伊藤真の発言 (文部科学委員会)
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○伊藤参考人 皆さん、おはようございます。伊藤真でございます。
私は、法曹養成に関して、多様性、開放性そして公平性、これが重要だと考えて、これまで三十八年間法曹養成に携わってまいりました。伊藤塾という塾、司法試験の受験指導校ですけれども、それを主宰しております。特に、多様な人材、他学部生や社会人、これらが法曹になれることが重要と考え、法科大学院制度ができる二十年ほど前から、他学部生、そしてまた社会人が法曹を目指せるシステムを構築してまいりました。
現在、私が主宰する伊藤塾では、社会人が約三割、他学部生が二割ほど法曹を目指して勉強しております。そして、中卒、高卒、専門学校卒業の方々も、予備試験ルートを通じて法律家になっております。合格後を考えるというコンセプトのもと、スタディツアーを実施したり、また、明日の法律家講座という講演会を毎月開催し、第一線で活躍をされている法曹、官僚、政治家の皆さんの話を聞く機会も設けております。
日本で一番長く深く法曹養成に携わっていた、現場で携わってきた、そんな人間と自負しておりますが、きょうは時間が限られておりますので、端的かつ率直に意見を述べたいと思っております。
何事にも建前と本音がございます。建前が必要なときもありますが、今回ばかりは本音で議論しなければ何も変わらないと考えております。失礼な物言いになることがあるかもしれませんが、御容赦ください。
まず、法科大学院制度、これは大学との関係でいえば、大学の生き残り策として生まれたものと認識しております。大学が司法試験予備校から学生を取り戻すことが目的だったのですが、それは失敗いたしました。
今回の政府案は、法科大学院の生き残り策であり、予備試験から法曹コースに学生を取り戻すことが目的だと認識しています。しかし、さきの失敗から何も学ばずにいるため、これも再度失敗することでありましょう。
制度、すなわち権力の力によって学生を動かそうとしても無理であります。学生はそこまで愚かではありません。どんな制度になろうと、一人一人の受験生は、自分の人生をかけて最適な道を選択いたします。それをとめることはできません。それをコントロールしようとすることは、上の立場からの思い上がりではないか、憲法価値である個人の尊重、これに反することとして許されないと考えます。もういいかげん、当事者である受験生を振り回すのはやめていただきたい、そう思います。
さて、現在の法曹養成制度、さまざまな問題を抱えていると認識しています。志願者の激減、それゆえに多様な人材を確保できず、予備試験受験生には予備試験合格後の司法試験受験という屋上屋の負担を課しております。これは社会人受験生にとっては大きな負担になっております。そして、法科大学院の研究者教員の負担も大きく、研究者養成に困難をきわめていると聞くこともあります。
その中で最大の問題は、やはり法曹志願者の激減でありましょう。ことしはとうとう司法試験受験生は五千人を切りました。十五年ほど前には五万人ほどいた受験生が十分の一に激減であります。
対策は単純。志願者激減の原因を見つけて、それを除去すればよいだけです。
では、激減の原因は何か。法科大学院であると認識します。これができてから志願者が激減いたしました。法科大学院がスタートした二〇〇四年には四万九千九百九十一人、約五万人いた出願者が翌年から減少を始めます。新司法試験が始まった二〇〇六年には新旧の司法試験合わせて三万八千人になり、以後減少し続けて今日に至っています。
よって、対策は単純明快。志願者激減の原因となっている法科大学院を除去すればいいだけであります。
ただ、言うまでもないことですが、現場で必死に努力を続けておられる教員の方々や学生を非難する意図は全くございません。制度として問題だと言っているだけであることを御理解いただきたいと思います。
