趙誠峰の発言 (法務委員会)

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○趙参考人 弁護士の趙誠峰と申します。
 今日は、このような意見陳述の機会をいただき、ありがとうございます。
 私は、市井の弁護士として日々現場で活動をしております。それとともに、日弁連、日本弁護士連合会の嘱託弁護士としての活動もしておりますが、今日は、あくまでも私個人の意見として、今審議されているこの刑法の改正案、その中でも、侮辱罪の法定刑の引上げの問題と、あと、拘禁刑のことについて若干意見を述べさせていただきたいと思います。
 まず最初に、インターネット上でいわれのない誹謗中傷によって、自ら命を絶たれた木村花さんに対して、この場をかりて哀悼の意を表します。
 私は日頃、刑事事件の被疑者、被告人とされている方の弁護活動をしています。刑事事件の被疑者、被告人とされている方もまた、インターネット上の誹謗中傷の的、ターゲットになりやすい方々です。そして、時にその矛先は、被疑者、被告人だけではなくて、彼らを弁護する我々弁護士、弁護人に向けても、その誹謗中傷の矛先が向きます。
 私自身も、これまで何度も、世間を震撼させるような刑事事件であったり、あるいは著名な刑事事件の弁護活動をする中で、私自身がインターネット上の誹謗中傷の的とされた経験があります。さらに、私自身が在日コリアンという出自があるということも相まって、更にそのようなインターネット上の誹謗中傷というのは激しくなることもあります。そういう意味で、インターネット上の誹謗中傷の問題というのは、我々弁護士にとっても決して他人事ではありません。
 そして、この問題について今の法制度が十分に対処できているかと言われれば、全くそうは思いません。本来もっときっちり処罰されるべき行為が処罰されていないという現状はあると思います。
 しかし、それでも私は、今回の侮辱罪の法定刑引上げという政府が出しているこの法案については賛成できません。その理由は、端的に申しますと、この民主主義社会において最も重要な権利である表現の自由、これを損ねる危険が大きい、とても危険な法案だからです。
 今回の政府案の問題点につきましては、立憲民主党などが提出されている対案、あるいは、本会議での趣旨説明を拝見しましたけれども、その中で極めて的確に指摘されていると思いますので、その内容を若干敷衍しながら、私の方からも述べたいと思います。
 まず、政府案である、侮辱罪の法定刑を引き上げる、このことによってインターネット上の誹謗中傷問題に対処しようという、このことは決して昨今問題となっている本来処罰の対象とされるべき行為に対して適切に処罰することができないんだというこの指摘は、極めて正しい指摘です。
 今問題となっているインターネット上の誹謗中傷の行為というのは、様々な態様でなされます。もちろん、中には、誰もがアクセスできるようなインターネット上の公開された空間、いわば公然となされるもの、そういうところで誹謗中傷が公然となされるものもあります。しかし、それだけではありません。例えば、SNS上におけるダイレクトメッセージであったりであるとか、あるいは、数人のクローズドな空間、SNS上のクローズドな空間における誹謗中傷というのも、深刻な問題であり、またこれは被害者の方の心を深く傷つけます。しかし、これらは決して公然となされるわけでありません。ですので、侮辱罪によって処罰することができないものです。
 つまり、今問題となっているインターネット上の誹謗中傷の問題というのは、公然性というのが法律の要件とされていて、しかも、人の外部的な名誉、これを守る法律だとされている侮辱罪による処罰にはなじまないものです。
 この点につきまして、本会議における政府の答弁、法務大臣の答弁でも、クローズドな空間での誹謗中傷の問題に対してはどうするのかという質問に対して、これは侮辱罪による処罰の対象とはならないんだと法務大臣も認めておられました。そして、それらの行為については、行政的な諸施策を推進する、このようなお答えがありましたけれども、この答弁は、まさに、今問題になっているインターネット上の誹謗中傷の問題に対して、侮辱罪という犯罪、この犯罪の法定刑を引き上げることによって対処することが決して的確なものではないということを端的に示していると思います。
