片山徒有の発言 (法務委員会)
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○片山参考人 皆さん、こんにちは。
今日は、こういう機会をいただきまして、ありがとうございます。片山徒有と申します。
私は、一九九七年の十一月に、息子の隼という男の子を交通事故で失った被害者遺族になります。その事件については、当初不起訴だったものを、いろいろな方のおかげで目撃者を捜し、再捜査に持ち込み、最終的には有罪処分、有罪判決を受けたという経験を持つ、ちょっと変わった手続を経た交通事件の被害者遺族でございます。
いろいろなことをそのとき考えました。どうして被害者は生まれてしまったんだろう、そして、被害者を少なくするためにはどうしたらいいだろうということを一生懸命考えました。そこで注目したのが、日本の犯罪白書、そこに見る、いわゆる一般的に言う再非行、再犯という数値だったんです。日本の再非行、再犯の数値、再入所ともいいますけれども、私の思っているよりも非常に高かったという現実がございました。
そこで、日本の矯正教育について関心が芽生えました。一度目の犯罪あるいは非行によって出てしまった被害者は致し方がないとしても、きちっとした矯正教育を施すことによって、二度目、三度目の非行は出なくなる、つまり被害者が出なくなるんじゃないかなというふうに考えたわけです。
非常に御縁をいただきまして、いろいろな少年院、刑務所から、指導者として関わってみないかというお話をいただきまして、約二十年間、今まで四十施設にわたる少年院、刑務所にお邪魔させていただきました。
全体講話もありますけれども、グループワーク、グループ指導といった形で個々の内面に潜む問題を一緒になって考えるというケースも担当させていただきました。もちろん、個別指導もございます。その中で、当初は、被害者を出してしまった人なのだから、当然、凶暴だろう、あるいは悪質だろうという思いがあったわけですけれども、実際に会って話を聞いてみると、そういう当初の予想は本当に間違いだったということを、自分を恥じ入りました。子供たちは、純真であり、誠に純粋過ぎるからこそ非行に至ってしまうんだということが分かってきました。
少年法は甘いのではないかという指摘があります。私も当初はそう思っていたこともあります。ところが、そうではありません。少年法は心の中まで入ってくる法律だというふうに言われています。
実際に、少年院では、様々な作文を書かせたり、いろいろな指導の中で、二十四時間、法務教官がつきっきりでその子たちのことを考えています。表面上の謝罪や言い逃れはできないような仕組みになっておりまして、非常に厳しいプログラムがそこにあるということは、是非先生方にも御理解いただきたいというふうに思います。厳しいといっても、暴力を使うとか、そういうことはないわけですけれども、あくまで個々の問題性に照らし合わせて一番ふさわしいプログラムを書く。
例えば、日本の少年院は、いろいろありますけれども、少年院の特性に合わせたスポーツの種類を考えてみたり、あるいは作文の種類をいっぱい書くような少年院をつくってみたり、いろいろな形で少年院は工夫をして、再非行をしないように、それから、少年たちが健全育成をするようにということを心がけていることが私もよく分かってまいりました。
最初私が訪れた少年院というところは、いわゆる中等少年院というところでございました。粗暴犯、中には人に大変な重傷を負わせてしまった子供たちもいたわけですけれども、私は一生懸命、自分の子供、あるいは近所の子供たちが同じような目に遭ったらどういう気持ちになるだろうということを考えました。何回も通っているうちに、自分の子供がここにいたらどういう気持ちになるだろうというふうに変化してきました。つまり、その子たちの問題というのは、その子だけの問題ではなく、社会市民である私たちの問題でもあるということに気がついたからです。
そこで、実際に、子供たちの親代わり、兄代わりとなっている法務教官と一緒になって、立ち直り教育について一生懸命努力させていただくようになりました。法制度が変わって、刑務所でも教育ができるようになりまして、法務教官が教育専門官となって刑務所でも行われるようになってきました。少年刑務所でも同様です。
刑務所と少年院の違いを端的に申し上げますと、人数の違いが圧倒的に違います。少年院には、十人、二十人という施設もあれば、四十人というところもあります。せめてそのぐらいの人数が少年院の規模です。ところが、刑務所になりますと、一千人あるいは二千人という定員のところもございます。私が今担当させていただいている刑務所は、いずれも千人規模のところでございます。
