山尾志桜里の発言 (憲法審査会)
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○山尾委員 限られた政党間で合意していただいても、それがどういった意味を持つのか、国民に対しては全く開示されないんですね。
でも、私、申し上げておきたいと思いますけれども、こうして修正案の提出者として、しっかりと、その修正案の質疑を通じて立法者意思、修正案の提出者としての意思を議事録に残す正当な機会があったにもかかわらず、自らそれを、応じなかったわけですから、後から自由討議で独自見解を言われても、その修正者意思の表明としての説得力は全く欠けるということを申し上げたいと思います。
その上で、もう本体の話をさせていただきます。今日は緊急事態条項と自衛権の話をしたいです。
憲法記念日に、改めて、やはり憲法本体の戦後の宿題にきちっと回答を出すべきときが来ているんじゃないかということを私自身は感じました。憲法に緊急事態条項がないこと、自衛権を統制する条文がないこと。やはり、現実に存在するものを憲法上ないことにしていて、だから、しかも国家の危機を統制できない社会になっている。それを実感させているのが、このコロナ禍と中国の拡張主義だというふうに思います。
今回のコロナ禍では、必要な議論や十分な説明がないまま、本当に国民はひたすら先の見えない我慢を強いられています。せめて緊急事態宣言が国会承認事項であったら、少なくとも今より政府は、科学的な根拠を示したり、合理的な説明をしたり、そういう必要に迫られていたのではないかとも思いますし、国会議員自らが賛成、反対を問われて、そして後からそれが正しかったのかと検証を受けるわけですから、もっと緊張感を持って、自責の念も込めてですけれども、調べて、悩んで、質疑に立っていたんじゃないかというふうに思います。
改めて、自民党の平成二十四年の改憲草案にあった緊急事態条項、ゴールデンウィークに読み返しました。宣言を出すには必ず国会承認が必要、一度出されたら百日ごとに必ず事前の承認が必要、かつ、国会には宣言解除の議決権すらある。ただし、宣言の効果として、立法権を国会から内閣に移してしまうに等しい点は、私は問題だと思っています。ただ、こういうところはきちっとみんなで改善していけばいいと思います。
やはり、今このコロナ禍で、宣言を出せば出すほど効果に疑問符がつくような状況になっているのは、厳粛に法の根拠に基づく使い方をせず、お手軽な警戒警報のように使ってきた嫌いがあるからじゃないかと思います。そして、そんなふうに使えてしまっているのは、特措法の要件効果が多くが政令に委ねられていて、割といつでも出せる、割と何でもできる、そんな法律になってしまっているという問題点があると思います。
緊急事態宣言というのは、何か、レインボーブリッジを赤く染めて国民を緊張させるメッセージを発するためにあるんじゃない。やはり、平時には許されないレベルの人権制約を、まさに緊急事態として一時的に可能にするための法の根拠に基づいた危機管理。国家の危機を乗り越えるために必要不可欠な力。だけど、極めて人権保障にとって危ういもろ刃の剣。だからこそ、事前に国民の意思でルールを定めておく。これが緊急事態条項であって、それを置く場所は、まさに国民の意思で権力を統制する憲法だと私は思います。
そして、九条、自衛権の議論も結局同じです。海警法改正が象徴する中国の拡張主義が日本の安全保障にとって直接の脅威となっている今、改めて、自衛権が、日本という国家の存続、ひいては国民の生命、安全のために必要不可欠な存在です。これ以上憲法で無視し続けるには余りにも重要で、しかも、存在だけ書き込んで終わらせるには余りにも強い力だと思います。
だからこそ、憲法に自衛権を位置づけて、そして、少なくとも基本的な枠づけを定める議論をしようと訴えてきました。自衛権が戦力であること、その行使が交戦権の一部行使にほかならないこと、それをきちっと正面から認めた上で基本的なルールを定めるべきだと思います。
緊急事態条項にせよ、九条にせよ、危機の国家に必要不可欠な力を憲法上ないことにして無視し続けることで抑え込もうというのは、日本の法の支配にとって限界、そして有害ということだと思います。
最後に、本体の議論として、もちろんデータ基本権の議論は大事です。緊急事態に国会の機能を維持するための出席の問題や任期の問題も極めて重要です。
ただ、戦後七十六年が過ぎて、日本という国家の自律と法の支配を確立するための核心部分は、やはり九条であり、緊急事態条項であると思います。
あわせて、砂川事件の最高裁判決で象徴的に傷つけられた日本の司法の独立を再構築して統治行為論から卒業するための憲法裁判所の検討も、同じ根っこを持つというふうに思っています。
憲法審査会も変わってきていると思います。時代や国際環境が変わってきているのに、変わらない方がおかしいです。変わると一時的に非難も受けるかもしれませんが、みんなが少しずつ変わっていくことで、左右の分断を埋めていくような一人一人が石になることができたら、憲法審査会のメンバーとして本望ではないかと思っておりますので、是非今後とも建設的な議論を進めていきたいと思います。
ありがとうございます。