確かに、法科大学院制度は一定の成果を上げた面もあると思います。しかし、志願者激減の原因をつくり、法曹の多様性確保、開放性、公平性という目的、理念において明らかに失敗したと言うべきでしょう。この点に真正面から向き合わずに法曹養成制度改革などといっても、茶番でしかないと考えます。
志願者激減を食いとめるための方策は、法曹の魅力を学生たちに伝えることとともに、誰もが法曹を目指すことができるように、法科大学院制度によってみずから狭めてしまったその間口を広げることであります。つまり、司法試験受験資格の撤廃こそが根本的な解決策と考えます。
では、法科大学院はどうするのか。その役割を広げることで、十分にその存在意義を認めることができると考えます。一言で言えば、地域の実務法務教育拠点であります。ゴールを司法試験合格に限定せずに、公務員や民間企業など、その出口を広げ、社会人、他士業の実務家向けのリカレント教育や外国人等、その間口を広げていけばよいと考えます。
ここで、法科大学院設立の趣旨の一つであるプロセスによる教育についても一言意見を述べます。ペーパーテストによる一発勝負ではなく、法科大学院、司法試験、司法修習というプロセスで法曹養成教育をするというものであります。
まず、司法試験一発勝負という弊害、これもよく言われますが、では、弊害というのであれば、その具体的な根拠を事実とともに明らかにすべきでありましょうが、説得的な論拠は何も提示されていないと考えます。法科大学院制度が始まるまでは、全ての法曹が一発勝負の司法試験、これを突破してきています。さて、とんでもない法律家ばかりというのでありましょうか。
学生が若い時期を受験勉強のために浪費したということもよく言われます。しかし、余計なお世話でしょう。自分の人生は自分で決める、憲法で保障された自己決定権であり、多様な人材が自分の意思で、年齢、学歴、受験回数など関係なく法曹を目指せる、いつでも学修したいときに自由に学び、そして挑戦できる制度のどこが不合理なのでありましょうか。
何よりも、実はこうした誰もが挑戦できる仕組みがこの国の法の支配を支えてきたと考えています。司法試験を本気で勉強し、合格しなかったものの、公務員、他士業、民間企業、NPO、NGO、家庭、国際関係、さまざまな場面で活躍している人材が多数います。かつて年間五万人ほどいた司法試験志願者のうち大多数が法曹にならなかったとしても、実はこの国の法制度を社会において支えているのであります。十分にその学びを生かして社会に貢献している。法曹三者のみがこの国の法制度を支えていると考えることは傲慢であり、司法試験不合格を人生の落後者のようにレッテル張りをすることは上から目線であり、それはやめていただきたい。また、目的を持って学んでいる時間を、合格しなかったからといって、人生の浪費と評価する価値観を私は持ち合わせていません。
さて、プロセスによる教育が重要であるとしても、それは司法試験合格後であっても可能と考えます。むしろ、それ以前は不可能ではないでしょうか。
司法試験合格前にプロセスによる教育といっても、試験と関係ないことを学修させようと強制すること自体が、不自然で無理なことです。司法試験に合格するために多額の学費と時間を使って法科大学院に入るのでありますから、試験の合格に意識が向くのは当然のことであり、よほど余裕のある者しか、試験の不安に打ちかって、試験と無関係な授業を真剣に受ける気持ちなどにはなれません。合格してからプロセス教育をすればよいだけです。合格後の司法研修所、実務におけるOJTも立派なプロセス教育、これらを充実させればよいと考えます。管轄の違う法科大学院、司法試験、司法修習の連携を放置したまま、そのしわ寄せを、受験生にプロセス教育の名のもとで負担させるべきではないと考えます。
また、本気でプロセス教育重視というのならば、法科大学院を卒業した者は全員法曹になれる、つまり、司法試験をなくせばよいわけです。事実上、法科大学院入試が司法試験の意味を持ち、法科大学院が司法研修所になるようなものでしょう。ただ、この場合には、その重い費用負担から、社会人受験生が激減することを覚悟しておかなければなりません。
