湯之上隆の発言 (科学技術・イノベーション推進特別委員会)

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○湯之上参考人 微細加工研究所の湯之上と申します。
 いただいたお題が、過去を振り返り、分析、反省し、その上で将来どうしたらいいんだ、こういうお題だったと思います。ですから、そのとおりのことをお話ししたいと思います。(資料を示す)
 ここにパソコンがあります。皆さん日々パソコンを使われると思うんですが、ここに様々な半導体が搭載されています。
 まず、プロセッサー。これは、シェア一位はインテルなんですが、半導体の微細化、十ナノあたりで失敗してしまって、TSMCに生産委託しようとしています。二位はAMDなんですが、これは完全にTSMCに生産委託して、インテルのシェアを脅かしています。
 それから、パソコン通信ができるということは、通信半導体が入っています。これは、主にアメリカのファブレスのクアルコムが設計して、台湾のTSMCが製造しています。
 これらをまとめてロジック半導体と呼びますが、ここがTSMCが非常に強いところです。
 それから、パソコン通信をするとき、自分の画像が向こうに見えるわけです。ここに、画像センサー、CMOSセンサーというもの、これも半導体が入っています。これはソニーが出荷額では世界シェア一位なんですけれども、そのロジック部分は、自分で作らなくてTSMCに生産委託しています。だから、ソニーもTSMCなしにはあり得ない事態になっています。
 それから、NANDフラッシュメモリー。これは、データをたくさん蓄えておくメモリーです。電源を切ってもデータがなくなりません。一位はサムスンで、二位はキオクシア、元東芝メモリですね。
 さらに、電源アダプター。ACアダプターだけではないんですけれども、いろいろなところにパワー半導体というのが搭載されています。ここにはですね、このパワー半導体は、全部じゃないですけれども、一部TSMCが製造しています。
 さらに、もう一つメモリーがありまして、DRAMというもの。これは、プロセッサーと一緒になってワークを行う、ワーキングメモリーともいいます。一位はサムスン、二位はハイニックス、三位はアメリカのマイクロン。
 かつてここは非常に日本が強くて、過去、一九八〇年代の中旬には八〇%を独占していた時代がありました。ここに行ってみたいと思います。
 これが、DRAMの地域別シェアを示しています。八〇年代中旬、本当に八〇%を占めていたんです。非常に強かった。産業の米という言葉はここで生まれました。
 このピークだった頃に、ちょうど僕は、日立製作所に一九八七年に入社して、半導体技術者になりました。最初は、中央研究所。ここでは、微細加工装置の研究開発を八年ほどやりました。次は、半導体事業部。ここは、DRAM工場、DRAMの生産技術に五年ほど携わりました。さらには、デバイス開発センタ。次世代のDRAMの開発をせよということで、次世代開発をやった。
 この頃になりますと、二〇〇〇年近くになりますと、日本のシェアはこんなに下がってしまって、韓国に抜かれて、日本は次々と撤退していきます。
 日立は、NECとの合弁会社、エルピーダというのを設立しました。二〇〇〇年の頃です。NECから四百人、日立から四百人、出向社員八百人で形成された合弁会社です。僕は、ここに手を挙げて出向を志願しました。微細加工グループの課長として赴任しました。日本のDRAMを何とかしようと思ったわけです。ところが、ここで行われたのは、NECと日立の壮絶なバトルです。技術覇権争いです。僕は、そのバトルに敗れて半年で課長を降格となり、部下も仕事も取り上げられて、いられなくなっちゃった。
 次に行った行き先は、セリート。セリートというのは、つくばにできた半導体メーカー十三社が集ったコンソーシアムです。今もスーパークリーンルームというのが残っているんですけれども、ここで一年半、国家プロジェクトあすかに従って微細加工をやることになった。
 合計すると十六年ぐらい、半導体の微細加工、半導体の最も重要な技術に関わってきたわけです。
 ところが、二〇〇〇年にITバブルがあって、二〇〇一年に崩壊した。日立は、十万人の社員のうち二万人の首を切りました。そのとき、四十歳課長職以上は全員辞めてくれ、こういう退職勧告がなされました。課長職以上になると組合から脱退するので、切りやすいんですよ。
