宮崎政久の発言 (予算委員会第一分科会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○宮崎分科員 大臣、ありがとうございます。
目に見える形で進めていただくことが、私たち県民にとっても、また地域の人間にとっても、非常に大きなことになります。これからもそういったお取組を是非お願いしたいと思っています。
実はもう一点、ちょっと大きい問題について触れていきたいと思っています。
沖縄の過重な基地負担の軽減を図るための工程表としては、一九九六年、平成八年の沖縄に関する特別行動委員会、SACOの最終報告、そして、在日米軍の再編、特に、日米両政府で合意をされた返還スケジュールを明記した平成二十五年四月の統合計画があります。
過重な基地負担の軽減で象徴ともいうべきは、普天間飛行場の返還であります。そもそも、平成八年のSACO合意の原点になったのは、住宅密集地のど真ん中にあって、万が一事故が発生すると人命を失うおそれが強い普天間飛行場の早期の危険性除去、この一点であると言っていいわけであります。
宜野湾市の松川正則市長は、令和元年六月、宜野湾市民のことを真っ先に考えると現状では辺野古移設について容認せざるを得ないと表明されています。宜野湾市議会も、令和元年九月に、「普天間飛行場の一日も早い危険性除去のため、同飛行場の米軍基地キャンプ・シュワブ辺野古崎への移設・統合を進めるべきである。」と意見書を可決しておられます。
私も、松川市長の見解、また宜野湾市議会の意見と同じ思いでありまして、これを支持するものであります。
普天間飛行場の返還には本当に一刻の猶予もない、これは全ての人に共通した認識だと思っています。だからこそ、実は私は、政治の世界に入ってから一貫して、普天間飛行場の返還には最も早くて最も確実な方法を選択するべきだとずっと申しています。
初めて選挙に出たときは、当時は民主党政権でした。そのため、それまでの議論の経緯も踏まえて、最も早くて最も確実な方法であれば、その当時は、県外移設でも構わない、そういう主張もいたしました。
しかし、自ら、国会議員にしていただきまして、自民党が政権に復帰をして、政府の中で、また自由民主党の中で、また米国の関係者とはワシントンや東京や沖縄で直接会って協議をしてみて、様々な政策議論をしてみて、やはり日米両政府のこの政策、辺野古移設によって普天間飛行場の返還を実現するという政策が確固たるものであるということの確認もできました。
その結果、私自身も、辺野古移設を排除するものではないとして、辺野古移設を改めて容認するということにいたしました。
私自身、普天間飛行場の返還には、一貫して、最も早くて最も確実な方法を常に選択し続けているという自負ももちろんあります。でも、このとき、公約に反したという御批判を受けました。このことは今でも重く重く心でしっかり受け止めているものであります。
一刻も早い普天間飛行場の返還を実現する、これは私の使命だと自ら思っています。考えるべきは、普天間飛行場の危険性の除去を具体的に実現するということなんです。
実は、沖縄が本土に復帰をしてから、来年で五十年になります。半世紀です。そして、今年は、あの橋本・モンデール会談が行われて、SACOの最終報告がなされてから二十五年、もう四半世紀になるんです。私は、沖縄の過重な基地負担を軽減する問題は、私たちよりも次の世代に引き渡してはいけない、引き継がせてはいけない、本当にそう思っています。とりわけ、その象徴である普天間飛行場の返還は、我々の時代で責任を持って実現をしなければいけないと決意しています。
県内にも県外にも、歴史も踏まえて、特に県内は非常に様々な意見があることは十分に承知をしています。もっと言えば、私自身が何でもできるスーパーマンみたいな存在じゃないということも本当に十分によく分かっています。
ただ、基地の過重な負担の軽減、特に普天間飛行場の返還は必ず実現する、解決すると固く誓っていますので、一歩でも前に進めるんだという決意で、日頃、地元でも、意見が違うとおっしゃる方との間でも、膝を交えて正直に言葉を交わし合うようにし続けています。
沖縄には、今申し上げたとおり、過重な基地負担という問題があるんです。この問題を解決するためには、具体的に解決策を示して行動しなければ問題は解決しないんです。
でも、難しい問題に対して完璧な解決策を提示するというのは簡単なことではありません。そうすると、示した解決策が、でも、更にここが問題じゃないかとか、それも問題じゃないかとか、あの部分についても問題ではないかという議論が起きて、問題が問題であり続けることの繰り返しで、結果として、何もしない、何もできない、前に進まないということになるんじゃないか、私はこのことを一番危惧しています。
解決策で具体的に行動して、少しでも問題を小さくしていって、少しでも改善していくべきではないか、そう思っています。そして、まだ残る問題があるでしょう。でも、それは恐らく、前の問題よりも少し小さくなって残された問題と言うべきことなのかもしれません。残った問題があれば、そこに更に解決策を施していく、そしてまた解決策を施していく、その繰り返しが大きな問題を解決していく手順だと思っています。
だから、私は、この沖縄の過重な基地負担の軽減という問題に対しては、段階的な基地負担の軽減を進めていく、そして問題を一つずつ解決していく、これしかないと思っておりまして、それに真摯に取り組んでいきたいと思っています。私たちの時代でこの沖縄における過重な基地負担の軽減という問題を解決をして、次の世代にはもう絶対に引き継がせない。だから、具体的な解決策について私は地元でも国政の場でも行動をしている、そんな思いであります。
沖縄の過重な基地負担の象徴とも言えるこの普天間飛行場の返還には一刻の猶予もない、この取組に遅れがあってはならないと思っています。政府の取組の状況、見解について、改めてお聞かせいただきたいと思います。