馬奈木厳太郎の発言 (文教科学委員会)
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○参考人(馬奈木厳太郎君) 私も抜本的な改正とは到底呼べないという立場です。
それは、私、先ほど申し上げたように、一つは、国の責任というものに対してこの法律は全く想定していません。事業者のみの話をしている。これが一点。
それから、賠償措置額の話は先ほど申し上げたので繰り返しませんが、恐らく、その抜本的の一つの中身について、現状の法体系、今、原賠法の枠組み、立て付けを想定しても、国の関与というところに着目すると、それは必要な援助を行うということになっています。あわせて、紛争審査会をつくってそこが国の指針を定めるということになっています。ここの問題はあると思っています。
先ほど来、ADRの片面的な和解案の受諾義務の話がなされているところですけれども、これは元々、ADRに申し立てた側の弁護団の戦略というのは、和解仲介案を受諾させて早期に救済をさせようというものでした。加えて、それを中間指針の見直しにつなげようというところもあったわけですけれども、この戦略は現状破綻しているというふうに言わざるを得ません。
その打開策として言わば受諾義務の議論が出てきたという背景があります。その受諾義務の根拠として、先ほど来出ているように、東京電力が三つの誓いというものをやっていて、和解案の尊重ということを挙げているわけですが、私に言わせれば、この東京電力の言う和解案の尊重というのは、ただし書があって、中間指針の見直しに直結しない限りにおいて和解案を尊重するというのが本音の部分ではないかというふうに想像しているところです。
そういう意味では、中間指針の見直しにつながるような和解案、例えば浪江町であったり飯舘村であったり、そういうところで受けるということは、より原発に近い、じゃ双葉、大熊はどうなるんだ、富岡はどうなるんだという話に直結する話ですから、結局、中間指針の見直しになるということになります。それは東京電力が受けない、受けられないという認識を、我々はまずそういう現実があるということを見る必要があると思います。
その上で、例えば、ほかのADRなんかでも片面的な受諾義務あるだろうというふうな議論あります、例えば金商法上のものであったり、交通事故に関して。だから、これも集団的な申立てをそもそも想定しているような制度なのかどうかというのは慎重な検討が必要だと思っています。
個人的にはですけれども、受諾義務の議論もいいんですけれども、集団的申立ての事例において、例えば幾つもの増額を含むような和解案がADRで示されたような場合とか、私たちのように訴訟で責任を認めるような判決が幾つも出ているような場合、既に東京電力については七つ判決が出ていて、そのいずれもが中間指針の額では足りないというふうな判決です。そういうふうなのが複数出されているような場合には、指針の方の見直しをしないといけなくする、紛争審査会の方が中間指針、国の指針の見直しあるいは検討をしないといけなくなる、そういったアプローチ、戦略も必要なのではないかと思います。
東京電力にのませるというのも必要ですけれども、指針そのものは、東京電力からすれば、この賠償の憲法のような扱いをしています、国の指針については。そちらそのものの見直しを迫るというような戦略もあってもいいのかなと。そういうことが少なくとも今のような法律の立て付けの中でもできることだと私は考えます。