 一方で、侮辱罪の法定刑を引き上げ、そして懲役刑を設ける、このことによって、法律上、侮辱による逮捕あるいは勾留というものが、これは容易にできるようになります。法律上の扱いが変わります。そのことによって、公共の利害に関わる言動であるとか、あるいは政治家に対する言動であるとか、こういった言動までもが処罰の対象になる危険がある、こういう指摘がなされているわけですけれども、これも極めて正しい指摘です。そして、表現の自由に与える危険が大きいということこそが、この場で今一番議論すべき問題ではないでしょうか。
 この民主主義社会において、私たち市民は、様々な意見に接したり、あるいは政策に接したり、あるいはそういった批判の言動に接したり、そしてそういうものを報道で知ったりして、自らの意見を形成して、それを政治に反映することが可能になるわけです。その中には、時の政府に対して批判的な言動も当然含まれます。これらの表現の自由が守られるということこそが、民主主義の社会を維持する上で最も重要なことです。だからこそ、表現の自由というのはほかの権利よりも優越される、優先されるというふうに言われるゆえんです。
 そして、このことは、例えば最高裁判所の判決の中でも繰り返し言及されています。少し御紹介したいと思います。
 意見ないし論評を表明する自由が民主主義社会に不可欠な表現の自由の根幹を構成するものである、そして、意見ないし論評については、その内容の正当性や合理性を特に問うことなく、それが人身攻撃に及ぶなどの意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限りは不法行為にはならないんだ、こういう判断を示した、これは平成十六年ですけれども、最高裁の判例があります。
 何が言いたいかといいますと、意見を述べたり論評する、これは決して正しい意見だけが保護されるものではないということなんです。その中には、例えば、間違った論評であったりであるとか、あるいは不合理な意見というものも、その意見を表明する自由が我々にはあるわけです。そして、そのような意見を表明する自由はこの社会にとって不可欠だということです。当然、その中には、時の政府を批判するような言動ももちろん含まれます。
 一方で、表現の自由というのは、最も権力によって傷つけられやすい権利だというふうにも言われます。今回、侮辱罪というものが審議に上がっているわけですけれども、これまでの歴史の中でも、侮辱罪、侮辱の名をかりた表現行為に対する制限、制約がなされてきた、このことは過去の歴史が物語っています。
 元々、侮辱という言葉が法律用語として初めて出てきたのは、明治時代のいわゆる旧刑法、この中に官吏侮辱罪というものがあります。これが、侮辱というものが法律で初めて出てきた、一番最初と言われています。つまり、侮辱というのは、官吏、すなわち公務員、官僚に対する不敬行為だというふうに歴史的にされてきたわけです。
 このような性質を持つ侮辱罪の法定刑を引き上げて、とりわけ懲役刑を設けるということは、逮捕、勾留を容易にするわけでして、それは、市民が意見を表明する自由、あるいは表現をする自由、意見、論評を述べる自由、政府に対して批判的な言動をする自由、こういったものに対して大きな萎縮効果を生み出すものです。
 そして、このような表現行為に対する刑罰である侮辱罪の法定刑を引き上げる、とりわけ懲役刑を設けるということは、国際的な潮流にも反しています。このことについてもお話ししなければなりません。
 国連自由権規約委員会は、二〇一一年に一般的意見の中で、表現行為に対する刑罰についてこのように述べています。どのような場合でも、刑法の適用が容認されるのは最も重大な事件に限られなければならず、拘禁刑は決して適切な刑罰ではない、このような見解を明らかにしています。そして、諸外国においても、アメリカ、イギリス、フランスなどでは、名誉に対する罪について、罪を廃止し、あるいは法定刑から拘禁刑を削除する、こういった法改正が進んでいます。
 ところが、今回の政府案は、この侮辱といういわば表現行為に対する罪について新たに懲役刑を設けようとするものですので、これは明らかに国際的な潮流、流れに反するものです。
