高橋和之の発言 (憲法審査会)

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○高橋参考人 ただいま紹介にあずかりました高橋です。よろしくお願いいたします。
 本日の質疑では、憲法五十六条の「出席」はオンラインによる審議への参加を含むのかについての私の見解を述べるように求められたと理解しております。
 オンライン出席を憲法五十六条の制度として設置することに対しましては、私は重大な疑念を払拭し得ないでおります。その理由は二つに整理できます。第一に、憲法五十六条の解釈の方法という側面の問題と、第二に、そのような制度を導入しなければならない十分な理由があるのかという問題であります。
 まず、五十六条の解釈の方法という側面でありますが、憲法五十六条の解釈は厳格でなければならないと考えております。
 その理由は三点あります。
 第一に、五十六条はルールを定めた規定であり、解釈により拡張することを避けるべきだと考えるからであります。
 憲法上の条文には、ルールを定めた規定と、原理を定めた規定があると言われております。この区別は、アメリカやドイツの高名な法哲学者が唱えているものでありまして、日本でも広く受け入れられております。
 ルールとは、法的効果が発生するための明確な要件を定めた規定であり、その規定の適用に当たっては、事実の要件該当性だけが問題となるような性格の条文であります。それに対して、原理とは、ルールのような明確な要件を定めたものではなく、より抽象的レベルの一般的基準を定めたものという性格の規定であり、適用に当たっては、他の原理との調整が予定されたものであります。
 一般的に言えば、憲法上の条文で人権に関する規定は原理の性格を持つのが通常であり、統治機構の規定はルールの性格を持つのが通常であると解されております。
 日本国憲法は、人権規定については公共の福祉による制限というものを定めておりまして、これは憲法十三条でありますが、公共の福祉とは人権間の衝突の調整原理であるというのが通説となってまいりました。まさに、原理であることを憲法自身が想定しているのであります。これに対して、統治機構に関しては、調整を予定した一般規定は存在しないので、ルールであることを想定していると解することができます。
 これに照らして解釈すれば、憲法五十六条は明らかにルールの性格を持つ規定でありますから、そのようなものとして厳格に解釈、適用することが要求されるということになります。
 五十六条は、「総議員の三分の一」とか「出席議員の過半数」と定めております。その意味は明確であり、その明確な意味に従ってこれまで運用してきたものと理解しております。ゆえに、状況の変化によりその意味を維持し得なくなったというような場合、解釈の変更で対処することは原則として許されないということになります。それが立憲主義の約束事だと私は理解しております。
 これを、総議員と三分の一を切り離し、あるいはまた、出席議員と過半数を切り離して、三分の一とか過半数はルールであるけれども、総議員や出席議員は解釈の余地があるからルールではないという主張もありますが、このように切り離すことは結果志向的な恣意的な解釈であり、許されないと考えております。
 条文は言葉で書かれております。言葉というものは、厳密には一義的であることはまれでありまして、また、時代とともに変遷いたしますから、どのような条文にも解釈の余地はあるものです。しかし、ルールか原理かという問題は、条文に客観的に備わっている性質ということではなくて、解釈態度の指針を与える区別だと私は理解しております。解釈が恣意に流れることを阻止し、それにより立憲主義的な解釈運用を担保しようとするのが、この区別の意味であります。
 厳格な解釈が要請される第二の理由は、五十六条自体の性格です。
 この規定は、会議体が合法的に活動するための最低限の要件を定めた規定であります。会議体に権限を与える場合には、会議体の成立要件と議決の要件というのは、もうこれは不可欠であります。憲法制定者は、少数者保護のために、あるいは権力の濫用を防止するためにそれを憲法に定める必要があると考えたものと解されます。この規定を議員の活動を保障するための規定と読むのは、全くの誤りだと私には思えます。確かに、この規定により、少なくとも三分の一の議員の出席が保障される結果となりますが、それはあくまでも結果論であって、それを目的とした規定と読むのは、この規定の本質をねじ曲げるものであります。
 オンライン出席を認めることは憲法五十六条に反しないと主張する者は、その理由として、五十六条が出席を要求する趣旨は、議員自らが議論し、その過程を通じて議案に対する賛否の意思を形成し、最終的に自らが表決に参加することにあると言いますけれども、かかる解釈は五十六条の解釈としては無理であります。
 そもそも、五十六条は議員に出席を要求などした規定でないことは、これはもう一目瞭然であります。にもかかわらず、かかる目的を強引に読み込んで、この規定に適合する機能を果たす限りビデオ出席も出席と認めるというような理論構成は、余りにも強引な解釈に私には思えます。
 第三に、技術の変化に対応して五十六条の解釈を柔軟に行うべきだという主張は、その根拠の一つとして、憲法が広範な議院自律権を認めているということを挙げております。憲法は議院に広範な自律権を与えており、ゆえに議院運営に関する五十六条の規定も自律的に解釈運用することが許されるんだというわけです。しかし、議院自律権は運用の柔軟性を認める根拠とはなるとしても、憲法条文の解釈の柔軟性を認める根拠とはなりません。
