長谷川一男の発言 (厚生労働委員会)
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○長谷川参考人 長谷川と申します。このような機会をいただき、ありがとうございます。よろしくお願いします。
私は、日本に十一ある肺がんの患者会の連合体、日本肺がん患者連絡会の代表であり、当事者、肺がんの患者でもあります。喫煙歴はありません。受動喫煙によって病気になったのではないかと思っている人間です。
命に限りがあると告げられると、いろいろなものがそぎ落とされ、自分にとって大切なものだけが残っていきます。今回の健康増進法の改正は、私にとってその大切なものの一つです。受動喫煙に苦しむ人を減らす法律だからです。今回はそんな肺がん患者の立場から申し上げます。
まず明確にしておきたいのは、今回の政府案に私は強く反対いたします。
塩崎前厚労大臣の案において、受動喫煙をなくす、国民の健康と命を守るという姿勢が明確に示されていたと思いますが、現政府案はその姿勢が大幅に後退していると考えています。
その象徴とでもいうべき具体的な項目を挙げます。
政府案では、子供たちのいる学校でたばこを吸うことを認めています。塩崎前大臣の案では禁煙でした。一切吸えません。ところが、今回の政府案では、吸ってもよいに変わったのです。
がんは生涯のうち二人に一人は患うと言われ、国民にとって最も大きな健康課題であり、その基礎的な教養を身につけるべきと国は言っています。数年後には学校でのがん教育も全面実施になります。そこでは、命の大切さを感じること、がんを正しく理解し、予防や早期発見へとつなげることを目標としています。
言うまでもないことですが、最大のがん予防は喫煙しないことです。それだけでなく、たばこには他人を傷つけることもあること、受動喫煙も生徒たちは学びます。そうした中で、学校で喫煙場所を設けることを法律は認めようとしています。言っていることとやっていることが異なる、大人として絶対にやってはならないことを認めようとしていると私は感じています。
もう一度言います。自分を大切にしてほかの人も大切にする、そう教える学校で、自分を大切にせず他人を傷つけるたばこを吸えるようにする法律が進められようとしています。これはおかしいです。
一体なぜこんなことが起こるんでしょうか。受動喫煙を原因とする死亡者は年間一万五千人です。もしかしたら、この死んでいった人たちの思いが伝わっていないのかもしれない、私はそう考えました。ならば、この機会にお伝えしたいと思います。受動喫煙によってどのような苦しみを味わうのか、私自身の体験をお話ししたいと思います。
私が罹患したのは八年前です。せきが突然出始めて病院に駆け込んだところ、肺がんとわかりました。進行度を示すステージは、最も進んだ4です。五年後生存率は五%ほどでした。私には喫煙歴がありません。なぜ肺がんなのか、そんな思いが自然と湧き上がりました。
振り返ってみると、発症前に受動喫煙を多く経験していました。私が受動喫煙したのは、まず、親からです。父親は一日二箱吸うヘビースモーカーでした。家の台所に換気扇というのがあると思うんですけれども、私の家にはリビングに換気扇がついていました。母親が煙を嫌ってつけたんです。本を開くとたばこの灰が舞って、畳のところには、焦げた、たばこを押しつけた跡がある、そういう家で育ちました。
その父親は肺がんで亡くなりました。最後には、なぜこういったたばこに害があることを教えてくれないのかといって亡くなっていったことを覚えています。
大人になって働くようになると、職場においても私は受動喫煙を経験しています。私が就職したのは二十五年ほど前ですが、職場ではほとんどの方が吸っていました。
がんを患う中で、逆に、人間に備わった強さのようなものも感じるようになりました。人は、どんな苦難に遭っても、それを乗り越えようとします。
今からちょっとお見せしたいものがあるんですが、これを見ていただけますでしょうか。コルセットです。
私は病気で背骨がもろくなって、少しでも力がかかると背骨が潰れてしまって下半身不随になる、そういった危険性を持っています。それを守るためにこのコルセットをしています。きょうここに来るときも、電車でラッシュでした。そうすると恐怖を感じます。そんな生活です。
でも、だからといって嘆き悲しんでいるわけではありません。むしろ何とも思いません。病気が悪くなっていっても、できることは必ず残されている、それをやり続ければいい、そういうふうに、ある看護師さんから言われました。そして、そう思っていると、家族が支えてくれて、医療者も支えてくれて、ともに今生きています。そして、そんなふうにしていれば、いつかがんという病を誇りに変えられるのではないか、本気で思っています。受動喫煙で死んでいった一万五千人の方々も同じことを考えていたのではないでしょうか。
しかしながら、最近、こういった人間の強さみたいなものが受動喫煙の対策をおくらせる原因ではないかというふうに考えるようにもなりました。限られた命を全うしたいのであれば、原因探しは無駄です。むしろマイナス。誰かを攻撃する時間に使うなんてばかばかしいです。つまり、受動喫煙の被害の声は上がらないということになります。
患者が懸命に生きようとすればするほど受動喫煙の被害は置き去りになる、そう思うようになりました。そして、被害の声が上がらないことで、もしその重さが軽く考えられているのだとすれば、それはとてもやりきれません。年間で死んでいくのが一万五千人です。その声なき声にぜひ耳を傾けていただきたいと思います。
では、最初に戻ります。
政府案では、受動喫煙をなくそうとしています。しかし、本当になくなるのかどうかをいま一度考えていただきたいです。
学校で喫煙を認めています。飲食店では屋内禁煙をうたいながらも例外があり、五五%ほどがその例外にはまっています。法律の見直しは、経過措置のある飲食店では見直しが規定されていますけれども、どうやってやるかが全くわかりません。安全性の確立されていない加熱式たばこがなぜ規制が緩いのか等々、修正すべき若しくは附帯決議で何らかの文言をつけるポイントは幾つも出てきます。
受動喫煙をなくす、そんな法律をぜひつくっていただきたいと思います。よろしくお願いします。
これで終わります。ありがとうございました。(拍手)