小田原潔の発言 (東日本大震災復興特別委員会)
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○小田原委員 自由民主党の小田原潔であります。
質問の機会をいただき、ありがとうございます。
あれから九年がたとうとしております。平成二十三年の三月十一日、私は、落選中で、永田町を歩いておりました。経験をしたことのない激しい揺れに青ざめ、そのときは、とうとう関東大震災が来たと思いました。数日間不安で、ACのコマーシャルが続くテレビを消せなかったのを思い出します。
二週間が経過するころ、五体満足な健康な成人男子が、職もなく、テレビを見ているだけでいいのかという思いも募り、東北自動車道が再開通した翌日、単身、車でボランティアをしに行きました。一年以上、テント生活をしながら、宮城県七ケ浜町で、ヘドロをかき出したり、だめになった家財道具を出したりといった作業を続ける日々でありました。
たどり着いたときの光景は、余りの悲惨さで、これが本当に人の力でもとに戻せるのか、途方もない思いになりました。ボランティアセンターでは、後日わかりましたが、町会議員の方々が、御自身の立場を語ることなく黙々と働いていらっしゃいました。
一年一緒に働いて、初めて自分のことを語る青年もいました。車ごと流され、観念をしたけれども、奇跡的に、高速道路の土手にぶつかって車のドアをあけることができて、生き長らえた、そう言った青年が一緒に働いてくれていました。彼は今、七ケ浜町で、柔道整復師の資格を取り、元気に開業し、町の人たちに心の安らぎを与えてくれています。
初めての慰霊祭の日は、ボランティアセンターの仲間で、作業車で浜に行き、海に向かって黙祷をし、帰りの車中で慰霊式典の様子を聞きました。御遺族の方のお言葉に、車内全員が泣きながら聞いたのを覚えています。今でも心の戦友であります。
野外で私が活動している様子を、当時、町の地域福祉課長として見回りでごらんになっていたのが、今の寺沢町長であります。七ケ浜町は、私の同志で先輩の伊藤信太郎衆議院議員の選挙区でありますが、七ケ浜町の今を通じて全被災地の課題と取組について伺います。
まず、子供の心のケアの継続ときめ細かい寄り添いについて、心のケアの取組についての現状を文科省からお伺いしたいと思います。