 僕は、たまたま四十歳課長で、エルピーダとかセリートの出向中の身なんですね。本社から見ると、顔が見えない切りやすい社員。何回も退職勧告を受けて、もう辞めざるを得ない状態になって辞めました。といっても、早期退職制度は使えなかったんです。次の行き先を探していたら早期退職制度を一週間過ぎちゃって、辞表を出しに行ったら、撤回はなしだよと、もぎ取られてしまって、自己都合退職になっちゃって、本当は三千万円ぐらいもらえるはずの退職金が、たった百万円になっちゃいまして、ちょっと今でも女房に怒られておるんですけれども、そういうのがあってですね。
 このように僕はDRAMの凋落とともに技術者人生を歩んじゃったんですよ、意図せずして。
 次に行った行き先は、同志社大学の経営学の研究センター。同志社大学に経営学の研究センターが新設されて、何で半導体がこんなになっちゃったの、かつて最強だったんじゃないの、これを研究してほしいというポストができて、推薦してくれる人がいたのでここに行きました。
 五年の任期付特任教授だったので、五年間研究をして、二〇〇八年、また舞い戻ってきて、現在、二〇〇八年以降はコンサルタントとかジャーナリストとして今に至っています。
 問題はここですね。何でこうなっちゃったの、過去、最強だったじゃない、それが何でこんなになっちゃうのと。
 結論を簡単に言うと、次のようになります。
 これがDRAMのシェアです。この辺りが非常に強かった。
 もう一つグラフを出します。これは何かといいますと、日本のコンピューターの出荷額です。パソコンとメインフレーム、大型コンピューターですね、こういうもの。
 日本のDRAMというのは何用に使われていたのかというと、強かった頃はこのメインフレーム用だったんです。パソコンはまだそんなに世間に普及していなかった。このメインフレームメーカーはDRAMメーカーに何を要求したかというと、一切壊れないものを持ってこい、二十五年の長期保証だと。
 よく、DRAMというのはアメリカのインテルが発明したメモリーで、日本がそれを追い越したのはコストなんだ、安価だからだということが言われますけれども、違います。超高品質DRAMを日本は作っちゃったんですよ、本当に作っちゃったんです。だから、これは技術の勝利なんです。
 それは何でできちゃったのというと、例えば、トヨタ流の言葉で言えばカイゼンの積み重ね、経営学用語で言えば持続的イノベーションの積み重ね、こういうもので本当に作っちゃったんですよ。それで、世界を制覇したんです。この時代が長く続けば、僕は日立を辞めることはなかったと思います。
 ところが、時代は変わるんですよ。コンピューター業界にパラダイムシフトが起きた。メインフレームの時代は終わりを告げて、パソコンの時代がやってくるんですよ。パラダイムシフトが起きたわけですね。パソコンの伸びとともに急成長してきたのが、韓国です、サムスン電子です。
 サムスンはどういうふうにDRAMを作ったかというと、少なくとも二十五年保証なんて要らないよね、パソコンはよく使って十年、まあ五年だよね、三年もてばいいんじゃないの、ほどほどの品質保証でいいと。それよりも、パソコンは大量に要るんだと。大量に要る。しかも、メインフレームのように何千万円で売るわけにいかないんだ、せいぜい何十万円なんだと。このとき、メインフレーム用のDRAMというのは一個十万円とか二十万円したんですよ。でも、パソコン用だったら何百円じゃないといけないよね、だから安価に大量生産することが必要なんだと、サムスンはそのようにしたわけです。
 一方、このとき、本当に僕はDRAM工場にいたわけですよ。パソコンが出てきたことを知らなかったわけじゃないです。サムスンがシェアを上げてきたのも知っていました。僕も日本中のDRAMメーカーの技術者も知っていたんですよ。知っていて、なおかつ、相変わらず二十五年保証のこてこての超高品質DRAMを作り続けちゃったんです。それで、サムスンに敗れたわけです。
 これは、経営学用語で言うと、サムスンの破壊的技術に敗北したんです。技術の敗北なんです。
 ちょっとこれはなかなか説明するのは難しいんですけれども、DRAMというのはこんなような構造をしています。ウェハー上に、トランジスタがあって、キャパシターがあって、配線がある、こういうものを作るんですけれども、縦軸は何かというと、マスク枚数と書いてありますが、これは微細加工の回数だと思ってください。何回、微細加工をやってこういう構造を作るんですか。当然、少なければ少ないほどコストはかからないんですよ。多ければ多いほど高価な微細加工装置を大量に必要とするんです。
 日立は二十九枚。東芝は二十八枚。NECは二十六枚。ところが、韓国勢は軒並み二十枚。アメリカのマイクロンに至っては十五枚、半分。これは明らかに技術の敗北なんですよ。こんなふうにして作っていたから、利益が出なくて、大赤字になって撤退せざるを得なくなったんです。技術の敗北なんです。
 これをまとめると、次のようになります。
