中嶋哲彦の発言 (文教科学委員会)
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○参考人(中嶋哲彦君) 私、子供が小学生のときに学校で障害者を理解する教育というのがあって親子参加でしたんですけれども、そのときに全盲の方を招いて生徒と触れ合うようなことがあったんですけど、感想を見てみると、障害がある人はかわいそうだ、不自由だ、そういう感想ばっかりなんですよ。おかしいだろうということで結構学校に抗議したんですけれども、それって、やっぱり障害者を理解する教育になっていないんですよね。
その背景には何があるかというと、やっぱり障害者のことを本当に肌身で理解できていないんだろうと思います。私の子供たち、幸いなことに全盲の子供さんと小さい頃一緒に遊んでいたんですよ。ジャングルジムで遊ぶんです。全盲の子がジャングルジムで遊んでいるので、うちの長男なんかはあの子は本当は見えるんだろうと言っていたんです。だけど、できるんですよ。そのことが分かっているから、全盲だということでかわいそうだなんという話にはならないです。
その意味では、インクルーシブ教育って本当に必要なことだ、どういう社会をつくるかというので本当に必要なことです。その際に、クラスサイズが小さくなるというのは、やっぱり子供同士の接点を増やしていったりとか、それから先生の目が行き届くようにするという意味でとっても大事なことです。
でも同時に、やはり先ほどの御発言にもあったように、障害のある人が入ってくることを排除しようとする人もいます。校長時代に障害のある生徒を一人入学させたんですけれども、大学本部から叱られました。何で入学させるんだ、こんなこと言うとあれですけど、そういうふうなことがありました。いや、何を考えているんだということで総長に抗議したことがありますけれども、そういうやっぱり視点もあるんですよね。
その意味では、障害のある人が障害のない人と一緒に、あるいは障害がない人が障害がある人と一緒に生活するためにやっぱり支援が必要です。支援をしっかり付けることで一緒にやっていける。だから、少人数学級だけでそれが実現するわけではなくて、少人数学級プラス必要な支援、これは必要だと思います。障害の方だけじゃなくて、外国語が必要な人にもそれは必要なわけで、それぞれのニーズに応じた応答性を示すということ、これがリスポンシビリティーですよね。責任があるというのはレスポンスすることですから、そういう学校になってほしいなと思います。そういう仕組みにしたいと思います。
以上です。