被害者の視点を取り入れた教育というプログラムがございまして、被害者問題についての理解、それから内省を深めさせるようなプログラムがございますけれども、少年院でごく少数で行うものと千人を対象に行うものとでは、当然、内容も質も異なるものでございます。ですから、表面的には確かに刑務所での更生教育も効果を上げていることと推測はいたしますけれども、もっともっとやり尽くしたい、もっともっと手をかけたいという問題があるわけでございます。
今回、法制審議会では自由刑の在り方についても議論されたというふうに承知をしておりますけれども、一日も早く、今の刑務所、刑務作業よりも教育を優先していただけるような仕組みをつくっていただきたいというふうに考えております。
私個人としては、そのようなところから、少年事件は、年齢を引き下げるよりも引き上げた方が好ましいのではないかというふうに考えるようになりました。この理由は単純です。人間の平均寿命が長くなっていること、人生百歳時代だというふうに言われている中で、二十歳が成人として果たしてふさわしいかどうか。確かに、民法の規定からいって十八歳になるというのも一つは理解できるわけですけれども、海外では、様々な事柄について個別に成人年齢が違うことが普通だということも聞いたことがあります。
一般的に考えて、大学を卒業する二十三あるいは二十六歳ぐらいまでを少年として見た方が、むしろすんなりと理解ができるのではないかなというふうに思っております。現に、医療少年院では二十六歳まで収容できるということになっておりますので、あながちこれは不適当な答えではないというふうに考えております。
また、今回の法改正には、日本弁護士連合会を始め、元裁判官、元家裁調査官、元少年院長、日本児童青年精神医学会、それから少年法改正に反対する刑事法研究者の方々も反対声明を上げておられます。つまり、専門家の方々が自ら声を上げるということは、これまでに余りなかったことです。それほどまでに、少年法の持つ保護主義を大事に思ってほしい、少年を粗末に扱わないでほしいということの表れではないかというふうに思っております。
あと、被害者支援と少年の立ち直りは両立できるのかという問いがよくあります。私は両立できるというふうに思います。
被害者支援でいいますと、私は今、あひる一会という自助団体の代表も務めさせていただいておりますけれども、日常生活が送れるようになるところが一応エンドラインというふうに見ております。どのような方でも、当初は大変落ち込んでおられ、社会を非常に不信感で見ておられた方でも、時とともに回復に至るということが一般的だというふうに思います。
その中で、少年事件であれば、四十九日審判と言われている、極めて短時間で審判が終わってしまうために、自分の意見が言えなかった、情報が開示されなかったなどの不満点、不審点はあろうかと思いますけれども、その後もケア、サポートすることにより、例えば、修復的司法的なアプローチで被害者と少年との間を取り持つこともできますし、様々な形で回復軌道に乗せていくことは可能だというふうに考えております。
それから、被害者感情も多様であるということは、是非御理解いただきたいというふうに思います。被害者というのは、誰が被害者になるか分かりません。ですから、同じ御遺族の中でも意見相違というのはいっぱいあります。御家庭の中でお父さん、お母さんが意見が違うということも多々ありますし、お子さんが亡くなった場合、そのごきょうだいがまた違う意見を述べられることもよくあります。そういうことから、世間で言われているような被害者像というのはとても強固で、悲しくて、つらくてということが前面に出てくるわけですけれども、その陰に隠れて、そういうことではないことをアピールしたいという被害者もいるということを、是非御理解いただきたいというふうに思います。
ある支援事例で申し上げますと、私たちは、大々的に被害者支援キャンペーンをして、加害者が見つからない事件だったものですから、何とか情報提供をというふうに思ったわけですけれども、御遺族の中から反対意見が出ました。就職を控えている、結婚を控えている、そういう御家族がおられたものですから、なるべくそういうことはやらないでほしいというふうに言われました。ですから、なるべく穏やかな形で支援をするように心がけまして、何とか無事に支援活動は継続することができました。
実際、長期間にわたる被害者支援をしておりますと、様々な問題が起きるものだということは是非御理解いただきたいと思います。
具体的に、法案について少し触れさせていただきたいというふうに思います。