ところで、一発勝負の弊害といいますが、司法試験が試験である以上、それは当然でしょう。オリンピックの選考試合と同じで、それまでに十分練習をする。つまり、勉強して合格します。そのプロセスがあってこその合格です。もちろん、運が悪くて落ちることもありましょう。それはどの世界でもあることであり、そもそも、何度でも挑戦できるのに、これを一発勝負と評価する意味がわかりません。受験生は、折れそうになる気持ちと闘いながら、必死に努力を続けています。その厳しい勉強のプロセスがあっての合格。それを一発勝負などと言うことは本当に失礼千万であり、試験の現場を知らない者のざれごとにすぎない、そう思います。
予備試験についても述べておきます。
予備試験の受験資格を制限することを検討する人がいるといいます。本気でそんなことを考えているんでしょうか。もしそうならば、それは法科大学院の存続が自己目的化してしまっており、多様性、開放性、公平性という法曹養成の理念、全くそんなものは眼中にないということでありましょう。
法科大学院はすばらしいものであるから、何とか存続させようという気持ちは理解できます。そんなにすばらしいものかどうかはひとまずおいておいたとしても、確実に言えることは、仮に予備試験の受験資格を制限などしたら、辛うじてつなぎとめている優秀な学生も、ますます法曹から離れることは間違いありません。これは愚の骨頂でありましょう。法曹養成制度は壊滅的な打撃を受けると考えます。それが現場の私の感覚です。法科大学院在学中に予備試験を受験できないように制限をした場合、それを理由に法科大学院に行かなくなる学生がふえるだけでありましょう。
予備試験に関して、間違ったレッテル張りが行われています。一、予備試験はバイパスでよくないんだ。予備試験合格者の法曹としての評価が低いということは証明されているのでしょうか。二、予備校、塾は受験テクニックばかりを教えて、諸悪の根源である。
さて、塾では、私たちのところでは、法科大学院が自学自習という名のもとで放置している体系的理解と、基礎、基本の学修を徹底させています。また、答案の作成の練習は法律文書作成能力の訓練であり、まさに実務訓練にほかなりません。
昨年最年少で合格した学生もうちの塾生でありますが、こうして若くして合格した者は、司法試験一辺倒で一般教養がないとレッテル張りをされます。あたかも人々の悩みや苦しみに共感する豊かな人間性と幅広い教養を備えていないかのごとく論じる者がいます。驚くべき偏見です。普通の高校生と同じように高校生活を謳歌し、ただ毎日二時間ほど法律の勉強をこつこつ続けてきただけであります。合格後は、更に可能性を広げようと、語学や会計、一般教養も深く勉強しています。こうした優秀な、可能性のある学生の芽を摘むことが本当に制度改革なんでしょうか。
誰もが最もいい時期にそれぞれの打ち込みたいものが見つかり、それを見つけたときに誰もが挑戦できる制度が、私は教育制度としてすぐれていると考えます。一人一人の能力を引き出すことが教育の本質ではないのでしょうか。これは法曹養成教育においても同じと考えます。法科大学院存続のために個人の能力を引き出すチャンスを制限することなど、教育を本気で考えている国のやることではありません。
繰り返し申し上げますが、予備試験の制限などもってのほかでございます。
最後に、政府案への評価を述べておきます。
法学部生にとっては選択肢がふえてありがたい面は確かにありますが、しかし、法学部中心の制度であり、多様性の後退は必至でありましょう。また、法科大学院在学中に司法試験受験を認めることは、受験生としてはありがたい面もあります。しかし、プロセスによる学修放棄であり、制度としては自己矛盾と言わざるを得ません。
端的に言えば、法科大学院存続が自己目的のびほう策でしかない。抜本的な改善にはつながらない。よって、反対します。
法曹志望者、志願者をふやすためには、法曹への間口を広げることが一番であり、司法試験の受験資格を撤廃することが最も効果的であり、現実的と考えます。その上で、司法試験の内容、司法修習、これを充実させればよいと考えます。
以上から、国民民主党の案に賛成いたします。
以上です。(拍手)