吉田豊史の発言 (沖縄及び北方問題に関する特別委員会)
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○吉田(豊)委員 日本維新の会の吉田豊史です。富山県富山市が地元でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
比例復活で久しぶりに、四年間の浪人を経てここに戻ってまいりました。一番最初は、維新の党のときに初めて国会議員にさせていただいておりまして、ここの特別委員会に所属いたしました。そのときには、維新の党に下地幹郎という沖縄の政治家がおりまして、その下地からいろいろなことを教えていただきながら私はこの委員会で勉強をさせていただいた、そういう人間でございます。
改めてこの委員会の方に戻ってまいりまして、この委員会の大変さというか難しさというのは、沖縄そして北方のそれぞれに御縁の深い委員の方々がここにいらっしゃっているというその大きな前提があって、私は富山県ですのでそのどちらにも所属しておりません。けれども、私は、富山県というのは、実は北方領土は北海道を除いて一番島民が多いという県だったり、あるいは、沖縄に関しても昆布ですとかいろいろなつながりがある、そういう歴史的なつながりとか、そういうのもある中での質問をさせていただきたいと今日は思っております。
この質問の機会を与えていただいて、とにかく私は、今、逆に浪人中になりました下地幹郎がやはり何よりもこの場所で本当は話をしたかっただろうな、こう思っておるものですから、どんな質問の形がいいのかということも相談しながらということで今日は問題を作ってまいりましたので、そのことも是非大臣にもお知りおきの上でお答えいただければなと思っております。
まず最初に、本土復帰して五十年ということになるわけですけれども、何よりも沖縄ということについて、私も実は富山で生まれ育ってずっと知らなかったんです、恥ずかしながら。日本の中に沖縄ということがあることはもちろん分かっておりましたけれども、訪ねたこともなかった。大学になって二十二歳のときに初めて、自分の沖縄の生まれ育ちの友人から沖縄はいいところだから来いよという言葉をいただいて、そして訪ねたのが初めてでして、それからもう既に、実は私にしても沖縄に初めて上陸してから三十年たっているわけなんです。
自分のことを考えてみたら、結婚式を沖縄でやらせていただきました。それから毎年のように沖縄の方に、頻度はいろいろありますけれども、月に一回ぐらい行っているんじゃないかなと思うと、三十年たてばどれだけの数を沖縄に行かせていただいたのかなというところは私の経験としてもありまして、もちろん、沖縄で活動なさっている政治家の皆さんからすれば、実は今の今も私は何も分からない人間かもしれませんけれども、でも、今回の沖縄の振興の特措法、これを考えていく節目のタイミングに来ているんですよね。
私は本当にいろいろなことを今日も勉強させてもらっていますけれども、ヤマトンチュという言葉ですとか、あるいは本土という言葉もなかなか普通の会話では聞かない言葉なんですけれども、こういう中にあって、私はヤマトンチュであり、そして本土の人間だというところからすれば、じゃ、ここでこれからの沖縄にとってどのような応援ができるんだろうか、そういう立ち位置での質問をさせていただきたいんです。
その中で、まず何よりも、本土に復帰して五十年たつ中で、多くの沖縄の皆様は、復帰した後、やはり、元々抱えていらっしゃった基地の問題ですとか、それから米軍関係の事件ですとか、いろいろな苦しい思いですとか、そういうものについて、あるいは、成長していく中で、高度経済成長に乗り遅れているという立ち位置にいた沖縄とか、そういう様々な状況があったものを、やはり復帰によって大きく状況が改善していくだろう、こういうふうに私は考えていらっしゃったと思うんですけれども、これを大臣御自身はどのように考えていらっしゃったかというところをまずお聞きしたいと思います。