今回、法制審議会で三年以上にわたる議論がありまして、私も注目しておりました。
当初は、引下げではなく引上げにしてほしいという要望書を出したわけですけれども、実際に法案になってみたものを見ますと、いろいろ問題となる部分が多いのではないかというふうに気がつきました。
対象事件については、少年法六十二条で見られるように、組織的詐欺などの事案が含まれるというようなことが書かれておりました。これは、暴力団や組織的なグループの中で、末端の少年が使い走りをしているうちに含まれてしまうものだというふうに理解しております。
もちろん、安易にアルバイト感覚で応募してしまう少年にも落ち度があるわけですけれども、それを例えば検察官送致にする、そして実名報道をするということは非常に問題となっていくのではないかというふうに思います。
それから、虞犯少年の切捨て、少年法の六十五条に相当するものだと思いますけれども、これも大変問題ではないかというふうに思います。虞犯少年というのは、社会の中で居場所がない、あるいは家庭の理解がないというようなところから、僅かな非行を繰り返し、あるいは何かの形で反社会的なことをしてしまうことにより虞犯として処分をされる、保護されるというケースがあると思います。
これは、はっきり言って、被害者としても認めてあげてもいいぐらいに気の毒な方々が多いと思います。実際に、私も少年院で虞犯で入ってきた少年と触れ合ったことがありますけれども、今までよく生きていたなと思うぐらいにつらい経験をされてきたお嬢さんでした。
それから、今回の法案で一番の問題だなというふうに感じたのは、推知報道禁止の解除でございます。これは、少年法六十八条に相当するものだと思いますけれども、一度報道された情報は消えることがありません。新聞社はきちんとした対応をされるんだと思いますけれども、いわゆるSNSを中心とした新聞記事を一部引用したような形でのサイトは、一生消えることがないんじゃないかと思います。
御存じのように、SNSを中心とした報道によって自殺をする人まで出ている時代ですので、情報の公開については是非禁止をしていただきたいというふうに思います。非常に、こういうことはレアケースという形でごまかしてはいけないわけでございまして、誰一人取り残さない方針で、たとえ少数だとしても、五十五条移送で少年院に帰ってくる少年もその中には必ず含まれているわけですから、問題性をやはり共有していただきたいなというふうに思っております。
あと、職業制限につきましても、これは前科前歴がつくということも踏まえて、問題が多いのではないかというふうに考えております。
少年は希望を持ち、将来就きたい仕事を見つけます。私もついこの間、日本看護師協会様に電話をして、こういう形で看護師希望になった人が将来看護師に就けるのでしょうかというふうにお尋ねをしたところ、前科前歴がついてしまうということは、看護師資格の受験資格はあるかもしれないけれども、免許は与えられないだろうというお答えでした。
将来希望をする仕事に就けないということできちんとした道を歩めないことは、大変悲しいことでございます。そういう悲しい少年を一人でも増やさないようにするのが少年法一条の精神だというふうに私は思います。
行為責任についての考え方についても少しお話をしたいと思います。
これは、シンプルな話として、少年は子供だからゆえに少年非行を犯してしまうんだと思います。
国が、あるいは社会が子供の親代わりとなって面倒を見ていくということがどれほど大事なことなのか。これは、例えば東日本大震災も含め、コロナウイルス感染症の事柄も含めて、地域がきずなを持って支えていく日本ということを考えますと、非常に重要な視点だというふうに思います。子供たちを切り捨てることによって達成できる正義というものは、あり得ないというふうに思っております。
少年事件の根本は少年法にあると思いますけれども、その原点である保護主義の理念を変える必要は全くないというふうに私は思います。少年が加害者であったとしても、よい出会いの下に、未来を見据えていく人として立ち直ることができます。結果として、心からの謝罪、これも生まれてくるだろうというふうに思います。
私の経験で言いますと、少年審判の頃までに内省が深められている少年は、まずおられないのではないかと思います。少年院に入って、そこで頭を冷やして内省を深めて、法務教官との出会いがあり、様々なことを考えることによって、初めて謝罪、反省ができていくんだと思います。
そういうことも踏まえまして、是非、厳罰主義ではなく、保護主義で少年法を完結していただきたいというふうに私は強く切望いたします。
以上で終わります。ありがとうございました。(拍手)