 確かに、国会手続についての条文は日本国憲法には非常に少なく、ほとんどを自律権に委ねております。しかし、このことは、だから憲法条文の解釈も自律権に委ねられるのだという解釈の根拠とはならないと私は思います。自律権は、権力分立との関係で構成されている概念でありまして、具体的には、裁判所の介入は受けないということを意味しているのでありますけれども、決して院による憲法の柔軟な解釈を許すという意味ではありません。むしろその逆で、チェック・アンド・バランス、権力分立が働かない分、国会による厳格な解釈が要請されるはずのものであります。
 憲法制定者は、基本的には自律権に委ねながら、これだけは守るようにという意味で僅かの規定を精選して憲法に取り入れたのであり、その意図は、この規定だけは厳格に守ってくださいということを示したものと理解すべきなのであります。
 以上のように、憲法全体の構造における五十六条の位置に照らして解釈すると、憲法五十六条は厳格な解釈が予定されている規定だということになります。その精神に従った解釈を行うことこそが、立憲主義を守る道だと私は信じております。憲法改正問題に神経をとがらせる余りに、その場しのぎの解決策として柔軟な解釈を採用するのは、許されざる解釈方法の導入という先例をつくることになり、一時の利益と引換えに、長期的には立憲主義を掘り崩すアリの穴となることを危惧いたします。
 五十六条について、厳格な解釈が必要であることを述べてまいりましたが、この要請にもかかわらず、どうしても例外を認めなければならない場合があり得ないわけではありません。それは、テクノロジーの発展等の時代状況の変化により、当初は予定されていなかった他の憲法条文との衝突が生ずるということもあり得るからであります。
 そのような場合、衝突が極めて限局された部分的なものであり、解釈上、ルールに対する例外として対処することも許されるのではないかという場合があるかもしれません。しかし、その場合でも、憲法のどの条文との衝突を調整しようとしているのかは明確に説明する必要があります。
 私が考えるのに、例外の根拠条文として考え得るものの最有力は、憲法十四条の平等原則であろうと思います。しかし、この問題を検討する場合、議員の議会活動を保障するという観点と、国会の機能麻痺を防止するという観点を区別して考えるのが、議論の混乱を避けるのに必要であると思います。
 まず、議員の活動の便宜を図るという観点から考えてみましょう。これは、出産を間近に控えているとか、何らかの障害を抱えており、あるいは病気のために出席が不可能、あるいは極めて困難であるような場合にオンライン出席を認めて、議員活動を可能あるいは容易にしようという考えであります。以下では、弱者への便宜供与と呼ばせていただきます。
 確かに、こうした弱者の方々は、国会への出席等の議員活動に様々な難儀を感じておられることと思います。したがって、オンラインによる活動を含めた、より一層の便宜供与を図っていくことが望まれます。しかし、それは、憲法五十六条の「出席」には該当しないけれども、その他の点では法的な出席と認めるというような制度設計も十分可能でありますから、そのような形でどんどん推進すべきだと思います。
 それでも、五十六条の「出席」とは認めないということになりますと、議決の票数に数えてもらえないという不利益を受けることになります。オンラインで有効な投票ができるということは、シンボリックな意味では意味がありますけれども、しかし、実質的な利益は小さいのではないか、少なくとも、五十六条の例外を認めるというほどの重要性は持たないのではないかと私は思います。
 弱者を保護するための便宜供与だと言われますと、反対を表明するのがちょっとためらわれるんですけれども、憲法五十六条を守りながら様々な便宜を実質的に実現する制度設計は、他にも幾らでも可能であります。そちらの方向こそ、目指すべき方向だと信じております。
 次に、国会機能麻痺を防止するという観点からの検討ですが、これは、感染症の蔓延や地震などの大災害により、定足数を満たす議員が集合できなくなり、国会の機能が麻痺するような状態に対処するために、オンライン出席を制度化しようという議論と理解いたします。
 しかし、今回のコロナの事態でも、国会が定足数を満たすことができないということは生じておりません。阪神大震災のときも、東北大震災のときも、そのような事態は生じませんでした。もっとも、もしオンライン出席の制度があれば、より便利であり、迅速な対応が可能であったということなのかもしれません。
 確かに、便利ではありましょう。しかし、憲法は政治権力の行使を統制するものでありまして、権力行使の便宜のために統制を外そうというのは、憲法の精神、趣旨に反する考え方であります。統制を緩めても弊害は生じないんだというのであれば別ですけれども、制度の悪用の危険性は、弱者保護を目指した制度設計の場合よりもはるかに高まるであろうと思います。権力行使の要件を緩めれば、それに比例して濫用の危険も増大するというのが常識であります。
 もし、緊急事態への対処という問題の一環だということであれば、真正面から緊急事態の問題として提示し、まず、緊急事態についての国民のコンセンサスを形成しながら、その中の問題の一つとして五十六条の議論を詰めるのが筋であろうと思います。
 私、時計を持っていないので、時間が来ているかどうか分かりませんけれども、取りあえずここで終わりにさせていただきます。
 ありがとうございました。(拍手)

発言情報

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発言者: 高橋和之

speaker_id: 18467

日付: 2022-02-24

院: 衆議院

会議名: 憲法審査会