しさせていただきました。とても良い温かい話ができたと思います。トランプ氏は、家族の方々から悲しいお話をたくさん聞いた、拉致された被害者が愛する人々の元に戻ることができるよう安倍総理と力を合わせていきたいと述べられました。
その熊本での講演会でも紹介していただきましたもう一つの本を、お手元にあると思うんです、資料ですね、「とりもどしたい家族の絆」を参議院の皆様にも目を通していただきたく、お手元に準備させていただきました。四枚の冊子ですが、私が皆様にお話ししていた本を、熊本県知事、熊本県議員、ボランティアの方々などたくさんの方の協力で形にしていただき、皆様に見ていただくことができました。深く感謝しています。
一ページ目の「薫は家族のたからもの」をちょっと読ませていただきます。
昭和二十八年六月十三日、薫は私たちの五番目のきょうだいとして生を受けました。女ばかりのきょうだいの中で、薫は父からも母からも良いところばかりもらったのか、おとなしく、よく言い付けも守る子供でした。私の両親は共働きでしたので、私たちは少しでも母の手伝いをしようと思い、一緒に青果市場にお掃除に行きました。おじいちゃん、お掃除させてください。いいよ。掃除が終わると、たくさんの大根やひびの入ったスイカというような野菜をいただきました。私たちはそれを持ち帰って、家でしちりんをおこしながら両親の帰りを待ちました。夕食は、どんなに遅くなっても父の帰りを待って食べていました。時には十時を過ぎることもありましたが、母が、お父さんはお仕事で働いているのだから待ちましょうねと言って、みんなで待ちました。私たちきょうだいは父の膝に座るのが大好きで、先を争って座っていましたが、最後はいつも薫でした。父は、末っ子の薫がかわいくて仕方がないという感じでだっこしていました。
時間の都合上、ここまでしか読むことはできませんが、拉致はむごいです。薫がいなくなって、父は早く亡くなり、母は数年前に九十二歳で亡くなりました。薫は必ず帰ってくるからと励まし続けましたが、母は息を引き取るまで涙を流していました。残念でした。そのとき、私はこのような別れだけはしたくないと涙がぼろぼろと止まりませんでした。それ以来、薫を助けるまで泣くものかと自分に言い聞かせ、薫を助けるまでは私を生かしてくださいと毎日神様に祈っています。
お願いです、どうか拉致家族が再会できますよう皆様方のお力をお貸しください。参考人としての証言です。
ありがとうございました。