上田健介の発言 (憲法審査会)
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○参考人(上田健介君) 大変難しい御質問で、すぐにきれいなお答えできる自信はないんですけど。
まず一点目ですが、先ほどおっしゃった違憲審査基準というのは、要は学説が主張をしている通説的な見解でして、必ずしも日本の判例がそういう立場に立っているとは限らないというか、かなり怪しいと私は思っています。
と申しますのは、要するに公職選挙法というのはべからず集で、大変規制が厳しいんですけれども、学説は、やっぱりそれはおかしいんじゃないかということを多くの先生はおっしゃるわけですけれども、判例は違憲だと判断していないわけですね。合憲だと判断してきていますので、緩やかなんですね。だから、それを前提にすれば、こういうような、今回の場合のような検討するかもしれない規制についても判例は合憲だと判断する可能性はあると思います。
あと、じゃ、おまえはどう考えるんだというところは、ちょっとこれ大変難しくて、ちょっと無責任に言うと、比較憲法によっても、多分アメリカ憲法を中心に見られている先生方は割と厳格に考えられると思います。こういう精神的自由というのは、表現の自由すごく大事なので、やはり厳格に見なきゃいけない、だからできるだけ自由じゃなきゃいけない。
ただ、欧州、ドイツ、フランス、あるいは私はイギリスですけれども、欧州の方だと割とこれ、福田参考人の資料にもございましたように、割と規制を認めるんですね。だから、ここは国柄によってもちょっと考え方が分かれるところかなと思いますが、じゃ、日本はどうなんだろうというところなのかと思います。
次、二点目ですが、これも大変難しい御質問でして、最近の若いというか中堅、若手の論者の中には、憲法の見方というのはやはり社会全体についての、やはりもっとそういうような何というか規範を含むものじゃないかという、そういう見方が出てきております。フランスなんかがそうだと思うんですけれども。
ただ、私、割とちょっとそこは古い考えでして、そこまで広げてもまあありなのかもしれないけれども、まず基本は国家対私人というか、そこのところで国家を、国家の側あるいは公権力の側を縛るものだというところをやっぱりもう少し大事にしたらいいんじゃないかなというのが、今、基本的には。
ただ、やっぱり、その例えば平等とかという観念というのは国家も縛りますけれども、じゃ、それは私人間同士だったら平等はなしでいいのですかという話になってきますので、まあ全く同じじゃないでしょうけど、やっぱりそういう精神というのは社会の中でもやっぱり価値が共有されなきゃ、された方が望ましいという部分もありますので、ちょっとやや膨らみはあると思いますが、基本は国家と私人の関係で考えていいかと考えております。
以上です。