 つまるところ、政府の提案である侮辱罪の法定刑を引き上げたとしても、今深刻な問題となっているインターネット上の誹謗中傷の問題に対して的確に対処することはできず、いずれ、この問題に対しては、インターネット上の誹謗中傷の問題について、正面からこのことを捉える新たな立法が求められる可能性が高いと私は思います。なぜならば、結局、侮辱罪で処罰できない行為が多数あるからです。
 そうなったとき、今回の侮辱罪の法定刑、仮に引き上げられるとしたら、その負の側面、つまり、国民の正当な表現行為に対する萎縮効果であるとか、あるいは、侮辱罪が言論弾圧、言論統制の手段として用いられる、こういった負の側面だけが残ってしまう、そのような危惧を覚えずにはいられません。
 このような観点から、インターネット上の誹謗中傷の問題につきまして、侮辱罪の法定刑引上げという方法ではなくて、正面からこの問題に対する処罰規定を設けるべきだとする、そして、正当な表現行為、公共の利害に関わる言動を守ろう、そういう規定を設けようとする、立憲民主党などが出されている対案の基本的な姿勢というのは極めて正しいものだと考えます。
 続きまして、話題は変わりまして、拘禁刑のことについて少しだけ述べたいと思います。
 現行の刑法には懲役刑と禁錮刑というものが定められているわけですけれども、一実務家としても、その区別が極めて曖昧なものになっているという実感を感じるところであります。ですので、これをまとめて拘禁刑というものにするということ自体は、私自身、極めて合理的なものだと考えます。
 しかし一方で、今回の改正案の中で、拘禁刑に処せられた者には改善更生を図るために必要な指導を行うことができるという条項が新たに設けられようとしています。この点について若干の懸念があります。
 刑罰というのは罰です。罰ですから、その人の意に反して強制的になされるものです。拘禁刑という刑罰の本質は、人の身体的な自由を強制的に奪うということです。法律、今回の改正案の言葉で言えば、刑事施設に拘置する、これこそが拘禁刑の本質です。当然、受刑者の意に反して無理やり拘置するわけです。
 一方で、改正案の十二条三項として規定されている、改善更生を図るために必要な指導を行うことができるという、これが拘禁刑の刑罰の内容として定められているとすれば、大きな問題があると考えます。
 必要な指導を行う、これは、法律案の条文にも書かれているとおり、受刑者の改善更生を図るためのものとして規定されています。ここで重要なことは、受刑者の改善更生を図るためには、受刑者の自らの意思でこれらの指導を受けるということが肝要だということです。言い換えれば、受刑者の意に反するような強制的な指導、これは決して改善更生のために役に立たないということです。
 このことは、この法案が議論された法制審議会の部会の中でも、矯正現場の方の声としてこのような声が紹介されていました。特に改善指導や教科指導は受刑者自身が自発的に取り組むことで大きな効果が上がるものであり、懲罰により間接的に強制することに大きな意義はない。現場の方の声としても紹介されているとおりです。
 つまり、この改善更生を図るための必要な指導というのが、決して強制的になされるべきではない、刑罰としてなされてはいけないものだということです。
 今回の改正案が成立した後、刑務所において、改善更生を図るという名の下、受刑者の意に反するような指導が強制されて、そのような強制的な指導を拒否したことに対して刑務所で懲罰が科されるということがあるならば、それは拘禁刑という刑罰以上の苦痛をその受刑者に与えるものだと言えます。
 日頃、刑事事件の弁護活動をしていますと、刑事事件の被疑者、被告人となってしまう方には様々な方がいらっしゃいます。コミュニケーションが得意でない方、あるいは物事を理解するのが苦手な方、様々な障害を抱えている方、彼らは、その意に反した指導の対象に実になりやすい方々です。それが刑務所内の懲罰という形で強制されるということは、誰のためにもならないものだと考えます。
 あくまでも、この必要な指導というのは受刑者の意に沿った形でなされるべきものであって、この政府提案の改正案について若干の危惧感を述べさせていただきました。
 以上で私の意見陳述とさせていただきます。御清聴ありがとうございました。(拍手)

発言情報

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発言者: 趙誠峰

speaker_id: 20049

日付: 2022-04-26

院: 衆議院

会議名: 法務委員会