泉田裕彦の発言 (原子力問題調査特別委員会)
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○泉田委員 自由民主党の泉田裕彦です。
参考人の先生方におかれましては、御多忙中、本当に貴重な御意見を頂戴いたしまして、ありがとうございました。
共通して訴えかけられているのは、国会の役割の重要性ということだったかなと思います。また同時に、東電福島原発事故から八年半を経過をして、少し風化が進んでいるのではないかということもお話の中で感じさせていただきました。
東電福島原発事故におきまして、私、今でも忘れられないのが、原発が爆発をしてしまう、この映像を見たときの衝撃というのは記憶から消え去ることができません、忘れることはできません。
振り返ってみますと、一号機、これは天井部だけ吹き飛んだ爆発でした。三号機、これはキノコ雲のような黒い雲が上空に向けて噴き上がる爆発でした。四号機は、これは火災という報告になっているんですが、どう見ても建屋全体がぼろぼろで、爆発があったんだろうということが事後的にわかったということでありました。
一方で、現在も多くの住民の皆さんが避難を余儀なくされている原因となった放射性物質の飛散は、外見上ほとんど何も壊れていないであろう二号機のブローパネルが外れたところから飛散をしたということが言われているわけであります。これが後で判明するということになりました。
安全と言われていた原発がなぜこのような事故を起こしたのか、この事故の教訓は何か。やはり、これを総括をして後世に伝えていく、これが国会事故調から求められた国会の役割だっただろうというふうに思います。
原発事故の本質、これは何だったのか。津波だ、地震だ、いろいろなお話がありました。地震、津波、これはやはり引き金だっただろうというふうに思っています。
原発事故、福島の事故の本質は、冷却の失敗、すなわち冷却材喪失事故であるというふうに受けとめています。要は、燃料棒の被覆が溶けなければ放射性物質の飛散はなかったわけです。そして、冷やすことができていれば、燃料棒が溶け落ちるということ、原発のメルトダウンは起きなかったということだと思います。つまり、ブラックアウト、仮に原発全体の停電が起きたということが生じたとしても、冷却が継続できていれば事故にならなかったということも言えるわけであります。
福島原発事故では、残念なことに、事故を想定した準備は十分なされていませんでした。原子炉圧力容器の中に放射性物質を閉じ込めるということを最優先に、最大限の努力を払うということをしました。結果として、圧力が高まった、原子炉内の圧力が高まったので、消防からの注水が入らないというようなことで、冷却に失敗をするということになったわけであります。
事故を想定した準備があったら、本当に福島事故は今のような大事故になっていたんだろうかということは考えさせられるということと、完全に解消はされていない疑問として残っています。
世界に目を転じてみますと、米国において、福島原発と同型の原発、GE社製の原発、これはもともと米国で開発されたわけですけれども、米国におきまして、NRC、原子力規制委員会が、二〇〇二年に既に原発の規制強化をしていた。福島事故の前、はるか前に、冷却失敗をしたときの対応というのが、米国で規制がなされていたわけであります。
二〇〇一年に、ナイン・イレブンの同時多発テロが起きた。二機、貿易センタービルに突っ込み、一機がペンタゴンに激突をした。四機目は一体何を狙ったのか。ホワイトハウスだったかもしれませんけれども、ひょっとすると原発だったかもしれない。こういう危機感の中でNRCはすぐ動いて、原発、航空機テロがあっても放射性物質を飛散させないような対策をとりなさいと。後にB5bと言われる規定なんですけれども、この規定をちゃんと電力事業者と規制当局に求めたということをやっているわけであります。
もし、この規制強化が日本でも米国に見習ってちゃんとなされていたならば、ひょっとすると、亡き吉田所長はもっと打つ手をいっぱい持っていた、そして冷却をする手段を持っていたんじゃないか、福島事故はここまで大きくならなかったんじゃないかというような指摘もなされているところであります。
二〇一一年時点で、なぜ米国でわかっていた規制が日本でできなかったんだろうか。当時の規制当局である原子力安全・保安院、実は情報を得ていました。そして、それが組織内で共有をされなかったという現実というものもあるわけです。そして、無論、一部の幹部だけで情報が共有されていましたので、テロが起きたときに、そしてまた電源が落ちて冷却ができなかったときにどうするのかというような話について、組織内で共有もしなければ、それを公に議論もしなかった、電力会社も無論それを知らなかったという状況で、あの福島の大津波を迎えてしまうということになったわけであります。
もし、歴史にイフはないですけれども、このB5bの規制、しっかり議論した上で、そしてまた日本の原発に適用していたならば、当時クリントン長官が、政府高官及び東電の幹部にも直接電話をかけて冷却のお手伝いをしたいという申出がなされているわけですけれども、これを断っているという事態に立ち入らなかったのではないかという思いも持っております。
そこで、疑問をもう一つ考えてみますと、当時の原子力安全・保安院は、事業者から働きかけがあったわけでもないのに、米国のテロ対策規制、これを日本で採用しないと、議論もしなかったということになっているわけです。どうしてそうなったのかということもしっかり総括をして、やはり歴史に刻むべきではないかなという思いも持っております。
そこで、当時、国会事故調でこの議論を先導された黒川先生と石橋先生に、改めて、東京電力福島原発の事故原因、どのようなものであったとお考えでいらっしゃるのか、見解を聞かせていただければと思います。