義家弘介の発言 (文部科学委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○義家委員 役所が答弁を書くとそういう話になるわけでありますけれども。
やはり、成人というものは何なのか。我々は、国会の意思で成人年齢を引き下げたわけでありますから、成人とは一体何なのかということを、もう一度原点に立ち返って考えていかなければなりません。
私自身は、大人、成人とは、自由を手にした存在であるというふうに認識しております。そして、これまでも生徒たちにそのことを問い続けてまいりました。子供たちに自由とは何ですかという問いかけをずっと行ってきましたが、多くの場合、ファーストコンタクトではこう答えます。他者からの制約や干渉を受けずに自分の意思で振る舞えること、これが彼らにとっての自由。私自身も、子供のころそういう自由を求めました、それで大失敗した人間でありますけれども。
そんな自由は、この現代社会の中ではあり得ないわけです。つまり、自分の身勝手な自由と他者の身勝手な自由がぶつかってしまえば、当然、社会は成り立たなくなります。やりたいことをやりたいときにやりたいように振る舞うなんという自由は、現代社会においてはない。
では、現代社会における本質的な自由とは何なのか。これは、自分自身のかけがえのない人生を責任を持って選択する自由。どういう職業についてもいいし、社会の構成員としてどんな生き方を選んでもいい。かけがえのない自分自身の一度しかない人生を、責任を持って選択する自由。つまり、言いかえれば、教育とは、子供たちを、多くの選択肢の中から責任ある選択をし、自分の人生を歩いていくように成長させていく営みである。まさに高校も同様であります。
三年後、生徒たちが在学中に成人年齢を迎えることになる。高校は義務教育ではありません。子供たちが人生で初めて選択し、受験し、そして合格を手にし、学び、成長する場所、つまり、大人になる場所が高校であるということをもう一度我々はしっかりと受けとめた上で、では、今の体制が本当に彼らにとって有意義な環境であるのかどうかということの議論を、これまで高校というのがあったからという議論ではなくて、これからの高校というものを考えていかなければならないと思います。
あらゆるところで言われていますが、現在、人工知能、AIが極めて発達してきた中で、今ある職業のおよそ半数がなくなってしまうという状況にある中で、ならば、高校教育でどのような力を身につけさせればいいのかということを、きょう、質問の中で考えてみたいと思います。
文科省では、二十一世紀出生児縦断調査という継続調査、これは文科省だけではなく厚労省も内閣府もそうですが、この調査を見ると、特に成績が中位から下位の高校生において、当該生徒の中学時代に比べて、学校外での学習時間については、しない、一時間未満という生徒が大きくふえておりますが、文部科学省は、この二十一世紀出生児縦断調査の大まかな概要と、そしてこの理由をどのように分析しているか、お答えください。