高木陽介の発言 (総務委員会)
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○高木(陽)委員 事実に基づかない、まさにフェークニュースがいいのかどうか、悪いに決まっているわけですけれども。
そういった中で、もし放送法四条がなくなった場合、又は、通信と放送の融合というのがもう長年議論されてまいりまして、まさに垣根がなくなっているという、この問題はこの問題で、しっかりと議論を詰めていかなきゃいけない。これを否定するものではありません。その一方で、通信の方には、又はネット放送にはそういった規制がない。そこに合わせていいんだろうかという問題なんですね。
やはり民主主義をある意味じゃ守り抜いていくためには、その事実というもの、事実の報道というものをベースにしてやっていかなければいけないのに、その四条がなくなった場合、又は、ネット放送が今規制がないんだから、そこに合わせるという感覚でやった場合には、じゃ、どうなるか。
アメリカでフェアネスドクトリンがなくなった。それによって、それぞれ主張がありますから、保守的な論調の番組、一方でリベラルな論調の番組、それはそれでいいでしょう。それを見て満足する方もいる。それも否定しない。しかし、それによってアメリカがどうなったかというと、分断が起きたわけですね、やはり極端な論調だけが先走ってしまって。やはり、民主主義というのは多様性を認めるというところから始まるわけですから。
そうなりますと、これは自分自身が、例えば、僕は与党の議員、権力の側ですね。権力の側というのは批判の対象になるんです、そもそも。だから、批判を受けた場合に、それにむきになって反論するんではなくて、まず一旦それを受けとめて、それはどうなのか、そういう懐の深さが僕はなきゃいけない、これは野党もそうだと思うんです。政治というのは、そういう中で行われている。
そういう観点からいうと、やはりその中庸な部分、さまざまな、極端な主張も、いけないということはあってもいいんですけれども、それを多様化した中で、ちゃんと国民が知る権利を行使できる、そういう流れが必要なんではないかな、それが民主主義の本来の発展していくインフラではないかな、このようにも考えています。
そんな中で、また、規制改革会議の方にちょっと聞きたいんですが、放送に関する施策、先ほども少し申し上げました。規制改革会議というのは、産業政策として議論しているんですね、産業政策として。これは否定するものではないんですが、果たしてそれだけでいいのかどうか。
又は、放送には公益性、又は、この戦後七十年間、その前はラジオの、戦前は文化でしたけれども、そういったものの中での文化という観点、こういった視点での議論が必要ではないかと思いますが、その点どのようにお考えか、もう一度お伺いしたいと思います。