 八〇年代中旬は、メインフレーム用のDRAMを超高品質で作ることによって、日本は世界一になった。これは正しかった。でも、このときに、日本の開発センターや工場に、極限技術を追求する、超高品質を追求するという技術文化が定着していきます。でも、これは正義だったんです、これで世界一位になったわけだから。でも、定着しちゃうんです。
 九〇年代になって、パソコンの時代にパラダイムシフトが起きた。このとき必要だったDRAMの競争力は低コストなんです。このとき日本は作り方が全く変わらなかったんです。結果的に、そうすると、過剰技術で過剰品質を続けることになっちゃったんです。大赤字になって撤退するわけです。
 一方、サムスンは、適正品質のDRAMを低価格で大量生産して、トップになっていきました。安く大量生産する破壊的技術、これで日本を駆逐した。ここにはマーケティングなんというのもあったんですけれども。
 このエルピーダができたんですが、エルピーダは、超高品質の、こういう病気がもっとひどくなって重篤化して、倒産しちゃいました。
 日本は、軒並みSOC、ロジック半導体にかじを切ったわけです。製品変われど、病気も一切変わらなかった、治らなかった。
 半導体全体を見ても、こんな感じです。
 これは半導体全体のシェアを示しています。やはり一九八〇年代に五〇%のピークがあります。これが、どんどんどんどんシェアが下がっていくわけです。いろいろ、これを対策しようと、あれこれやったんですよ。ちょっとこれはおいておいて、ここの辺りからですね。何かもう一つ一つ読むのも嫌なんですけれども、山のように対策したんですよ。国プロ、コンソーシアム、合弁会社、経産省が主導して、何かもう数え切れないほどやったんです。実際、僕が所属したのは、このエルピーダとか、セリートとか、セリートを核としたあすかプロジェクトとか。これは実際、僕が自分でそこに在籍して経験したわけですけれども、何一つ成功しなかった。何一つシェアの浮上にはつながらなかったんです。大失敗。何でこうなっちゃうのと。全部失敗したんですけれども。
 最後のまとめに入りますが、日本半導体産業は病気です。もはや重病で、死者も出たくらいです。これまで、各社のトップ、産業界、経産省、政府などが病気の診断を行って、まあ人間は、何か熱があるな、せきがあるなといったら病院に行くわけですよ。コロナですか、インフルエンザですか、風邪ですかという診断を受けて、それに伴った処方箋を出してもらうわけですよ。実際、処方したわけですけれども、その処方箋、国プロ、コンソーシアム、合弁は全部失敗です。一つも成功していない。
 つまり、これは何でこうなるかというと、診断が間違っていたんですよ。病気の診断が間違っていたんです。だから、診断が間違っていたから、その処方箋も的を射ていなかったんです。これが歴史的な結果です。病気は治らず、より悪化して、エルピーダのような死者も出た。
 じゃ、日本の半導体に何か望みはないのか、将来に光はないのかというと、日本半導体、デバイスについては挽回不能です。無理。だけれども、希望の光もあるんです。今から述べます。
 まず、半導体を作るには様々な製造装置が必要です。十数種類あります。この中で、全部とは言いません、五種類から七種類ぐらいは市場を独占している装置があります。ここは非常に強力です。
 それから、日本の装置でなくても、アメリカ製であってもヨーロッパ製であっても、それぞれの装置が三千点から五千点の部品で構成されています、その部品の六割から八割が日本製なんです。知られていない中小零細企業がここに何千社といるんです。これがひょっとしたら日本の競争力かもしれない。
 さらには、もう一つある。ウェハーとかレジストとかスラリーとか薬液とか、半導体材料というもの、これはもっと強力なんです。これを具体的に示したいと思います。
 これを作るのに一週間以上かかってしまった。これは一つ一つ説明できないんですけれども、いろいろな材料が必要なんですよ。実はこの三倍ぐらい半導体材料はあるんです。一週間では三分の一しか調べられなかった。しかも、各社のシェアというのは、ちょっと、ねえねえ、教えてよと電話をかけまくって、悪用しないからさ、国会で報告するからちょっと教えてよというのを一週間やって、この図を作ったんです。
 そうすると、見てください、右側に、日本のシェアと書いたんですけれども、九〇%とか七〇%とか、過半を超えるものが多数あるわけですよ。これが一つ欠けても半導体は作れないんですよ。一つ欠けても駄目なんですよ。ここにまず、日本の第一の競争力があります。
 それから、製造装置に行きます。
 製造装置も、これは前工程だけなので、後工程というのはちょっとまとめる時間がなかったんですけれども、前工程だけで十種類ぐらいあります。それで、例えばこの東京エレクトロンというのは、コーター・デベロッパー、詳しく説明しませんよ、でも、九割ぐらいのシェアを持っているわけですよ。熱処理装置も、東京エレクトロンと国際電気を合わせて九割ぐらいのシェアを持っているんですよ。このように、ここにまた数字、日本のシェアを書きましたけれども、五種類から七種類ぐらいにかけては、日本が独占している装置があるんです。これは日本の競争力なんです。
 更に言うと、例えばヨーロッパ、ASML、オランダの装置メーカーで、露光装置をほぼ独占しているんですけれども、この部品の六割は日本製なんです。緑色がアメリカ製の製造装置なんですけれども、この六割から八割が日本製の部品なんです。ここに日本の競争力があります。
 アジアを俯瞰すると、こういうふうになっています。
 まず、韓国は、サムスンとかSKハイニックスを擁して、半導体メモリー大国となりました。今、ファウンドリーも強化しようとしています。なかなかうまくいっていませんが。
 台湾。TSMCがファウンドリーでチャンピオンです。どこも追いつくことができません。これはもう世界の半導体のインフラと言ってもいいでしょう。もうここを使わないとできないんですよ。日本に来るかという話がありますが、必要ならば質疑のところで説明しますが、少なくとも工場は一切来ません。断言しましょう。来ない。
 中国。これは世界の半導体の三五%以上を吸収して、鴻海、鴻海というもの自体は国籍は台湾なんですけれども、中国に大工場群を持っていて、世界の電子機器の九割とか八割を組み立てているわけですね。世界の工場なんですよ。それが、アメリカからの制裁を受けて、自国でも半導体を作ろうと強化に動いてはいますが。
 それで、日本なんですよ。日本は、装置と材料を世界へ供給している。台湾、韓国、まあ中国は、ちょっと、いろいろな問題があってちゅうちょしています。何か、ここ、いろいろ、アメリカのエンティティーリストに載っちゃったような会社がありますので、ここに出してもいいのかというのはちゅうちょしているところがありますが。欧米にも出している。
 こういう役割分担がアジアで完全に確立されています。
 問題はいろいろあります。ここですね。装置と材料は強いんです。でも、材料の競争力を維持するには問題があるんです。
 例えば東京エレクトロンのような大企業だったら、大規模なRアンドD費も充てることはできるんですけれども、その部品メーカー、三千社とか一万社ある部品メーカーには中小零細企業があって、そういうところは最先端の開発というのはなかなか大変なんです。こういう中小零細の部品メーカーが本当の競争力、世界の製造装置のデファクトを持っていたりするんですよ。こういうところの強化が必要なのかなと思っています。
 TSMCが注目されます。TSMCには千社以上のファブレスが殺到している。最先端プロセスだけで五百社ぐらいが来ている。もうキャパはぱんぱんだと。そこに、最先端の製造装置とか最先端の材料が使われているわけですよ。製造装置のうちの半分近くは日本製です。部品まで入れると六割から八割までが日本です。製造材料でいうと、ざっくり言って七割から八割が日本なんです。ここが強いところなんです。
 まとめます。
 一九八〇年代中旬に、日本はメインフレーム用に超高品質DRAMを製造して、世界シェア八〇%を独占しました。一方、一九九〇年代にパソコンの時代が訪れても、相変わらず超高品質DRAMを作り続けて、韓国の安く大量生産する破壊的技術に敗北しました。日本半導体全体も、一九八〇年代中旬でピークアウトしました。シェアの低下を止めようとして、国プロ、コンソーシアム、合弁をやり続けました。しかし、病気の診断と処方が間違っていた。したがって、全部失敗した。日本半導体は挽回不能です、残念ながら。もう無理。ここに税金をつぎ込むのは無駄だと思っています。歴史的に、歴史的にですよ、経産省、革新機構、政策銀が出てきた時点でアウトなんです。これは歴史的な事実です。
 じゃ、希望の光はないのか。あります。今でも競争力が高い五種類から七種類の製造装置、あるいは、日本製でなくても、欧米製であっても、その部品の多数が日本製です。さらに、製造材料については日本が圧倒的な競争力を持っています。したがいまして、強いものをより強くする、これを政策の第一に掲げるべきだと私は思います。
 以上で発表を終わります。(拍手)

発言情報

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発言者: 湯之上隆

speaker_id: 1064

日付: 2021-06-01

院: 衆議院

会議名: 科学技術・イノベーション推進特別委員会